第6話 再会
生まれて初めての野宿は、野生の勘と夜目が利くギンのおかげで安眠を貪ることができた。
遮るもの一つない草原の朝は、眩しい太陽の光が瞼に刺さるようで、日の出とともに自然と目が覚めた。
ギンは先に起きて朝食の準備をしていた。脇には、今しがたまで生きていたような野うさぎ転がっている。ギンは獲物をとってくるのも得意なようだ。
眠そうに目をこすりながら起きてきたシラギを加えて3人で朝食を食べた。
「竜の国は草原にあるのか?」
「いや、竜族はスバターニャ山脈の麓に広がる巨大地下洞窟に住んでいるんだ。洞窟は広大で、地図にも描かれていないから、知らない奴が入ったら最後、一生彷徨って出ることができないと言われている。」
「へぇ、洞窟ね。竜族なのに空を飛んだりはしなってことか?」
「それは、会ってみればわかると思うわ。」
シラギは意味ありげに目配せした。
息吹の森に比べて、生き物の気配が微かで、静かな自然に包まれた草原に、一陣の風が吹いた。
馬のいななきのような声が遠くから聞こえる。蹄のようなリズミカルな音が重なり、閑静な朝の空気を乱した。
「おーーーーーーーーーーーーーい」
どこかで聞いたことのある声が聞こえる。
振り返ると、俺たちが来た息吹の森の方向から、馬車のようなものが近づいてくる。飛ぶようなスピードで迫ってくるので、俺は思わず腰を浮かせた。俺たちの近くで急停止したそれは、よく見ると正確には馬車ではなかった。屋根付きの荷台を引くそれは、羽毛に覆われ、黄色のくちばしが鮮やかな四足の生き物だった。馬よりもひと回り大きく、鳥と馬を混ぜたような見た目はギリシャ神話のグリフォンのようだ。
「シラギ様、勇者様、我々は御心祭に巡業に来ていた楽国の行商人と旅芸人です。もし、方向が同じでしたら、ご一緒しませんか?」
御者の男が目尻を下げて親しげに話しけてきた。あぁ、思い出した、祭りの屋台のおじさんだ。
「私たちは、竜族の国に向かうところなのですが、ウルマさん達も東へ向かいますか?」
「あぁ、竜族の、、、。ええ、私共は喜国へ巡業に行こうと思っているので、方向は同じです。スパターニャ山脈の麓までお送りしますよ。そうですね、飛ばせば明日のヴィーラの刻には到着できるでしょう。」
俺たち3人(正確には2人と1匹だが)は、お言葉に甘えて荷台に乗せてもらうことにした。
風除けに布の張られた荷台に乗り込むと、踊り子のララと奏者のネネが談笑していた。
「あら、ララ勇者様よ!!良かったじゃない。」
ネネに意味ありげに目配せされたララは、俺をちらっと見ると頬を赤らめて俯いた。
困惑気味な俺に向かって、ネネは小声で耳打ちした。
「この子、小さい頃から伝説の勇者様に憧れていたのよ。だから、本物に会えて、嬉し恥ずかしみたい!あなたも罪な男よねっ。」
ララはネネの裾をつまんで引っ張っている。そして、躊躇いがちに俺の方を見た。
「ご一緒できるなんて光栄です、勇者様。」
俺は、純粋な少女の瞳に見つめられ、どうしていいのか分からず頭を掻いた。
「おいおい、おっさん。何照れてんだよ、気持ち悪いぞ。ララもよく見てみろよ、勇者様なんて名ばかりのただのおっさんだぞ。」
いつの間にか人の姿に変化していたギンが俺の脇腹をこずく。腹立たしいギンの暴言に言い返そうと口を開いたのと、荷台が揺れて発車したのは同時だった。荷台は跳ねるように上下に揺れ、俺は近くにあった木箱に手をついて必死で揺れに耐えた。ララとネネは慣れているのか、きゃっきゃとはしゃいだように笑っている。ギンは整然としているし、シラギは、、、、少し気持ち悪そうだ。何か気を紛らわすような会話でもしよう。
「シラギ、前から気になってたんだけど、ヴィーラとかシュリンガーラとか時間の表し方が俺の世界とは違ってよく分からないんだ。ヴィーラっていつくらいの時間帯のことなんだ?」
「時間帯には9つの種類があります。朝はシュリンガーラから始まり、ハースヤ、カルナ、ラウドラ、ヴィーラ、バヤーナカ、ビーバッサ、アドブタ、シャーンタと順番に続きます。シュリンガーラからヴィーラまでが明るい時間、バヤーナカからシャーンタまでが夜です。」
