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第3話 ヴァレリヤ2

 それから1年経った。


 その間に大きな出来事が2つあった。


 僕は屋敷の廊下にあるぴかぴかに磨かれた窓から、そっと外を窺う。

 そこから見えるのは貴族や大商人の大きなお屋敷と駆け出し商人や平民の小さな家が雑多に混在しており、外国から来た行商人などもそこかしこに行き交うどこか混沌としつつも活気と熱気に満ちた商業都市、ヌベール。そこにある家令セドリックの屋敷だ。


 去年まで僕がいたのはボルドー大公国の首都であるリヨン、その中央部にあるウェイトリー伯爵家の屋敷だった。そこで父様母様兄様と住んでいたのだが、今年になって突然僕だけここヌベールに行かされる事になった。

 父様はあいかわらず不機嫌そうに眉間にしわを浮かべるだけで何を考えているのか良く分からなかったけど、その事を聞かされた母様と兄様が晴れやかな笑顔を浮かべた時


 ――僕は家族から追い出されるのだ


 そう自覚した。


 家族に愛されているなどと思ったことはないけれども、嬉々として追い出されるとまでは思っていなかった。いや、思いたくなかったのかもしれない。僕も家族として認識されていると、思いたかったのかもしれない。


 商業都市ヌベールに屋敷を用意し与えるので、僕の監督と世話にセドリックも付いて行くように言われたときの彼の絶望感に満ちた表情は今でも覚えている。


 僕の巻き添えで父様の重臣としての地位から転落したと、僕のせいで人生を狂わされたと、セドリックは顔を合わせるたびに何度も何度も僕を罵倒した。加護まで頂き若くして家令となった彼は、将来的に爵位を賜ることも夢ではないと考えていたが、加護無しで落ちこぼれの僕に足を引っ張られて転落したのだと。僕はセドリックに嫌われているとは思っていたけど、それが憎悪と言える様な感情に変わったと感じたのはこの頃だ。


 胸のずきずきとした痛みと頭のきりきりと締め付けられる様な圧迫感は、年々酷くなっていた。


 ――みんなみんな加護加護加護加護


 女神様に頂く尊い御力だが、それほど大事なものなのか。きりきりとした頭痛とともに、どろりとした感情が胸から溢れてくるのを止められない。これが女神様の意思だとでもいうのか。はたしてそんな女神は必要なのだろうか。


 こんな不平等と差別を生み出す存在を女神だなどと崇める必要があるのだろうか?


 そして、そんな女神を崇める人達は道を誤っているのではないだろうか?


 そんなことを考えていると、正面からスーツを一部の乱れも無く着こなす怜悧な表情の青年――セドリックが歩いてくるのが目に入る。セドリックの事を考えているとこれだ……。自然と目を合わせないように視線を落としてしまうが――


「なにをこのような所うろついているのですか、この悪魔が」


 嫌悪感で顔をゆがめ、攻撃的な感情をあらわにするセドリック。

 彼は自分の権力の座からの転落をもたらした僕を、昔から女神様に仇なし人々に不幸をばらまくと考えられている存在――悪魔などと呼ぶようになった。まぁ、役立たずとか無駄飯ぐらいとか、その日の気分でいろいろ呼ばれているけど……


「なんとか言ったらどうですか?」


 思わず身を竦めてしまい何を口にすればよいか迷っていると、ツカツカと近づいてきたセドリックの右拳が僕の腹部にめりこんだ。


「ぐっ……」


 反射的に落ちる顔に向かって振り上げられるセドリックの膝。


「貴様のせいで、私は伯爵閣下の側近から外された! あの執事ディオンの勝ち誇った顔! 何故私があんな無能の中年に見下されないといけない! 貴様の! 貴様のせいだ!」


 倒れ込んだ僕をセドリックは何度も何度も蹴りつける。


 セドリックのその激しい感情は、ついに暴力に訴えるようになっていた。

 加護持ちだが平民の彼と、加護無しの家族に見捨てられた伯爵家の次男、では世間は彼の方に味方するらしい。現に、侍女や従者は床に転がされ蹴りつけられる僕をくすくすとあざ笑いながら通り過ぎていく。


