魔塔士
パチパチパチ……。
翌日早朝。
魔塔近くの森で、薪の爆ぜる音が響く。
昨夜の切り株の近くで火をおこしながら新鮮な川魚を焼く私。
そしてそれを信じられないといった顔で眺めている先輩。
二人の間に沈黙が流れる。
「……食べますか?」
耐えきれずに先に口を開いたのは私だった。
親切心で焼きたての魚を差し出すも、深い溜息を吐かれる。
「すぐに火を消して付いてきて」
朝食を食べてからでもいいですか? とは尋ねられず、今回も素直に従った。
「食事がしたいなら、鍵を持たない状態で転移装置の上に立てば食堂に行けるから」
幻想的な音と空間を醸し出すドームの部屋に到着すると、先輩が説明してくれた。
言われた通りに先輩と鍵を持たずに板の上に立つと、複数の人がいる広い部屋に出た。
見回すと、全員裏側が色違いのローブを羽織っている。
そこにいた色違いのローブの人達は、先輩の姿を見てざわつき始めた。
「魔塔士長だ」
「どうして食堂に?」
「あの後ろの娘、ローブを羽織ってないけど魔塔士生か?」
こちらを見ながらひそひそと話す声に、いたたまれなくなり俯く。
すると先輩が無言で食堂を見回した。
途端に全員が口を閉ざす。
顔を上げて静かになった食堂を見ると、全員が真っ青な顔で俯いていた。
まさか……恐怖の魔術か何かを使った!?
王都の男、恐るべし!! リターン。
(ピンポーン:魔術は使われておりません)
あわわわわわわ……。
魔術もかけられてもいないのに、恐怖に慄いていると、先輩がプレートを手渡してきた。
「これがメニュー表だから」
そこには上から赤、紫、青、黄、緑、黒といった順番に様々なメニューが書かれていた。
「魔塔士のランクによって食べられる内容が違う。あんたは魔塔士生にあたるから、一番下の黒字の部分しか頼めない」
先程から魔塔士生と言われているが、一体なんのことだろう?
とりあえず黒字では三種類くらいしかないメニューを選ぶ。
「じゃあこの時替わり定食とかいうやつにします」
「頼みたいメニューの横に付いている鍵穴に自分の鍵を入れてみて」
言われた通りに鍵を差し込むと、鍵穴が小さく光る。
「これで注文は済んだから、食事がくるまで席で待っていればいいよ」
説明は終わりだと言いたげな先輩を見上げる。
「先輩は注文しないのですか?」
時間的にもまだ食事は済んでいないはずだ。
「俺と一緒に食事をしても美味しくないでしょ」
「そんなことないですよ。一人だと心細いですし、一緒に食べてくれる人がいるのは嬉しいです」
素直な気持ちを伝えただけなのだが、先輩の目がわずかに見開かれる。
そんなに驚くような話をしたつもりはないのだけど?
首を傾げていると、先輩が自分の鍵を取り出し、私と同じ時替わり定食に鍵を差し込む。
魔塔士長である先輩は、なんでも注文できるんだ。
「他にも伝えておくと、食事は一日三回までは無料で提供されるけど、それ以上になると給料から自動で天引きされるから」
給料?
近くにあった丸いテーブル席に腰掛けながら、先輩がついでとばかりに説明を続けてくれた。
しかし、その前に確認しておきたい。
「色々説明して下さっているのですが、私、魔塔の一員ではないですよね?」
「鍵を渡した時点で、魔塔に属したことになってるよ」
あれって宿泊用の部屋の鍵じゃなかったの!?
「あの私、お師匠様から魔塔に行けとしか言われていないのですが……」
慌てて弁明する。
目的について相談しようと思っていたからちょうどいいかもしれない。
「だから魔塔に来た目的も分からないし、実は魔術を使ったのも昨日が初めてで、自分がいつから魔術を使えるようになったかも分からないんです」
勘違いだと知ったら朝食も食べられずに追い出されるのだろうか?
やっぱりさっきの魚、食べておけばよかった。
後悔していると、先輩が静かに口を開く。
「俺はあんたのお師匠様のことをよく知っている」
先輩とお師匠様は知り合いだったの!?
「あの人があんたを魔塔に来させたのは、俺にあんたを保護させたかったからじゃないかと思ってる」
「保護って……私に何か問題があったということでしょうか!?」
「もしくはあんたを危険に巻き込まないため……とか」
お師匠様の身に何かが起きている?
不安に駆られていると、先輩が話しを続ける。
「今のあんたがあの人の心配をしても邪魔になるだけでしょ。あの人の力になりたいなら、ここで魔術の使い方を勉強して、いざという時に力になれるように準備しなよ」
「……先輩」
先輩の言葉に救われるような気持になった。
そうだ。せっかく魔術が使えるようになったんだ。
あの手帳に書かれた研究を進めてもいいかもしれない。
「私、ここで頑張ります!」
目標がはっきりしてきて、やる気が出てきた。
両手で拳を握り、目を輝かせる。
「グゥギュルルルル……」
安心したせいで、お腹が豪快な音を立てた。
「すみません……」
先輩はメニューが置かれていたカウンターに目を向ける。
「出来上がったみたいだよ」
先輩の視線の先を見ると、カウンターの一部が開き、下から透明の箱が上昇してきた。
その箱には私の名前が書かれている。
「自分の名前の箱に付いている鍵穴に、鍵を差し込んでみて」
先輩に言われた通りに実行してみる。
カチャリと音がして箱が開く。
そこにはホカホカの美味しそうな食事が入っていた。
油断するとお腹がなりそうだ。
「なるほど。これだったら他の人に食べられる心配もないということですね」
「そういうこと」
先輩が自分の名前が書かれた箱に鍵を差し込む。
すると中には豪華な食事が入っていた。
同じ時替わり定食なのに、ここでもランク格差!?
