第5話 旅立ち
「弥生様、今日はお日柄もよろしいですし、魔法の練習をしましょう!」
シラギが溌剌とした声で言い出したのは、ちょうど朝ごはんを食べ終わって草原に横になった時だった。
正直、木漏れ日の下、もう一眠りしたいとこだった俺は、ゆっくりと体を起こした。
「今やった方がいいのかな?」
「そうですね、出発は明日ですし、今日中に練習しておくのがよろしいかと。」
「え、出発って明日なの?!」
初耳だ。だが、善は急げということなのだろう。
「ええ、伝えていませんでしたっけ、申し訳ありません。」
「いいよ、いいよ、暇だし。それで魔法の練習ってどうするの?」
「それが、吸収魔法については私も詳しくは分からないのです。ただ、伝説の書によると、あらゆる種類のマナを吸収し出力できるようになるらしいのです。おそらく、森で出会った時に私の聖石からマナを吸収していましたので、炎魔法は使えるようになっているのではないでしょうか。」
森で侵入者と間違われて、シラギに掴まれた手首を振りほどこうとすったもんだしている時のことか。確かに、シラギに聖石を触られた時、ほのかに熱を感じたような、、、気もする。
「魔力の出力はコツさえ掴めば簡単です。まず、怒りの感情で心を満たす。今までで一番腹が立った時などを想像すると良いかと思います。そして、聖石に意識を集中し、出力の形を想像する。とまあ、そういう、って、、きゃーー!」
目の前が揺れている、橙色で夕焼けに染まっているみたいだ。全身を包み込む熱に、気持ちが高揚していく。
俺が、俺が主演をやるはずだったのに!高橋の野郎、監督にゴマすりやがって!許せん!ずえっったい許せん!
俺は、所属する劇団で役を取られた時のことを思い出していた。今思い出しても、虫唾が走る。
「弥生様!弥生様!魔力を、マナを制御してください!対称感情で心を満たしてください!怒りの対称は、喜びです!嬉しい時を想像してください!」
嬉しい、嬉しいことかぁ、幼稚園のお遊戯会で大好きだった美人な先生に演技を褒められたことかなぁ。思えばアレが俺の役者への夢の始まりだったような。
徐々に、視界がクリアに戻っていく。
隣には、心底安堵した表情のシラギがいた。
「弥生様、魔法の練習は旅の道中、少しずつ体得していきましょう。」
「俺、今魔法使えてたの?」
「弥生様のマナが強すぎて、使われては集落が消滅してしまいそうでしたので止めました。止まってくださって、本当に良かったです。まさか、ここまでマナが豊富な方だとは思いませんでした。やはり、勇者様はお強いのですね。」
シラギの瞳には、羨望と憧憬が入り混じっており、俺は少し戸惑った。
「そうか、俺、感情の起伏だけは人並み以上だから、魔法も強いのか。」
「感情は女神様からの贈り物です。ご加護が深いということですよ。それでは、出発は明朝ですのでそれまでごゆっくりして下さい。」
少し期待していた魔法の練習とやらは、一瞬でお開きになったので、俺はまた【女神様の審判】でもやろうと、少女たちの家へと歩き出した。
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トントン.......トン、トン
控えめなノックの音が聞こえたが、俺は寝返りをうち、二度寝しようとしていた。
昨日は夜遅くまで、ギンとハズキ達とボードゲームに興じてしまった。睡魔はとめどなく押し寄せてくる。
トントン、トントン
こちらに遠慮するような躊躇いを感じるノック音が繰り返される。
「むにゃむにゃ、、、ふぁい、起きますよ起きて、、、すぴー」
意識が現実から遠ざかってゆく。
「弥生様、旅立ちのご準備はいかかでしょうか。」
女の子の声がする、、、うちに女の子が来訪するなんて珍しいこともあるものだ、、、、
、、、、、、、、、、、、、あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!異世界にいるんだったーーー!!今日旅に出るのか!!!え!!なんも準備してねぇ!!!
