【6-5】 公開告白
憂鬱な朝だ。
いや、特段やるせないわけじゃないけど。学校なんて毎日めんどくせえし、やる気なんて微塵もないんだが。
重い足取りで向かうのは、もちろん学び舎だ。最寄り駅まで揺られるバスの中で下がりかけた瞼を、通勤ラッシュの喧騒によって再起動させる。
澄んだ空には、高層ビルが立ち並んでいる。超研究都市の中心に位置する駅のバス停で待つこと十分弱。我らが学び舎へのバスが発着した。
重い足取りで校舎へ踏み入る。
時間は八時二十分とかそこら。遅刻せずに登校できた俺を褒めてほしい。
廊下を歩いていると、目に入ってくるのはいつも通りの風景だ。
その光景を通り過ぎた先――自分の席に荷物を置いて、五組の教室から出た。
相も変わらず気乗りしない足取りで、向かうのは隣の一室。
さて。お待ちかねの読者諸兄。
ここらへんで、俺も仕掛けるとしよう。
現状維持をするだけなら簡単だ。このまま馴れ合いを続けて、進展も後退もしない。後者に転ばないだけそれでいいのかもしれないが、でも、そのままでいるわけにはいかない。
終わらせるのだ。このエピソードを、この『課題』を集結させる。飯田ルートはそろそろエンディングに入るべきだ。
なにはともあれ、飯田と話をしないことには始まらない。
俺は静かに、隣の教室の扉を覗いた。
二年六組の教室だ。文系特進クラス。普通科の俺一人で足を踏み入れるにはかなり敷居の高い空間だけれど、それを承知で乗り込むだけの理由はある。飯田本人を呼び出し説得して、あるいは粟野、柿岡。飯田にまつわる噂を流したあの二人に直接あたって、あるいは強引な手段に持って行くことももはや厭わない。
視線を巡らせるが、そこには彼の姿はない。そして、彼らの影も。俺が目当てにしていた人物は揃って出払っているようだ。
顔を見上げると、不思議な違和感――喧騒に包まれていたことを知覚した。
教室がざわついた。
いつも騒がしい朝だが、やけにがやがやしてんな。クラスの人間の表情が恍惚としたものになっている。
なんだ、有名人でも見たみたいな反応して。桜川でもやってきたか?
「おい見ろよ、ヒロインのおでましだ」
「今日も麗しい……」
シニカルな推測だったが、皮肉にもその予想は的中してしまったらしい。
廊下から、まさしく黄色い声が教室の外に響きわたった。
それはつまり、ヒロインの登場を意味する。
桜川ひたちが六組の教室に足を踏み入れた。
珍しい事態のように言っているが、べつに驚くことではないけどな。自分の在るべき場所に存在しているわけだし、どちらかといえば俺の方が異物だ。
そんな彼女の視線が、俺のものと交差した。
目が合ってしまった。どことなく気まずい。
いっそいつものように罵倒の一つでもくれれば心地いいというものだ。
にしても、あいつ、目に見えて動揺してるな。無理もない、おととい俺と花室からあんな風に辱めを受けたのだから。案外顔に出やすいタイプなのか。なんなら俺ですらちょっと気恥ずかしい。
俺の方から目を逸らすまでもなく、向こうはすでに視線を逸らしていた。
タイミングを見計らって低姿勢で切り込んだクラスメイトから声がかかる。
「あ、あの! 桜川さん」
「どうしたの?」
「風の噂で聞いたのですが……いや、もちろんないとは思うのですが、念のために確認しておきたいことがあって」
「桜川さん、天川と付き合ってるって本当ですか⁉」
「はへ!」
なんだその反応。泡を食ったように驚きやがって。
そんなに驚くことじゃあるまい。桜川が天川と付き合ってるのなんて、今さら確認することでもないだろうに…………、いや。
いやちょっと待てよ。
ん? なんて?
天川と付き合ってる? 俺と? 誰が、桜川が?
んなわけねえだろ!
「「「はああああーーー!!!???」」」
轟音とも呼べる叫び声に身を震わせる。
教室内の全員が――否。廊下から桜川を見つけて、見つめて、立ち止まっていた生徒も含め、桜川の展開する空気の中に存在する全員が心からの驚愕を声にした。
「本当なの、ひたちちゃん?」
「彼氏⁉ 男⁉ 先を越された……」
「いや待て、まだ決まったわけじゃないだろ! どうなんですか桜川さん!」
「や、ちが……」
怒涛の質問攻めに喰らったようで、目をぐるぐるさせて慌てふためいている。
ヒロインの回答がなしと判断すると、野次馬たちの矛先が今度は俺に向かったようで、クラス中の視線が俺に集められた。
「どういうことだ天川! てめえひたちたそに何をした!」
「高嶺の花の次はヒロインってか? いいご身分だなあ?」
「アホかお前ら! 俺と桜川が付き合ってるわけねえだろ!」
そもそも、なんでここで高嶺の花が引き合いに出てくる!
