第2章『神託者の日常』(続き4)
「慶一様!」
セイラの声に、ハッとする。
書庫の奥から、黒い靄のようなものが湧き始めていた。
(エラーハンドリング...忘れてた!)
「try-catch...じゃなかった」
慶一は慌てて古の本のページを繰る。
そこには確かに、予期せぬ事態への対処法が記されているはずだ。
黒い靄は徐々に広がり、触れた本棚の本たちが軋むような音を立て始める。
デバッグどころではない。早急なエラー処理が必要な状況だ。
「flow.pattern('archive').rollback();」
慶一は反射的にロールバック処理を唱えた。
しかし、黒い靄は消えない。
「違う...これは...」
古の本を必死で読み解く。
そして、ページの端に小さく記された注釈が目に入った。
「解りました」
慶一は深く息を吸い、今度は異世界の言葉で詠唱する。
「理よ、還れ。混沌を秩序に。」
その言葉と共に、セイラの杖が強く輝いた。
光の糸が新たな模様を描き、黒い靄を包み込んでいく。
「もう一度...」
慶一は現代のプログラミング言語と古の言葉を組み合わせた。
「const order = new Harmony();
order.bind(flow).purify();
我が理に従え!」
まるでゴミ箱からデータが削除されるように、黒い靄が徐々に消えていく。
光の糸は本来の穏やかな輝きを取り戻し、書庫内は静寂に包まれた。
「はぁ...」
膝から崩れ落ちそうになる慶一を、セイラが支えた。
「よくぞ制御なさいました」
セイラの声には、安堵と共に何か深い感慨が混じっていた。
「古の術者たちの記録によれば、理は時として反逆する...だからこそ、prototypeではなく、ちゃんとしたプロトコルが必要だったのですね」
「プロトタイプ...ですか?」
慶一は思わず吹き出しそうになった。
まさか異世界でソフトウェア開発用語が飛び出すとは。
しかし、確かにその表現は的確かもしれない。
「セイラさん」
慶一は震える手で古の本を持ち上げた。
「これまでの神託は、世界の理を『表示』するだけでした。でも、この本を使えば...」
「『実装』することができる」
セイラが言葉を継いだ。
「そうですね。しかし、それには相応の責任が...」
セイラの言葉が途切れた時、突然、書庫の扉が勢いよく開いた。
「大変です!神官長様!」
駆け込んできたのはエリカだった。
普段の落ち着きを失った様子で、肩で息をしている。