俺は流れ込むここ数日の記憶に、一気に眠気が吹き飛んだ。
急いで部屋のドアに向かった。
「ごめん。慣れないことが多くて自分で思っているより疲れが溜まってたみたい。すっかり寝過ごしてしまって。」
ドアを開けると同時に早口で言い訳を発する俺に、シラギは目を瞬いた。
「大丈夫です。まだ、シュリンガーラの時間ですよ。」
にっこり微笑みながら彼女は続けた。
「朝日が気持ち良いので、今日は外で一緒に朝食でもどうかと思って訪ねたのです。すみません、少し早過ぎましたよね。」
「いやいや、ちょうど今起きたとこ。ちょっと待っててもらえる?すぐ支度するから。」
外に出ると、朝日が木漏れ日となって降り注ぎ、煮炊きの香りが漂っていた。
広場の中央で鍋を混ぜていたギンがこちらに気づき、おたまを振った。
「ギンありがとう。あら、ラントの汁じゃない。プナも入ってる!」
シラギは鍋を覗きながら目を輝かせた。
「大事な旅立ちの日ですからね。姫様の好物を採って来ましたよ。」
3人で鍋を囲んで食事をとることになった。
「ところで姫様、旅の工程はお決めになりましたか?筆頭長は、四大帝国である喜怒哀楽の残りの3つを先に回ることを勧めていらっしゃいましたが。」
「そうね、哀国は正確な場所が分からないし、喜国か楽国かしら。まずは旅の装備も整えたいから、産業が発展している喜国に向かおうと思うわ。」
俺はギンとシラギの会話を聞きながら、旅の荷造りをしようにもほとんど私物を持っていないなぁとぼんやり考えていた。昨日ポケットをひっくり返したら出てきた100円玉と5円玉、それにガムが2個だけだ。カバンは元の世界に落としてきてしまったようで、俺はほとんど着の身着のままであった。
「..................なぁ、おっさんもそう思うだろ?おい、聞いてんのかよ??」
「....あ、あぁそうだな。」
「それじゃ、方針も決まったしハースヤの刻にここに集合しよう。」
俺は少ない荷物をまとめ、広場に降りた。シラギとギン、おばばに筆頭長、他にも村の人々が数多く集まっていた。その中には、踊り子のララやハズキ、ウナミ、カンナもいた。
「みんな、見送りに来てくれて本当にありがとう。長老、筆頭長、それに審議員の方々、私がいない間も怒国をよろしくお願いします。我が領土、息吹の森に女神の加護のあらんことを。」
シラギの挨拶に集落の面々は神妙な面持ちで頷いている。ただ一人、銀髪の青年を除いて。
「ギン、まだ納得してくれないの?」
シラギは呆れたような悲しそうな顔でギンを見ている。ギンは黙ってそっぽを向いたままだ。
「.......仕方ないわね。そろそろ、出発しましょう。」
俺とシラギは、大勢の暖かい歓声に見送られて集落を旅立った。
深い森の中を歩く間、シラギはほとんど会話をせず俯いていた。
「ギンと何かあったの?」
「はい、ギンはこの旅についてくるつもりだったのです。でも、ギンにはギンのやるべきことが村にあります。なので、村に残ってもらいました。まだ納得できていない様子でしたが.....」
「そっか。大好きなお姫様に置いてかれて拗ねてたのか。」
俺は、口は悪いが心優しい銀髪の青年を嫌いではなかったので、少し残念な気持ちになった。
「ところで、シラギ、俺たちは今どこに向かっているんだ?」
「さっき朝食を食べながら話したではないですか。喜国に向かう途中に迂回して、竜族の国に立ち寄ります。竜族は、竜と人間の混血の一族。竜退治についての助言をもらえるかもしれません。」
「だけど、それって教えてくれるのかな。竜族にとって竜はご先祖様ってことだろ。自分の血族を退治されるって言われたら、逆上するんじゃないか?」
俺は素朴な疑問を口にした。
「弥生様のおっしゃる通りです。つまり、、、、最初の目的地から命がけ、ということです。」
俺は、シラギが平然とした顔でつなぐ言葉に瞠目した。冗談じゃない。俺が思っているよりも随分と物騒な旅路らしい。
「ちなみにシラギ、他国との交渉の経験は?」
「一度もありません。私は先月元服したばかりで、今回の旅で初めて国の外に出ました。」
