襲来
・△月□日
「………………今日もミリアちゃん、お部屋から出てきませんね」
「だね」
俺の首筋から口を離し、ペロリと唇を舌で舐めたリーンが心配そうにミリアが籠る部屋の方を見てそう呟いた。
ここ数日、ミリアは何度声をかけても部屋から出てきてくれないのだ。
あの鍛錬の日からずっと。
一応ご飯は食べてくれてるっぽいけど、声を聞くのすら稀だしね。
そんなに俺を傷付けてしまったことに負い目に感じているのだろうか。
仮にそうだったとしたら、別に全く気にしなくていいのに…………。
──────────たったこれを言うだけで解決出来たらどれほど簡単か。
現実はそんなに甘くない。
どうやら俺が思っている以上に、ミリアが受けた心の傷は深いらしい。
こういう時に何も出来ないってのは実に歯痒いな………。
「……………リーンもごめんな」
「いえ、たしかに私だって関係を進展させたいですが、今はこれで───────いえ、今はこれが良いんです」
もう少し待ってみましょう、と正面から俺を抱きしめたリーンがそっと唇を重ねた。
慈しむような甘美な刺激に身を委ねてしまう。
しかし、その傍ら。
……………ただでさえミリアにあんな思いさせたのに、リーンにも我慢してもらってるとか自分の情けなさが嫌になる。
「こらっ」
「いへへ………」
ぷくぅ、と可愛らしく頬を膨らませたリーンに頬を引っ張られ、強制的に思考の沼から引き上げられた。
「そうやって、また一人で抱え込まないでください。第一、維持を望んだのは他でもない私自身です」
自分で言うのもなんだが、あれだけ俺と結婚したいと言っていたリーンがある日突然、しばらくは今の関係……………つまりこの押し掛け妻のような歪な関係のままが良いと話したのにはとても驚いた。
当時はまさか俺がヘタレすぎてついに嫌われてしまったかと相当焦ったが、詳しく聞いてみると幸いにもそんな事はないらしく。
むしろ今すぐ"ピー(自主規制)"とか"ピー(自主規制)"とかしたくて堪らないけれど、どうしても待っていたいそうだ。
「そもそもご主人様?色恋沙汰にうつつを抜かすのは構いませんが、今は溜まったお仕事を片付けませんと」
「おっしゃる通りで……………」
すとんとソファーに腰を下ろすのを横目に、リーンがどいたことによって姿を現した書類の山を苦い顔で見つめる。
実はこれ、全て冒険者ギルドの業務に関する書類なのである。
なぜそんな物が我が家にあるかと言うと、"破邪の魔王"や〈無効貫通〉について調べてもらうに当たって、対価としてこれを手伝う事になったのだ。
そう、この世は等価交換。
何の見返りもなくあれだけの情報量を引き出せる訳が無い。
そりゃ圧倒的にシゼルさんの仕事量増やしちゃいましたもんね、これくらいであったら喜んでお手伝いさせていただきます…………。
本来ならこの二倍の量があったのだが、そこはさすがにシゼルさんが半分やってくれた。
既にへとへとなのに、いつもこれを一人でこなしているシゼルさんが恐ろしすぎる。
………………………さて、休憩終わり、っと。
ソファーに預けていた体を起こしてストレッチし、改めてペンを片手に書類を書き進める。
なんとかミリアが部屋から出てくるまでには終わらせて、せめてかっこよく出迎えてあげたいな。
まぁまた「カッコつけんな!」って蹴られるかもしれないけど………………それもまたミリアらしくて良いだろう。
◇◆◇◆◇◆
暗闇の中。
ここはどこだろう………………て言うか、何してたんだっけ……………。
頭がぼーっとしてる。
誰…………?
