第11話 鏡
僕は喫茶店でセラと向かい合って紅茶を飲んでいた。
その店は繁盛店の様で様々な年齢のお客で賑わっていたが、隅の方に空いているテーブルを見つけてそこに座ることが出来た。
そして向かいのセラの前には、ケーキと紅茶。
「おいしい~~♪ わたし、ここのケーキ食べて見たかったの!」
セラはケーキを一口ほおばると、幸せいっぱい、という様な笑顔をこぼす。
「ここのケーキ評判でね? となりの雑貨屋のコリンナなんてね、お店が儲かってるからってちょくちょく食べに行って、そのたびに美味しかったって自慢しに来るの! それが悔しくって悔しくって!」
フォークを立て眉間にしわを寄せて、言う。
「まぁ、もうコリンナには会う事ないかもしれないけどね……」
すこし寂しそうに、セラは微笑んだ。
だから、僕はふたたび聞いてみたくなった。
「本当に僕達について来ていいの? この街での……用事がすんだら次は公都に行くつもりだし、その後も色々な所を回ると思う。この街に帰ってくることは無いかもしれないよ?」
セドリックへの復讐が終わったら次は両親や兄様だ。
女神たちを倒すというニャルの目的もある。旅は長いものになるだろう。再びここに帰ってこれる保証はないし、帰って来れてもいつになるかは分からないのだ。
こくりと頷くセラ。
「いいの。コリンナとはいうほど仲良いわけでもなかったし、両親ももういないし。この街にいる理由って特に無いの」
セラはそれに、と呟く。
「わたし、ニャルちゃんと……それにアレスと一緒にいたいって思ったの。だから一緒に行かせて欲しいの」
「セラ……」
セラの意思は固いようで、ならもうこれ以上言うことは無いかな、と僕が思ったときニャルの声が脳裏に響いた。
『それならの、ちょうど良い。セラに渡しておきたい物があるのじゃ。ほれ、アレス、掌を開くがよい』
「ニャルちゃん?」
言われるがままに手を開くと、いつの間にかその掌には一つのペンダントが乗っていた。
それは、僕が貰った輝く多面体と同じく、黒く昏い不思議な輝きの金属で作成されたペンダント。
ひとつ違うところは、その先端に付けられているのは僕の多面体の結晶とは違い、若干黒っぽい輝きを持つ青銅製の小さな鏡だった。
「銅鏡?」
ガラスの鏡が普及する以前、昔はこういう銅製の鏡が使われてたというのを本で読んだ事がある。
『さよう、ニトクリスの鏡という。これはこの世界と我のいる世界を繋ぐ力を持つ神器の一つ。これを使えば、我の仲間の神を呼び出すことが出来る』
「……ほえー」
「神様? その人も女神様なの?」
もしかしてその人は6柱目の女神、とかだったりするのだろうかと思い問い返すと、ニャルは、む、と唸った。
『いや……そういう訳ではない。そういう訳ではないが女神の様な存在というか眷属というか……まぁ、なんじゃ、そういう存在を呼び出すことが出来るのじゃ』
「はぁ」
答えになっているようななっていないような。
『これをセラに与えよう』
「いいの! やった! うれしい!」
セラの表情がぱあっと輝いた。
ニトクリスの鏡と呼ばれたペンダントをセラに渡すと、彼女はペンダントを垂らしじっくり眺め、ほおっと感嘆のため息を漏らした。
『頭の中に、言霊が浮かんでいる筈じゃ。それを唱えると神を呼び出すことが出来る』
どうやら、僕がニャルを呼び出した時と同じような感じらしい。
あの時も、いつの間にか召喚の言霊を理解出来ていた。まるで以前から知っていたかのように
「ここで唱えてみていい?」
「それは止めて」
『駄目に決まっておろう』
わくわくとした目でセラがとんでもない事を言うが、2人で即座に止める。
ここでそんなことしたら目立つし騒ぎになるし、ニャルだって他の女神たちに見つからない様にしているってのが、台無しになってしまう。
セラは「冗談冗談」とへらっと笑う。
「でもでも、楽しみだよ! どんな子が来てくれるんだろう!」
『ふふふ、楽しみにしておくが良いのじゃ。我にはまぁ及ばぬが、かなりの力を持った神じゃからの』
セラは、わくわくと本当に楽しみでたまらない、といった表情でペンダントを首にかけた。そして、その先端の銅の鏡を見ると、またへらっと笑う。
これでセラも正真正銘、僕たちの仲間になった、という事なのだろう。4柱の女神に封じられた神々の力を借りて、女神たちに歪められたこの世界を正す仲間、だ。
そんなことを考えていると
「あ、ケーキおかわりお願いします!」
セラがしゅたっと手を上げて叫んだ。
「……よく食べるね」
