第10話 街へ
次の日、僕とセラは街へ買い出しに出ることにした。
見るに耐えない状態の服を新調する為だが、セラが美味しいものが食べたいと主張した為でもある。
僕としては、服を新調する必要はあるだろうけど、ヴァレリアを失った喪失感は大きく、正直あまり街に出て羽根をのばすという気分ではなかったのだけど、セラは強硬に主張した。
「まずは服だね! アレスにもかっこいいの選んであげるね!」
セラが僕を見上げてにっこりと微笑む。
それは、別にいいのだけど……
「あの、この体勢は……」
セラは体全体で僕の右腕に抱きつく様な格好だった。自然と、その形の良い胸が腕に押し付けられるのを感じる。
思わず顔を背けてしまう。きっと僕の顔は赤くなっているだろう。
豊満、と言っていいくらい女性的な体付きだったヴァレリアと比べ、セラは全体的に細身ですらっとしていて、その腕や脚はシミひとつ無く白磁の様に美しく力を入れて抱きしめれば折れてしまいそうだった。そして、その胸は大きくはないが決して小さいという事は無く、確かな膨らみで女性らしさを主張していた。
要するに、ヴァレリアとは違うがセラの身体は十分に女性的で魅力的、その形の良い胸は僕を意識させるに十分だった。
「くっつかれるの嫌い? 離れたほうがいい?」
セラが首をかしげ、肩にかかる程度の美しい銀髪がさらさらと揺れる。
「いや……、嫌ではないけど……」
思わずしどろもどろに答えてしまう。嫌ではない、嫌なはずはないけど……
「良かった! もし嫌だったら言ってね?」
セラは朗らかに笑うが、僕は苦笑することしかできなかった。
僕の周りにはこれまで、迫害してくる者・居ないものとして無視する者・そして同じ境遇のなか惹かれあったヴァレリヤ、の3種類の人間しかいなかった。今のセラの様に正面から屈託のない笑顔を向けて来る様な人はひとりもいなかった。
だから僕は正直、セラにどういう風に接したらいいのか掴みかねていた。
「服とか買いに行くのわたしも久しぶりなの! どんなの売ってるかな? 可愛いのあるといいな! あ、でもでもお金は節約しないとだね」
セラの表情はくるくると変わる。
ぱっと明るくなったかと思えば、急にしゅんと意気消沈したりする。その表情は、僕に見ていて飽きない、と感じさせた。
「貴族が着るような服は無理だけど、平民の服ならそれなりの物を買っても大丈夫だよ」
言うと、セラの表情がぱあっと輝く。
実際、セドリックがゲルト達に出した報酬はそれなりの額だったようで、今僕の手元には結構な量の金貨があった。……もっとも、自分とヴァレリヤを殺すためにセドリックが出したお金だと思うと、陰鬱な気分にさせられるけど、今は僕の手元にあるのだ。セラに可愛い服を買ってあげるくらいなら構わないだろう。
頭の中に、くつくつと笑う声が響く。
『なんじゃなんじゃ、意外と翻弄されておるな。主導権を握られっぱなしではないか、情けないのぅ』
ニャルのからかう様な声が聞こえる。
「行こ! アレス!」
セラは僕の右腕に密着したまま、ぐいぐいと僕を引っ張っていく。
また、くつくつと笑う声が聞こえる。
その笑い声を聞いていると、屋敷で兄様や使用人達に嘲るように笑われていたことを思い出す。思い出しはしたが、あの時のような嫌な感じはしなかった。
◇◇◇◇◇
店に入るなり、セラが「ふわあ」と感嘆の吐息を漏らした。
セラと一緒に入った服飾店は、都市の中央の塀に囲まれた貴族街区、その少し手前の比較的裕福な市民が住む区画にあった。僕は今までセドリックのお使いなどに行く時は塀の向こうの貴族街区ばかりだったし、セラは小さな商店の娘だったこともあり、この辺りはほとんど来た事がなかったらしい。この辺りの店は僕もセラも初めて入る店ばかりだった。
その店はこぢんまりとした店構えながら、店内にはハンガーラックに吊るされた様々な服が所狭しと並べられていた。女性向けの店なのだろうか、コート・ワンピース・スカート・ブラウスなどなど……。
僕に女性用の服のことは良く分からないけど、セラは目をきらきらとさせて、きょろきょろと辺りを見回した。
