【1-6】 夏のイベントその1
「……で、『課題』がこれかよ」
花室冬歌を新たに加え、三人で挑むことになった海南高校の改革運動。
その晴れやかな最初の『課題』は、プール掃除だった。
文化祭で上位を独占するというのはあくまで『課題』の一つにすぎず、並行して小さな『課題』も課せられる。俺たちが現在取り組んでいるのはそのうちの一つ、いわばサブクエみたいなもんだ。
土やら葉っぱやら泥やら、一年ぶんの汚れを貯めた25mプールに洗浄剤をぶちまけ、ブラシで磨いた後にポリッシャーで水はけをする。
高校生活の夏といえば五本の指に挙げられるような青春イベントだが、生憎と青春の二文字とは縁遠いのが俺たちの常であって。
メンバーは廻戸先生の『課題』を仰せつかった俺、桜川、花室の三人。メンツ的には悪くないどころかビジュアル面で言えばこの海南において考えうる限り最強のツートップだ。
しかしだ。俺の気持ちがあまり晴れやかでないのは、その美少女二人がときめき要素など微塵も持ち合わせていない点にある。
一般的なプール掃除イベントといえば、女子生徒が生足になって夏服のシャツをスカートから出して、揺れるドレープ部分を堪能するものだろう。汗で、水で濡れて透けたシャツから覗く柔肌や下着のラインを、背徳感に駆られながら眼に焼き付けるもんじゃないのか。
もしくは水着。もうしょっぱなから水着に着替えて、掃除を終えた綺麗な潤いを放つ水辺に飛び込む、爽やかな行事じゃないのか?
「よりによって、俺だけジャージ用意されてないって」
女子二人――飛び込み口にしゃがみ込んで頬杖をつきながらホースを握る桜川と、長い髪を後ろでまとめてポリッシャーを構えた花室の格好は、体操服だ。
いくらなんでも制服でプール掃除はという二人の意向で、学校に余っていた予備の体操服を借りることとなった。どっちもサイズ同じはずなのに、花室が着るとぱつぱつでキツそうに見えるのに対し桜川はブッカブカなのはなんでだろう? いやまあ、違いなんて一つしかないんですけど。おっと、おっぱいは二つか。
んで、だ。俺はというと、捲った袖も裾も制服のシャツとスラックスのまま。男子用だけジャージの余りがなく、俺一人だけ暑苦しい格好で取り組むことを余儀なくされてしまった。なにが悲しくて男のシャツ透けなんて起こり得ようか。
清掃中、俺たちの間に会話はない。こういう時に中身のない話題をふくらませるタイプではないし、そんなことより炎天下の下で肉体労働というものがなかなかにしんどいので、無駄口を叩く余裕もない。俺たちの耳に入ってくるのはアブラゼミのけたたましい声とデッキブラシがじゃかじゃかと泡を立てる音だけだ。
「そういや、花室は文化祭どうすんだ?」
「なんのことかしら」
「いや、お前の絵の話。文化祭だし、なんか展示するのかなって思ってさ」
旧校舎となった特別棟には、放課後になると二人の少女が現れる。
桜川のほかにもう一人。旧美術室に現れる『高嶺の花』花室冬歌は、夕暮れ時に油絵を描いているのだ。
実際は描くというより、桜川への不満を吐き出しながらキャンバスを塗りつぶしている場面しか見たことはないんだけれど。
それを思い出して気になった。彼女は自分の絵を、自分の中だけで完結させるつもりなのだろうか。
ただの趣味の一つとして結論させるには、彼女から感じた情熱は滾って見えたが。
「いえ、そもそも文化祭は個人や有志の企画はないでしょう」
「んじゃ学祭は? なんか出すのか」
「……どうでしょうね。まだ決めていないわ」
意外だ。聞いといてなんだけど、花室が誰かに自分の作品を公開することは想像できなかったから否定されると思った。
その話題に桜川も反応して、ホース片手に花室を見た。
「でも、なんかしら描いてんじゃないの? 秋なら二科展とかあるでしょ」
そういや花室、前に駅で会ったとき、展覧会に搬入してたみたいなこと言ってたな。
いや、実際には会ってはいないんだけど。着ぐるみ越しに抱きついてきた花室がそうこぼしただけなんだけれど、実質的に彼女の口から直接耳にしている。
「それはっ……。いえ、あなたたちには関係ないわ」
「なによそれ。もしかしてどっか出してんの?」
「……」
「え。まさかほんとに? どこどこ、どこに出したの。わたしあんたの絵だけは好きだから見に行きたいんだけど!」
いつになく目を輝かせている桜川の気迫に押され、花室は戸惑いをあらわにしている。
たしか、桜川は花室の絵をはじめて見た時、その完成度の高さに圧倒されたんだっけか。互いに毛嫌いしているといえど、実力は認め合っているんだから実はこいつら相性がいいんじゃねえかってたまに思う。
「まだ出してはいないわ。搬入期間はもう少し先だし、それまでに納得のいく仕上がりになれば参加すると思うけれど」
桜川の熱意に押されて堪忍した花室が答える。少し恥ずかし気に頬を染めるそのぎこちなさに、不覚にも見蕩れてしまいそうになった。
「そ。出したら言ってよね。あとチケットちょうだい」
「自分で買いなさい。相変わらず傲慢な女狐であることに変わりないわね」
「なっ。いいじゃんケチー!」
「どの口が……。そもそも、出展したからといって、なにか特典が与えられるわけではないもの」
「なーんだ。じゃ仕方ないか。もしもらえたら譲ってよね!」
そこまでして行きたいのか。こいつもこいつで意外だ。
意外な一面なんて、こいつらに関してはさんざん見てきたと思っていたけれど、どうやら思い過ごしだったらしい。それもそうだ、この二人とまともに関わるようになってからひと月余りしか経っていないのだから、それで他人を知った気になるだなんてのは傲慢というものだ。
思い過ごし――否、思い上がり。
「あまね、さっきから私たちに不審な視線を向けてなんのつもりかしら」
「デフォルトだよ!」
「あんた自分で言ってて悲しくないの……」