ぼやける視界と意識が鮮明になるにつれて、こちらに手を伸ばす何者かの存在に気がついた。
温かい。
しかし、泡沫のように朧気で、触れれば消えてしまいそうな淡い雰囲気だ。
少し躊躇しつつ、でも我慢できなくてそっと手を伸ばす。
近づくにつれ徐々に明らかになっていく相手の姿、気配、声。
全て覚えがある。
恋しくて、でももう二度と会えない──────────。
「お母さん…………?」
やっと露わになった瞳が交わった途端。
手と手が触れ合う直前。
震える唇を開き、そう声に出した瞬間。
二人の間に業火が立ち上り、問答無用で行く手を遮る。
「っ!」
気づいた時には四面を荒れ狂う紅の業火で覆われていた。
これも見覚えがある…………。
忌むべき記憶。
あの恐ろしい夜見た景色に酷似している。
それを意識した途端に、周囲の暗闇が一転してパチパチと火花を散らして燃え盛るどこかの村に変化した。
しかし、非情にも静寂は変わらない。
「…………ぁ………ああ……………!」
トラウマがノイズと共に脳裏に蘇り、ミリアは頭を抱えてその場に踞る。
何も残っていない荒野と化した大切な村。
いくら大声を出しても誰一人として返事をくれない孤独の中、虚無感のまま傷だらけで歩き回った。
やっとたくさんの人が助けに来てくれたと思ったら、待っていたのは真逆であんまりにひどい仕打ち。
しかし、ミリアは折れなかった。
復讐を誓ったからだ。
皆を…………大切な故郷を滅ぼした"破邪の魔王"を許さない。
その一心で全て耐えてきた。
───────────────でも。
「ミリア」
「────────っ!」
今、一番聞きたくない……………だけど聞きたかった声が背後からかかる。
反射的に振り返ると、そこには揺れる炎の向こうで背を向け佇んだマシロの姿。
右半身が顔に至るまで赤黒い血で濡れている。
マシロに相対するのは黒い影で、朧気に見える輪郭はあの夜、空に見た影と酷似しており───────。
マシロがほんの少しだけ振り返り、後ろ目にミリアを捉えた。
こんな時に限って声が出ない。
恐怖の震えだけじゃない。
何かを言おうと口を開きかけた瞬間。
マシロが微笑んだと同時に炎に飲まれた。
「いやああああああああーーーっ!!」
ガバッと目を見開いて最初に捉えたのは、机に立てかけられた銀色の片手剣だった。
ぼやける視界を手で拭うと水滴が指についた。
夢…………。
どうやら寝てる間に相当暴れたらしく、枕も布団もかなり荒ぶっていた。
パジャマや髪の乱れ具合もすごい。
あの夢を見たのは何回目だろう。
呆然と体を起こし、ベットの端に座りながら机の隣の姿見を見つめる。
「……………酷い顔ね………」
ここ数日ずっと籠りっぱなしで、お手入れやケアなんて一回もしてなかった。
泣き腫らした目は薄ら赤く充血していて、涙のあとが残った頬と自嘲するような表情が相まって、完全に女の子がしてはいけない顔になっていた。
あはは……………今さら、何を考えてるのかしらね。
枕元のくしを手に取り、本当なら時間をかけて丁寧にやるとかしも雑に済ませて立ち上がる。
もうこんな状態で自分に嘘をつくのは不可能だ。
彼がくれた剣に触れ、自嘲気味な笑みを漏らす。
「散々殴ったり蹴ったりしておいて、今さらあいつが傷付くのを見たくない…………?何言ってるのかしら、私」
もう、全てがよく分からなかった。
あの時、自分の剣によってあいつが傷付き、血を流してしまったのを見て…………………悲しかった。
心臓がきゅっと締め付けられて、過呼吸みたいに息と心拍が上がって。
なんで……………。
誰かを傷付けることが怖い?
たしかにあいつは憎たらしいほど頑丈だから、スキルを使わないと傷なんてつけられない。
だから安心して(?)殴ってた?
違う。
もう嘘をつくのは辞めると決めたはず。
私は…………………"あいつが"傷付くのが怖かったんだ。
他の誰でもない、"あいつ"だったからこそ────────。
ヴヴッ!
突如、窓の外で膨大な漆黒の閃光が迸った。
続いて大きな衝撃が家を揺らし、地響きを立てる。
この光は………………!!
急いで窓辺に駆け寄って村の方を見ると、そこには不可思議な光景が広がっていた。
空には太陽に被るように漆黒の塊が浮かんでおり、何やら村を覆う透明な結界とぶつかり合って火花を散らす。
今度こそ夢じゃない。
あの魔力……………"破邪の魔王"に違いないわ!
過去一度だけ、ほんの一瞬捉えたおぞましい魔力。
忘れるはずがない。
忘れるものか。
漆黒の塊はしばらく結界と衝突していたものの、やがて突破するのを諦めたのか近くの丘の上に降り立った。
あれ、やっぱりあいつの仕業よね……………。
あんな馬鹿げた結界を張れるとしたら、少なくともこの家の住民くらいだろう。
私の故郷みたいにカディア村まで破壊されなくて良かった。
それに、"破邪の魔王"が降りたところも場所的に好都合だわ。
今から向かえばまだ間に合う。
眼下から聞こえてくる悲鳴を耳に刻み込み、私はすぐさま片手剣をむんずと掴んで窓から外に飛び出した。
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