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第12話 加護有と加護無

「きゃああっ!」


 紅い鮮血が舞い、獣人の店員が悲鳴を上げる。


 店員の女の人は鮮血とともに崩れ落ち、周囲のお客たちが悲鳴を上げる。


「剣を振るったぞ!」

「いやああああっ!」

「衛兵だ! 衛兵を呼べ!」


 上がる悲鳴。


「何をやっているんだ! こんな場所で剣を振るうなんて!」


 僕も思わず立ち上がり、叫んでいた。

 太った男を睨みつけたが、男はにやにやとこちらを伺っているだけだった。


「エレーナ! エレーナ!」


 店の主人が、女の人のものだろう名前を叫ぶのが聞こえる。

 その必死な様子からは、奴隷だと言ってはいたが彼なりに彼女の事を大事にしていたのであろう事が伺えた。


「…………あ、マスター……」

「喋るな! すぐに加護持ちの方の所に連れて行ってやる!」


 傷が深いのだろう、息も絶え絶えに呻くエレーナに、主人が呼びかける。

 そう、大地と慈愛の女神アマルテアの加護があれば、その秘技を使い傷を癒す事が出来るだろう。もちろん僕は加護は無いしセラだって無い。この場にいる人達の中に加護持ちの人がいるかどうか……。


 そこで太った男が、高らかに宣言した。


「ボクは大商人アンドレの息子、ダミアン! この汚らわしい獣人の娘がボクに熱い紅茶をかけて火傷させようとしたんだ! 加護持ちであるこのボクに!」


 ダミアンと名乗った太った男が誇らしげに掲げた右拳には、小麦と祈りを捧げる女神を象った大地と慈愛の女神アマルテアの聖印か輝いていた。


「そんな!」


 加護持ちだって!?


 叫んでいた。


 それも、ダミアンにお尻を触られたエレーナがびっくりして紅茶がこぼれただけなのに、彼女がわざとに火傷をさせようとしたと言うのか!?


「だからボクは悪くない。女神様に選ばれた存在であるボクは正しいんだ! 火傷で大怪我をさせられそうになったから、反撃したんだ! この女は女神様の敵だ!」


 ダミアンは恥ずかしげもなく、堂々と喚き散らした。


 そんな馬鹿な話があるか!


 しかし


「……加護持ちの方が言うならそうなのか?」

「あんな女の子が……恐ろしい」

「やっぱり、所詮は獣人って事なのか……?」


 周囲の雰囲気はダミアンの加護持ち、という言葉で一変した。


 事情はよく分からないが、加護持ちの人が言うならそっちが正しいに違いない、という雰囲気だ。


 エレーナの口からヒューヒューと音が漏れる。

 店の主人が「エレーナがそんな事をするはずがない!」と必死で訴えるが、加護持ち、の一言で一変してしまった雰囲気は覆らない。


「君の言うことは間違っている!」


 だから、つい叫んでいた。


「僕は見ていた! 君がその女の人のお……お尻を触っている所を! 彼女がそれにびっくりして紅茶を零してしまっただけだ! 彼女は悪くない!」

「……はぁ?」


 ダミアンの視線がこちらに向けられる。


 それは、わがままに育った者特有の自分の事を正しいと信じて疑わない、そんな嫌な目。


「ボクがそんな事をする訳がないだろう! 加護持ちの、女神様に選ばれたこのボクが! それとも何かい? 君も加護持ちなのかい? 自分の言うことが正しいと言えるのかい?」


 ダミアンがにやにやと聞いてくる。


「……加護は無い。無いけど……それがなんだって言うんだ! 僕は確かに見たんだ! 僕の言うことが正しいかどうかと、加護持ちかどうかが関係あるのか!」


 思わず叫んだ。


 言う事が正しいかどうかと、加護持ちかどうかが関係あるのか?

 加護持ちだったら間違えないのか? 常に正しいのか? そんな訳ないだろう!


 しかし、ダミアンの答えは素っ気ないものだった。


「なに言ってるんだ、当たり前だろう?」


 愕然とした。


 見ると、周囲の人達も「そりゃ加護持ちの方のほうが正しいよな」などと言っているのが聞こえる。正しいことを言っているつもりなのに、僕に向けらる視線は、何を言ってるんだこいつは、とでも言いたげなものばかり。


 エレーナの呼吸が次第に弱弱しくなってくるのが聞こえる。


 ダミアンは僕から視線を逸らすと、嫌らしい笑みを浮かべた。


「でもボクは慈悲深いんだ。その獣人の女なかなか良い身体してるからね……その女をボクによこせよ。そうしたら治療もパパに頼んでしてあげるし、ボクの命を狙ったことも許してあげるよ」


 店の主人の表情が絶望に染まる。


 周囲の人の反応を見ても、加護持ちの方の命を狙ったならまぁ仕方ないよね、みたいな雰囲気だ。


 こんな事が許されるのか?


 客の男にお尻を触られびっくりしただけなのに、命を狙われたなどと言われ刺され、その上その刺して来た男の物になろうとしている。


 ……これはあんまりだろう。


 加護持ちというだけで、こんな人を人とも思わない行為が許されるのか?


 思わず拳を握り締めると、拳から黒いもやが立ち昇るのが見える。スラムのごろつき達を弾き飛ばしたあの黒いもやだ。


「殺すの?」


 セラが首をこてんを傾げ問いかけてくる。


 どきり、とした。


 殺すのか? ここで? この男を? こんな街中で?


 色々な考えが頭の中でぐるぐると回る。


『やめておくのじゃな』


 脳裏にニャルの声が響く。


『ここはあまりにも人目が多すぎるのじゃ。後々の予定や、アレスの目的にも影響が出る。むろん、それでも殺ると言うならば我も協力することに吝かでないが、あまりお勧めはせぬの』


 止めた方がいい、そう理解してはいる。


 黒いもやに包まれた手のひらを見つめる。

 僕はどうしたらいいのか、分からなかった。何が正しいのか、どう行動すればいいのか。


「何事だ!」

「衛兵だ! 衛兵が来たぞ!」


 声が聞こえてきて、はっと我に返る。


 街の人たちはまだしも、衛兵がくれば僕だとバレてしまう。そうすれば必ずセドリックに僕が生きているという情報が伝わってしまう。

 

 それは避けなければ――


「セラ、逃げるよ」

「はーい!」


 小声でセラに告げ、衛兵が押し寄せ喧騒を増した店の中からこそこそと逃げ出す。ダミアンを言い負かせることも出来ず、衛兵から逃げるように立ち去る――そう、それはまさに逃走だった。


「……情けない」


 僕は口の中だけでそっと呟いた。


 ニャルに出会い力を授けて持ったのに、僕はまだまだ弱い。心も、体も。


 ――もっと、強くならないといけない。


 そう、思った。

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