【2-4】 その女、『高嶺の花』につき
二限前の休み時間のこと。俺はとある教室の前で深呼吸していた。
俺が足を運んだのは二年六組。特進クラスだ。
特待クラスと特進クラスは、同じ特別進学コースでもそこに大きな違いがある。この学校において特待というのは、学業スポーツなど多岐にわたる面において、目を見張る成績を残した者、要するに精鋭たちの集まりだ。
特進はその括りの中でも、さらに大きく文系と理系に分けられる。
俺がいる六組は特進文系クラス、通称『文特』だ。
そんな特進クラスに、普通科の俺が一人で顔を出そうものなら。
答えは簡単。縛り上げられて捕虜にされます。
マジで怖いんだけど。これで目当ての人物が居なかったらただ寿命を縮めにいっただけのやつじゃねえか。
俺は意を決して六組の扉から顔を出した。
俺の姿を視認して、付近の席に座っていたクラスメイトが鋭い視線を飛ばしてくる。
「なにか用?」
この目。お前らの目の前には性犯罪者でもおるんですか?
「飯田いない?」
変に波風を立てたくないので、できるだけ簡潔に済ませる。済ませたい。
指名を受けた飯田が嬉しそうにこちらへ駆けよってきた。
見知った顔を見て、俺も胸をなでおろす。
「よ、天川! もしかして例の話か?」
「ああ。ちと作戦を思いついてな。作戦会議をしようと思って」
「さすがは天川だ! 立ち話もなんだし、入れよ!」
「いやいいよ、なんかこええし」
しかし飯田と話していると、その様子を受けて周囲から注がれる視線から敵意が消えてゆくのが感ぜられた。同じ特進の仲間と親しくしている者ならば受容される。なにこの排他的空間、山奥の集落かなにかかよ。惨劇の予感しかしないんだけど。
「早速だが、昨日ふと考えてみた」
「昨日の今日で作戦を思いつくなんて、やっぱ天川は頭いいなー!」
こいつ皮肉ってんのか? 特進クラスにそんなセリフを吐かれると、捻くれた思考を持たずしても引っかかるところがあるぞ。
それに、いちいち過大評価しすぎだ。閃いただけで上手くいく確証なんてねーっての。
「そもそも物理的に距離を縮めなきゃ、進展なんてしようがない。恋愛ならやはりアタックしてなんぼだろ」
「そうかもな。まだ花室さんと授業以外で話したことはないし……」
「そこでだ。次の二限終わり、花室に直接コンタクトを取る」
ゼロから男女関係を構築させ、うまく進展させてこいつらをくっつけようって算段だ。
「ずいぶんといきなりだな。上手くいくのか?」
「それは俺にも分かんねえ。飯田の頑張り次第ってとこはある」
「緊張するなあ……」
顔をしかめる飯田だが、表に出さないだけで俺も同じような心持ちだ。
俺一人で突然話しかけるのはなかなか難易度が高いしな。実際勇気を出して踏み出したところで、そこから上手く会話を広げられる自信がない。
その点については、飯田と一緒ならだいぶハードルを下げられる。
男二人、しかもやかましいやつを連れていくことには多少の抵抗があるが。
ともかく、まずはコンタクトを取ることが目標だ。それさえできなければなにも進まない。
飯田の件については、そこから上手く繋げると踏んでいる。世間話ができる程度には接近する。それが俺にとっての第一目標だ。
俺たちは再開を信じ、互いに教室へと歩き出した。これから修行を積んで、強くなってここに集うのだ。
一時間後に! シャボンディ諸島で!
*
「よし、準備は良いな?」
二限終わり。人気のない廊下に、俺の声が小さく響いた。
厳密に言うと、今の時間はまだ行間休みではない。コンディションを確実に整えるため、こっそりと授業教室を抜け出してきた。授業が死ぬほど退屈な時なんかにたまにこの手を使うのだが、誠実で公明正大な読者諸兄にはあまりおすすめしない。
おかげでだいぶ準備が整った。
対花室冬歌、その概要とは。
まず場所の確保! 五組の教室から少し離れたトイレの付近で待機。
同じクラスなのになぜ教室内で待たないのか? バカかお前。花室の今までの行動パターンから予想するに、休み時間は基本的に単独行動することが多い。勤勉な彼女のことだ。前後の授業の予習復習に時間を割くだろう。そうなってしまっては集中を妨げてしまう以上、こちらから手出しはできない。
あと単純に、教室で一人でいる時に集団で絡まれたら嫌だろ。だから場所を変えることにした。廊下なら教室に入られる前に捕まえることができるからな。
そして時間! あえて授業終了より前にスタンバイしていることで、俺たちより先に教室に逃げられる可能性を消すことができる。決して机と向き合うのに嫌気がさしたわけではない。
およそ万全な状態だ。捕まえるところまでは確実だろう。
あとは、俺が少し手を加えるだけだ。
「……そろそろだな」
スマホのホーム画面に映しだされる時計には、授業終了の時刻が表示されていた。
あと数秒でチャイムが鳴り、生徒たちが一斉に廊下へと流れ込んでくる。
「飯田、最終確認だ。まずここで花室を待つ。できるだけ自然にだ。そして教室の手前まで来たらさりげなく声をかける! 勉強について質問する体で近づくんだ。あとはノリと勢い」
「ノリと勢いだな、任せてくれ!」
前半はわりとしっかり作戦が練られているんだが、最後だけ異様に適当すぎね? 飯田も飯田でそこしか理解してねえだろ。やたらと不安が増してきた。
そこで、やっとチャイムが鳴った。他クラスからガタガタと椅子を引く音が響いてくる。
流れ込んでくる人の波。紺で統一された制服の群れのなかで、一人、黒髪が揺れる。
前方から姿を現したのは、他でもない花室冬歌である。
迷いのない足取りで廊下を歩く様は、ランウェイを闊歩するモデルのようだ。
「標的が来た! 行くぞ、天川!」
その姿を見るやいなや、飯田が迷いなく飛びだした。
「花室さん! 今空いてる?」
「……はい?」
うわ、すげえ低い声。
明るい声で話しかける飯田と、凍えるようなオーラを纏う花室の温度差がありすぎる。凍てつく視線は傍から見るだけでも引けを取ってしまう。
が、飯田はそんなことを気にもせず続ける。
「いやーちょっと俺たち、花室さんに用があってさ。もし暇だったら話を聞いてくれないかな? な、天川…………あれ」
いきなりまくし立てて、隣の俺の肩を叩こうとする。
が、その手は空振りに終わる。飯田の隣には誰もいない。
その状況を訝しむ花室と、一瞬フリーズする飯田。
例えようのないシュールなツーショットを、俺は、トイレの付近で眺めていた。
「天川ああ!」




