お姉ちゃんを自称する女神②
「お父さんとお母さんに会いたくなぁ〜い?」
ウルズの言葉は、俺の鼓動を大いに乱した。
父さんと母さん。
異世界転生を果たし数百年もこちらの世界で過ごしたのだから、もう二度と会えないものだと思っていた。
そりゃあそうだ。
世界が違う上に、そもそも両親は俺と違って普通の人間。
数百年なんて生きていられるはずがない。
きっと既に亡くなっているだろう。
まぁ個人的には、こっちの世界で生きてく上である程度の見切りは付けてたつもりだ。
……………だけど。
もし本当に会えるのなら。
どんな形でもいい。
俺は、父さんと母さんに会いたい。
────────皆がそろったリビングで、一身に視線を受けたウルズは出されたお茶を一口飲んでにこやかに微笑む。
「そう。マシロ君はディアボロの暴走を止めて、この世界を救う偉業を成し遂げた。神にも匹敵する救世主君にはご褒美を貰う権利があるのよ〜」
さりげなく胸元から取り出した何かをすっ………と向かい合った俺の前に差し出す。
それは首にかけるタイプの名札のようなものだった。
紐を解いて手のひらサイズの長方形の紙を見ると、そこには全くもって読めない謎の言語で何か書いてあった。
な、何これ…………。
妙に人肌の温もりが残ったアイテムにどう反応して良いか困っていると。
「それは"狭間"を通り抜けるための通行券のようなもの。それを持っている限り、ほぼ無限に世界の間を行き来することができるわよ〜」
さらっと渡されたこれはとんでもなく重要なアイテムだったらしい。
見た目からして完全に百均に売ってそうなプラスチック製の名札入れなのに…………。
"狭間の表裏"という名らしいこのアイテムは、ウルズが言った通り"狭間"を安全かつ最短に通り抜け、隣合う世界へ渡るためのものだそうだ。
もちろん少なからず制約が課せられているため完全フリーで世界間旅行が楽しめる訳ではなく、またもし悪用しようものなら即行で駆けつけた神々に魂ごと消滅させられるとか。
それを聞いた瞬間、変な使い方だけはしないように心に決めた。
いやまぁ元々そんな気はありませんけども。
ちなみに一応だが有効期限なるものもあるらしく……………しかしちらっと見た限り数百年単位だったので、そこまで気にする必要は無さそうだ。
「これを持ってれば地球のある世界に帰れるのは分かったけど…………仮に戻ったところで、あっちも既に何百年も経過してるんでしょ?墓さえ見つけられるかどうか…………」
これはあくまで時間の進み方が同じならの話だが。
ほら、よく違う世界だと時間の進み方が違ったりするじゃん?
隣合う世界だからそこまで差異は無いと思うんだけど、かと言ってそこら辺の事情を知らない俺からすると断言は出来ない。
そこんとこどうなの?
「…………地球のある世界と、この世界の時間軸に差はほとんどないのだ」
答えたのはノエルだった。
どこかムスッとした様子で俺の膝の上に座ったまま、正面のウルズを睨み付ける。
我が家の面々はノエルが普段滅多に見せない不機嫌な姿にハラハラしているのに、それを向けられた当の本人は相変わらずあっけらかんと微笑んで出された茶菓子を頬張っている。
実に良い笑顔だ。
「まぁ、皆の疑問は最もよ〜。三百年近く経った地球に戻っても、きっと期待しているような結果は得られないでしょうね〜」
「…………では、なぜあのような言葉を?」
「ん。主が会いたいのは家族」
仮に地球に戻れたとしても両親の墓すら見つけられないのなら行く意味が無い。
そして、それならさっきウルズが話した言葉に矛盾が生じる。
"お父さんとお母さんに会いたい?"