 惨めだった。


 どうして僕がこんな目に合わないといけないのだろう。兄様やセドリックだけではない、彼女以外は誰も僕の味方にはなってくれない。女神様が僕をこんな目にあわせようとしているのではないか――、振り払っても振り払ってもその考えが再び頭をもたげてくる。


 セドリックは最後に思いっきり蹴り飛ばすと、吐き捨てるように言った。


「貴様のせいで私の人生は狂ってしまった! 殺してやりたいくらいだよ!」


 憎々し気なその表情からすると、セドリックはその機会があれば本当に実行するだろう。父様や母様ももしかしたら反対しないかもしれない。


 でも、セドリックが加護持ちでもそれは出来ない。いくら加護持ちであることを前面に出して正当化を主張しようとも、殺人が許されることは無い。

 何故なら、グレゴリウス法典によって殺人は禁じられているからだ。


 ――グレゴリウス法典


 200年くらい前の教皇グレゴリウス3世猊下によって制定された法典だ。法典が制定される以前は自分勝手な祝福持ちの勝手な殺人や他派閥への弾圧などが後を絶たず、犯罪や戦争が絶えない時代だったらしい。それを嘆いたグレゴリウス3世猊下があらゆる法律の上位にある女神様の教えとして、法典を制定した。それがグレゴリウス法典だ。グレゴリウス3世猊下は4柱の女神様の祝福を頂いてたというし、その後の歴代の教皇猊下は全てグレゴリウス法典を承認しあらゆる信徒が守るべきであると定めている。

 

 そこらへんの祝福持ちなどが相手では、発言の正当性にも雲泥の差があるのだ。


 それに、事件を捜査する騎士も大抵は加護持ちであることが多い。セドリックでも正当化も隠蔽も難しいだろうし、法典を破ったことが明るみに出ると女神の教えを破った邪教の信者として様々な拷問が待っているという。そして優秀な彼は、その辺りを正確に理解しているだろう。だから――


「……チッ」


 セドリックはいくら憎くても本当に僕を殺すことは無い。

 憎々し気に舌打ちをすると、早足に来た方と反対方向へと遠ざかっていくセドリック。


 ……僕は女神様の祝福の事を考えると、どうしようもなく不遜で罰当たりな感情が胸から溢れてくるのを止められない。母様や兄様といいセドリックといい、女神様の祝福を持っていないからと見下され酷い目にあわされてきた。しかし今、僕への殺意にも似た憎悪をあらわにするセドリックから僕を護っているのも、グレゴリウス法典という4柱の女神様の祝福を背景にした権威だ。


 女神様の祝福によって僕の人生は弄ばれている――、そんな考えが頭から離れてくれないのだ



◇◇◇◇◇



 僕は痛む体を引きずりながら、部屋へと向かっていた。


 部屋へと行けば彼女が――ヴァレリヤが待ってくれている。


 そう、ヌベールにはヴァレリヤも付いて来てくれていた。リヨンの屋敷にもここヌベールの屋敷にも僕の居場所なんて無い。ヴァレリヤがいてくれることだけが僕の救いだった。


 毎日辛いことばかりだけど、そんな時に浮かぶのはいつだってヴァレリヤの笑顔。彼女がいるから耐えられる。ヴァレリヤだけは僕の味方になってくれる。ヴァレリヤが付いて来てくれたのは、父様や母様からすれば獣人の奴隷を屋敷に置いておきたくないだけだったのかもしれないけど、それでも僕は構わなかった。


 自分の部屋に向かう角を曲がろうとすると、部屋の方からおそらく侍女達だろう、女の人の声が聞こえてきた。


「目障りなのよあなた! ろくに仕事も出来ないくせに!」

「魔物臭い獣人のくせに、あの役立たずに媚び売って何しようってのよ!」

「その身体で誘惑したっての? 汚らわしい!」


 数人の侍女たちが誰かを責め立てる声が聞こえてきて、思わず眉をしかめる。


 とはいえ誰かなんて分かり切っている――ヴァレリヤが他の侍女達から責められているのだ。彼女達は僕のことを馬鹿にしてくるくせに、僕と仲の良いヴァレリヤが気に入らないようで何かと酷い事をしてくるのだ。正直理解できない。


