第2章『神託者の日常』(続き8)
その時、古の本が不思議な輝きを放った。
ページがひとりでに捲れ、そこには見たことのない術式が記されている。
慶一の目が見開かれた。
「まさか...これが本来の...」
慶一は決意を固めて、術式を詠唱し始めた。
「世界の理よ、我に耳を傾けよ。
interface Reality {
flow: Stream;
pattern: Pattern;
}」
その瞬間、周囲の光景が一変した。
村の風景が霧のように薄れ、代わりに無数の光の糸が織りなす空間が広がる。
それは慶一の目には、巨大なシステムアーキテクチャのように見えた。
「これが...世界の理の全体像?」
呟きに似た問いに、セイラの声が響く。
「慶一様、これは『理の深層』...古の神託者たちですら、滅多に到達できなかった領域です」
慶一の視界には、世界を構成する無数のインターフェースが浮かび上がっていた。
水脈の異常は、その一部に過ぎない。
より根本的な部分で、世界の理に歪みが生じているのが見えた。
「これは...デザインパターンの不整合?」
慶一は光の糸の流れを読み解こうとする。
そこには確かに、現代のソフトウェア設計に通じる構造が見えた。
しかし、それは遥かに複雑で有機的だ。
「集中するのだ、慶一様」
セイラの声が導くように響く。
彼女の杖から放たれる光が、慶一の周りを守るように包み込む。
「世界の理は、あなたの意図を理解しようとしています」
深く息を吸い、慶一は古の本に記された術式を、現代のプログラミングの知識と組み合わせていく。
「interface Nature {
water: Flow;
earth: Foundation;
harmony: Balance;
}」
光の糸が反応を示す。慶一は続ける。
「理よ、汝の在り方を示せ。
class Reality implements Nature {
constructor() {
this.harmony = new Balance();
}
}」
世界の構造が、より鮮明に見えてくる。
水脈の異常は、調和(harmony)の欠如から生じていた。
単なるバグ修正ではなく、システム全体のバランスを考慮した実装が必要なのだ。
「私に見えています」
慶一の声が、少し掠れる。
「水脈は...ただの配管じゃない。大地との調和を取る必要があるんです」
セイラが静かに頷く。
その表情には、深い理解と共に、どこか懐かしむような感情が浮かんでいた。
「では、実装を...」
慶一は最後の術式を組み立てる。
古の言葉とプログラミング言語が、完璧に調和した形で紡ぎ出される。
「理よ、新たな調和を記せ。
water.flow.setPattern(
new HarmonyPattern()
.withEarth()
.withBalance()
);
世界の理よ、汝の姿を正せ!」
光が爆ぜる。
慶一の視界が一瞬、真っ白になる。
そして...。
「水が...水が落ち着きました!」
エリカの声が現実世界から聞こえてきた。
視界が徐々に元に戻る。村の風景が再び姿を現し、異常な水流は完全に収まっていた。
「慶一様!」
膝から崩れ落ちそうになる慶一を、セイラが支える。
その腕の中で、慶一はぼんやりと考えていた。
(世界の理は、本当にプログラムなんだ。でも、同時に...それ以上の何かでもある)
「エリカ、薬草茶を」
セイラの声が穏やかに響く。
そして慶一の耳元で、静かにつぶやいた。
「よくぞ成し遂げました。しかし...これは始まりに過ぎません」
セイラの言葉の意味を考える間もなく、村人たちが集まってきた。
心配そうな表情で慶一を囲む中、エリカが薬草茶を持って駆けつけてきた。
「慶一様、大丈夫ですか?」
温かい茶を受け取りながら、慶一はゆっくりと頷いた。
体の疲労は確かにあるものの、それ以上に、世界の理の深層を垣間見た衝撃が心を占めている。
「ありがとう...あの、水は完全に?」
「はい!」
エリカが嬉しそうに報告する。
「井戸の水位も正常に戻り、流れも安定しています。村長様が確認してくださいました」
その言葉通り、辺りには穏やかな空気が戻っていた。
村人たちの表情も、不安から安堵へと変わっている。
「慶一殿」
村長が一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。今度は...今度は大丈夫なのでしょうか?」
その問いに、慶一は少し考えてから答えた。
「はい。今回は根本的な...その、調和を整えましたので」
説明しながら、慶一は光の糸を確認する。
水脈の流れは完全に安定し、大地との調和を示す新たなパターンが美しく機能していた。
「素晴らしい制御でしたね」
セイラが感心したように言う。
その表情には、どこか懐かしむような色が浮かんでいる。
「かつての神託者たちも、同じように理の深層に触れ、世界との調和を求めました。しかし、その知識は次第に失われ...」
セイラの言葉が途切れる。
その瞬間、慶一の手にある古の本が微かに輝いた。




