【2-2 Walts of the Flowers】
「俺は、五組の花室冬歌さんが好きなんだ!」
「「――……は?」」
刹那、思考停止。
「俺の頭は彼女のことでいっぱいなんだ。彼女のことを考えると、胸が苦しくなって、なにも手につかなくなっちゃって……。これが恋なんだって、二人のおかげで気付けたんだ!」
「まてまて、飯田、一回タイム」
想いがあふれ出す飯田を今度こそ抑制して、もう一度思考を巡らせる。
そして、会議机から身を乗り出し、目の前の少女をびしっと指さした。
「え、こいつじゃないの? 明らかに桜川に恋してる展開だったろ今の!」
桜川の前で縮こまったり、やけに俺らの関係に迫ったり、OBT張りまくってたろ! どんなミスリードだよ。考察のしがいなんてない長期連載でもなんでもない序盤の序盤だぞ。
「いやいや、桜川さんは俺には夢のまた夢だろ! 恋するだなんておこがましい真似できるかよ!」
全力で手を振り首を振り否定する。ここまで来ると、ヒロインっつーかアイドルの域じゃんもう。
「つまり、桜川は恋愛対象として見られていない、と」
「わたしがフラれたみたいになってない……?」
さしもの桜川も真っ向から否定されると心に来るものがあるらしい。
「飯田、お前さ。桜川は夢のまた夢とか言ってるけど、じゃあなんで花室なんだ?」
「ん? どういうことだ」
「なんで花室ならいけると思ってんだ。お前とあの人が釣り合うと思ってんのか?」
「う」
花室冬歌。
海南高校二年五組、即ち俺のクラスメイトである。
彼女について述べるとすれば、まず脳裏によぎるのが、高嶺の花という単語である。
評価するうえで単純かつ注目されがちな容姿について言えば、誰もがうらやむほどの美貌。桜川がかわいい寄りのルックスとすれば、花室冬歌は美しいという表現が最も似合う人物である。
それゆえに彼女に思いを寄せる男たちも多い。タチが悪いことに、桜川で玉砕した男どもが花室ならいけると勘違いして、それでも同じ失敗は繰り返さないように一歩を踏み出せず隠れファンみたいになることが多いのだ。単純な男性人気だけなら、桜川に引けを取らないのではないかと俺は踏んでいる。
「桜川で埋もれがちだが、あの高嶺の花はだいぶ難易度高いと思うぞ。そんな彼女がお前に振り向くかね?」
「こらこら、ネガティブに考えないの!」
桜川が割って入る。というより俺を止めに来た。
恋愛感情の対象が自分でないと分かった瞬間、都合よく態度を切り替えやがった。
だが、事実だ。その事実はなにより、飯田自身が理解しているはずだ。
「いや、天川の言う通りだ。分かってる、俺なんかが高嶺の花の心を射止めるのは難しいってことくらい」
「で、でも。恋愛って単純な魅力だけじゃなくて、なにが起こるか分からないから。まだ諦めるのは早いんじゃないかな?」
「いいや、諦めてなんかない」
飯田は拳をぎゅっと握りしめ、熱い眼差しを俺たちに送る。
「でも、好きになってしまったんだ。たとえ釣り合わないとしても、俺はいつか彼女に思いを伝えたいと思ってる!」
まっすぐな言葉だ。
なんてまっすぐな人間なんだ、この男は。
その姿に思わず感化されてしまう。
「……相談内容ってのは、花室攻略の手助けでいいのか?」
「天川、協力してくれるのか?」
「そういう役目なんだから、やるしかねえだろ」
まっすぐな目で見られるのが申し訳なくなって、目を逸らして答える。
「わたしも協力するよ!」
「桜川さんまで、いいの?」
「もちろん、任せてよ」
っち、やっぱこいつも出てくるか。
まあいい。協力、なんて口では言っているが、やり方は俺と桜川で分かれるだろう。いかに邪魔されずに計画通りに進められるか。俺が考えるのはそれだけだ。
「二人とも、ありがとう!」
もはや眩しいくらいの笑顔を飯田は浮かべていた。
それに俺たちも努めて笑顔で応じる。
……裏でドス黒い欲望がうごめいているのは内緒だ。
*
そして現在、俺はといえば、どうしようもない手の打ちどころについて思案していた。
HR前、全校生徒が寝ぼけまなこを擦りながら一斉に登校しだす時間だ。
慣れた足取りで正門をくぐり、玄関を抜け、靴を履き替え教室へ向かう。階段を上りながら、すれ違う、追い越す知人と挨拶を交わし、他愛もない会話を展開したりする。
気だるげに足を踏み入れる者、友人と談笑しながら現れる者。朝から宿題に追われ、頭を抱える者。俺も例に漏れず、学生にとっての日常の風景へと溶け込んでいく。
「うぃ、天川」
「おーす」
もはや自動的に喉から流れるような軽い挨拶を交わす。
