第2章『神託者の日常』(続き5)
「村の方から、緊急の神託依頼が...水脈が再び...」
「落ち着きなさい、エリカ」
セイラは毅然とした声で言った。
しかし、その表情には僅かな困惑が浮かんでいる。
先日、慶一が解決したはずの水脈の問題が、なぜ再び?
「慶一様」
セイラは慶一の方を振り向いた。
「実践的な機会が早々に訪れたようですね」
慶一は無意識に古の本を胸に抱きしめていた。
つい先ほど体験した神託の「実装」は、まだ体に残る疲労と共に生々しい。それでも...。
「村に行きましょう」
返事をする慶一の声には、迷いがなかった。セイラが微笑む。
「その前に、少し休憩を取られては? エリカ、お茶を」
「は、はい!」
エリカは慌てて立ち去ろうとした。
「あ、エリカさん」
慶一が呼び止める。
「書庫の件は、もう大丈夫です。本の整理は...その、システマチックに解決できました」
エリカは明るい表情になり、深々と頭を下げた。
中庭に面した小さな休憩室。
差し込む陽光が温かい。
エリカが運んできた薬草茶の香りが、慶一の緊張を少しずつほぐしていく。
「慶一様」
セイラが静かに切り出した。
「先ほどの神託は、確かに強大な力を秘めています。しかし、それは同時に...」
「危険だということですよね」
慶一は薬草茶を手に取りながら言った。
「プログラマー...いえ、エンジニアには『デバッグ』という言葉があります。
システムの不具合を見つけて直すことです。でも時々、修正が新たな不具合を生むことがある」
「まさに」
セイラは頷いた。
「理の流れを変えることは、時として予期せぬ結果を招きます。先ほどの黒い靄は、その警告だったのでしょう」
慶一は古の本を開き、先ほど詠唱した箇所を再度確認する。
「だから、この本には処理の手順が詳しく書かれているんですね。まるでベストプラクティスのような...」
「ベスト...プラクティス?」
エリカが首を傾げた。
「あ、その...正しいやり方、という意味です」
慶一は少し照れながら説明した。
異世界でも、つい技術用語が口から出てしまう。
「それでは」
セイラが立ち上がった。
「村への出発の準備を。エリカ、慶一様の荷物の用意を」
「はい!」
エリカが駆けていく。
その背中を見送りながら、慶一は古の本の一節を黙って読んでいた。
そこには、世界の理を扱う際の重要な警告が記されている。
『理を制御せんとする者よ。
汝の行いは、世界の在り方を変えることを知れ。
一つの修正は、千の変化を生む。
故に、行いの前に、深き理解を。』
(まるでコードレビューのコメントみたいだな...)
慶一は苦笑しながら立ち上がった。
村の水脈の問題。
それは単なるバグ修正ではない。
世界の理の「実装」なのだ。