「あのワンピースかわいい! あ、あのスカートも! わ、あっちのドレス胸がすごい開いてるよ! 大胆!」
セラは僕の腕を抱えたまま、どんどん奥へと進んでいく。
「ちょ、ちょっと……」
その途中で、女性用の下着なども売られていて、思わず目を背けてしまう。
「この下着なんか、かわいくない?」
僕の目の前に突然ひょいっと差し出されたのは、女性用のパンツ。
純白のレースに彩られ、アクセントとしてピンクのリボンがつけられたパンツ。
思わず「うわあっ」と叫び仰け反ってしまうが、その時セラの悪戯っぽい笑顔が目に入ってくる。
「か……からかったのか!?」
「うふふふふっ」
セラは悪戯が成功したと、楽しくて仕方がない、と言うように笑った。
僕も思わず苦笑してしまう。
そんな笑顔で笑われては、何も言い返せない。
「ごめんごめん。かわいいと思ったのはホントだよ? あっちのワンピースもかわいいの、見て見て!」
セラは、また僕の右腕を抱え込むとぐいぐいと引っ張っていく。
僕としては、苦笑を浮かべてなすがままに引っ張られていくしかない。
ヴァレリヤと買い物に行くことは度々あった。
頼まれたお使いの品だけではなく、自分たちの服や身の回りの品を一緒に選びに行ったことも一度や二度ではない。僕とヴァレリヤは恋人同士だったが、根本的にはあくまで主人とメイドだったのだと、セラと一緒にいると嫌でも感じさせた。
こんな風に、ヴァレリヤが僕をからかいながら腕をぐいぐい引っ張っていくなんて事は無かったのだから。
僕は、「かわいいかわいい」を連呼しながらあちらこちらの服を引っ張り出しては体に当ててみるセラを見ながら、そんなことを考えていた。
脳裏に響く幼女の声はけらけらと笑っていたが、兄様の事を思い出しはしなかった。
◇◇◇◇◇
「ありがとう。こんなに買ってもらっちゃって……」
ついさっきまで笑顔ではしゃぎまわっていたセラが、神妙な顔をして言った。
その手には購入した服や下着類が入った袋が下げられている。
まぁ、それでも僕の右腕を抱え込んだままなんだけど……。
「大丈夫だよ、お金には余裕あるし、女の子なんだから服だってし……下着だって必要だしね」
下着、で言いよどんだ僕を、セラがくすりと笑う。
実際、セラは今までスラムのゴロツキから奪ったシャツ以外は何も――下着も履いておらず本当にシャツ一枚以外何も身に着けていなかったのだから、いろいろ必要になるのは当然だった
「どうかな? 似合ってる?」
セラが、ぴょんと一歩前に出ると、くるりと回る。
セラが身に着けているのは、彼女が最初に目を付けた白いワンピース。
そして、肩から薄い水色のストールをかけ腰には同じく水色の腰布を巻きつけている。
あれから何着も検討と試着を繰り返しとっかえひっかえし「どっちがいい?」と繰り返し質問してきた後、結局最初に見つけたワンピースに戻ってきたのだ。
その姿を見て、かわいい、と素直にそう思った。
最初に見かけたときから整った顔をしているとは思っていた。でも今までは正直格好があまりにも酷かったためあまり感じなかったが、セラは僕が今まで出会った中でもとびきりかわいい女の子だった。
「うん。……に、似合ってると思うよ」
そう言うと、セラは嬉しそうにえへへ、と笑う。
「じゃあじゃあ、次はアレスの服だね!」
セラがまた僕の腕に抱きついて言う。
とはいえ、僕は服装にあまりこだわりはないし、それなりに小綺麗な恰好なら何でも良かった。それに正直ちょっと疲れてきたのでどこかで休憩したいというのが本音だった。
それを伝えると
「ダメだよそんなの! 安心して! わたしがちゃんとカッコいいの選んであげるから!」
セラはぷんすか、という感じで憤慨すると胸を張って宣言した。
いや、休憩を……
「じゃあじゃあ、あっちのお店行ってみようよ! なんかいいのありそう!」
抱え込んだ僕の腕をぐいぐいと引っ張って、向かいの服屋に入っていくセラ。
どうやら、休憩できるのはしばらく後になりそうだった。