俺は故郷に帰りたい訳じゃない。
両親の居る場所に一度で良いから行きたいのだ。
たとえそれが苔まみれの墓の前でも。
一度で良いから、俺はこうして元気に生きているのだと。
そして、大切な人ができたのだと伝えたい。
俺達の意図を理解してか否か、ウルズは人差し指と親指で摘んでいた煎餅を上品に割って口の中に放り投げ、咀嚼しながら持て余した残りの欠片で空中に円を描く。
「もぐもぐ…………ん、そこは大丈夫よぉ〜。お姉ちゃんが何の神様か忘れたの〜?」
「痛い穀潰しおばさんの神だろう」
「…………ノエルちゃん、ちょ〜っとお口を慎みましょうねぇ〜?」
おおぅ、ノエルがいつになく辛口だ。
そんなにウルズの事が嫌いなのだろうか…………いや、なんかそれとはまた違った感情が見え隠れしているようにも思えなくもない。
「私は"時空神"よぉ〜?マシロ君が生きてた時間軸まで巻き戻すのなんて、朝飯前なんだから〜」
曰く、地球のある世界の時間だけを数百年前まで巻き戻すそうだ。
何と言うか…………さすが神様としか言いようがない程の規格外な考え方だ。
いやだって、この世界には一ミリの影響をもたらさず、隣の世界の時間を丸ごと数百年規模で巻き戻すとか……………言語化しても意味が分からない。
やってる事の規模が大きすぎて頭がおかしくなりそう…………。
「でも、それって神様的に良いんですか?完全に過干渉ですし、色々と問題があるんじゃ…………」
イナリの疑問は最もだ。
神は下界で過剰に力を使うことを禁じられている。
それは世界の住人に何の力の関与も無く公平に繁栄して欲しいという願望、そして世界を見守る立場である"神"の役目の範疇を出ないための絶対的なルール。
そのためイナリは、ウルズが話した行為が"神"の役目の範疇を大幅に超えていないかと指摘した。
実際、その通りだろう。
ノエルが全力を出すときでさえ許可が必要だったのだ。
たった個人のために世界規模で影響を及ぼす行為など、そう簡単に許されるはずがない。
あとほら、何だっけ………………そう、バタフライエフェクト!
本来存在するはずのなかった俺達が過去に介入することで、今あるべき未来が変わってしまうかもしれない。
そんな危険性もある。
というか俺達が過去…………巻き戻されたら"今"と表現すべきかもしれないが、その時間軸に渡った時点で必ず何かしらの変化は訪れるに違いない。
「…………実は、それが狙いなのよね〜」
煎餅を食べ終わったウルズは代わりに小さな饅頭を頬張ってモゴモゴしながら、やれやれと肩をすくめて困ったように首を横に振る。
「ここ数十年かしら…………ちょっと地球で怪しい動きをしてるカルト宗教があるのよぉ〜。そいつら、どこぞで得た不思議な力を使ってユグドラシルに近付こうとしてて、何だかきな臭いのよねぇ〜………」
力の出処、ユグドラシルを何処で知ったのかなど。
色々と謎に満ちたカルト宗教がここ数十年で一気に勢力を増して世界を混沌の中にたたき落としたそうだ。
絶賛、世界は崩壊への道をジェットコースターのように降りている真っ最中。
このような場合、ユグドラシルが世界ごとリセットする前にブレーキたる"神"が出動せざるを得なくなるのだが…………。
「そのカルト宗教が発足したのが、マシロ君が死んで間もなくって訳。どうせならこの機会を利用して、マシロ君にはご褒美がてら地球に行ってもらおうかなぁ〜…………って」
なるほどね、やっと真意が見えてきた。
つまりはご褒美という名の依頼という訳か。
膨張しユグドラシルすら手中に収めようとする組織を、発足して間もなくまだ力を蓄える前の段階で瓦解させるために。
両親との再会を報酬に、それを俺にやらせようと言うのだ。
確かにそれなら「神としての義務」という免罪符を得て、時を巻き戻すことが出来る。
「随分と悪知恵が働くなお姉ちゃん」
「だってめんど───────せっかく結婚するのに、一度もご両親に挨拶出来ないだなんてあんまりでしょ〜?」
「本音が出とる」
今、面倒臭いって言おうとしてなかった?
