【7-6】 飯田の告白大作戦〈急〉
「花室さん!」
本校舎と、旧校舎を繋ぐ通路。架け橋のように渡り廊下にて。
花室冬歌は、自分の名を呼ぶ聞き慣れた声に足を止めた。
背後から自分を見つけ、駆け寄ってきた飯田晃成が息を整えるのを待っていると、やがて彼は肩で呼吸をしながら言の葉を紡ぎだした。
「ごめん。俺のせいで、花室さんまで巻き込んで。それだけじゃない、ずっと面倒見てくれたのに、迷惑ばかりかけて……」
謝罪だった。
二人の間にしばし流れる沈黙。オーボエのせつない音色に覆われてしまうほどの静寂のなかで、花室冬歌は佇んでいた。
飯田の心境を、彼女には理解できなかった。恨み言をこぼされこそすれ、謝られる理由など見つからなかったのだ。
しかし。彼の言わんとしていることは分かる。その意を汲み、応答することにした。
「確かに面倒掛けられたわ」
言葉を選ぶ。
飯田の目を、敏感に移り変わる表情を捉えながら、言の葉を紡ぐ。
「飲み込みは悪いし、集中力がないし、関係のない話ばかりするし、だいぶ手がかかったわ」
「…………だよね。ごめん」
「でも」
気落ちする彼に、ありのままの言葉で、誠意で返す。
「でも、あなたのような人に分かりやすく教える方法を模索することで私自身理解が深まったし、こんなに人と話したのも初めてだったわ。こんなにたくさんの人と関わったのも、初めて」
他人との関わり方を知った。
彼から、逆に教えてもらった。
「……悪くないわね。だから――感謝してるわ」
「――っ! 花室さん!」
その微笑みを見て、やはり彼はいたたまれなくなってしまうのだ。
目尻に涙をにじませ、溢れだす思いを、声を絞って絞りだす。
「俺、やっぱり花室さんのことが好きだ! いろいろあったけど、やっぱり頭から離れないんだ」
二度目の告白。
「俺と、付き合ってください!」
一度拒絶されても、なお揺るがなかった彼の気持ち。彼女への想い。
己に言い聞かせてもなお絶えることのなかった純烈は、はたして彼の心を焼尽せしめるか。
恐る恐る耳を澄ませて、やがて聞こえた音色に飯田は目を見開いた。
「インターハイ」
「え?」
「夏のインターハイ、あなた達なら優勝を狙えるでしょう。その雄姿を以て、あなたの告白を受け入れることを検討するわ」
「…………花室、さん」
やはり凛然とした彼女の黒絹は、ゆるやかな風に身を任せている。
一筋の希望を、光を見出したように彼の瞳は輝き、潤んだ眼が何よりも澄んで見える。
「ありがとう。……俺、花室さんにふさわしい男になれるように頑張るよ! だから、俺を見ていてくれ!」
まぶしいようなその姿に、自然と口元が綻んでいた。
「それじゃあ!」
意気揚々。じつに彼らしいまっすぐな元気で、暗闇の晴れた道を歩いて去っていった。
そして。
そして、俺と花室は合流する。
「お疲れさん」
「上手くいったのね」
「おかげさまでな。そっちは」
「上手くいった、といっていいのか判じかねるけれど――おおむね、あなたの筋書き通りよ」
俺は作戦の最終段階、粟野と柿岡を退けた後の段取りを、前もって花室に話している。
あの二人を撃退することが俺たちの目標ではない。避けては通れないとは言っても、あくまで俺たちにとってはマイルストーンに過ぎないのである。それが解決された今、本当の目的を果たす時がきた。
抱えた問題は、飯田晃成の花室に対する恋路についてだ。
問題は解決しなきゃいけないわけじゃない。解消、それも立派な、問題をやり過ごす術だ。
だから俺は彼女にこう言った。
『そしてお前はこう言え――――』
「それで私にあんなセリフを? あなた、意味は分かっているの?」
「ああ。もとよりお前は断るつもりでいたろ」
「それはっ。……いいえ、だとしても、あんな残酷な風には言わない。一度上げてから叩き落とす必要でもあるの?」
「必要はないが、理由はある。むしろあいつのためだ」
花室の言わんとすることは解る。
あんな答え、実質断っているのと同じだ。それでも俺はその選択をした。飯田のため――など口が裂けても言わないが、結果的にそうなっているのは確かだ。
「来週のインハイ予選。お前のためなら頑張れるって、飯田なら思うだろ。男ってのはモテるためなら人一倍体張れるし、いつも以上の力を発揮するもんなの。それで好成績を残せるならあいつ的にも収穫はあるだろ。それに、どこかで負けりゃあ、あいつは罪悪感に駆られてお前を諦める」
万一優勝でもしちまったら、花室の方に諦めてもらおう。
「単純なのね」
「ああ。男ってのは単純だ」
好きだから、嫌いだから。たった一つの感情で、こんなにも実直になっちまう。そんな生き物だ。
「それもそうだけれど。あまねの考えって、一見複雑で論理的に思えて、実はそんなことなかったりする、と思ったのよ」
「俺はんな風に振舞った覚えはないけどな。ま、そうだな、俺の動機は単純だ。すべては来たる美少女との青春のためよ」
「そう。気持ち悪い」
「言っとけ。…………なあ花室、一つ聞かせてくれよ」
一拍の間を置いて、花室に言い直した。
最後に一つ、確認しておきたい。
「飯田をなだめる時のセリフ。お前が飯田に述べた感謝」
俺が用意した台本に、あのセリフはなかった。
花室の、飯田に対する演技ともとれる、本心ともとれるあの発言。
「あれは、お前の台本通りか?」
嘘か、真か。
時に真実を隠すこの女の本音は。
「…………想像に任せるわ」
「はっ。そういうことにしとくわ」
あくまでも謎を謎で終わらせる気か。こいつも大概つかめねえ。
と、そんな彼女から思わぬ発言が出た。
「私からも一つ言っておくことがあったわ」
「なんだ、愛の告白? 謹んで受け入れよう」
「だったらよかったのだけれど」
俺の冗談を軽く受け流し、彼女はその先を続ける。
「廻戸先生からの伝言よ。来週までに数学のプリント十枚。一問でも間違えたら補習ですって」
「はあ⁉」
反射で聞き返してしまった。
あまりに理不尽な言づてだ。普段の問題行動ならともかく、今回は罰を受けるに思い当たる節がない。
「なんで⁉ なんもしてないよね?」
「課題の解決方法に問題があるのでしょう。あんな際どいやり方、お咎めなしという方がおかしいわ」
いいや。粟野と柿岡に正当な制裁を加え、飯田の恋煩いも解消した。
問題の解消として非難されるいわれなどないはずだが、あの人ならどんないちゃもんをつけてきてもおかしくはない。
さて、どうバックレよう……、
「あまね」
「あ? まだなんかあんのか?」
「嘘よ」
――は。
俺の反応を待たず、花室はいたずらな笑みを浮かべて、先に行ってしまった。
踵を返して軽やかに歩く彼女を見送りながら、俺の頭はたった一つの思考に苛まれていた。
や、なんの意味があって、わざわざ俺を不安にさせるようなマネを? これで一本取った気でいるとでも言うのか? 甘いわ。
くだらねえ嘘つきやがって。
…………ほんと、とんだ嘘つきだ。




