【1-5 Frühlingsstimmen】
みなさん今日も一日お疲れさまでした! 息抜きに読んでいってみてください!
「『学園法』は知っているな」
「そりゃまあ」
「知ってはいます。学内成績の差から生まれる、集団差別みたいなものですよね」
「どちらも認識はしているようで結構」
俺と桜川の返答に、廻戸先生はうむ、と頷いた。
「お前らも知っての通り、この学校では生徒間の競争意識がやたら強い。結果として特進クラスから普通コースへの迫害、普通科クラス同士の対立、部活動や委員会におけるヒエラルキーの存在が顕著に見られる。はっきり言って、今の海南の教育方針はクソだ」
学園法。
海南高校に根付く架空の法律。その実態は、実力主義的な観点を持つこの学校とコースごとの待遇の格差からなるカーストピラミッド。
「そうなるよう助長しているのがこの学校の法律だ。生徒会会則第三章第五節。『特待・特進科生をはじめとする成績優秀者には各種優待権が確約される』。要するに、頭のいい奴が優遇される。強者の言うことは絶対である――いわゆる学園法だ。生徒の不安や差別意識を利用し競争エネルギーを作り出そうとする。クソみたいなルールがクソみたいな現状を作り出したんだ」
廻戸先生の口ぶりからは憤りが聞き取れた。
先生の眼が映しているのは俺たちではない。この部屋を見据える先生の、声色と視線、放つ悉くが、この空間を歪曲させているようで気味が悪かった。
その空気から少しでも逃れたくて、突発的に浮かんだ思考をそのまま口に出した。
「学園法を廃止することが課題ってわけですか」
「簡潔に言うとな。だが、それは同時に生徒の集団意識を変えるという事だ。千人弱の心に干渉するなぞ、そうできはしない。ただの一生徒ならな」
「つまりどういうことですか」
「大衆を操るノウハウなど、歴史を遡れば分かりきっている。絶対王政、独裁国家。エリザベス一世やルイ十四世らをはじめとする絶対的な支配者だ」
だいぶぶっ飛んでいる。言わんとすることは分からんではないが、たかが高校生においてそこまでの権威を振りかざせる場面などそうそう現れないだろうに。
「たかが高校生、とか思ってるんだろ。認識が甘いな。学校は一国家となんら変わりない。努力如何で実力が伴い、正当な評価が付く制度自体は悪くない。だが、人の感情によってそんなものは容易く否定される。権力がはびこる縦社会。スクールカーストで自分の立ち位置が決定する。他人の悪意によって正しきものが淘汰されるような間違った社会となんら変わらない」
「……要するに、俺たちにその支配者になれと」
「話が早くて助かる」
廻戸先生は満足げに頷いた。
「無論、そんな簡単なものではない。障害は振って注ぐし、大勢の人間を蹴落とすことを強いられることになる」
この社会のトップに立てと。
俺にとってはおよそ不可能であろうことを、さも簡単に言ってのけるじゃないか。
だが、魅力的な提案ではある。
「たしかに、一苦労しそうですね。特にこの学校は厄介な人間だらけだし」
思い当たった一つの思惑に、俺の口元は吊り上がっていた。
言葉を繋ぎながら、視線を隣の少女へと向ける。
「特に、どっかのヒロインなんかは骨が折れそうだ」
含みのある言い方で吐き捨てると、桜川は表情を変えずにこちらを向いた。
「なんだか敵対視されてるけど、わたしは微塵もあんたに興味はないから。勝手にやってれば?」
突っぱねるようにそっぽを向く桜川。
「てか、なんでそんなに乗り気なのよあんた」
「いやいや、こんなまたとない機会、逃すほうがバカだろ」
俺にとっては好都合だ。
この学校でカーストの頂点に位置すること。
それはつまり、そいつの意志ひとつで全生徒を動かせるということだ。影響力のある人間の意向はもはや号令となる。ルールを作ること、変えること。人の好感度すらも、操れる。
会ったばかりだが、俺は桜川ひたちが嫌いだ。こんな不遜なやつが学園のヒロインなんて呼ばれているのが気に食わない。今はヒエラルキーのトップに座するこいつを引きずりおろして、俺が頂点に立つ。これほどまでに清々しいことはない。
そしてなにより? 地に落ちた桜川を好き放題できるってことだろ?
身も心も思いのまま…………。即ち、俺のそばにこいつを侍らせることができるというわけだ。こいつの高校生活残り二年の青春をすべて俺に費やすことを強要できる。
そう、青春。俺が長らく追い求めてきた、本懐とも呼べる記憶の宝箱に到達できるかもしれないのだ。
桜川だけじゃない。高嶺の花と呼ばれる美少女に取り囲まれて、ハーレム青春生活――俺の積年の野望が果たされるのだ。願ってもない好機なれば。
「……絶対ろくでもないこと考えてるでしょ」
じっとりした視線が突き刺さる。俺の計画がこいつにバレでもしたらただじゃ済まないだろうな。
「そもそも、わたしがそんなことする動機がないんですけど」
「腐っても天川は俺が目に掛けている生徒の一人だ。あまりこいつを見くびると痛い目を見るぞ」
なぜか俺の評価が異様に高い。先生、絶対に適当こいてますよね?
