【ex2】 なんでもなく起きる朝に、パンとコーヒーと喝采を
本分よりあとがきの方が長いんじゃね? って思ったけど、そうでもなくて安心しました。
「……朝……だと……?」
息抜きがてら深夜徘徊でもしようと玄関まで降りて、差し込んできた光を浴びた時の反応はこれである。さながら死神代行の主人公みたいなリアクションだが、絶望感がひしひしと伝わってくる絶妙なセンスだ。
ここ最近ハマっているゲーム、『スマファイ』――桜川が放課後に熱中している対戦ゲームに、俺も久々にハマってしまい、全キャラVIP行くまで寝れませんというアホみたいな企画をひとりでにやっていたら夜が更けていた。
「やっぱ、五時か……」
スマホのホーム画面を見ると、しっかりと現実が刻まれていた。十七時とかじゃないよな? 違うな。俺がスマファイを起動したのは二十一時ごろだから、時間遡行能力でも有していない限りありえない希望的観測である。
『深夜徘徊しようとしたら日昇ってて泣いた』
思うままを滝田に報せた。メッセージ内容とは裏腹に今の俺は無表情である。マジで無。
いつもは八時前後に起きる俺だが、中途半端な時間まで起きていたせいで、逆に早起きな人種みたいになってる。
まあ返信は期待していない。突発的に送ったもんだし、そもそもこの時間じゃ起きてるか微妙だからな。
と思ったのも束の間、すんなり返ってきた。そっか、あいつ朝練あんのか。
『なにしてたん』
『スマファイ』
こういう経験は一度じゃない。どうせ滝田も「またか」程度の反応を返してくるだろう。朝練の準備もあるだろうし、ここらで――
『一限古文小テストあるけど大丈夫そ?』
「終わりだ」
思わず声が出た。さながら死神代行の主人公みたいなリアクションだが、この一言で絶望感が伝わってくるのだからやはり絶妙なセンスだ。テストなんてないって俺の中で斬月のおっさんが言ってたぞ。
ただ、遅刻はいただけない。ただでさえ生活態度はよろしくないのに、最近それに拍車がかかっている気がする。あと古文の担任は普通に怖えから行かざるを得ない。
今寝たら確実に寝過ごすからこのまま起きていよう。大きなあくびを吐き出して、部屋を出た。
このままでは絶対に寝落ちする。徹夜明けに目を覚ますにはカフェインを摂取するに限る。
ぼやけた脳内でそう呟いて、キッチン台に置かれた機会に手を伸ばした。
ドルチェグスト。カプセルをセットするだけでお手軽にコーヒーを抽出できる優れモノだ。コーヒーが好きな俺は、抽出濃度とか挽きの粗さを調整できる高機能なマシンをコツコツ溜めた貯金で買った。
だが、勘違いしないでほしい。コーヒー好きを自称するからには、時間に余裕のある休日なんかは豆から焙煎する。
「――つか、今ちょうど時間あるじゃん。有り余ってるじゃん」
豆の賞味期限は一か月だ。毎朝一杯ずつ挽くとなると、ちょうどそのスパンで使い切るので、豆がなくなってから新しいのを買い足すのが恒例となっている。
いま使っているのはエチオピア。突き抜ける酸味がぼやけた意識を覚醒させる。
トースターに食パンを二枚差し込み、サクサクに仕上がったトーストとコーヒーを嗜む。一睡もしていないことを除けば優雅な朝だ。
そうこうしているうちに、普段朝の支度をしているくらいの時刻になった。気だるげに制服を身にまとって、太陽さんさんな外にくり出す。
その日の放課後。
「カフェに行くぞ」
「お、いっすね」
すれ違った廻戸先生に声をかけられ、俺は二つ返事で返した。
どうやら廻戸先生、今日は残業はないらしく、定時でご退勤なさるそうだ。じゃあ直帰すればいいのに、もったいな。
先生に連れられて乗り込んだマツダ6セダン、いわゆるアテンザとかいうやつに乗り込んで、温めていた疑問を吐き出すことにした。
「でも、なんでいきなり?」
「趣味なんだよ、カフェ巡り」
「なんすかその胡散臭い趣味。マチアプ?」
「お前をコーヒーミルにぶち込んでやろうか? 不味いコーヒーが挽けそうだ」
「冗談じゃないすかー。先生に似て素敵な趣味ですね」
不味そうなら挽く必要ないじゃないですか。
「そういや先生って、無駄にシャレ気づいてますよね。髭とかも剃ってるし」
「無駄とはなんだ。俺と言えばオシャレな大人男性だろう」
解釈違いだろ。その感じで身だしなみちゃんとしてんのかよ。
「休日とかは家に居そうですけど、髭剃ってカフェ巡ってんすか」
「巡るというより、外出ついでだがな。こっちの方が都合がいいだろ。職業柄、誠実さも求められるからな。やった方がいいことはやる、それが俺だ。お前風に言うなら――」
信条。
そう先生は言った。
その後の車内では特に意味のない会話をして過ごした。時間帯的に帰宅ラッシュに重なるので、目的地に着くのには二十分ほど要した。
「ここですか」
「ああ。俺も初めて来たが、たぶんここで合ってるだろう」
内装はなかなかに凝っている。ていうかめちゃくちゃ好きだ。木造りのテーブルに、壁や天井に張られた植物。まるで森の中のティーパーティーに踏み入ったようで、落ち着く空間が広がっていた。
お互い注文が決まったのを確認して、店員さんがやってきてくれた。
「エスプレッソで」
かっけえなおい。ここ本当に初めてきたの?