 でも、これもいつもの事だった。

 僕がセドリックから酷い事をされているように、ヴァレリヤも他の侍女達から同じような事をされているのだ。仮にも伯爵家の次男である僕に直接酷い事を出来るのは加護持ちであるセドリックだけなのに対して、獣人の奴隷で立場の弱いヴァレリヤが受ける仕打ちは、僕よりもさらに輪をかけて酷いものだった。


 僕はいつの間にか拳を強く握りしめていた。


 悔しい。どうしようもなく悔しい。

 この世の中はどうしてこうも理不尽なのだろう。


 僕の心を救ってくれたヴァレリヤがどうしてこんな仕打ちを受けないといけないのだろう。僕も彼女も周囲に何も望んでなんかいない。何事もなく心穏やかに過ごしていたいだけなのに、どうして女神様はそれさえも許してくれないのだろう。


「なにをしているの?」


 僕は耐え切れず、角を曲がり侍女たちに声をかけた。

 はっと振り返る侍女たち。その向こうで俯いて心無い言葉に耐えていたヴァレリヤが、顔を上げほっとした笑顔を浮かべるのが見えた。


「アレス様……」


 ヴァレリヤをあんなに強く責め立てていた侍女たちは、僕が声をかけるととたんに静かになった。

 

 彼女たちは僕に敬意なんか持っていない。むしろ見下してさえいるが、セドリックの様に加護持ちでもない彼女たちが伯爵家次男である僕に対して正面から強く出ることは難しい。普段はろくに視線も合わせてくれないし完全にいないものとして扱われているが、こんな僕でも辛い立場のヴァレリヤを庇う事くらいは出来るのだと思うと、嬉しい気持ちがこみあげてくる。


「……あなたたち、行くわよ」


 侍女の1人が他の侍女に声をかけ、立ち去っていく。

 残されたのは僕と、ホッとした表情でこちらに駆け寄ってくるヴァレリヤだけ。


 ヴァレリヤは出会ったころに比べると、さらに美しくなっていた。


 背は昔よりも高くなりその輝くような小麦色の手足はすらりと伸び、どこか可愛らしい少女の雰囲気を残していたのが、全体的に大人の女性の色香を感じるようになっていた。肩より長い程度だった金髪は、背まで伸びさらさらと絹糸のような艶を感じさせ、その大人っぽい印象を強めているように感じられた。


「アレス様、お召し物が汚れています……よく見ればお顔も。またセドリックにやられたのですね……。お助けできなくて、すみません……」


 ヴァレリヤが僕をぎゅっと抱きしめる。以前は抱きしめられると僕の顔は彼女の胸に挟まれるような格好になっていたが、今は僕の背はヴァレリヤと同じくらいになっていた。


 僕もそんなヴァレリヤをそっと抱きしめ返す。


「僕の方こそ、早く助けてあげられなくてごめん……」


 抱きしめ返すと、恐怖で強張っていたのかヴァレリヤの体から力が抜けてこちらに体重をかけてくる。

 ヴァレリヤを助けることが出来たという満足感と、そんな彼女から頼られているという幸福感で、じんわりと胸が熱くなってくるのを感じる。慢性的にずきずきとした痛みを訴えてきている胸と頭は、今は全く気にならなくなっていた。


 どちらからともなく僕とヴァレリヤの唇が近づき、軽い口づけを交わす。


 ――そう、この1年で変わったことのもう1つ。僕とヴァレリヤは恋人になった。周囲から疎まれお互いにお互いを必要としていた僕たちは、いつの間にかお互いを求め男と女の関係になっていた。


 軽い口づけから、舌を絡め貪るような濃厚な口づけへと変わっていく。


 舌と舌が絡み合い唾液と唾液が溶け合う。とろんとした表情のヴァレリヤを見ていると、胸から愛しい気持ちがあふれそうになり、頭はヴァレリヤの事しか考えられなくなるのを感じる。


 僕は抱き合ったまま部屋の中へと入り、奥のベッドへとヴァレリヤを誘う。


 世界から弄ばれ酷い目に合わされてばかりの僕達だけど、僕達はお互いがいればそれだけで十分だった。お互いに依存している、と頭では理解してはいたが、それでも僕たちは幸せだったのだ。

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