【7-2】 桜の景色
粟野と柿岡。そして花室冬歌が場所を移した先は、旧校舎だ。
放課後で校舎内外に人が散っている。第三者の目撃を嫌ったか、基本的に生徒の寄り付かない、かつ時間帯で用務員も居ないこの一角に、特進クラスの二人は女子生徒一人を連行してやってきた。
そこは奇しくも、花室冬歌が人目を忍んで通いつめる、旧美術室であった。
否。偶然ではなく、必然。
花室を壁際に立たせ、逃げ道を封鎖した。
にやにやと邪険な笑みを浮かべる二人に、花室は反対に冷え切った視線で応対する。
「まさか、のこのこと付いてくるとはな」
「……呼び出したのはあなたたちでしょう。用があるなら早く済ませてくれないかしら」
「そう焦るなって。放課後は長いんだからゆっくりしてこうぜ」
「なんなら帰りにメシくらいおごってやろうか?」
「結構よ。あなたたちと同じ空間にいること自体御免だもの」
「言うねえ。いつまでその威勢が続くかな」
心に余裕があるのだろう、花室の刺々しい言葉に柿岡が眉一つ動かさず返す。
「なにがしたいの? ここのところ、私たちに付き纏っているようだけれど」
「勘違いだろ。私たちって、誰のこと?」
「とぼけないでもらえるかしら。飯田くん、それに天川周。あの二人が煩わされているというのは、見ていれば解るわ」
「煩わされてる? 酷いこと言うな、花室さんは。オレたちは世間話をしてるだけだぜ?」
なおもはぐらかそうとする粟野たちに、花室の内に苛立ちが募る。
「世間話であなたたちは、あんな根も葉もない噂を?」
「噂? おいおい、なんで俺たちが犯人扱いされてるんだよ」
「あの話は私たちしか知らないはずよ。それと飯田くんが信用して打ち明けたあなたたちだけ」
飯田晃成。
良くも悪くも実直なあの男は、純粋ながらにこの二人を信じた。過去のいさかいを許し、あろうことか自分の抱える恋愛感情をさらけ出した。まるで友人に話すように。秘密を共有した。
そして、それを弄ばれた。
「彼の気持ちに応えなかった私も大概だけれど。周囲を巻き込んで彼を貶めるような真似をして。挙句に関係のないあまねの噂をでっちあげて……許されるべきではないわ。ここまで来ると、私たちもしかるべき対応をせざるを得ない」
辺りの気温が著しく下がっていく。
彼女の怒りとも形容できる感情があらわになっていた。
「どうする、粟野?」
「あー、もうめんどくせえな」
粟野と柿岡は目を見合わせる。
柿岡の目配せに舌を打った粟野が、頭を掻きながら花室に向き直った。
「正直に言うよ花室さん。君の読み通り、あいつらの噂を流したのは俺たちだ」
明かされた真実を花室は当然のごとく聞き入れ、機械的な動作で言葉を発す。
「そう。なら謝罪することね。彼らに今後近づくべきでないわ」
「ああ。飯田にも天川にも謝るさ。……全部終わったらだけど」
「どういうこと」
「今後については……まあ、花室さん次第かな」
あっさり認めた粟野の、不穏な笑みを花室は怪訝に思う。
「まあ、見なよ」
そんな彼女の前で粟野は、億劫そうに息を吐き、そして制服のポケットから柱状に丸められたノートを取り出した。
ピンク色の表紙には、シンプルに自分の名前――と、真ん中にどかどかと一言、殴り書きが記されてある。
花室の目に角が立つ。
「それは、私の」
「その通り! 花室冬歌、君のノートだ」
対して粟野は目を見開き、高らかに言い聞かせてきた。
「これは本当に偶然だ。たまたま拾っちゃってさ。目を通してみたら、いやあすごいなあ。桜川さんへの熱い思いがびっしり書かれてるじゃないか」
「私のものと知っているのなら、返してもらえるかしら」
「もちろん俺たちとしてはそうしたかったんだけど。でも、でもでも。花室さんのその姿を見ていたら、素直に返してあげようって気はなくなっちゃったんだよね」
「それが人にモノを頼む態度かな?」
粟野と柿岡はからかうように詰め寄ってくる。
「どういうつもりかしら」
「いやあ、もしこのノートが誰かに見られたりしたら、大変だなあ、と思ってさ」