俺より数分早く到着したのであろう滝田が、リュックからシューズを取り出し、下敷きになった筆箱を机の上に置きながら授業の準備をしていた。
その一つ後ろにある自分の席に荷物を置いて椅子に座る。
「今日は来んの早いじゃん」
「二週連続で遅刻なんてしてみろ、廻戸先生になにされるか分かんねえからな」
「しかし肝座ってるよなーお前。課題やるくらいだったら死ぬ気で起きるわ」
「勘違いすんな、人より向上意識の高い俺は自分から課題を受けに行っただけだ」
俺が昨日の晩に必死こいて片づけた宿題用紙をちらつかせると、滝田はぷっ、と吹き出して笑う。
「なにが向上意識だ。そういうのは特進行ってからほざけよ」
「バカにしやがって。次のテスト見とけよ」
「期待してるわ。特進のエリートを見返してやれ」
特進ね。
こう意識を向けてみると、意外にも学園法の影響は生徒間に根付いているように思える。人の噂や空気に流されないような滝田でさえ、話に持ち出す程度には。
廻戸先生が俺に、俺たちに課したのは、こういう現状の改善だ。いや、改変とでもいうべきか――善くするのではなく、無かったことにする。そのためには、学園法以上の影響力を持つ人間にならなくてはならない。
その線で行くならば、まず学校中の俺に対する評価を見直さなければいけない。大袈裟というか、自意識過剰というか。桜川ひたちに言えたものではないが、でも事実だ。このやり方における最も効率的な手段は、一言で誰もが付いてくるようなカリスマ性を持ち合わせてさえいればいいのだから。
まあでも? 内心、大して気にしていなかったりする。
なんせ俺は見ての通り基本スペックは高めな設定なんだ。
自他共に認めるイケメンだし? どんな奴とも話を合わせられるコミュニケーション能力に、大抵のことはできてしまう要領の良さ。勉強だって苦手じゃないし、運動神経もいい方だ。一介の男子高校生としてはなかなかの優良物件だと自負している。おまけに生涯で彼女いたことなし、つまりピチピチの初物なわけです! 今が旬ですよ、誰かもらってくれ。
まあ要するに、俺という個人の人間的魅力においては、これからのセルフプロデュース次第。
だが、それは長期的な問題だ。
俺が取り組むべき目下の問題は――
「? どこ見てんだ天川」
「なんでもねえ」
ふと向けた視線の先を悟り、滝田がにやりと笑う。
「おいおい、あんま花室さんばっか見てんなよ、殺されるぞ?」
「お前は花室をなんだと思ってんだ」
聞こえない声量で抑えつつ、だが目線は外さない。肘をついた手に顎を置き、ただじっと彼女を見つめる。
花室冬歌は俺の目線などつゆ知らず、広げた参考書とにらめっこしていた。
朝の騒がしい空間の中で、誰と話すでもなく、凛とした姿勢でそこに佇んでいる。
季節は春。暦の上では晩春と呼べるはずなのに、彼女の周りは肌寒さの残る冬のような空気が漂っていた。とても普通科クラスとは思えない光景である。
「えらいねえ彼女。やっぱ普通科の中でも頭一つ抜けてるわ」
「それな。なんでうちいんのってレベル」
「それも含めて高嶺の花って感じだよな」
花室はその容姿もさることながら、成績も上位層に位置している。
きわめて異質な彼女の存在のおかげか、「五組は花室さんがいるからまだマシ」「特進ほど優秀ではないが、普通科ほど落ちぶれていない」といった扱いをされ、俺たち二年五組は事実上特進クラスと普通科の中間に属しているような評価を受けている。
ともあれ、俺が彼女にこう注目しているのは、やはり昨日の一件をどう解決するか探っているからに過ぎない。
同じクラスとはいえ、あまり人を寄せ付けない彼女と関わったことはまだない。だってまだ四月だぞ。クラスの半分程度と言葉を交わしたことのない俺にとって、花室はもうボスみたいな認識である。
「滝田って、花室と喋ったことある?」
「ちょっとだけな。そりゃ、かわいいコには声かけるさ」
「少しだけ羨ましいよ、お前のそういうとこ」
「それほどでもねえっす」
褒めてはないけどな。
かくいう俺も、滝田の人当たりの良さのおかげでこいつと仲良くなれた節がある。
だが、そんな滝田でも、対花室の手ごたえはなかったようで。
「会話は成立するんだけどな。ほぼ突っぱねられたよ」
「明らかに花室と相性悪そうだもんな、お前」
下心見透かされてんじゃねえか。
「なーに天川、花室さんのこと狙ってんの?」
「そういうんじゃない。……でも、仲良くなっとくに越したことはねえな」
……ふむ。
一つ、作戦を思いついた。
ともすればうまくいくんじゃいないか。淡い期待を抱いて、俺は授業へ向かった。