【3-6】 着ぐるみグルーミー
目当ての店舗を回りきったのか、桜川は満足したようで、俺たち三人は駅に戻ってきた。
飯田はこれから部活の練習があるらしく、先に帰ってしまった。さすがは強豪校。
そんなこんなで俺と桜川は二人っきりになったわけだが、お互い会話もなくスマホをいじくっている。
まずったな。完全に帰るタイミングを逃した。飯田と一緒に帰ればよかった。
なんとなく、隣の桜川を見やる。
――結局、弱点らしいものは見つけられなかったな。
苦手なものとか一つも聞き出せなかったし。人前でのこいつはヒロインモードだったから、欠点を探すなんて無謀なことだ。
なすすべなくうなだれていると、足音と共に気配が近づいてきた。
なんだ、飯田が戻ってきたのか?
「すみません、そこのお二人!」
ん? 誰だ。
一人の男性が、手刀を切って俺たちの視界に入ってきた。
なにかのスタッフみたいな装いの、若いおにーさん。
桜川もスマホから視線を映し、二人そろってお兄さんに耳を傾ける。
「お二方、今お手隙だったりします?」
「ええまあ、特には」
「そうですね。このあと予定はないです」
俺たちのやり取りを見計らって、お兄さんが事情を説明してくれた。そういやなんも聞いてなかったな。
「住宅展示場のイベントの一環で、着ぐるみを着て駅周辺で呼び込みをしているんですけど。バイトの子が急用で帰ってしまって。ほんの二時間程度でいいんで、ご協力をお願いできませんか?」
いきなりのバイトのお誘い。
「俺たちがこれを着て、客引きをしろってことですか」
「実際のところはお子さんの相手をするだけですけど。もちろんお給料は発生しますので、そこらへんはお気になさらず」
ふむ。子どもは好きじゃないが、金が発生するとなれば話は別だ。
海南ではバイトは禁止されていないし、特に問題もなさそうだしな。
一つ気がかりがあるとすれば……、
「バイトって、一人ですよね? 俺たちのうちどっちかは必要なさそうなので、俺はこれで」
「ちょっと待って。なに帰ろうとしてんのよ」
なんで俺が桜川と働かなきゃならんのだ。別に俺は金に困ってねえし、ほら、人が多いとなんかしら感染症とか心配じゃん? このご時世、不要不急の外出と労働は避けるが吉というものである。
そう頭の中で言い訳して退散しようとしたが、身に覚えのある力でぐい、と襟をつかまれてえずいてしまう。
桜川が例のごとく低い声で俺に恐喝してきやがった。
「やるとしたらあんたがやりなさい。どうせ帰ってもやることないんでしょ」
「お前だってそうだろ。大人しく社会経験でも積んどけ」
「あ、あのー。着ぐるみ、もう一つ余ってるんで。ぜひお二人で着ていただければ」
遠慮がちなおにーさんの一言。
参ったな。予定はないと言い切ってしまった手前、断るのも気が引ける。
ここは諦めて桜川に付き合うしかないか。
「俺は構いませんよ。どうせ暇なんで」
「まあ、わたしも協力します」
「助かります!」
俺たちの返答にほっと胸をなでおろすお兄さん。
「お二人みたいな美男美女カップルにお手伝いいただけるなんて、願ってもないお申し出ですよ」
「「付き合ってないです」」
なんてこと言うんだ。
不本意な勘違いだ。
「美男美女は認めますけど、俺たちはそういう関係じゃないんで」
「微男の間違いでしょ、鏡見なさい」
「黙れや媚女」
「あ?」
「すみません」
いつもはくりんとした瞳なのに、こういう時だけナイフよりも鋭く変貌するから恐ろしい。
俺たちのやり取りを見計らって、お兄さんが衣装を渡してくれた。それぞれ衣装、もとい着ぐるみを手に取る。
そのシルエットには俺も見覚えがある。市のマスコットキャラクターだ。
名前は『フックン船長』。つくばでおなじみ大規模な科学分野の研究にちなんだ宇宙飛行士と豊かな自然を模したフクロウを掛け合わせたマスコットで、まあなんとも絶妙な愛くるしさを秘めている。