先輩のトレーを眺める。
ステーキが旨そうだ……。
こうなってはお腹の音と涎を止める術はない。
いやいや! 私のだって十分……。
見比べて打ちひしがれる。
見比べるのは止めよう。
だって食べられるだけで有難いのだから。
うんうん。と自分に言い聞かせていると、先輩が私のトレーにメインでもあるステーキが乗った皿を置く。
「俺、肉嫌いだから」
「でも……」
そう言いながらも先輩のトレーには、他にも肉料理の品が乗っている。
もしかして、私に気を遣わせないための嘘?
「悪いと思うなら、そのお腹の音と涎をまずはなんとかしなよ」
それを言われてしまっては何も言えない!
「お言葉に甘えてご馳走になります!」
席に着き、フォークを手に取りながら優雅に食べる先輩を窺う。
この人、不愛想で怖い人かと思ったけど、実は結構優しい人?
「そういえばさっき給料がどうとか言っていましたよね?」
中断していた話に戻す。
魔塔で頑張ると決めたらな、今のうちに色々聞いておきたい。
「魔塔に属する者は、なにもしなくても国から給料が支給される仕組みになってるの。だけど、何もしなければ魔塔士ランクも上がらないから、一番低いランクで生活することにはなるけどね」
「何もしなくても給料が出るなんて、魔塔士って凄く好待遇なんですね」
「それだけ魔塔が特殊な場所ということ」
先輩は小鉢のおかずを掬い上げ、口に含む。
「じゃあお金がもらえるなら、街に買い物とかも行っていいんですか?」
あのお祭り騒ぎの街を、一度は見て回りたい!
「門限までならいいよ。買い物をしたければ店に鍵を提示すれば、食事と一緒で給料から天引きしてくれるから。足りなければ弾かれるけどね」
「この鍵凄いですね。なんでも出来ちゃうんだ」
「その鍵はあんたが魔塔士である証明書みたいなものだから、その鍵さえ持っていれば王都で困ることはまずないよ」
「盗まれたり悪用されたりしたらどうするんですか!?」
「その鍵を首にかけた時点で、特殊な解除術をかけないと外れないから安心して」
え!? 外せないの!?
思わず外してみようと試みるも……。
「いだだだだだだっ……!」
鍵と一体になっている紐を頭に通そうとすると、首に引っ付き離れようとしなかった。
「何やってんの?」
「本当に外れないんですね」
「首を切られても外せないようにしてあるからね」
ゾッとなり、思わず首に触れる。
そういう狙われ方も考慮されているのか……。
「それにしても部屋に瞬時に移動とか凄いですね。魔塔って誰が作ったんですか?」
「知らない」
「え?」
「魔塔は優秀な魔塔士達が好き勝手都合のいいように造り変えているから、一概に誰が造ったとは言えない。強いていうなら、今も建造中」
これだけ完璧に思える建物が、今も建造中!?
「俺も手を加えている一人だし」
まさかの建造者の一人!?
「でも自由にさせていたら、都合の悪い物を組み込まれたりされないのですか?」
「その問題があって、今は俺の許可がないと勝手に変更できないようになってる。まあ変な物が入っていればすぐに探知できるから心配はないけどね」
魔塔というか、この人が万能過ぎる……。
「俺は仕事があるから戻るよ」
立ち上がる先輩の食事は、綺麗になくなっていた。
「あの!」
立ち去ろうとする先輩に声をかける。
「もし先輩に会いたくなった時は、どうすれば会えますか?」
先輩は偉い人だから、きっと忙しい。
だから邪魔をするつもりはない。
でもこの魔塔で唯一、お師匠様を通じて私と共通点がある人でもある。
お師匠様に会えない今、いつでも先輩に会えるという安心感だけ欲しい。
「最初の部屋に、名前が書かれた板がたくさんあったでしょ?」
コクリと頷く。
「俺の名前の板の鍵穴に、あんたの鍵を差し込めばいいだけ。許可が下りれば転移装置が光るし、不在や拒否の場合はプレートに表示される」
嫌がるかと思ったが、先輩は意外にもすんなり教えてくれた。
「間違って他の人が乗ってしまった時はどうすれば……」
「あんたの鍵を差し込んだなら、転移装置もあんたの鍵にしか反応しないような魔術を組み込んだから心配ないよ」
魔術を組み込んだ……?
「まさか先輩が手を加えた部分って!?」
「勝手に部屋に入られるのが鬱陶しかったから造っただけ。嫌いな奴を拒否ってやりたかったのもあるけどね」
先輩が不敵に笑う。
悪戯っ子の発想ですね。
楽しそうではあるが、凄く悪い顔になっている。
この人、こんな顔も出来るんだ。
クスリと笑うと、訝しそうに見つめられる。
王都に来てから不安だらけだったけど、この人の下でなら頑張れる気がする。
「先輩! ありがとうございます!」
笑顔でお礼を言うと、先輩は私に背を向け歩き出す。
しかし数歩歩いたところで振り返らずに追加事項を伝えてきた。
「支給されたローブは羽織っておきなよ。部外者扱いで追い出されるかもしれないから」
そういう問題もあるのか。
考えている間に先輩の姿は見えなくなっていた。
ほんわかした気持ちになりながら、ステーキに目をやる。
心配事も解消されて、ようやくご馳走にありつける。
ジュルリと涎を拭い、ステーキを頬張ろうとした時だった。
「ここ。いいかしら?」
ステーキまでの道のりは遠い……。
読んで頂き、ありがとうございます。