魔術の弱点
「……俺、医術塔には手を出すなって忠告したよね?」
レポートを奪わ……提出して数刻も経たないうちに、先輩の部屋に呼び出された。
書斎机に頬杖を突きながら、先輩があきれた顔で私を見ている。
「まあまあアシル君。リュナちゃん久しぶりだね。今日も可愛いね」
「節操なしか?」
座っている先輩の隣に立って私に手を振っているのは、怪我をした子どもの手術をしてくれたエルメル先生だった。
「アシル君。女性は男性から可愛いとか綺麗だよと言われることで、美しくなるものなんだ。君も少しは褒めることを覚えた方がいいよ」
「……笑顔は可愛いと思ってるよ」
へ?
視線を逸らしながら少し照れくさそうに言う先輩に、目を見開く。
と同時に先生が驚きの声を上げた。
「え!?」
「あんたが褒めろって言ったんでしょ」
「いや、だってアシル君が本当に褒めるとは思ってなかったから……ってなんでリュナちゃんも真っ赤な顔してるの?」
恥ずかしさから視線を上げられずにいる私に、先生が不審そうに尋ねてきた。
「か……可愛いとか言われ慣れていないもので……」
「え? さっき挨拶の時に可愛いって言ってあげたよね? あれは無かったことにされてる?」
ショックそうな先生に、先輩が溜息を吐く。
「あんたは誰彼構わず褒めすぎなの」
もはや息をするのと同義になってる気もする。
「そうだとしても、まさか口説き文句でアシル君に負ける日がくるとは思ってなくてね……」
息の合う二人のやり取りに、ふと思った。
そういえば先輩が以前、二人の関係を『腐れ縁』とか言っていたよね?
「お二人は腐った縁なのですよね? でも腐っているようには見えないのですが?」
私の発言に二人が目を見開いた後、先輩だけ笑いを堪えるように横を向く。
「アシル君!? 君、リュナちゃんに一体どういう説明したの!?」
「腐ったような縁なんだから、間違ってはないでしょ。むしろ腐ってるから捨てたいんだけど?」
「この美貌に、腐ったとか表現しないでくれるかな?」
盛り上がる二人に首を傾げる。
私、なにかおかしなことを言っただろうか?
「アシル君は酷いよ。私と手紙のやり取りまでしている仲なのに……」
「仕事絡みの手紙ね」
「全く君は淡泊だね。けど、そんなアシル君も好きだけど」
先輩にウィンクする先生にその場が凍り付く。
「やだな~。もちろんリュナちゃんも好きだよ」
場の空気を察した先生が慌てて弁明するも、私と先輩の目は冷ややかだ。
最初に先輩が節操なしと言った理由が分かる。
「それで、なんで呼び出されたか理解してんの?」
完全に先生を無視することに決め込んだ先輩が、私に向き直る。
「私のレポートの件で魔塔主任から嫌味を言われたからですか?」
「ああ、散々ね」
やっぱり……。
蹴落としたい筆頭だけあって、きっと得意顔で乗り込んできたに違いない。
「だけど問題はそこじゃない」
先輩は神妙な面持ちで、机に置いてあるレポートに視線を落とす。
「あんたのレポートを読ませてもらったけど、この魔導具、医術塔に使わせるつもりで書いてるよね?」
先輩がレポートを指で軽く叩く。
「この治癒魔術を含んだテープという魔導具の発想は面白いけど、医術塔では使わないだろうね」
先程のふざけた様子とは一変して、難しそうな顔で先生が口を挟む。
「でもこれを使えば怪我で傷を負った時や、手術で切開した臓器や皮膚も綺麗に修復することができるのですよ? 糸で縫い合わせて自然治癒を待つよりも、感染のリスクも減らせるし、手術痕の痛みも解消できていいと思いませんか?」
私の問いに二人が顔を見合わせる。
「リュナちゃんは聞いたことない? 『魔術で病気は治せない』という言葉」
目視できる傷は治癒魔術で塞ぐことはできても、目視できない臓器の傷や体内で起こっている感染症や病気、心の病までは魔術では治せないという意味だ。
そのため、世界には医術という分野がある。
だがお師匠様はずっと悩んでいた。
「……『本当に魔術で病気は治せないと思うか?』」
私の呟きに先輩の体がわずかに揺れ動く。
「お師匠様は魔術で病気を治そうとしていた?」
「あの人があんたに何を問いていたとしても、現状では病気を治すのは医者の仕事だ。もし魔術で人の生死を操れるようになったとしても、それは神の領域になる。人が手を出していいものではない」
「でもそれは魔塔と医術塔の都合だけで、この国に生きている人達には関係のない話ですよね? むしろ魔術と医術を使って今よりも良くなるなら、これほど喜ばしいことはないんじゃないですか?」
なぜ反対されるのか分からない。
自分はただ、もっとお互いが歩み寄れば、苦しむ人達や危険なリスクを減らせられる。
そうしたいだけなのに……。
「……リュナ」
悔しさで俯きかけた時、聞こえてきた声が初めて私の名前を呼んだことに驚き、顔を上げる。
「あんたの言っていることは正しいよ」
「アシル君!?」
先輩の発言を止めようとする先生を制して、先輩が続ける。
「国の人間には魔塔と医術塔では分野が違うとか、神の領域とかそんなのは関係ない。自分達が生きるために最善を尽くしてくれればなんでもいいと思っているだろう」
「じゃ……じゃあ!」
「それでも医術塔に手を出すのは駄目だ」
一瞬浮き上がりかけた気持ちが沈む。
しばらく沈黙が続いたあと、先生が静かに口を開く。
「リュナちゃん。アシル君はなにも君のこの魔導具を否定しているわけではないんだよ」
目だけ上げて先生を見る。
「魔塔と医術塔はとても面倒な関係にあるから、無理だと言っているだけなんだ」
「でも患者さん第一じゃないんですか?」
訝しそうな顔をすると、先生が苦笑いを浮かべる。
「アシル君もさっき言っていただろ。君が正しいって。その通りなんだけど、なぜこの二塔がここまでこじれているのか知りたいなら、この国の歴史を学ぶ必要がある」
うっ……。歴史……。
「苦手なんだね」
私の顔を見た先生が、瞬時に察する。
「なんせ初日から火を使って、森で魚を焼いていたくらいだからね」
「え!? なにそれ!? 怖いんだけど!?」
なんで魚を焼くのが怖いの?
首を傾げる私に二人はあきれ顔だ。
「それはちゃんと歴史を勉強しないとね」
「いい機会だから、エルメルに魔塔近くの森で火を使うことの恐ろしさを教えてもらうといいよ」
「それは魔塔士長の仕事じゃないのかい?」
「喋るのは得意でしょ?」
「女性を口説くテクニックの一つだからねって、おい」
先輩に右手でつっこみを入れる先生。
う~ん……どう見てもこの二人の関係って、腐っているようには見えないんだけど?
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