閑話 アルマン・ベロー1
この話が、一番書きたかった話だったりします。
拒否反応を持つ方もいらっしゃると思いますので、苦手だな、と思われたらブラウザバックをお願いします。
その日は、いつになく静かな夜だった。
アルマンは、セドリックの屋敷の2階のベランダから、屋敷の庭を見るともなしに見下ろしていた。
ウェイトリー伯爵家筆頭使用人である家令セドリックの屋敷に常駐している騎士アルマン・ベローは、ウェイトリー伯爵家の騎士団で将校を務める騎士だ。男爵家次男でもあるため品の良い優し気な雰囲気を持つ壮年の男で、その体躯はよく鍛えられており程よく引き締まっていた。年齢は40をこえ衰えを感じる歳になってはきたが、実力と経験を兼ね備えた壮年の騎士といえる。
それゆえ、実力と人望を兼ね備えたベテラン騎士として騎士団長や主であるウェイトリー伯爵からも信頼されており、それゆえ家令でもあるセドリックの屋敷の警備を任されていた。
「アレイスター様は、まだ帰らぬのか……」
ひとり、ぽつりと呟いた。
すでに月が天頂から下りだした時間で、いつもならすでにとっくに警備の引継ぎを終わらせて就寝している時間だったが、気になることがありまだ起きて見回りをしていた。
昨日の昼にセドリックから用事を言いつけられ外出した伯爵家次男のアレイスターとお付きの女中のヴァレリヤが、まだ帰ってきていないらしいのだ。セドリックに報告はしたものの、「放っておけ気にするな」の一点張りで気にするそぶりも無いし、部下のバスチアンに聞いても「そのうち帰ってくるっしょ」とにやにやするばかりで真面目に取り合おうともしない。
「……はぁ」
思わずため息が漏れる。
伯爵家次男アレイスターの置かれている境遇については、アルマンはもちろん把握していた。しかし自分は貴族の末席に名を連ねているとはいえ、騎士だ。主家の家族関係に介入するなど騎士の領分を超えていると思い、見て見ぬふりを続けていた。その結果が、帰ってこないアレイスターとそれを気にもしない家令と騎士達、という結果なのだろうか。
身分をわきまえぬと思われようとも、口添えするべきだったのだろうか?
そんな事を考えていると、屋敷の門の前に人影が見えた。
「あれは……アレイスター様か? それと、連れの少女は誰だ?」
その人影は、たしかに伯爵家次男アレイスターその人だった。その隣には、見たことの無い銀髪の美しい少女。
恋人か? と脳裏をよぎるが、アレイスターは女中のヴァレリヤと恋仲だったはずだ。では誰だ、こんな時間に? そもそもヴァレリヤはどこだ? アレイスターがヴァレリヤを放置して自分一人で帰ってくるとは考えにくい。
などとアルマンが考えていると、2人の門番が下品な言葉でアレイスターをからかう言葉が聞こえてきた。人通りも無い静かな夜では、良く声が響く。
仮にも主の子息に対する言葉遣いか、と呆れていると、アレイスターが右腕を無造作に振るのが見えた。
悲鳴が上がり、1人の門番の右腕が斬り飛ばされ鮮血が舞う。
「……なに?」
両目を驚愕に見開き、ベランダから身を乗り出すアルマン。
暗さのため良く分からなかったが、アルマンの目にはアレイスターの右腕がなにか人の身長よりも長く伸びる触手――海に住むというタコだかイカだか言う不気味な軟体生物の腕に変わったように見えた。
決して、人間に存在する器官ではない。
「にゃる しゅたん! にゃる がしゃんな!」
アレイスタ―が両腕を振り上げ、聞いたことの無い言語でなにかを叫ぶのが見える。