ちなみに茨城のマスコットでいうとお隣の土浦市が誇る『つちまるくん』がなかなかに可愛らしい。丸っこい顔に寸胴ボディ。犬なのか猫なのか分かんねえし、限りなく某でんきタイプのねずみポ○モンに相似した顔のパーツだが、モチーフはレンコンらしい。ふざけてんのか。
しかし、というか故に愛嬌はあるので、この秀逸なデザインが市民の心をつかんで離さなかったりするといいな(願望)。
閑話休題。
こんな機会そうないしな。
とりあえず着てみた。
「ぶっ。桜川、似合ってんぞ」
「着ぐるみに似合うもくそもあるか」
思わず吹き出してしまった。
桜川が着ているのは同じく市のマスコット。普段のすらりとしたスタイルを隠すように纏った着ぐるみの、ちょこんとした佇まいがかわいらしい。
そこからは思いもよらないほどの乱雑な言葉遣いだが、籠って聞こえてくるのがどことなくシュールでおもしろい。
「んじゃま、二時間ちょっとの辛抱だ。お子様の相手をしてやろうぜ」
「周と二時間も一緒にいるなんてどんな拷問よ」
「言っとけ」
一日ずっといたくせに。どの口が言ってんだ。
ともあれ。業務自体はなんの問題もなく遂行できそうだ。
俺だけじゃなく、桜川も小さい子の相手は得意ではないようで、ぎこちないながらにマスコットキャラの役目を全うしようとしている。
かくいう俺も最初こそ苦戦していたものの、やってみると案外楽しくて、その仕事っぷりに正規雇用されないか思案していた。
苦手なはずの子どもたちが、触れ合ってみるとかわいいものだ。小さな体で抱きついてきたりされると母性が刺激される。あまねママ、爆誕である。
つっても視界が狭いからまともに見れやしないんだけど。
「フックン船長ー!」
「ごふっ!」
なんだこの子、やけにテンション高いな。
衝撃が人一倍重い――勢いがすごかったから必然重さも乗るんだろうけど、子どもにしてはだいぶ衝撃が強いというか。
「んーやっぱり船長はかわいいなー! この寸胴ボディにくりくりした目! いつみても心躍る!」
それになんか、口調が子どもっぽくない。寸胴とか言わねえだろ普通。
てか、ちょっと待て。なんかこの声、聞き覚えがあるような。
それも最近よく耳にした気がする。透き通っていて、良く通っている、どこか心地よさを感じる音色。
誰だ? 整理してみよう。最近俺が関わった女性たちは――桜川――は一緒にいるから違う。妹? こんなおしとやかな声じゃない。
あとは、ああそうだ、花室。
あの清純で凛とした彼女が、こんな声だったような。
……花室‼
いや、まだわからない。声が似てる人なんていくらでもいるし、直接見て確かめないことには分からない。
だが、仮に着ぐるみの中身が俺たちだと知られてしまっては、この上なく地獄みたいな空気になること請け合い。それどころか、彼女の秘密を知った代償として消されてしまうまである。
当の人物は俺の腹周りに抱き着いている。被り物で遮られた俺の視界からは下を覗くことは困難だ。
くっそ、見えねえ……。
「あま、じゃない。フックン、そっちはどう?」
もう一体の着ぐるみ――もとい桜川がこちらに寄ってきた。
子どもたちを払いのけ合流しに来たのだろうが、そんな彼女は俺を見るなり、「げ」と声を漏らし硬直した。
その声に少女は振り向く。そして好奇の眼差しが桜川へと移った。
「おおー。『ユニール』まで。やっぱりこの街のキャラデザは秀逸でいいなー!」
キャラデザとか言うな。夢見がちなのか現実的なのかどっちだ。
呆気にとられ、石化したように立ち尽くす桜川に、その少女は向かっていった。
視界に入り、少女の姿が明らかになる。
「まさか着ぐるみの大名行列に遭遇するなんて。二科展の搬入なんて乗り気じゃなかったけど行ってよかったー!」
頬をすりすり擦り付け丸い声を出す少女は、長い黒髪を後ろでまとめているが、それでも一目で判別できてしまうほどに記憶に新しく、そして深く焼きついていた。
いや。俺はたとえ百年前であろうと、彼女の姿を鮮明に思い起こすことができるだろう。
やはり。声の主は海南高校の『高嶺の花』――花室冬歌その人であった。