俺も古のクイズ番組よろしく両手を掲げドヤ顔で「コロンビア」と言いたかったが、メニューにないものを注文することに気が引けたので、大人しくアメリカーノ。
三分ほど待って、それぞれ頼んだ飲み物が運ばれてきた。
「無糖が好きか?」
「まあ、そうっすね。好んで飲むのはブラックです」
廻戸先生の意外そうな口調はわからんでもない。高校生はコーヒーといったらカフェオレか、せいぜい微糖を口にするくらいだろう。
たまに飲み物をおごってもらう時とか、コーヒーって言ったら微糖を買ってこられることはある。人様に買ってもらってるからありがたく受け取るが、自分から進んで飲むことはなくなった。
別に呑めないことはない。初めこそ微糖から入ったし、俺らくらいの年じゃブラックが好きだなんてやつは比較的少ないように思える。カフェラテとか人気だしな。
いつからだろう、無糖が好きになった境目は忘れてしまった。
「もったいない。十代の内はスタバでフラペチーノでも飲んどけ」
「や、あれはコーヒーの部類じゃないでしょ」
「なににしろ、体にヘンな癖がつく前に摂取できるもんはしておけ。人によるが、俺みたいな人種は今じゃ微糖なんて甘ったるくて飲めん」
「ゆーても先生まだ三十路でしょ。人生八十年時代的に見たら半分も行ってないじゃないすか」
それよか、わざわざそんなセリフを吐くということは、先生は俺に対して同族意識を抱いているということだろうか。
「これくらいの年になるとな、やりたいことが出来てもやれないことがほとんどだ。やれないんじゃない、できないんだ」
ん? コーヒーの話でいいのか、これ?
いきなり切実に大人の悲しい現実をつきつけられても心の準備ができてないからよしてほしい。
「だから取り返しのつかなくなること以外は、基本やっといた方がいい。選択肢としてある内は、惜しみなく全部選ぶべきだと俺は思うよ」
「人生のアドバイスってやつですか」
「アドバイスか。そうだな、教訓というかな。失敗から学んだ教訓」
そして、くい、と服してからカップを置いて俺を見た。
「先の件だが」
今度は話題が切り替わった。
相変わらず言葉足らず気味な先生だが、その少ない言葉で理解できてしまえるので、特に注釈を求めることはしない。
「俺の視点から見ても、さして問題はなさそうだな。粟野も柿岡も、そしてお前たちも、みな上手くやっている」
「まあね。桜川のおかげじゃないすか?」
少し捻くれたようにとぼけた。
今回俺たちが受けた『課題』。飯田と花室の件はともかくとして、降って湧いた粟野たち第三者の妨害。俺が問題の解決に勤しんだのに対し、桜川はその問題を綺麗に解消してみせた。
あるいは逆なのかもしれない。あのヒロインは、当事者の関係性を以前の状態に修復することで、軋轢をなかったことに仕立てることで、問題を解決に収束させたのかもしれない。
「どうだ、桜川ひたちは。手強いだろう」
「だから、言ってんじゃないすか。強情だし意地汚いし、最後の最後でいいとこ取りするような姑息なヤツですよ?」
「自己紹介か?」
言っとけ。
「でもま、やっぱすげーな、とは思いましたよ。あいつの号令ひとつで、誰もが意識ごとくるっと返しちまうんですから」
「特待、特進クラス。普通科のお前から見て、あのエリートたちはどう映る」
先生の言葉に皮肉的なテイストが含まれていた感覚を無視して、俺は答えることにした。
「どうすかね。もともと仲良かったわけじゃないですけど、あんな噂の一つや二つで踊らされて、最終的には手のひら返し。まさしく現代日本人の社会性を体現したような奴らですよ」
俺の見解を、先生は黙って聞いている。
「少し、嫌いになりそ……」
なりそう?