「だって美味しいんだもん!」
思わず苦笑してしまうが、セラは悪びれることなく答えた。
「……駄目だった?」
そのうえ、申し訳なさそうに上目遣いで聞かれては、僕の答えなんて決まり切っていた。
「大丈夫だよ。そのくらいのお金はあるからね」
「やったあ! アレス大好き!」
言うと、セラは飛び上がって喜んだ。
本当、僕としては苦笑するしかない。
と、その時僕たちの横からくすくすと笑い声が聞こえてくる。
「お仲がよろしいのですね」
エプロンを付けた店員の女の人が、セラの前にすっとケーキを差し出した。南方の方で採れる栗を使用した、この店名物のモンブランだ。
見ると、店員は僕と同い年くらいの子で、ニャルや目の前のセラの様にめったに見ないような美少女、という訳ではないがにこにことした笑顔の可愛らしい女の子だった。そして、頭上にはもふもふとした犬の耳が。
――獣人
思わず、ヴァレリヤを思い出してしまう。
彼女はにこにこと楽しそうにしてはいるが、この国では立場の低い獣人で、市民権を持つ獣人は非常に限られている事から奴隷の可能性が高い。きっと色々辛い事もあるだろうに、にこにこと愛想良くお客である僕達に接してくれている。
きっと心の強い人なのだろう。
などと、つい余計なことを考えてしまう。
「ありがとう。彼女がここのケーキを気に入ったようで」
「そうですよね、このお店のケーキ美味しいですよね! わたしもたまに余ったケーキを頂くのですが、すっごく美味しくてそれをいつも楽しみにしてるんですよ!」
早速フォークで一口食べて感動しているセラを見ながら、店員の子に持って来てくれた礼を軽く伝える。すると、彼女もここのケーキが気に入っているようで、楽し気に答えてくれた。
とはいえ、余ったケーキを楽しみにしている、という事はやはり自分で買えるほどの生活は出来ていないという事だろうか……。
「わたし奴隷ですが、このお店に買われてきて良かったと思ってます!」
――やっぱり奴隷。
僕はそっと目を伏せる。
彼女自身が良いと言っているのだ、他人である僕がとやかく言う筋合いは無いと分かってはいるのだけど、色々考えてしまうのを止められない。
彼女を見ると、どうしても同じ獣人だったヴァレリヤを思い出してしまう。今日たまたま会っただけの他人だけど、他人の様な気がしない。だから、軽く会釈して立ち去り、他のお客の接客に行った彼女をつい目で追ってしまっていた。
だから、その光景を目にしてしまった。
隣の席に座った、でっぷりと太ったいかにも裕福そうな身なりの若い男と、その連れらしき剣を差しガラの悪そうな若い男2人。そこにさっきの犬耳の獣人の店員が紅茶を持って行った時、そのお尻を太った男が撫でまわすように触る所を。
「きゃっ!」
女の子が思わず飛び上がり、その衝撃でお盆の上の紅茶が転がり落ち――
ぱしゃん
と太った男の高そうな服に紅茶色のシミを作った。
「あ、熱うっ!」
「オイ、何してんだテメエ!」
思わず悲鳴を上げる太った男と、いきり立って立ち上がる若い男たち。
犬耳の女の子が「すませんすいません」と謝り、大慌てでエプロンで太った男の服のシミを拭き取ろうとするが
「触るんじゃない! 獣人のくせに!」
「きゃあっ!」
太った男は、女の子を突き飛ばした。
「パパに買ってもらった服にシミが出来ちゃったじゃないか! どうしてくれるんだよ!」
「すみませんすみません!」
怒り心頭で怒鳴り散らす太った男と、跪き何度も何度も頭を下げる女の子。
そこで店主らしき中年の男が割って入ってくる。
「お客さま、うちの奴隷が申し訳ありません! 服代を弁償させていただきますので!」
「こんな安っぽい店が弁償できるような服じゃないんだよ! パパに買ってもらったこの服はね!」
店主も頭を下げるが、太った男の怒りは収まらない。
僕は、割って入るべきか考えていた。
もともとの原因は男が女の子のお尻を触ったからだ。たしかに服を汚してはしまったが、彼自身にも責任はあるはずだ。彼女が獣人で奴隷だからと言って、責任を転嫁するような行いはやめるべきだ。
とはいえ、僕たちはこれからセドリックの屋敷に襲撃をかける予定なのだ。セドリックはもしかしたら僕がスラムで死んだと思っているかもしれないし、ここで騒ぎを起こすような事はするべきではないのだ。
僕がそんなことを考え迷っていると、太った男は懐から一本の短剣を取り出し、醜悪な笑いを浮かべる。
「礼儀のなってない獣人には、躾が必要だね」
次の瞬間、短剣が振るわれ鮮血が舞った。