すると、アレイスターの頭上にこの世界が――女神の祝福に満ちたこの世界が切り裂かれた様な漆黒の亀裂が走り、そこからソレは現れた。
「なんだアレは!」
思わず、悲鳴のような言葉が口から飛びだしていた。
ソレは、この世の物とは思えない、名状しがたい何かだった。
てらてらと光る肉の塊、としか形容が出来なかった。
そこから長い鉤爪の付いた、腕のような肉の器官が伸びている。長い腕以外にも短い触手のような器官が無数に伸びており、それは足の役割を果たすのだろうか、胴体の下でうぞうぞと蠢いていた。
そして胴体の上には短い触手に囲まれた円錐形の頭らしき器官が乗っており、その正面には目なのだろうか、がらんどうの窪みが闇をたたえたような昏い輝きを放っていた。
ぞくり――とした。
伯爵家当主にも覚えめでたい熟練の騎士である自分が、まるで年若い少女のような悲鳴をあげたくなる様な感覚。
あれは――ちがう。
外壁に囲まれた都市の外には、魔物と呼ばれる化物たちが闊歩している。
しかし、それは二足歩行し知恵を持つ豚だったり、角を持つ狼や、翼を持ち火を吐く巨大な蜥蜴など。それらは通常の動物たちが女神様達の加護の恩恵を受け、進化した姿だと言われていた。アルマンは学のある方ではなかったが、魔物が通常の動物から進化した存在であることは、その外見からも容易に想像できることだった。
しかし、ソレはこの世界のどんな生物とも似ても似つかない。
まるで冒涜的な、この世の外側――女神様達の恩恵の及ばない異界からやった来たかのような。
それは周囲を睥睨するかのように身じろぎし、声を発した。
しゃがれた老人のような声で、その声は不可思議な響きを持ち、何を言っているのか分からないのに言っていることが分かる不思議な感覚。
「わのれな は にゃるらとほてっぷ。よよいる だな。にたえちよ。」
それはニャルラトホテップと名乗った。
これまで聞いたことの無い響きの名前。
それが長く伸びた腕を振るうと、門番の1人が上半身が吹き飛んだ。
鮮血を吹き出し、門番の下半身が血だまりに倒れる。
思わずアレイスターの方に視線をやると、暗がりに加え距離もあるため表情までは見えなかったが、良心の呵責に耐えるかのように俯いているように見えた。
「あ~っ、ニャルちゃんもアレスもずるい! わたしもやりたい!」
アレイスターの連れの少女が、場違いな明るい声で声を上げると、胸元から何か――ペンダントだろうか、を取り出した。
「ふんぐるい むぐるうなふ!」
少女はこれから楽しい遊びを始めるのだと言うように、無邪気にくるくると回る。
口ずさむのは、先ほどのアレイスター同様に聞いたことの無い言語。
「いあ! いあ! はすたあ!」
少女が、高らかに叫ぶ。
するとその頭上にも、アレイスターの時と同様の漆黒の裂け目がばくんと口を開ける。そして、そこから現れる存在――
「またかッ!」
思わず叫んでいた。
それもまた、アルマンがこれまでの人生で見たことの無いような存在だった。
ニャルラトホテップと名乗った存在と比べ、ソレは直立する蜥蜴のように見えた。
しかしながら、その全身はうぞうぞと蠢く触手が絡み合った集合体の様であり、その形が遠目で見ると蜥蜴のように見えた。本来その瞳と口があるであろう場所には、深い深い暗闇が顔をのぞかせており、そしてその全身には服なのだろうか、黄色のぼろ布を纏わりつかせていた。
その存在が少女の上に、覆いかぶさるように降りてくる――
(喰われるッ?!)
