潜入(2)
「それで、イナリなら考えてもいいかなってなった。だからまだあくまで考え中なだけ。期待しない方がいい…………………聞いてる?」
「………………………」
クロがジト目で見つめるが、俯いたイナリからは返事がない。
テンションを上げた後にガクンと落としたせいで落ち込んでしまったのだろうか。
そう思ったのも束の間。
イナリが大きく息を吸い込むのを見て、俺は慌てて【サイレンス】をイナリに付与する。
次の瞬間。
「──────────────っっ!!!」
案の定と言うか、ガバッ!と顔を上げたイナリがとても、それはもうとっっても嬉しそうな表情で大空向けて口をパクパクさせる。
あ、危ない…………もう少しでわざわざこんな早朝から走ってる意味が無くなる所だった…………。
仮に【サイレンス】をかけ忘れでもしていれば、今頃幸せに満ちたイナリの叫び声が森中に響き渡り、それを耳にした鬼人族達が何事だと警戒してしま事だろう。
そうしたら作戦は初期段階でまさかの大失敗だ。
一応、自分の一族が結構ピンチだと言うことを分かってるのだろうか、この残念キツネは。
はしゃぎすぎてさりげなく木の上で滑ったイナリを浮遊魔法で回収。
俺とクロがジト目で見つめるが、ついに番の公認まで王手がかかった事を知った、幸せいっぱいのイナリには全く見えていないようだ。
無音でふわふわ浮かびながら頬を染めていやんいやんしたり、うっとりした瞳で手を合わせて明後日の方を見つめたり。
また口をパクパクさせて何か喋っているが、こちらには何も聞こえてこない。
非常にシュールである。
「……………なんか、無音のはずなのに今度は目にうるさいな」
「……………ん」
「──────────っ!?」
あ、そうか、こっちからの声は聞こえるんだもんな。
ぼそっと呟いた俺の言葉を敏感に聞き取り、頬を膨らませたイナリがキャンキャン吠えている………………ように見えた。
「ひどいです!」とでも言っているのだろうか。
しかし、そんな怒っている素振りを見せながらも、ふと俺と目が合うと途端に「えへへ………」と頬をだらしなく緩ませてニヨニヨする。
どうやらそれほどまでに心底嬉しかったらしい。
………むぅ……………可愛らしい反応をしてくれるじゃないか、イナリさんや。
「………………主は、イナリのこと嫌い?」
俺を見つめていたクロが不意にそんな事を聞いてきた。
「!」とイナリが先に反応して、興味深々なのを隠そうともせず、ずいっ!と顔を寄せてくる。
顔面の圧がすごい。
……………女の子がこんなに近くに居るのに、全くドキドキしないのって不思議だよね。
まぁ本性を知ってるからだろうけど。
俺は主張の強いイナリの顔をぎゅむっ、と押し返しながらクロの問に答えた。
「いや、別に嫌いじゃないよ。騒がしいけど、それは良い所でもあるから」
村に居た時、疲弊していた家族や仲間達の励みになっていたのは間違いなくイナリの笑顔だ。
いつでも笑顔を絶やさず、元気づけてくれたイナリは皆にとって太陽みたいなものなのだろう。
そして、俺にとっても…………。
「じゃあ、イナリの容姿が嫌い?」
「そんな事ない。イナリは超絶美少女さんだし、ケモ耳はむしろ大好きです」
「……………嫌う理由がない」
「……………たしかに」
今話してて、逆になんでこんなにも扱いが雑なのか分からなくなってきた。
突然「あぅ………」としおらしくなったイナリをじっと見つめる。
それはもうじっくりと。
最初は顔を真っ赤にするだけだったイナリも、ついにいたたまれなくなったのか、ふいっと視線を逸らした。
すると、次の瞬間ふと何かに気がついて目を丸くし、続いて自分の足元に視線をやってから、若干慌てたように足をバタバタさせ始めた。
俺の肩をバシバシ叩いて何かを伝えようとしている。
が、【サイレンス】のせいで何も聞こえない。
……………なんか、割と本気で焦ってるっぽいぞ?
どうしたんだろ…………。
さすがにもう落ち着いて叫ぶことも無いだろうと思って、ずっとかけ続けていた【サイレンス】を解く。
「───────ご、ご主人様……………なんかふわふわしますぅ………」
「今更だな………」
え、もしかして驚いてた理由ってそれ?
なんならだいぶ前からふわふわしてたし、そんなに怖がるような事じゃなくないか……………?
イナリのジャンプの飛距離なら短距離を飛んでるのと変わりないだろうに。
しかし、イナリ曰く、自分の足で地面を蹴って飛ぶ(ジャンプする)のと、他人に全てを任せて浮かぶのではだいぶ違うらしい。
なんと言うか、感覚的な問題で気持ち悪いのだそうだ。
言いたい事は分かった。
誰にだって苦手な事はあるし、言ってる事も分からなくは無い。
だが、それを今このタイミングで言ったのは────────。
「「残念すぎる」」
「うぅ……面目ないですぅ………」
自覚はあるのか、ケモ耳としっぽまで連動するようにしょんぼり垂れ下がる。
う〜む、浮遊魔法自体はすぐに解除できるんだけど、イナリが今少しだけ気持ち悪いらしいし……………仕方ない。
「よいしょっと。これで我慢してくれ」
「………は、はひ……………」
こっちに引き寄せて、仰向けに寝かせたイナリを両腕で抱き上げる。
いわゆるお姫様抱っこってやつだ。
こっちの方がおんぶするより走りやすい。
………………それに、イナリも喜んでくれるだろうと思ったからね。
予想通り頬を上気させたイナリは、あのうるささが嘘のように静かになり、ただじっと熱のこもった瞳で俺の横顔を見つめている。
「………………ずるい」
「クロも今度、好きなだけお姫様抱っこしてあげるよ」
「ん。そのままベットインも可」
「それは大人になってからね…………」
「むぅ」