............................そんな、ギャンブルみたいな。あまりの計画性の無さと無謀さに俺は絶句した。シラギは俺の様子に焦ったように付け足した。
「ご安心ください、この世界に存在する国の半数以上が武力廃止条約に加盟しています。喜怒哀楽の四大帝国はもちろんのこと、竜族の統治する勇国も加盟国です。ですので、命懸けというのは言葉のあやでして、本当に命が危ぶまれるような事態に陥ることはあり得ません。」
シラギの言葉に少しだけ安堵する。残った不安をかき消すように、足場の悪い苔むした森を歩くことに集中する。
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日が傾き、俺の体力も限界を迎えそうになった頃だった。
森が途切れ、広い草原に出た。遠く、連なる山脈に沈んでゆく太陽は赤々と世界を染めていた。
「シラギ、お願いがあるんだけどいいかな。」
「何でしょう?」
シラギは小首を傾げてこちらを振り向く。可愛らしい仕草に、少し照れくさい気持ちになる。
「敬語で話すのやめてほしいんだ。それから、様付けで呼ぶのも。これから長い旅になるんだろ、お互い気を使わずに居心地の良い関係になれればいいなと思うんだ。」
シラギは予想外の言葉だったのか、少し驚いたような顔で固まった。
「分かりまし、、、ううん。分かったわ。これからどうぞよろしくね、マシロ。」
はにかんだ表情で差し出されたシラギの手のひらが夕日色に輝いている。俺は手のひらに手のひらを重ね、しっかりと少女の手を握った。
きっと、この握手から始まる。二人の旅に幸あれ、俺はシラギの手の温もりを感じながら女神様とやらに祈った。
「ところでシラギ、さっきから気になってたんだが、俺たち何かに付けられているよな。」
「ええ。マシロも気づいてたのね。」
俺たちは手を繋いだまま振り返った。
日が暮れかけた深い森は逆光もあり、暗くて奥が見えない。
ガサガサ............ガサ、ガサ...............
茂みが不穏に揺れる。獣臭が濃くなる。一定の距離を保っていた息遣いが、すぐ近くで聞こえる。
俺は、咄嗟にシラギを庇いながら後ずさった。
次の瞬間だった。何かの影が目にも留まらぬ速さで茂みから飛び出し、俺とシラギの前に飛び降りた。
「.......................」
「.......................」
両者の間を緊張した沈黙が流れる。
森から飛び出してきたのは、それはそれは凶悪な顔つきの猛獣、、、ではなく、キツネだった。銀色の毛並みを風になびかせ、ガラス玉のような瞳に警戒の色を浮かべている。じりじりと距離を詰めてくるキツネに、シラギは厳しい目を向けた。
「いったいここで何をしているの?答えなさい、、、ギン。」
問われたキツネは、目を伏せた。
「クーーーーーン」
悲しそうに鳴く声には哀愁が漂っている。
「質問に答えなさい!」
キツネは逡巡するように尻尾を揺らしていたが、やがて動きが止まり、くるりと宙で一転した。
次の瞬間、目の前には銀髪につり目の青年が立っていた。俺は、目前で起きた現象についていけず、ひどく間抜けな顔で固まった。
「お、おま、お前、ギンなのか??」
「おう。今朝ぶりだな、おっさん。」
ギンは生意気そうな目を緩めて、ニヤッと笑った。そして、躊躇いがちにシラギの方を伺った。
「姫様、勝手をして申し訳ありません。ですが、私の生きる場所は、出会ったあの日からシラギ姫様の横しかありません。姫様が何と言おうと付いていきます。姫様の耳となり盾となり生きていきたいのです。」
ギンは足元に跪き、頭を垂れた。
シラギは悩ましげに眉根を寄せていたが、ふと切れ長の目尻を下げ、ため息を漏らした。
「もう勝手にしなさい。」
そう言うと、俺の手を引っ張って草原を歩き出した。俺は、驚きが冷めやらず後ろのギンを振り返った。
そこにはもう青年の姿はなく、綺麗な毛並みのキツネが歩いていた。
祭りの時に、少女が触りたがっていたのは、キツネ姿のギンの毛並みだったのか。
肉食って言ってたのも、本当に肉食獣だったんだな。
俺は、ギンの言動に納得して一人大きく頷いた。
こうして、俺たち二人と一匹の旅が始まった。