アルマンは反射的にそう思った。
少女をまるで取り込もうとするかの様に覆いかぶさる、触手の塊のような蜥蜴。
その蜥蜴の怪物は、少女の上で脱力した様に覆いかぶさっていたが、アルマンが感じたように少女を食べようとする雰囲気は無かった。
アルマンが固唾をのんで見守っていると、ニャルラトホテップはその蜥蜴をハスターと呼んだ。ニャルラトホテップと同等の能力をもつ存在であるとも。
そこから起きたことは、アルマンの理解を完全に逸脱していた。
「よろ」とこちらもまたしゃがれた声で挨拶だろうか、声を上げたハスターをその少女が「かわいいかわいい!」と黄色い声を上げて抱きかかえようとしたのだ。
それは信じられない光景だった。
少女に覆いかぶさったのは、この世の物とは思えない紛れもない化け物。それをかわいいを連呼しながらじゃれあう少女こそが、アルマンには理解できない存在に見えた。
「くそおっ、何なんだよ、オマエらは!」
片腕の門番が叫び、連絡用の呼子笛を吹いた。
甲高い音が響き渡り、階下でばたばたと人の気配がしてくる。
アルマンは、これで兵も起きだしてくるはずだ、と身を引き締めた。驚いてばかりはいられない、彼はこの屋敷の警備を率いる身なのだ。
「アルマン様! これは何事ですか!」
鎧を身に付けながら、配下の騎士ロイスが駆けてくる。まだ若いが、なにをやらせてもそつなくこなす優秀な男だ。
「正体不明の化け物の襲撃だ。迎撃にはバスチアンが出るはず、お前は手近の兵を率いてセドリックの周辺を固めろ」
ロイスの表情が引き締まる。
「正体不明の化け物? 未知の魔物ですか?」
「分からん、見たことも聞いたことも無い化け物だ。それに、なぜかアレイスター様が同行している様に見える。アレイスター様に傷をつけてはならん」
アルマンが言うと、ロイスの表情が困惑に変わる。
「申し訳ありませんが、状況が良く……」
「安心しろ、私も全くわからん。セドリックとアレイスター様の身を守ることだけ考えてくれればいい。アレイスター様に少女が同行しているが、こちらは何処の誰か分からん。最悪、見捨ててもいい」
アルマンは少女に申し訳ないと思いながら、見捨てても良いと指示を出す。
市民を護るのは騎士の仕事だが、どういう状況なのか全く分からないのだ。護衛対象のセドリックと伯爵家子息のアレイスターを護るので精一杯、どこの誰か分からない少女の身の安全を護る余裕はなかった。
「ハッ、セドリック様の周囲の警護にとりかかります!」
ロイスは右の掌を相手に向け胸の前に当てる、騎士の敬礼をするとセドリックの屋敷に駆けていく。
アロイスへ答礼を返し、自分も行動に移そうと思ったとき、眼下のハスターと呼ばれた蜥蜴の化け物が何事か呟くのが聞こえてきた。
「……こよ、こよ、わがぼげく びやーきー。あい あい はすたあ」
化物の周囲の空間がゆがみ、それは現れた。
――異形の軍勢
そう形容するしかなかった。
蠅のような蟻のような蝙蝠のような、異形。
その大きさは成人男性ほど。蟻の様な巨大な腹部を持ち、蠅のような透明な羽が何枚も生えていた。しかしながらその顔は蝙蝠のようで、しかも普通の蝙蝠よりさらに鋭角的で凶悪な相貌だった。
ハスターはそれを、我が下僕ビヤーキーと呼んだ。
ビヤーキー、それがあの蠅の化け物の名前なのだろうか?
そして、その異形が数十体同時にあらわれると、門番に襲い掛かったのだ。
「ぎゃあああああああああっ!」
アルマンが見つめる中、哀れな門番は左腕・右腕・左脚・右脚を一瞬で喰いちぎられた。残された部分にもビヤーキーはまるで飢えた獣のように群がっていく。
「……うぷっ」
思わず胃からせりあがって来るものをこらえる。
ここまで響いてくる、肉を齧る音と骨を噛み砕く音。
目の前であわれな門番たちは生きたままビヤーキーに食べつくされ、肉の一かけら骨の一本も残さず血の海だけが残された。アルマンは、石造りの手すりを握る手の平がじっとりと汗ばんでくるのを感じた。
それを「すごいすごい!」とはしゃぎながら歓声を上げている少女が、アルマンは何を言っているのか理解できなかった。
人が死んでいるのだ。
それも、見たことも無い異形の化け物たちに生きたまま食べられるという、人としての尊厳を踏みにじるような死に方で。
「では、われは くんだの しつじ が にげさだよぬう、うてらに まるわのじゃ。あれす・せら と はしゅ は しょめうん から いがくよい」
自らは裏手に回るから他の者は正面から行け、と宣言するニャルラトホテップ。
はっ、と身を起こすアルマン。
裏には使用人や商人が出入りする出入口がある。
ここには公都リヨンにあるウェイトリー伯爵の屋敷のように、脱出用の通路などない。正面にあのハスターやビヤーキーがいる以上、裏に回られると脱出することが出来なくなるのだ。
アルマンは踵を返すと、階下に向かって走り出した。




