裏取引―2
ソフィアは、目の前のライ麦を睨みつけていた。勿論、目隠しのせいで、香りなどしか分からない。だが、忘れるはずがない。あの匂いを。あの味を。あの涙の塩辛さを。
あれは十五の時だ。帝国の主要王位継承家の一つ、アイメルト家が、隣国の小国との同盟関係を結んだのは。そして、その同盟関係の印として、ソフィアは、アイメルト家のリュディガー・アイメルトと婚姻を結ぶこととなった。
まだ右も左も分からない小娘だったソフィアは、突如として、贅を尽くした宮殿へ迎え入れられることとなる。
当時、絶大な力を持っていたアイメルト家と、その足の指の爪にすら満たない小国の貴族間での政略結婚。それがアイメルト家で起きた事故による当主の死と、そこから始まった没落によるものだとは少女は知る由もなかった。
アイメルト家没落の象徴、間違って選ばれた田舎娘―
当時、宮廷に入ったばかりのソフィアに対して、貴族は様々な蔑称を付けた。当主であるリュディガーは元々、当主になるような人物ではなく、時計を弄るのが趣味の地味で無口な男だった。
当然のことながら、リュディガーとの結婚生活は上手くいかなかった。ソフィアから誘えど、ベッドの中で膠着してしまう当主に対して、ソフィアもたじろいでしまったのだ。それから一年、床を共にすることはあっても、お互いに触れあうことすらしない日々が続いた。
そんなある日、ある市民の娘に、リュディガーは心を奪われてしまう。派手で、ソフィアとは対照的な娘。その奔放さや自由さにリュディガーはすっかりほれ込んでしまった。周りから見れば、利用されているのは歴然だった。彼女は公妾として認められ、リュディガーとの間に男児が生まれる。それでも諦めずに奉仕し続けるソフィアに対し、少しずつリュディガーも心を開き始める。しかし、同時に公妾からソフィアへの執拗な嫌がらせが始まる。
その始まりが、僅かに赤い色をした白パンだった。朝食に出されたそれは、いつも食べている小麦製の物とは違ったが、宮廷内で地位を失い始めたソフィアには、何か言う事は出来なかった。
しかし、数日続いたある日、それが聖アウグスティヌスの炎を引き起こす悪魔の麦から作られたのだ、と臣下から知らされる。ソフィアは、その悪魔の麦が、堕胎薬として使われていたことを知っていた。
それが、公妾の配下による仕業だと、すぐに分かった。公妾とリュディガーの間にできた子供は、いずれも《祝福》を持っていた。しかし、当然ながら、公妾の子供は継承権を持たず、跡取りにはなれない。
もし、后の子供であったならば、当主、もっと言えば帝国の王になれたかもしれない男児が生まれる中、ソフィアは妊娠すらできない。そんな状況を作り出し、公妾が何を望んでいたかは分からない。だが、ついにソフィアは精神的に参ってしまう。
体調不良を理由に自室へ籠り、小麦のパンを布団の中でもそもそと食べた。もうその行為をたしなめる臣下も居なかった。
自分よりもずっと低い地位の市民から、裏のルートで手に入れたパン。その、涙でふやけた味は、一生忘れはしない。




