ヒロインは無邪気に走り回る
学園内を一緒に散歩しようというジュールからの誘いは、ローズマリーとウィリアムを混乱に陥れたそうだ。
まず三人が走っている姿に衝撃を受けていた彼らは、これはお諌めするべきかと迷っていたところだった。なのにジュールは君たちも参加してみないかと言う。
走っている一人が女性であるレイアという問題だけだったらまだしも、ほぼ黒づくめの三人が集団で高速で走り抜けていく姿は相当に印象深かったらしく、「黒い疾風」と呼ぶ者たちまでいた。
「戦闘機に喩えられるなんて光栄だと思うことにします……。
とにかく、走らないで歩くのはもちろん、黒以外をわたしは着るようにします。〈制服〉ではなくローズマリーさんが着ていたようなローブ・ア・ラ・ポロネーズも、実は手持ちにあるので着用可能です」
「それがですね、レイアさん。彼らの要求はそれだけでは済まなくて。
特別講座うんぬんで学園長に叱られたのに懲りたのか懲りてないのか、うっかり行儀作法の注意を口にしてしまってもお咎めなしにして欲しいようなことを言い出しまして」とはジュールの弁。
「『作法について何か申し上げたりして、レイアさんにご不快な思いをさせたりしないかしら。レイアさんがお許しくださればよろしいのですけれど』とか何とか。
それに殿下が『そもそも君は行儀作法の講師じゃない』と返したので、なかなか雰囲気が凍りつきました」とイザークが補足する。
「わたしの特別講座のお断りの仕方に問題があったのかもしれないと思います。
同じ断るにしても、もっと言い方など違う表現をしていたらローズマリーさんの反応も違っていたかと。
注意されたからといって咎めたりしないと、どのように言えばうまく伝えることができるでしょうか」
「『優しいレイアさんは許すと言いそうだけど僕が許さない』と回答済みです」
「まぁた殿下が『マナー違反の指摘は最大のマナー違反!』と怒鳴りだすかとヒヤヒヤしました」
「僕はイザークの方こそ怒鳴り出すかと思いました。
ローズマリーの侍女のアリスがですね、散歩するなら自分が同行してお嬢様に日傘をさす必要があると言い出しまして」
「紫外線防止なら、この国の世界観に合った容器に入ったクリームをプレゼントできます。中身のクリームは紫外線吸収・紫外線散乱に優れ、つけ心地も良く肌の負担も少なく——いえ、そういう問題ではないのでしょうけれど、侍女の方が日傘をさす必要があるというのは釈然としません。
十八世紀頃の貴婦人の散歩を描いた絵画に日傘が必ず登場する訳ではないですし、従者ではなく本人が持っている絵しか見当たりません」
手持ちの蝋板タブレットに、レイアは次々と絵を表示させながら説明する。
「その手の説明をしても無駄なんです。アリスって侍女の目的はひたすら学園内に潜り込むことで、いつも理由——今回は日傘ですが——は後付けです。
それでイザークが、お前は来るんじゃないとマジ切れ寸前に、と」
「だって、『どうして学園に来ちゃダメだと言うの?』としつこくホザくから。
『立ち入る資格のない人間に特別な許可を与えろと言うのか。怪しい奴を学園内に入れる口実を作らないために、侍女がやるような仕事もこなすスタッフが常駐しているんだ』と丁寧に説明したら、『あたしは怪しい奴なんかじゃなぁい』だと」
「ま、まあまあ。お前がマジ切れる前にウィリアムがアリス嬢を嗜めてくれて良かったよ。うん。
それでですね、レイアさん。もう色々と面倒になったのもありますが、ローズマリーを散歩に誘う話はお流れになりそうです」
「ウィリアムも当分は無理です。本人だけなら一緒に散歩もジョギングもいけそうだったんですが、『次はウィリアムが〈ヒロイン〉の取り巻きにぃ?』と抜かすバカがいましてね」
そのバカことアリスは、ローズマリーと向かい合って紅茶を飲んでいた。
「『次はウィリアムが〈ヒロイン〉の取り巻きにぃ?』て言っちゃったのは悪かったと思うのよ。何かごめんねぇ〜、ローズマリー。
でもさ……何て言うか釘を刺したくなったのよ。
殿下だけじゃなくて、学園長もイザークもレイアさんの肩を持っちゃってさ。
これでウィリアムまで、あちら側に行っちゃったら嫌だなあと思って、ついぽろりと」
なお二人のいる部屋は二階にあるローズマリーの私室であり、客間などのある一階の部屋とは違って、世界観を壊すなとの横槍からは自由な内装、室内の振る舞いとはなっている。……もしも観察者が存在していたら、だとしてもアリスの言葉使いや態度はいかがなものかと感想を漏らすかもしれないが。
「ううん、アリス。どちらにしても散歩のお誘いはなかったことになったでしょうから。気にしなくても良くってよ」
「本当に?
一緒に散歩に行きたいって、今からでも遅くないからお願いしてみれば?
あたしが付いていって味方してあげられないのは残念だけど、あたしが居なくったって殿下たちと一緒に学園の中を歩き回っていたんでしょう?
レイアって子が編入してからこっち、それがなくなっちゃったと悲しんでいたじゃない。散歩に付き合うようにしたら、また元に戻れると思うけど」
「違うわ。殿下がレイアさんと出会う前には、もう戻れない。
ウィリアムも言っていた通り『殿下はまるで人が変わってしまった』みたい。
早朝に並木道を走っていたんですって。
一緒になって無邪気に走り回るなんて……〈ヒロイン〉ならできるでしょうけど、わたくしには無理。とてもできない……」
実際には「無邪気に走り回る」と表現される範疇を超えた高速ランニングだった訳だが彼女たちには知る由もない。
「えっと、走るのはローズマリーには無理って向こうもわかってて、歩きでも良いと言ってきたんじゃない?」
「歩きで『も』良いとは言われたわ。でも本当は思い切り走りたいのよね。
そうでなければ、そもそも毎朝三人で走ってたりしていなかったでしょう。
わたくしに気を遣って歩きで『も』良いと妥協してくださったのよ、きっと。
それに甘えてゆっくり歩いてついていくなんて申し訳なくて、どうにも気が引けてしまうわ」
(まただ、またローズマリーは泣きそうな顔をしている)
アリスは歯痒さに唇を噛んだ。
「わたくしは殿下の側にいたい。でも足を引っ張りたくはないのよ……」
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