終局
【1】
半壊した城の中を全速力で走る者―蕾は、門番を辞め、ベルタを探し回っていた。その身体は血塗れであった。片腕は脱力し、走るたびに揺れる。
「ベルタぁ!」喉も避けよと、声を絞る。声はとうに枯れていた。まるで、母親にはぐれた迷子のような必死さ。声を張り上げるために、息を吸うと、腐り始めた血の匂いが肺を満たす。
お願い、お願いだから生きていて。祈りながら走る。
走るたび、壁の破片が足を傷つける。それでも走り続ける。つんのめって倒れる。片方の髪留めが壊れ、髪が無造作に垂れる。しかし、構ってなどいられない。顔から破片を払い、嗚咽しながら親友の名前を叫ぶ。
「つぼみ……」ベルタのか細い声。后の部屋からだ。
蕾は、后の部屋のドアをけ破り、中へ入る。猛烈な死臭。思わず、後退る。しかし、堪えながら進む。
部屋の奥には大きな穴が開いていた。蕾がそこを覗くと《第壱位階》を入れた箱と、その周囲に散らばる大量の臓物。
「つぼみ……」か細い声がし、ベッドに進む。そこには、倒れたベルタ。鼻血を出し、顔は真っ青だ。
―祝福を使った代償だ。
「ベルタ……」蕾は、ベルタを抱え、その様子を瞬時に把握。祝福の使用により、体力はほとんど残っていない。安静にしていて助かるかどうか、そのレベルだ。
「逃げるよ」蕾は、ベルタを抱え、部屋を出ようとする。
「い、いたい……」ベルタは小さく悲鳴を上げる。
「ごめんね……でも行かないと」
ベルタは小さく首を振る。その瞳からは大粒の涙。そこにも血が混じり始める。
蕾は言葉を失い、口を開き、呻いていた。
「ぐるしい」ベルタはか細い声で鳴き、血を吐く。
どうしようどうしようどうしよう―
ベルタは、蕾の腕を軽く掴む。
「……ころして」そう言う間にも血が口からこぼれる。
蕾は、ベルタの意図を察する。だが、そんなことは絶対にできない。
「で、できないよ。そんなこと」そう言って、顔を覗き込むが、もうベルタには聞こえていない。探るように、蕾の顔を触る。
―まさか、視力まで?
蕾は言葉を失い、ベルタを見つめていた。
「い、た、い……おね、がい」血を吐きながら親友が言う。
蕾は呆然と宙を見つめる。
―そんなことできるわけない。やったとして何になる。
ベルタが蕾の頬を触る―指が痙攣。その瞬間、蕾は決意する。
ぶずっ、と肉を強引に切り裂くような嫌な音。
蕾がうつむくと、ベルタは血を吐きながら虚空を見つめていた。その首からは夥しい量の血が零れていた。ベルタの唇が動く。あ、り、が、と。
蕾は、その瞼を優しく閉じようとする。
「つ……ぼ……み?」ベルタが血を吐きながら訊いてくる。その口調は孤児院の時と何も変わっていない。錯乱しているのか、どこか楽しげだ。
「なに?」蕾は、零れ落ちる涙を必死にぬぐいながら、その手を握る。
泣いてるの? 唇が弱弱しく動き、ベルタが弱弱しく微笑む。その手が探るように、蕾の頬を撫でる。
「―てないよ」嗚咽で口が回らない。それでも微笑み、その手をさする。
泣いているんでしょ、と悪戯っぽくベルタは微笑み、
―へへ……じゃ、じゃあ……楽しい夢の話……し、してあげる。
ベルタは、ごぼ、と血の泡を吐くと、それから何を言わなくなった。
「聞かせてよ……」蕾は亡骸を抱え、嗚咽する。すがるように、いつまでもベルタの身体を抱きしめ続けた。
【2】
赤い闇。
ごぼごぼ、と水の音が聞こえる。息ができない。耳鳴りがする。
ああ、死ぬのだな。ソフィアはぼんやりと思った。
水の奥に黒い影。ただ、その形は異形。
追い求めた御姿。人間の背骨から、膨大な数の樹枝が生え、縦横無尽に生えたような異様な形。
《第壱位階》
自分を信じた皆に申し訳なかった。だが、これだけの被害を出せば、何とかなるだろう。《第壱位階》さえあれば、アイメルトは何とかなる。
そんな時だった。水をかき分け、甲冑が飛び込んできたのは。そして、その腕がソフィアをつかみ、引き上げたのは。
空気の音。気が付くと、肺が空気を求め、喘いでいた。激痛の中、肉体が蘇っていく。
「ソフィア!」自分を呼ぶ声。
「旦那……様」げほげほ、と咳をしながらソフィアは、自分を抱える当主を見つめた。
体が鉛のように重い。
「后様!」ハインツがソフィアの顔を覗き込んでいた。
声をあげようとするが、掠れた、ひゅー、ひゅーと言う音が漏れるだけ。
皆が悲しみに満ちた顔をしている。なぜだろう。
《第壱位階》の入手はもう目前だ。
「お前さえ居れば……」リュディガーの暖かい指が頬に触れる。
何を言っているの? ソフィアは困惑する。
ハインツが天井を見上げ、「おしまいだ……」
「お前と二人、歳を取りたかった……」
ソフィアはそこで初めて、あることに気づく。まさか、そんな―
身体が動かない。喉からは、ひゅー、ひゅーと言うか細い音しか出ない。視界がゆっくりと闇に覆われていく。
しにたくない
ゆっくりと、音が聞こえなくなる。眼が見えなくなる。
どうして、いまさら
冷たい闇が、静かに、そして着実に、ソフィアを覆い尽くしていく。
もうおそい―