……………まぁこの際は聞かなかったことにしておこう。
俺達からしても利点しかないのだから。
父さんと母さんにもう一度会えて、しかも直接みんなを紹介できるのだ。
それに越したことはないに決まっている。
だから、もちろん返事はこれしかない。
「よし、任せてよ」
◇◆◇◆◇◆
「どういう風の吹き回しなのだ?」
皆が各々の準備のため部屋に戻ったり村に出かけて行って静かになったリビングで。
ボリボリとまた煎餅をかじっているウルズにノエルは問う。
「えぇ〜?どうもこうも、お姉ちゃんは可愛い弟に幸せになって欲しいだけよぉ」
どうも胡散臭い。
いつものウルズならもっと面倒な取引をして、しばらくマシロを一人で独占するくらい平気でやるような人物だ。
かつてまだ彼が異世界転生を果たす前、天界で修行していた時は少なくとも"接近禁止令"が出されるくらいにはマシロにちょっかいを出していた。
それがドロドロした愛から来ると知っていたからこそ、ノエルは最大限の警戒を今も抱いている。
「あのねぇ…………私は今や、貴女の後釜として神々を引っ張っていかなきゃならないのよ〜?昔ほどお気楽じゃないの」
「説得力の欠片も無いのだ」
お煎餅をボリボリ食べてくつろいでるその姿からは、少なくとも神々を先導する最高神とは到底思えない。
「言っとくけど、別にマシロ君の事を諦めた訳じゃないからね〜?いつか必ず私の物にするんだからぁ…………これはその下準備♪」
「ふっ、どれだけ足掻いても無駄なのだ。マシロの一番は私と決まっているからな!」
まだ納得はしていない。
しかし、いつまでもにらめっこしていても時間の無駄だ。
こういうのは正妻様の余裕を見せてさっさと切り上げた方が得策。
だってマシロがノエル以外を一番に選ぶなんて、たとえ天変地異が起こって世界が滅び、理が壊れて概念が交錯しても変わらない普遍の事実なのだから。
絶対的な自信を持ったノエルの発言に、思わず気圧されたウルズは悔しそうに煎餅をガジガジする。
そうして圧倒的正妻力(?)を見せつけたノエルは、そのまま優雅に愛するマシロの元へ向かって行った。
────────誰も居なくなったリビングで。
ウルズはため息を漏らす。
やはりノエルは強敵だ。
彼女は隣にマシロが居るのが当たり前で、またマシロ自身も隣にノエルが居るのが当たり前。
そこには揺るがない絶対的な自信と愛がある。
誰だってあれを見せつけられたら諦めざるを得ないだろう。
同じくらいマシロを愛しているアイリスを初めとする嫁達だって。
思わず敵わないと思ってしまう程の何かがそこにはある。
"何か"……………きっと"運命"だろう。
だがその運命の糸を前にしても、ウルズは一度たりとも諦めたことは無い。
マシロを我が物に…………自分だけのものにするという野望を。
『…………お姉様、性格が悪いですわ』
脳内に直接響いた声に、ウルズは微動だにせず紅茶をすする。
『先程のお話…………嘘ではありませんが、事実でも無いでしょう?』
正確には嘘六割、と言ったところか。
この声の主の言う通り嘘ではないが完全な事実でもない微妙な塩梅。
実際に世界を滅ぼしかねないカルト宗教が流行った。
しかしそれは百年ほど前に既に壊滅している。
今、ユグドラシルに手をかけ世界を我がものにしようとしているのは、全く別の存在なのだ。
ウルズの真の目的は、カルト宗教の崩壊などではない。
ユグドラシルさえ手中に収めようとする、この異常者をマシロとぶつけることだった。
『彼のことが好きではなかったのですか?』
確かに中学生でもあるまいし、こんなの好きな人に対する仕打ちじゃない。
声の主の問いに、ウルズは薄らと笑みを浮かべて答える。
『好きよ?大好き。食べちゃいたいくらい…………一生傍に縛り付けていたいくらい愛しているわ〜。……………でも、可愛い子には旅をさせよって言うじゃない』
背筋がゾクッとするような舌なめずりをして。
ウルズは蠱惑的に微笑む。
決して意地悪なんかじゃない。
これは彼にとって必要な経験だから、こうしてあえてその道に進ませるのだ。
『沢山のことを経験して、彼はもっと魅力的な"男"になるの…………』