【1-5】 花室冬歌、参戦!
「それは、どういうことかしら」
現れた影の正体は、高嶺の花――花室冬歌のものだった。
凛然と立ち尽くす彼女の眸は、鋭い冷気を纏って俺たちへと向いている。
「あまねの様子がおかしいと思って後を追ってみれば……。なるほど、そういうことだったのね」
様子がおかしいって……。そりゃ、俺がこいつに対して思ってたことじゃないか。よもや花室の方も同じ印象を抱いていたとは。
そっか。だから教室で、ヘンに目が合っていたのか。
「あまね、これはどういう状況かしら。まさか私に黙って二人でこそこそと謀っていたとはね」
「誤解だ花室。俺たちは廻戸先生から『課題』を請けているだけだ」
「それはつまり、あなたたちは協力関係にあるのではなくて?」
「違うんだ。あくまで目的が同じというだけであって、俺と桜川は敵対関係にあるというか、依然としてこいつをヒロインの座から引きずり落としてやろうっていうスタンスはお前と同じままだから」
「ちょ、なに物騒なコト言ってんのよ⁉︎」
必死に花室の説得を試みるが、まるで聞く耳など持っているようには見えない。
そもそもなにに対してキレてるか分からねえし。いや、まず花室は今、俺に対して怒っているのか?
「……本当かしら?」
「ああ。本当」
「本当に本当?」
「本当に本当。嘘を吐くメリットなんかねえだろ」
「そうなのね……」
俺の熱意が伝わったようで、花室はほっと無でを撫で下ろした。どっちかっつーと俺の反応だけどな。
「ちょっとあんたら……。ってか、どうするんですか先生。冬歌に知られちゃったらいろいろまずいんじゃ」
桜川は別の懸念を抱いているようだ。確かに花室は侮れない存在。この秘密を秘密の漏洩を危惧するのも分からんではない。
だが、問われた廻戸先生はさして気に留めない様子でコーヒーを服し続けている。
「いいんじゃないか。下手に一般生徒に知られるよりは大分マシだ。その点は花室冬歌ならば安心できる」
「そのことについてですが、私から提案があります」
「ん?」
次の瞬間。
花室は廻戸先生に向き直って、突拍子もないことを言ってのけた。
「廻戸先生。その勝負とやらに私も参加したいのですが、可能でしょうか」
「ん。いいよ」
「軽っ。いいのかよ」
喰って掛かるような提案を、逡巡することなく呑んだ廻戸先生の返答に、むしろ花室が予想外というような反応を見せた。
「私から問うのも釈然としませんが、あまねの言う通り、そう軽く決めてしまってもいいのですか」
拒絶ないし拒否されるとでも覚悟していたのだろうが、廻戸先生はむしろ食い気味に受け入れて、なにやら企んでいそうだ。
「なるほど花室冬歌。随分とおもしろいタイミングで現れたものだ。ややこしいが、これはまた見ごたえがありそうだな」
顎に手をやり黙考したかと思うと、廻戸先生は立ち上がって軽快に手を叩いた。
「花室。お前にも説明しておくべきか。この天川と桜川は俺の意向で学内のトラブルを解消してきている。俺はこれを課題と呼んでいるがな。ゆくゆくは海南じゅうに蔓延している学園法を取り払うために俺の手となり足となり働き、どちらがその目標を先に達成するかで勝負しているんだ」
「おい、言い方」
あんたの召使いになった覚えはねーぞ。
「なるほど。他人とうまく関わること。廻戸先生が課している課題の奥には、そのような目的もあるのですね」
ないだろ。
「そんなもんねえぞ」
「え」
「これを通してお前らが成長できればタナボタだが、俺自身そこまで考慮してない。あくまで海南を変えてくれればそれでいいしな」
教師として決して合格点ではない回答だ。
「俺としてはお前がやろうとやらまいとどっちだっていい。いずれこの二人のどちらかが達成するだろうからな」
なぜそこまで全幅の信頼を。花室への脅し文句だとしても、第三者が桜川と俺を同列に扱っているのを見ると想像以上に圧が重い。
「挑発のつもりですか」
「それもある。それにな、花室。これはお前にとっても悪くない話だと思うぞ。学園法を廃止できるほどの実権を握ることができれば、即ちこの学園での絶対的な融通を通せるようになるということだ。そこの天川を奴隷のように扱うこともできる」
「例え話で俺を引き合いに出すのはやめて! こいつらほんとにやりかねないから!」
倫理観のぶっとんだヒロインと、整合性の欠如した高嶺の花の奴隷なんてなるくらいなら死んだ方がマシだ。きっと死ぬよりきつい命令を下されるに違いない。
そして例のごとく、花室は前のめりで乗り気だった。
「それは悪くない話ですね。特進のヘイトを消し去ることができるのなら私としても断る理由はありません。それに、そこの腐れビッチを手ごまにできるとは、なかなか魅力的です」
「誰のこと言ってんのよ?」
きっ、と睨む桜川をよそに花室は意を決したような表情を浮かべる。
「分かりました。その『課題』、そして先生の野望。私がこなしてみせます」
ん。まてよ?
花室が俺たちの競争に参戦するということは。
それはつまり、桜川はもちろん。俺と花室が正式に敵対関係になるということで。
成り行きとはいえ、同じ目的のもとで手を組んでいた花室との協力関係が途切れてしまうことを意味する。
ただ利用価値のある戦力を失うだけでなく、あろうことかそいつすらも敵に回したのだ。
『ヒロイン』と、『高嶺の花』。うちの高校を代表する二大巨頭をまとめて相手だなんてできるか。ましてや俺の立場はそこら辺の男子生徒A。分不相応にもほどがある。
「なにより私がこの女に勝る存在だということを証明するのには手っ取り早いでしょう」
花室が艶髪をなびかせて振り向いた。その先に座る桜川はただ無言で俺たちを見つめている。
「あまね」
「ひゃいっ」
表情では平静を装いつつも、内心オドオドしっぱなしの俺に、不意に声がかけられた。
「そういうことで、これからはライバルね。私はこの女にも、あまねにも負ける気はないわ」
「待ってくれ花室さん。ライバルだなんて、いや確かに俺たちは一致した目標のために己を磨き合うよきライバル関係と言えなくもないけどよ、勝ち負けを競い合うのは違うんじゃないか? もう一度考え直す気はございやせんか」
「ないわ。真相を知った今、慣れ合うというわけにはいかないもの」
「花室さあああん‼」
我ながらだらしない姿に蔑むような視線を向けたきり、二人の女子生徒は気に留める様子も見せなくなった。
「真相って?」
「おまえには関係ないわビッチ」
「誰がビッチよ! この根暗女!」
倒れ込む男。噛みつき合う女達。
なにも知らない状況でこの光景を見せられたら、理解に及ぶには程遠い事だろう。
その場に居合わせた者ですら、困惑を隠せていないのだから。
「俺はなにを見せられているんだ」
廻戸先生はため息を吐いたきり、そそくさと旧生徒会室を出て行ってしまった。
 