そして俺を引き合いに出さないでくれ。言葉を交わして間もないが、そういう風に挑発されると、たぶん桜川は……、
「脅しのつもりですか」
「ビビってんのか?」
「そんなことないです。分かりました。その挑発に乗ってあげますよ」
ほらぁやっぱり乗ってきた。日頃から他人に持ち上げられて身に着いたプライドは相当なものだろう。刺激されればこうなるわ。
「ハナから俺の課した案件だ。断れる道理なんてないのさ」
「あんた悪い人だな。この人の下で動くのか……」
「そうと決まれば話が早い。内容は今の通り、期限はお前らが卒業するまで。ルールなんてもんは存在しない。お前らなりのやり方で、この学校を変えてみせろ」
最後に仰々しく語りかけて、廻戸先生はその場を後にした。
や、そんなデスゲーム開催! みたいなノリで言われても。
「……え、なにこれどう収集つけるの」
勢いに任せて出ていったが、その後のことは投げっぱなしかよ。あとは自分らで勝手にやれって感じ?
結果として、学校一の美少女と放課後の教室で二人きりという夢のような空間が完成した。
夢にまで見た状況だが、いざ体験すると居心地悪いったらありゃしねえな。
ついこぼれ出た独り言と桜川への問いかけ半々、スルーされると気まずくなるからなにか返してくれないかな。
「知らないわよそんなの」
少し間を置いて返ってきた彼女の声色からは、僅かばかりの怒気が感じられた。いや、圧というべきか。
ともかく、俺のことを見下している事は分かった。
これよ、この目。生ゴミでも見るかのような典型的なカースト上位女子の態度。誰だよ、こいつのことヒロインとか言い出したやつ。
「本気でやる気なの?」
「は?」
「あんなの、どだい無理な話よ。なにがあんたを突き動かすの」
桜川が冷たく問う。
「強いていうなら、俺のためだな。俺の信条でな、俺は自分の思い描く青春を作るためなら自分の身をなげうってでも叶えてみせる」
「なにそれ」
俺の行動指針は利益だけだ。俺が得をするためならどんな苦行でも受け入れる。俺が不利益を被るならどんな誘いでも切り捨てる。いつだって自分のために生きてきた。
「カーストのてっぺんに立てば、理想のハーレムを作れるんじゃねえかなって思うわけよ。実際そんなことできなくてもいい。そこに至るまでの過程で、友達だとか、怖い担任教師、憧れのオトナな先輩にやかましい後輩、口うるさい委員長に元気ハツラツな幼馴染――そんなやつらと関われたら、それが俺の高校生活を彩る青になる」
その青を描くためなら、法律さえも変えてみせる。
「なんてーの。俺はこういう、ザ青春って感じの雰囲気が好きなわけよ」
「相反する信条が同居してない? そもそも、信条ってそんなに何個も持ち合わせてるものだっけ」
「信条はいくつあってもいいってのが俺の信条だ。ちなみに俺が抱えてる信条は主に『万物は己がため』『青春を謳歌する』『みんななかよく』の三つだ」
「めちゃくちゃじゃん」
「芯ともいえるな。どんなに腐っててもいい、そこにまっすぐ芯が通ってれば、それが理想の生き様だ」
「屁理屈じゃん。気持ち悪い」
「お前ってやつは、いちいち俺を蔑まなきゃ気が済まないの?」
俺の熱弁は彼女には届かなかったようだ。
「そんなこと言うなら、わたしにも相応の態度が必要なんじゃないの? むしろわたしにこそ気を遣うべきでしょ」
「お前はなんか別だ。そういう感情が湧かない」
「死ねッ!」
すごい剣幕で直球が飛んできた。
いやだって、こいつに至ってはもう、芸術品みたいなもんだろ? 変に整いすぎてエロティシズムが感じられないというか、リビドーを刺激されない。
なんて、自分に言い聞かせてはいるが、だからこそ自覚している。
恋愛感情を抱くことすらおこがましい。本能的にこいつに遠慮してしまっているという、憎たらしい事実ゆえ。
「そもそも、わたしに敵うなんて本気で思ってるの?」
「んなの俺に聞くなよ。第一、俺はそんなこと考えたことはねえ」
すっげ自信。ま、仕方もないか。こんだけの魅力を持ちながら周囲に持ち上げられてちゃ、そりゃ立派な自意識が芽生えても仕方のないことなんだ。
とはいえ、その態度が気に食わないのは事実なので、少し意地悪をしてやろう。
「ま、やれってんならやるけどな。自意識過剰もほどほどにしろよヒロインサマ」
不敵な笑みで挑発してみると、目の前から小さく舌を打つ音がした。
「こいつ吊るす。ぶっ潰す。二度とわたしに歯向かえなくしてやる」
……やっぱり手を引こうかな。こいつ怖すぎる。