【2-3】 浅夏のひととき
「はなえも〜ん!」
「気色が悪いわ。消えてくれる?」
のっけから毒舌だった。本家青ダヌキより辛辣なこと言ってきやがる。
旧生徒会室の存在を知る生徒は俺を含めて三人。この花室と、俺たちに目もくれずお菓子をつまみながらスクリーンに映した映画を鑑賞する桜川。こいつ自由すぎるだろ。
そして生徒のほかにもう一人。俺たちにこの部屋の存在を知らせた張本人である廻戸先生も様子を見に来ていて、今この空間には珍しく全員揃っていた。
俺は花室に、美浦たち七組と勝負することになったこと、その内容に文化祭と期末テストが絡んでくることを説明して助力を求めている真っ最中である。
「で、演劇はどうにかなるとして、テストなんて絶対無理だろ? 勝ち目ないだろ? そこでお前の力が必要なわけだ」
「どうして私が協力することになるのか、道理が解らないのだけれど……」
「お前だって同じ五組だ。徳を積んどくに越したことはねえだろ」
花室の怪訝な視線に射すくめられるが、めげずに説得を試みる。
「てなわけでよ、しばらくの間、あいつらの勉強を見てやってほしいんだ」
「そう。…………構わないわ」
「まじ?」
にしても、まさかこうもあっさり承諾してくれるとは。
以前の飯田の件もあったし、その手の面倒ごとはこりごりとでも言うかと思ったけど。
こいつも同じくこの学校の支配者を目指す身。こうして民衆と慣れ親しんでおくことの重大さに気付いたのだろうか。
「サンキュ、助かるわ」
「ただし、条件があるわ」
「……ですよね」
少しでも期待した自分がバカみたいだ。彼女は桜川ひたちに次ぐ才女。なにかしら意図があって乗ってきたに違いない。
「あなたも一緒に、勉強を教えなさい」
「は? いや、俺じゃ役不足だろ」
なしてそんな突拍子もないことを。
あれか、絶叫マシンとか苦手だけどキミとなら行ける気がする的な? なわけねえな。
「それが条件よ。受け入れられないなら私はその話に応じないわ」
「別にいいけどよ……」
真顔でそう言われては、否が応でも受け入れるしかない。そもそも俺が持ち出した提案だ。ある程度の見返りは叶えてやらねばなるまい。
「なにあんたら、『課題』でも受けてんの?」
「や、ちげえんだ。まあ一環といえなくもねえけど」
「この男が七組に分不相応にも因縁をつけたのよ」
ちげえよ。なに平気で事実を捻じ曲げてんだ。
「美浦だよ、美浦悠馬。理特がいちゃもんつけて勝負ふっかけてきたんだ」
「ああ。なんかあんたら、クラスぐるみで賭け試合するんだっけ? さっそく話題になってたわよ、五組が理特に挑戦状を叩きつけたって」
すごい偏向報道だ。俺たちのクラスにそんな下剋上精神を持ちあわせたやつなんて一人も――っと、いましたね一人、それも俺の隣に。
いやでも、それこそ花室以外に特進クラスに噛みつこうなんて好戦的なスタンスの人間はうちにはいない。俺含め二年五組はみんな温厚で平和主義者だからな、そんな物騒なことを巻き起こすなんて考えられない。べ、別にビビってるわけじゃないんだからねっ!
そうだ。五組をはじめ俺たち普通科の生徒は基本的に特進と関わろうとしない。学園法のせいで特待生に胸糞悪い命令権が与えられている以上、変に目を付けられてしまってはその後の学校生活はお先真っ暗確定。高校生活終わるナリなんて冗談じゃなくなってくる。だから不用意に特進コースの教室へは近づかないようにしている。そして特待生も、普通科が五クラスぶん固まっているところに足を踏み入れようとは思わない。
つまり事実上、俺たち二年五組の教室が学年におけるベルリンの壁と化しているのだ。
「まともに勝負の約束を取り付けられただけ幸運だよ。生徒会長がいなかったら俺ら全員美浦たちのパシリにされてるところだった」
で、噂の内容は五組による七組――理系特進クラスへの宣戦布告。当事者以外の七組生からすれば、普通科が領土を拡大せんと侵攻してきたと捉えられてもおかしくない。
「神峰会長――生徒会の厄介になっている時点で私たちの立場は危ういのではないかしら」
「会長なぁ……。いい人だよな」
神峰集。大きな力を持ちながら、強弱の垣根を問わず審判を下す正義の象徴。
さっきまで呑気に映画を観ていた桜川も、その名にピクリと肩を上げる。
「ま、あの人でも御しきれない辺り、学園法のしぶとさつーか、どいつもこいつも胆が据わってるよな」
会長だけじゃない。この桜川や花室。超人的な能力を有するカリスマたちをもってしても、非人道的な思想は晴れる見込みはない。学園法はよほど根深く浸透しているようだ。
俺の言葉に、それまで缶コーヒー片手に傍観していた廻戸先生が割り込んでくる。
「いや。実際神峰はよくやっている。二年前――ちょうどあいつが生徒会長に就任したころを皮切りに、この学校の風紀は見違えたように良くなったよ。以前までの荒くれた海南より遥かにマシだ」
今のでマシって、前までどんな治安してたんだ。
「あの男が創る国家は大したものだ。学園法に統治された差別意識を改善しながら、高校としての学業レベルを底上げしてきたあいつは間違いなく海南に欠かせない存在だろう」
「じゃあ、あの人が『課題』をやればいいんじゃないすか? みんないうこと聞くだろうし」
ぶっちゃけそうすりゃ俺も楽だし。
実力も影響力も群を抜いて高い会長なら、少なくとも俺よりは上手くやれるはずだ。
「バカなの、あんた」
「浅はかね」
どっかのエヴァパイロットみたいな口調と単純に憐れむような言葉を投げられた。
なんで二人してそんな反応なんだ。俺は思わず廻戸先生を見て、腕を組んだ先生の解説を待った。
「あの男が生徒会長でいるのも、あと半年もない」
「――そうか」
そうだ。思わず見落としていた。
優秀な頭脳を誇るリーダーが、彼の作る平穏が、いつまでも続くとは限らないのだ。
永遠などない。いつかは終わる。
その平穏を保ち続けるためには、あまつさえ善くしていくためには、その意志を受け継いでいかなければならないのだから。
「俺がお前たちに『課題』を課す理由が解ったか」
「思ったより大変そうっすね」
軽口をたたいたつもりだった。
けれどそんな言葉は、無表情で佇む花室とそっぽを向いた桜川には届いていないだろう。
その場の誰もが発話することを止め、言葉の途切れた旧い部屋。
アイボリーのカーテンが揺れる窓枠からは、やわらかな金色が差し込んできていた。




