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黒の鉄腕よ、滾(たぎ)れ  作者: 賢河侑伊
第二部 調査編
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裏取引―1

 アイメルト家騎士団のハインツは、目の前に座る、二人を見つめる。ここはアイメルトの所有する城の部屋の一つだ。


 オイレンブルクの当主ヨハンとその従者であるディーデリヒ。


「先の会議ではありがとうございました」ソフィアが礼を言う。ディーデリヒの演技が無くては、ゴレイヤ公国のことはすんなりとは信じさせられなかっただろう。


 実際は、ゴレイヤ公国の領主は《第壱位階》のことも知らなければ、それを奪いに来ることもない。彼らは両家―オイレンブルクとアイメルト―の策略で偵察行動を行っているだけだ。だが、ゴレイヤ公国の動きにより、真実を知らないゼーフェリンク家は移送を止めざるを得なくなった。


 ディーデリヒは咳払いをし、「それで、王の動きは?」


 ソフィアは淡々と、「ゼーフェリンク騎士団の補充を行うと」


「それで、本当に我々だけの力で王家を打倒できるのかね?」ディーデリヒは単刀直入に言う。


「できます」ソフィアは微笑む。


 少しの迷いもなく、言い切るソフィアに、ハインツは微かに畏怖を覚える。


 ソフィアは箱から、ひと房のライ麦を取り出し、2人に見せる。


「これは?」


「これは聖アウグスティヌスの炎(現代で言う所の麦角中毒)を生み出す毒麦です」


 2人が青ざめ、ヨハンは椅子から倒れこむ。


「ご安心下しさい。毒を生み出す前の物です」


 ヨハンは椅子に座り直し、咳払いし、


「これで王家を毒殺でもするってのか? 言いたかないが、毒麦を見分ける方法は簡単だ。悪魔の爪が生えるし、パンも赤くなる」


 ソフィアが怪しげに微笑み、「この品種改良を加えた麦は、悪魔の爪が非常に目立たないのと共に、パンの変色も少ない」


 ディーデリヒが喉を鳴らす。「誰もが口に運んでしまう……」


「だが、ライ麦の黒パンなんぞ、貴族は食わんぞ。これで殺せるのは、農民や市民だけだ」


 食い下がるヨハンに対し、ソフィアは屈託のない笑みを浮かべ、


「我々の配下に蕾と言う《祝福》の使い手が居ります。彼女は植物の成長速度を自在に操ることができます。彼女の力を使い、王家の小麦を異常成長させ、壊滅させます」


 ソフィアは、ふっと息を吐いて、微笑み、


「白パンが無ければ、黒パンを食べれば良いじゃない、とね」


「そう上手く行くものかね」ヨハンは眉間に皺をよせ、


「『だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい―』」


 ヨハンの引用を遮り、ディーデリヒは微かに上気し、様々な質問を加える。


 そんな従者をヨハンは冷たい眼で見つめている。しかし、もうディーデリヒは、こちらのペースに乗っていた。


 上手く言ったな、とハインツは思う。そもそも、このプレゼンでの対象は、ディーデリヒであり、様々な工夫を凝らし、彼をその気にさせる趣向を凝らしている。ハインツは、ディーデリヒを冷たい視線で見つめる。


 ―やはり、オイレンブルクはもうダメだな。


 今から一年半前、オイレンブルク内の一部勢力が、長年の研究成果である人造のマガイを北部地域に送り込んだ。今考えれば、異常としか思えないその行動は、鉄器兵団内にも参加者が居たと言われている。


 彼らは《代行者》を名乗り、北部地域を攻撃した。目的は、ゼーフェリンクの持つ《第壱位階》。その情報を手に入れた王は、ことを荒立てないように、《第壱位階》を破壊する計画を立てた。それが、今回の移送計画の真相だった。


 だが、オイレンブルクの抵抗が激しくなり始めると、王は代替案を出した。それが一年前からアイメルト家と王家の間で交わされていた計画だ。


 オイレンブルク家とアイメルト家で手を組み、王家と全面戦争を開始すると見せかけ、オイレンブルク家から《第壱位階》を奪還する―それが計画の大筋だ。


 計画を成功させるには「アイメルト家が王家と本当に戦争を始めようとしている」とオイレンブルク家に思わせ、騙す必要がある。その材料の一つがこの毒麦だ。対価として、鉄器兵団の情報やオイレンブルク領内の情報を入手する。


 ハインツは、目を伏せ、ため息をつきたい気持ちを抑える。


 かつて、毒麦について、ソフィアと話した時のことを思い出す。それは数年前、まだハインツとソフィアのかかわりが薄かった時のことだ。


 ソフィアが開発した毒麦について、ハインツに意見を求められた。正直、問題が多いと感じたが、后なので甘く行こうとした。


『非常に強力だと考えます』ハインツは嘘を付いた。


『そうやろか……』ソフィアは麦を掴み、静かに撫で、


『全ての農民に、これを見分ける能力を与えないと、我々もこれを口にする可能性がある』


『農民連中にはそんな頭はないでしょうしね』ハインツは唇を吊り上げて言う。


『ボロを着ているとはいえ、農民も馬鹿やない』低く鋭い声―抑えてはいるが激しい怒りを内包しているのは明らかだった。ハインツは微かに恐怖を覚える。


 ソフィアはハインツの方を向いたまま、『聖アウグスティヌスの炎の発動条件には湿度が必要やと気づいたのは農民や、それに彼らに判別できない程に偽装を施せば、もはやこの世で毒麦を見抜ける者は居なくなるで』


 ハインツが頭を下げると、ソフィアは、


『熱くなってしもた……堪忍な。話を戻すと、毒麦は不確定要素が大きく、我々も受ける損害が大きすぎると言いたかったんや』


 ハインツは眉を顰める。なんだこの女、少しは分かっているじゃないか。


『ですが、一度成功させれば、何もしなくとも兵糧攻めができます。相手の士気を完全にくじくこともできる』


 ソフィアは細い指で、目隠しを撫で、


『そうやな、もう少し、洗練させてみよか』


 ハインツは、その微かな声の低さが気になった。妙だった。さっきまでは、適当に褒めてあしらおうと思っていたのに、この女―否、この方が何を考えているのか知りたかった。


『何か、引っかかる部分がありますか? 教えていただけないでしょうか』


 ソフィアは静かに顔を上げる。ハインツは、その美しさにハッとする。


『うちのような素人が言うことやないし……ハインツはんも分かっているやろけど……我々がこの力を使ったというのは、戦時においては敵に対して強い心理的負荷をかける材料になる。けれど、戦後はどうやろか。食べたいのに食べられないというのは生き地獄や。凄まじい苦痛を引き起こすことになる。つまり、その……』


 ハインツの脳裏に、兵糧攻めを行ったときの城の内部が思い出される。


 がりがりに痩せこけた、性別も分からぬ餓鬼の、乾いた眼。糞尿と死骸の匂い。共食いをしたと思われる、骨の数々―あれは地獄だ。


 ソフィアは微かに息を吐き、


『憎悪を生まない戦いはないやろうけど……兵糧攻めは極めて憎悪が大きいんやないやろか。それに、この毒麦は余りに大規模で、ただの兵糧攻めやない。生き延びた者たちは、我々に対し、極めて強い憎悪を持つことになる。それがどのような形で花開くのか、うちは試す気はしない』


 ハインツは、我に返り、隣に座る、ソフィアを見た。


 ソフィアは、ライ麦を握り、それに顔を向けていた。

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