俺も耐え切れず爆発してしまう。
ここはとりあえず全力で否定しなければ。
「だいたい、考えてもみろよ。こんな俺と桜川が釣り合うわけねえだろ? おこがましすぎて厚かましいくらいだっての」
「なにを謙遜なんかしてんだ天川あ? 皮肉のつもりか天川あ!」
もうなにを言ってもだめじゃん。
「えー! どうなのひたちちゃん! 天川と付き合ってるの⁉」
「さっき、天川くんと目を合わせて、顔を赤らめて照れてたよね?」
「いや、それはちが……」
それは違う。違くはない、言ってることは間違ってないんだけど、そういう意味じゃないんだ!
「ちげえ! 俺は友達のいないこいつにつき合ってただけだ!」
「ちょ、周! バカ! そのこと言うな!」
「知るか! よく聞けお前ら、桜川ひたちはお前ら一般人のことなんてそこら辺の蟻としか思ってねえ! 実は一人一人の名前すら憶えてねえレベルだぞ!」
てめえの気遣いなんざしてる場合か。そうだ、こいつの秘密を守っておく道理なんかない。むしろ善手だ。桜川が俺との関係を証明するためには、俺が提示した前提を受け入れるしかない。晴れてこいつの本性が明るみに出てヒロインなんて肩書を打ち砕いてやる。
「違うから! わたし、友達いっぱいだから! みーんな友達!」
顔を赤らめながら幼児向け番組みたいなことを言い始めた。周囲に、というよりは、自分に言い聞かせている風だった。
ふはははは! なす術無しだな桜川ひたち。このままスクールカースト最底辺へ落ちるがいい!
「うるせえ天川! んなこと今はどうでもいいんだよ!」
なんでー⁉
さらっと衝撃的なカミングアウトしたよ俺? 桜川の話を盛りに盛って暴露したんだよ?
そこまで俺の恋模様に需要があるか!
「桜川さん⁉ あ、あああ天川と?」
「どうして!」
「あ、え、えと……」
ぐいぐい詰め寄られて部屋の隅に押し込まれる桜川。
多勢に無勢、その場のほぼ全員に圧せられてちっちゃくなってしまっていた。
やがて発せられたヒロインの返答に、空気は凍結した。
「…………はい」
怒号が木霊した。
「なんでえー‼」
「天川てんめえええ!」
こわいこわい、目がガンぎまってる!
「心外にござる、天川氏! 拙僧とは境遇を同じくした童貞仲間であらせられたであろうに!」
心外にござる! はこっちのセリフだよ! つか誰だてめえは、勝手に仲間にすんな!
にしても桜川、なに考えてやがんだ。
なんであそこで否定しねえんだ、顔を真っ赤にして…………いや違う、そういうことか。
あがり症かよ、こいつ。
ぽん。
唐突に肩に手が置かれた。なんだ? やけに力がこもってるような、いたいいたい。
「話をしようか、天川くん?」
「話をする気ねえだろ! やめろ、肩甲骨剥がれる!」
「お、いいなそれ。俺もちょうど天川と話がしたかったんだよ」
「奇遇だな。俺もだ。さすが天川、人気者だな。そりゃあ桜川さんも惹かれるわけだなあ……!」
その声を皮切りに、怨念に包まれた男子がぞろぞろと俺へと寄ってきた。
「ちょ、離せ! いってえ、誰だ今殴ったの、ぶ! おいこら、押すな! 蹴るな引っ張るな……あんっ。そこはだめ……っ」
やがて大勢の男に囲まれ、一帯はむさくるしいバラ色の楽園と化し……てたまるか。
桜川は桜川で、六組女子を始めた何人かに問い詰められている。
「天川、桜川さんの弱みにつけこんで無理やりつき合わせてるってこと?」
「最低…………」
なんで俺が完全に悪者扱いなんだよ。
浴びせられる、女子からの冷ややかな視線。
事実を捏造して勝手にドン引きしてんじゃねえよ。もうなんでもアリだなお前ら。
しかし、俺は捉えた。
目撃した。
詰め寄られる桜川ひたち。
なにを思ったかあらぬ噂を肯定してしまう、その言葉を発する直前に。
彼女の唇が、薄く吊り上がったのを。
一時でも勘違いした自分が忌まわしい。
桜川ひたち。この女はすべて計算通りで動いていやがるんだ。
噂を流され、集団に詰め寄られて、それを肯定して。
間違いなく反感を買うことは目に見えていたはずだ。だがそれを見越したうえで、こいつには思い描く目的があったのだ。
もとより俺たちには、大前提とも呼べる一つの目的があった。
この学校の支配、それつまり全校生徒の掌握。
それを俺にさせないために、俺という不穏因子を殲滅すること。
それは天川周、俺の社会的抹殺。
自分自身の好感度を犠牲にして、俺の信頼を好感度もろとも粉々に砕きやがった。
自分を巻き添えにして、俺をどん底まで追い込みやがった。
どこまでトんでんだ、こいつは!
桜川ひたちの底が全く読めねえ!
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