【2-7】 浅夏のひとときⅡ
勉強会を終えた俺たちは、それぞれに帰路へとついていた。
「あっちぃ~。もう夏だろーコレ」
ちょうど練習を終えた滝田と合流し、俺と委員長、そして花室を加えた四人が固まって歩いている。
都市部から少し離れた町になると、連なる山や林を背景に田園風景が広がる和かな道に出る。家が立ち並んだ住宅地が無限のように続く景色が、無数の生活を連想させる。
こうして歩いているとじわりと汗が滲みだす、そんな季節になった。アスファルトに反射した陽光と背丈まで生えたススキの葉の匂い。オレンジと薄青が共存する夕焼けに、鈴虫の合唱が溶け込んで響く。
「まあ日も伸びたしな。六時過ぎだってのにまだ明るいし」
「もう六月かー。すっかり文化祭っぽい雰囲気になってきたよなー」
「なにその限定的な雰囲気……。それよか滝田、シャツまくんないでよ。むさ苦しい」
「仕方ねーだろ、部活終わりなんだから。ほれ、サービス」
滝田がいじわるな目つきで裾をめくりあげた。しわの付いた白い布地から覗く健康的な焼けた肌、引き締まった腹部がうっすらと割れている。
「ちょ、ナニしてんの。そんなもの見せびらかさないで」
言いながらも、委員長は顔を覆ったはずの両手の指をがっつり開き、間からがっつり見ている。
いやまあ、知ってたよ。委員長は凛と振舞ってはいるけれど、実は四六時中男の体を悶々と想像している年相応の女子だってこと。きみはムッツリスケベな委員長なんだね! 最悪のフレンズが誕生してしまった。
それに。凛としているってのは、こいつみたいなことを言うんだ。
「……っと、花室さんも一緒だった。悪いね」
「ちょっと。その言い方だと、私だけならいいみたいに聞こえるんだけど」
(いや、いいだろ)
(いや、いいだろ)
まんざらでもなさげだったしな。俺と目を合わせた滝田も、同時に同じことを思ったろう。
花室冬歌が、一緒に帰ろうという委員長の誘いをあっさりと受け入れるとは、ちょっと意外だった。珍しい面子に滝田もテンションを弾ませている。
「花室さん、こっちの方なん?」
「ええ。駅から比較的近い部屋を借りているわ」
「もしかして、一人暮らし?」
「え、ええ」
委員長が興味津々な風を隠すことなく食いついた。自分と同い年の女の子が親元を離れて生活していることに驚いたのだろう。同時にどこか憧憬を含んだ嘆息を漏らしている。
そんな花室は、不意にはっとなって俺と滝田から身を引いた。おそらく一人暮らしというワードに連想して身の危険を感じたのだろう。いや、立派な自衛意識だけど、多少は安心してほしい。傷つくから。
「そんで、勉強会の方はどうだったん? 朱音とか大変だったろ」
「朱音は今日、俺が教えてた」
「おー。そりゃご愁傷様」
滝田が憎たらしくはにかんで、俺はため息で返す。
マジで疲れた……。ぶっちゃけ今日の疲労の大半があいつのせいと言っても過言じゃないまである。
朱音のやつ、教えたこと全部通り抜けていくんだもんな。まさに馬耳東風、ザルのように水を漏らしていく逆スポンジ系女子だ。
「あそこまで来ると一種の才能だからな。もはやわざとやってんのか疑うレベルだ」
「朱音が勉強絵を覚えるのが先か、天川が過労死するのが先かってとこだな。まちがっても委員長や花室さんに押し付けていい代物じゃねーよな」
「そんなに? 赤塚さんに失礼じゃない」
幼馴染二人の軽口に、委員長が探るように割り込んできた。
「いやいや、ギリ会話が成立するぶん、俺が相手したほうがマシだ。たぶん花室が相手してたら引っぱたいてたぞ」
「二人に失礼じゃない⁉」
過言じゃない。孤高に咲く高嶺の花と頭ん中お花畑じゃ雲泥の差っていうか紙一重っていうか、ともかくぜったい嚙み合わない。あいつには俺しかいないんだ……とかいう勘違い男ムーブもしたくなる。
まあ今となっちゃ花室も、俺と桜川と同じようにカースト競争に参加しているわけだから、生徒の支持率を確実に得るためにも朱音みたいな人種とは関わっていくべきなのだろうけれど。
実際花室がどう思っているのかは俺には知り得ないけれど、少なくともクラス単位で七組との抗争に勝つためには内乱を起こすことは避けたい。
「赤塚さんは考えものだけどさ……、いや、私もイマイチ手ごたえはなかったかも。見た感じ、花室さんが見てた子たちは分かりやすく伸びてたっぽいけど。改めて花室さんのすごさが身に染みたわ……」
そう落ち込むな委員長。花室と単純な学力で比べたってしようがないだろう、呪術師的にいえばこいつはもう特級とかの次元だから常人じゃ相手にならないってだけだ。他人を寄せ付けない感じとかマジ無下限。それにアナタは花室すら凌ぐほどのフィジカルギフテッドを授かっているでしょなにとは言わないけど。
「なんせ、あの飯田を五〇位まで教えあげるくらいだからなー。さすがは『高嶺の花』。才色兼備とはこのことだな」
「飯田くんって、六組のよね? ああそういえば、中間テストの面倒見てたって聞いたかも」
滝田の言葉を拾った委員長が、訝しむように俺を見据えてくる。
「たしか天川も関わってたんだって? どういう組み合わせなのよ」
「ま、巡り合わせってやつだ」
とある数学教師によって巡り合わされたのだけれど。
ともあれその話題を掘り下げられるのは極力避けたい。適当に流して空気を変えよう。
どういう組み合わせか……そんなもん、俺が聞きてえよ。
横の高嶺の花、ひいては『ヒロイン』と接点をもち、あまつさえ競争する関係になるだなんて、一年前じゃとても考えられなかったことだ。
一年前の自分を、だから悔いているとは思わないけれど。過去を悔やんでいたって仕方ない。未来を憂いたってなにも変わらない。必要なのは今をどうするかなんだ。そして実際、一年前の俺はその当時を全力で生きていたことだろう。
俺は今が好きだ。後先の細かいことは考えずに目の前のことに集中していられる、今という時間が好きなのだ。
目を逸らしたくなる暗い過去も、先の見えない不安定な未来も、今という瞬間を切り取ってしまえば忘れられる。
紅く揺らめく斜陽を受けて浮かび上がる青写真が、今の俺にとって全てであると、そう思える。
だから俺は、この瞬間が好きだ。
この一瞬が永遠に続けばいいのに、そう願った。




