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辿り着いたのは






深い…………とても深い微睡みの中。

今にも消えてしまいそうな小さな意識を朧気に抱き抱えて、少年はぷかぷかと浮かんでいた。

目を瞑り一見眠っているようにも見える少年の周りは黒い液体か何かで満たされており、口の端からは定期的に気泡のようなものが見えない上空に消えて行く。

冷たくもないし、暖かくもない。

何か肌触りがあるでもなく、かと言って何かに包まれている感覚が無い訳じゃない。

ただ、無性に眠気のようなものが誘われる。


記憶は霧がかかったように朧気で、自分の名前すら思い出せない。

ここはどこで自分は一体誰なのか。

疑問に思わない訳では無いが、しかし何故だかどうでも良く思えるのだ。



『──────!』



ふと、何か聞こえた気がした。

水の入った巨大な水槽を叩いた時のような濁った振動が体を、脳を揺らす。

誰だろう…………。

声が遠すぎて分からない。





『──────きて!』





…………聞き覚えがある。

この声…………誰だ………?

薄れ溶けかけていた少年の意識が僅かに形を取り戻し、それに伴って瞼が薄らと開く。

まだ明確な意思が篭っていない紅の瞳は漆黒の天井を無言で見上げる。



『──────起きて!』




"起きて"…………?

まさか、この謎の声は惰眠を貪る自分を叱咤するため、脳内が勝手に作り出した幻聴のような類いなのだろうか。

だが申し訳ない。

体が動かないのだ。

どうしても、何をしても。

もう少し…………眠っていたい。

どこからともなく聞こえてきた声の奮闘も虚しく、再び少年の意識が深い沼の底に沈んで────────。




『─────()()っ!起きてなの………!』



「ッ!!」




瞳が完全に閉じる寸前、鼓膜を打った必死の呼び声が()を引き止めた。

目をカッと見開いた瞬間、記憶と思考を鈍らせていた霧が一気に晴れたように感じた。


声の正体はすぐに分かった。

この世界で、俺の事を「パパ」と呼ぶ子なんて一人しかいない。

何故、スゥの声が聞こえてきたのか。

ここは一体どこなのか。

今はそんなの心底どうでも良い。

娘が呼んでいるのなら、父親はどこに居ても真っ先に駆けつけなければならないのだ。




「──────スゥ!」




娘の名を叫ぶと共に、俺の体から溢れ出した光が暗い世界を染め上げた。







         ◇◆◇◆◇◆






「…………………ぅ………」




覚醒した意識が急激に浮上する感覚。

僅かに持ち上げた瞼の隙間から眩しい日差しが零れ落ちてくる。

暖かい。

優しい木漏れ日と、感覚の戻ってきた肌を撫でる心地よいそよ風…………俺が好きな春の気配をたっぷりと含んでいた。

後頭部に感じる柔らかい感触は何だろう…………。

まだ鮮明には程遠い脳内でのっそりした思考が巡り、それを確かめるためにゆっくりと瞼を持ち上げた。

まず視界に入ったのは、目尻に涙を浮かべてこちらを見下ろす幼女の姿。



「──────パパっ!!」

「ぐはっ!?」




感極まった様子の幼女─────スゥが太陽のような眩しい笑顔を浮かべて抱きついてきた。

父親としては大変嬉しい限りだが、その拍子に頭部を支えてくれていた何かから転げ落ちてしまい、後頭部が思いっきり地面に叩き付けられた。

唐突な痛みに悶え苦しみたいのを我慢して、首に腕を回しがっちり固定して動かなくなったスゥの頭を優しく撫でる。



「……………おはよう、スゥ」

「むぅ〜。とってもとっても怖かったの…………パパがもう起きてくれないかも、って………」

「そっか…………ごめんな。ありがとう」

「ん…………パパの娘だから、当たり前の事をしたまでなの」



ずびっと鼻水をすすりながら涙目で零した決め台詞。

あらやだ、うちのスゥちゃん男前すぎない?

こりゃあ同年代の男の子だけじゃなく女の子からもモテそうだ。

そんな親バカ発言はさておき。


俺はスゥを抱えながら上半身を起こして辺りを見回す。

てっきり辺り一面に広がるのどかな草原のような場所をイメージしていたのだが、どうやら先程の木漏れ日や春風はハリボテも良いところだったらしい。

それらが恩恵をもたらしているのは、この半径五メートル程の小さなドーム状の空間の中だけ。

それより外は、景色がパズルのピースのように崩れさりこの世の終わりのような赤黒い世界へと変貌していた。

薄緑の境界線で別れた二つの世界は、まさに「天国と地獄」と 言うべき正反対の景色を俺に見せつける。



「スゥ、ここがどこだか分かる?」



あらゆる探知能力が機能しない。

そんな摩訶不思議な空間のことをスゥが知っているとは思えないものの。

なぜ俺だけでなくスゥもこの場にいるのか。

もしかしたら何か知っているのではと、一縷の望みを込めた俺の問いに、しかしスゥは可愛らしくこてんと首を傾げた。

どうやら知らないらしい。

まぁしょうがないよな…………と、納得しかけた俺を見つめながら、スゥはさも当たり前のように。



「たぶん、ママのお家の近くなの」

「なっ…………!?」



何気なく出たスゥの言葉に声を失った。

ママ…………つまりスゥを俺に託した、()()の家の近くがここだと言うのだ。

一瞬だけ頭が真っ白になり、動きも思考も止まった。

もしそれが本当なら…………いや、スゥが言うから間違いないのだろう。

やっと、彼女に───────。





「──────スゥ………?」





背後から響いた声には驚愕と…………あとは戸惑いだろうか。

様々な感情が含まれているものの、相変わらずの優しさと暖かさに満ちた音色で俺を動揺させる。

隣でスゥの肩がビクッと跳ねた。

引っ込みかけていた涙が再び決壊して頬を伝う。

…………そりゃあそうだ。

こんなにも幼い子が、唐突に片親と離れ離れになってしまったのだ。

本当はずっと寂しかったに違いない。

それでもあんなに明るかったのは、きっと心配をかけたくなかったのだろう。

傍で暮らしていた俺達にも、そして今までずっと愛を向けてくれていた母親にも。

強い子だ。

スゥは俺の元から名残惜しそうに離れると、精一杯の笑顔を浮かべて背後で立ち尽くす声の主の元に駆け寄った。




「──────ママっ!!」






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