違う。
「……なりました」
そうだ。他でもない俺だけが、俺自身に嘘をついちゃあいけない。
自分を偽ってはいけない。
いつしか、花室冬歌が初夏の夜道で零した言葉……低俗だなんて言うつもりはないけれど、でも似たような印象は抱いていた。秀才たちと呼ばれていても、つまるところ高校生。事実の裏に潜む悪意など、気づきもしないだろう。
「発言力と説得力のある人間の言葉は、確かめる手間が省けるから妄信しやすい。民衆なんてのはそんなもんだ。とりわけ恋愛なんてのはお前らにとっては有効打だろう」
「恋愛なんてしたことないからなあ……」
どうせ噂になるならもっとおしとやかで乳のデカい子がよかった。初めての相手はあのヒロインモドキだッ! とか、ディオの取り巻きですら血の気が引くだろ。
「ネットだなんだ、噂話だので仕入れた知識やゴシップをなんの疑いもせず呑み込みやがる。そこに真実がいくつ存在するのかもわからないままな」
「真実ねぇ。や、真のことなんてそいつ自信にしか分からないですよ。久能整も言ってたじゃないですか。『真実は人の数だけあるんですよ。でも事実は一つです』」
「それがまさにそうだ。偉人や創作物の名言とやらに絆されて自分の思考を放棄する。だいたい小説や漫画なんてのは、作者が自分の崇高な思想や社会へのアンチテーゼをカタチとして遺すために存在した思考の結晶だ。共感するのは勝手だが、目の前の簡単な理想像の真似事をすることを正しいとは頷けないな」
「そんなのも俺個人の思想でしかないが」そう付け足した廻戸先生にとって、この話題はさして大袈裟なものではないのだろう。
だが、俺はこてんぱんに言いくるめられたような気分になっていた。教師という生き物の長ゼリフは、なんでも説教のように聞こえてきてはがゆい。
「なんにせよ、自分で体験するのが一番早い。百聞は一見にしかずってやつだよ。経験こそ最良の教科書だ」
「や、俺もそう思いますよ」
単純な同意。
積み上げた経験が、噛み締めた後悔が、人を形作る教科書になる。
そこに自分の本心や欲望をかき混ぜたら完成だ。
そうして出来上がった人間が、天川周だ。
腐れ縁みたいな繋がりにしがみついて、そこそこの人数で他愛ない話をして、そんな青春になんの疑念も抱かず満足している。
たとえそれが仮初だとしても、薄っぺらいハリボテのような紛い物だとしても、俺はそれでいいと言えてしまえるのだろう。
それはおそらく本心で本音だ。
「まあ、そういうことなら良かったよ。これからも『なかよく』な」
ひとりでに納得したようで、先生はコーヒーを飲み干した。
その言葉に俺は、何度目だろう、やるせない気分になる。
俺の掲げる信条。人生における指針。
『みんななかよく』。
廻戸先生に最寄り駅まで送ってもらい、寄り道をすることなく歩き出した。
前と比べて嘘みたいに伸びた夕日は、空に薄明の白を拡げるも、夏の訪れはまだ覗かせていない。
自宅の玄関を開け、荷物を置いて部屋着のジャージに着替えるや否や、ダイニングに降りる。
そして、キッチン台に置かれているドルチェグストに手を伸ばした。
本日三杯目。一日の摂取上限は三杯と推奨されているが、今日は夜更かしする予定もないし、気にすることではないだろう。
妹や母がたまに嗜むカプチーノのカプセルを一つ取り、機械にセットして抽出した。
たまには微糖も悪くない。
コーヒーの黒は、なんとなく苦みを連想させる。色に味覚を覚えるなんて不思議な話だが、科学的にもその二つには相関性があるのだから、ヒトの感情は、感性というものはわからない。
あるいは、バイアス……固定観念。誰かがそう言ったから、みんながそうしているから。
例えば青。
青春の青はどんな味だろう。連想されるのはラムネやブルーハワイのシロップ。どれも甘いものばかりだ。『苦』を連想させる黒とは、まるで対照的な。
そんな戯言を思考しているうちに、カプチーノが注がれ終わった。
ソファに腰かけ、ティータイムに合いそうなチョコを冷蔵庫から取り出して拡げた。
放課後の、ささやかで優雅な時間。
俺はコップを煽る。
「……甘っ」
天海です。
書きたいものを書きました。Webじゃ絶対ウケないだろうけど、そんなん関係ねえだろ俺の実力でねじ伏せてやる待ってろWeb世界って息巻いてました。なんでかって言うと自分は古のラノベオタクなので、ヒロインと主人公が噛みつき合う凸凹な関係こそ至高、パロネタがちりばめられたギャグ調強めの青春ラブコメこそが王道と捉えていた故。
昨今のWeb小説のトレンド上、あまり注目されないがちな作風ですが、それでも興味を持ってお目通しくださった読者諸兄の皆さまに、心からの感謝をお伝えさせていただきます。
そんなこんなで「それでもウチのヒロインが最強すぎる」第一章完結しました。
作中ではGW明けからひと月ほど経過し、六月の頭ですが、向こう一年分、というかラストまでの構想は一通り練ってあります。なので当分は連載が続きますので、どうか楽しんでいただけたらと思います。
次回、めちゃくちゃキャラ出てきます。果たして周くんたちは(色んな意味で)手強い生徒たちとどう渡り合っていくのでしょうか。うん、マジで、どうするんだろう。てかどうしよう。
結びに、ここまで連載を続けることができたのは、ひとえに応援してくださった皆さまのおかげです。今一度感謝の言葉を述べさせていただくとともに、これからも応援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
それでは第二章「文化祭編」でお会いしましょう。
追記:もっとたくさんの方にこの作品が届けられたら嬉しいので、「まあ、良かったんじゃね?」と思っていただけましたら、評価などしていただけますと泣きわめいて喜びます! みなさまの応援が執筆の励みになっております。いつもありがとうございます(*- -)