「それに。俺たちがなんで、君をここに呼び出したか解るか?」
彼女の傍らに立って、粟野がある一点に指を向けた。
旧美術室。他の誰も立ち寄らない部屋。
そこには、咲いている。咲いて散って、舞っている。
そこには、言い逃れできない、彼女の――
「『桜の景色』――桜川の絵を塗りつぶして、酷いじゃん、花室さん」
彼らが花室をここに呼び出した理由は、一つじゃなかった。
人目のつかない場所なら他にいくらでもある。わざわざこんなところに連行する必要もない。
そうではない、本当の理由。
この絵が、この風景が、一つの事実を肯定してしまっていた。
「まるでこのノートに書かれている内容を、こうして実現しているみたいじゃないか。溜まった感情を発散しているみたいじゃないか」
だが、花室はまだ食い下がる。
それだけでは、証拠としては不十分だ。いくらでも逃れようはある。
「私のものであるという確証は、どこにあるのかしら」
「これを見なよ」
そう言って粟野が、花室のノートを開帳し、中から一切れの紙を取り出した。
「そもそも、どうして俺らがこの部屋の存在を知ったか。それはこれだ。このノートに、こんな紙が挟まってたんだ」
「『一九日、旧美術室わすれない』――君の字で書かれたメモだ。なんの用があったのか知らないけどさあ、ダメじゃない花室さん。こんなところに大事なメモを残しちゃあ、オレたちみたいなやつらにつけ入られちゃうよ?」
花室は、目を丸くした。
まるで固まってしまった彼女に追い打ちをかけるように、粟野がたたみかける。
「本棟から特別棟を覗いたんだよ。そしたらどうだ、誰も使わない旧校舎のはずなのに、ひとつだけ明かりがついてる部屋があるんだ。そう、メモにある旧美術室だ」
「オレたちはバレないように忍び込んだ。はじめは警戒したけど、もうその部屋には誰も居なかった。恐る恐る中に入って見たら、これさ。思わぬ収穫だ。そしてメモは、この部屋にあるものと同じキャンバス紙だ」
列挙されていく証拠品に被せるように、粟野の口から信じがたい発言が飛び出した。
「まあ実際、確証なんてなくてもいいんだよ。根も葉も、なくていいんだ。あるのは少しの疑いだけでいい。それで周りはだいたい信じる」
デタラメな暴論だ。実社会において通用しえない論理だが、その暴論はある条件を満たすことで現実となってしまう。
即ち、両者の社会的立場。
権力、人徳、あらゆる影響力が要素となって、絶対正義ないし絶対悪が仕立てられた場合、大衆はプログラムされたように悪を糾弾する。
そしてこの学園においては、ここに敷かれた法律の下においては、それが通じてしまうのだ。
なぜなら。
「なぜなら君は普通科で、オレたちは特進だからさ」
柿岡が、鼻にかけるように言い聞かせた。
特進と普通科。海南において揺らぎようがない強者と弱者の立場。そして彼女の周囲への振舞いから、槍玉にあげる生徒も少なくないだろう。
「……なら、どうすればいいのかしら」
「どうもこうも。人にお願いするときは、相応の頼みかたってものがあるんじゃないかなあ?」
「粟野の言う通り。まあオレだったらくだらないプライドなんか捨てて――誠心誠意、土下座して靴でも舐めるかな」
「私に、それをしろと?」
うずまく感情を束ねる糸ががはちきれそうな花室を見て、昂った粟野たちが情欲に顔を歪める。
二人は、確信めいた妄信に眩んでいた。この女を。高嶺の花を、目の前の絵画同様、グチャグチャに塗りつぶしてやる。
「そんなことは言ってないじゃないか。ただ、俺が同じ立場だったらそうでもしないと自分の大事なものは守れないんじゃないかなと、思ったまでだよ。今後の学校生活を壊されたくなかったら」
「――――どうするべきか、解るよね?」
下卑た笑みと嘲笑が近づいてくる。
花室は臆することなく、凛と佇んでいる。だが、彼女のそれは長くは続かない。
もとより、続かせない。
もういい、花室。
「――あまね」
 