「シュリンガーラ、ハースヤ、カルナ、、、、、覚えるのに時間がかかりそうだ。」
まるで難解なセリフを覚えるみたいだと思いながら口の中で言葉を転がす。そんな俺を興味深そうにシラギが見つめている。
「うおっ、、、、と。」
いきなり荷台が大きく跳ね上がり、急停止した。ララが荷台から顔を出して、御者のウルマに問いかけた。
「ウルマ、どうしたのーー??!!!」
「土獅子だーーーーーーー!!!」
恐怖にうわずったウルマの声が響き渡った。
ララが振り返り、驚きに目を見開いたネネと顔を見合わせた。シラギは紅の瞳に緊張を宿し、身を翻して外に出た。ギンがキツネに姿を変え、シラギの後に続く。俺も状況が分からないまま、急いで外に出た。
そこには、大型トラックほどの大きさの獰猛な外見の生き物が佇んでした。ライオンに近いが、長毛に全身が覆われ、目も毛によって見えないが、口は滴るヨダレと長く伸びる牙によってその場所がわかる。
「土獅子、土の中に住む獅子よ。地上を走る獲物の音を聞きつけて、地中から飛び出してくるのよ。この草原は生き物が少ないから、さぞお腹を空かしているのでしょうね。」
シラギが説明しながら、弓を構える。弓の先端にはメラメラと赤い炎が灯る。ギンはシラギの横で唸りながら、尾の先端に炎を灯らせた。
ララとネネも聖石を光らせ、ウルマを後ろに庇いながら戦闘態勢をとっている。
俺は、どうしていいのか分からず、自分の聖石に目を落とした。
黒々と光る聖石はその力の解放を待ち望んでいるようにも見える。
土獅子が荒い鼻息を鳴らしながら、突進してきた。
シラギの矢が巨獣に刺さるのと、ララの聖石が発する黄色い光が獣を包み込んだのはほぼ同時だった。
土獅子の動きが鈍り、スローモーションのように一歩一歩の足取りが重くなる。そこに、ギンの狐火とシラギの二投目の矢が刺さり、土獅子の長毛が炎に包まれる。
「...............グォオオオオオオオオオオオオオオ」
巨大な火の玉と化した土獅子は断末魔を上げて、その場に倒れこんだ。
俺は一瞬の出来事についていけないまま、微動だにせずに危機的状況は回避されていた。
「可哀想だけど、中途半端に逃してしまうと、またいつ土の中から襲ってくるか分からないわ。」
シラギは獣から立ち昇る黒煙を見上げながら、ポツリと呟いた。
一行は、無言で荷台に戻り、ウルマが車を出すのを待った。
夕日が差し込む荷台の中で、先ほどよりも揺れが弱くなったのを感じながら、俺は先ほどの戦闘をぼんやりと思い出していた。みんな咄嗟に魔法を使って戦っていた。これからの道中、今回のように戦闘を余儀なくされることが出てくるだろう。その時、今みたいに俺はただ見ているしかできないのだろうか。伝説の勇者様だなんてみんなに期待され、持ち上げられ、だけど俺ができることって一体なんなんだ。早く魔法を使いこなせるようになりたい。俺は、手の甲の聖石を指でなぞった。
夜になり(バヤーナカとか言ったかな)、荷台は止まり、今夜はそこで野営することとなった。
ウルマとララ、ネネはいそいそと荷台から食材を取り出し、夕食の用意をしている。
シラギとギンと俺は、手持ち無沙汰になり、焚き火を囲むように座り込んだ。
「さっきの戦闘だけど、シラギもギンも強いんだな。ギンも魔法使えるって知らなかったよ。」
「いえ、さっきの土獅子はララの援護なしでは勝てなかったわ。ララの時間を歪める魔法によって、土獅子の動きを鈍らせたから私とギンで仕留めることができたの。ギンは動物の中では特別よ。普通の動物は魔法を使えるほど強力なマナを持っていないの。マナは本能ではなく感情の力だから、魔法を使うためには一定以上の知能の高さが必要なの。ギンは動物だけれど、私たちと同じくらいのマナを持って生まれてきた珍しい化け狐なのよ。」
シラギはギンに向かって優しげな目線を向けた。
