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それでもウチのヒロインが最強すぎる  作者: 天海 汰地
1章『Symphony:Blue in C minor』
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【6-4】 人の噂も

 

「それじゃあ、始めましょうか」

「うん……」



 花室(はなむろ)の合図で、例の如く勉強会が始まった。

 体裁としてはいつも通りの勉強会だが、確実に今までとは違う空気が流れている。窓から覗く黒い雲とか、そこから打ち付ける雨が自習室内の沈んだ空気を助長しているが、原因はそれではない。


 その空気の本当の原因……中心。やはり、飯田(いいだ)はどこかぎこちなかった。

 無理もない。クラスメイトに、学年中に噂がひろまってしまったのだ。いくら飯田といえど心に傷を負わないわけがない。


 むしろ花室がなぜいつも通りでいられるのか不思議なくらいだ――飯田の巻き添えになって、巻き込まれて叩き込まれた悪口を耳にしていないはずもない。


 虚勢? たぶん違う。


 特進クラスの連中を疎ましく思っていた彼女だ。どうでもいい相手になにを言われようが、彼女の心には響かない。そう考えもしたが、俺が知る限りの彼女は、赤の他人から誹謗中傷を受けてだんまりしていられるほど『できた』人間ではない。


 悪口を言われたのなら正当性を主張して堂々と戦う。自分が間違ったものを正そうとし、正しいと感じた道を突き進む信念を持った少女だと、俺は思う。そんな花室に、俺はどこか似たようなものを感じていたのかもしれない。


 とはいっても、こんなものは俺の推測どころか妄想でしかなくて、実際のところ彼女の心の内は俺には計り知れない。



「ねえ、花室さん」

 しばしの気まずい沈黙の後。唇を震わせた飯田がおもむろに口を開いた。


「なにかしら」

「俺の悪口を言ってるって、本当?」


 単刀直入。切り込んだ質問に、花室は走らせていたペンを止めた。

 予期してはいたものの予想していなかった直球に、目を丸くして視線を上げる。

 飯田の緊迫した表情から、不穏な感情が伝搬し、部屋に張り詰めている。


粟野(あわの)たちが言ってたんだ。あの噂は、花室さんが流したんだって」


 粟野。

 やっぱりあいつらか……朝のアレは、飯田に勉強を教えるなんて口実に過ぎなかった。

 そして飯田は、吹き込まれた噂を、心の中でずっと膨満させていた。

 ずっとため込んでいたのだろう。今日一日ずっと、そんなことはないと、自分に信じ込ませていたのだろう。


 ただ、相手が花室冬歌(ふゆか)となれば話は変わってくる。誰にでも優しいヒロインではない、誰に対しても排他的な冷徹さを振りまく彼女は事実として誤解を招きやすい。悪意に晒されても凛然としているからこそ、そこに妙な信憑性が生じてしまうのだ。


「女子たちに話してるのを聞いたって……本当なの、花室さん?」

「……」

 花室は口を開かない。

 釈明する様子もなければ、慌てた素振りすら見せない。

 ただ椅子に座って、テキストを眺めているだけだ。


 いいや。なにも見ていない。

 眼は開かれているだけで、瞳に紙とペンを反射しているだけで、その視界にはなにも映し出されていないんだと思う。


「なんとか言ってくれ、花室さん! じゃなきゃ俺は、君を……」

 果たして肩をすくめるようにため息を吐いて、花室冬歌が開口する。



「前にも言ったでしょう。くだらない話で私の時間を遮らないでもらえないかしら」



「――!」

 ゴン!

 閑静な旧美術室の一角に、痛々しく鈍い音がした。


「どうしてなんだ、花室さん! 俺の気持ちを踏みにじるのが、そんなに楽しいか!」

 その日はテスト前最後の平日。自習室に足を運んでいた生徒も少なくなかった。

 突然のことに肩を震わせ、恐る恐る観察するような視線が集まってくる。

 そんな周囲の視線を気にも留めず、飯田は花室を睨めつけていた。


 花室は答えない。飯田の述べる事実に、肯定も否定もしない。

 否。花室は知っている。この飯田が、頭ごなしに否定して、猜疑心を消しきることはできないと。知っているからこそ、なにも答えない。

 無慈悲に聞こえる一言を発したきり、彼女の口から言の葉が紡がれることはない。



「……そうか。分かったよ」

 すべてを割り切ったのか、飯田は深い息を吐きだすと手早く荷物をまとめ、踵を返してしまった。


「この勉強会も、もう終わりにしよう」

 ゆっくりと、丁寧に戸が締められる。

 去り際は、やけに静かだった。



「……これでいいのかしら」

 ふと、声がかけられた。

 独り言と無視しても構わなかったが、たまには気遣ってやってもいいかもしれない。

 なんせ、こいつは。


「なんの話だ。文法?」

「面白みに欠ける冗談ね」

 いつのまにかこちらに向き直っていた花室の視線を受け流して、俺も淡々と荷物をまとめ始めた。


 雨音が不規則なリズムを踏み鳴らす窓を眺めて、ブレザーの襟を整える。

「まあ話は変わるが、花室」

 去り際、椅子に腰かけたままの少女に一瞥やって、ぬるい温度で一言呟いた。



「名演技だ、よくやった」

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