「化け狐って言い方は好きじゃないけど、そうですね、俺みたいに話せて魔法が使える動物には未だあったことない。いるなら、会ってみたいですけどね。」
ギンの語尾にはどこか寂しげな哀愁が漂っていた。
「みなさん、ご飯の用意ができましたよっ!」
ララが弾けるような笑顔でこちらに声をかける。
ララたちが作った楽国の料理はどこかエキゾチック香りがしており、カラフルな野菜が使われていた。
「どれも乾燥させた保存食を使っているので、本当はもっと美味しいんですよ。」
そういって、ララは恥ずかしそうに俺にスープと煮物をよそってくれた。ララはそういうが、どの料理も保存食とは思えないほど風味豊かで美味しかった。怒国の料理が和食だとすると、楽国の料理はエスニック料理やインド料理などに近かった。
隣に座るギンは、熱心に料理の作り方をネネから聞いている。シラギはウルマと世界の情勢について真剣な顔で話し合っている。穏やかな時間が緩やかに流れている。頭上には満点の星空が広がっている。俺は、みんなの談笑する声を聞きながら、ここ数日の出来事を振り返っていた。最初は、全く違う世界に来てしまったと思ったが、人の温かさや食べ物の美味しさ、そういうものはあまり変わらないのかもしれない。そんなことを考えながら、豆と野菜のスープを飲み干した。
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次の日は、獣に遭遇することもなく、順調に旅路は進んだ。
ラウドラの刻には、スパターニャ山脈の麓に到着した。
「それでは、勇者様、シラギ様、それにギン、お元気で。旅のご無事を祈っていますぞ。」
「勇者様、きっとまたお会いしましょう。また会える日を心待ちにしていますね。」
「シラギ様、道中お気をつけてくださいませ。ギンも達者で。」
ウルマたちは簡単に挨拶の言葉を残すと、北の方に車を走らせた。ララとネネは荷台から乗り出して、見えなくなるまで手を振っていた。
「さて、俺たちは勇国に入りますか。」
ギンは、3人の目の前に立ちはだかる巨大な石の門を鼻先で示した。石門には巨大な竜が3匹彫られており、瞳には金色の石が埋め込まれている。竜たちは俺たちを見定めるように、こちらを睨んでいる。
シラギは深く頷き、意を決したように声を張り上げた。
「我らは怒国から来たる者。要件は勇国との同盟。偉大なる竜よ、治める国へお導き下さい。」
シラギの言葉に呼応して、石門がゆっくりと両側に開いた。巨石の動く轟音が響き、土煙が舞った。
石門の中には、まっすぐ洞窟の入口が伸びていた。洞窟の道には両側に等間隔に松明が吊られていた。俺は、本能的に危ないと感じた。ここに入れば簡単には出られなくなる。しかし、先に洞窟に足を踏み入れているシラギとギンの後に続いた。
薄暗い洞窟に一歩入ると、冷んやりとした湿った空気に包まれた。
「ここが竜の国の入り口なのか?」
「マシロ、竜の国ではないわ。竜族の国よ。この門は、入る者に敵意があるかどうか見定める魔法がかけてあるの。敵意があると分かれば、死に至る閃光に包まれるのよ。」
そんな恐ろしい門を通り抜けたのかと、今更ながら冷や汗が首筋を伝う。
暫く洞窟の一本道を進んでいくと、ガヤガヤと人の声が聞こえてきた。洞窟だから反響するのか、笑い声やがなり声、子供の声、様々な声が折り重なって聞こえてくる。
「もうすぐよ。」
シラギがそう言って、洞窟の角を曲がったのと、景色が一変したのは同時だった。
まるで町の中のように賑やかな空間が広がっていた。民家や店が連なり、酒場では赤ら顔で談笑する人々が見える。
ただ2つ、普通の町とは異なることがあった。
1つ目は、ここが地下空間であるということだ。連なる建物の上には石の天井がどこまでも広がり、太陽の光は微塵も入らない。
2つ目は、人々の体は半分ほどが硬い鱗で覆われているのだ。少なくとも肘から手の甲にかけてと、膝から足の甲にかけては深緑色の鱗で覆われている。
俺たちは、竜族の治める国、勇国へと足を踏み入れたのだ。