第1話 怒国の姫君
.....はぁはぁ、、、、、
巨大な苔むした岩や大樹の根が多い森の道なき道は、舗装された歩道になれた現代人の俺には歩くので精一杯だった。
おまけに、少女は小動物のように機敏に飛ぶようなスピードで進んでいく。置いていかれまいと必死で追いかけていると、息が上がり汗でぐっしょりと体が湿っていた。
少女は振り返り、疲労困憊な俺に気がつき、申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。
「すみません。少し急ぎすぎましたね。」
数メートル後ろにいる俺のところに戻ってきて、
「集落はこちらです。」
と前方の深い森の奥を指し示すと、俺の横に並んで歩き出した。そこから数十分は、滑りやすいところや危なそうな場所は、少女が手を貸してくれるようになった。
ひと回りも年が離れた女の子に手を貸してもらって歩くのは気恥ずかしかったが、その優しさがありがたかった。
20台も後半になると徐々に体力の衰えを感じるようになったし、日頃の運動不足もたたって全体的に貧弱になったと思う。それに比べて、横を行く少女はなめらかでハリのある瑞々しい肌、機敏でしなやかな足取りから、溢れんばかりの若さを感じる。
「そういえば、名前聞いてなかったけどなんていうの?」
少女は、立ち止まって姿勢を正し、まっすぐな瞳を俺に向けた。
「我が名は『ド・シラギ』、怒国の国主を務めております。」
少女の凛とした名乗りからは気高さが感じられ、国の代表者として教育されてきていることが伺われた。
「国主って、すげぇな。まだ16歳かそこらだろ。その年でもう国を任されているのかよ。」
俺は驚きと感心を込めて、改めてシラギを見つめた。
「あまり見ないでください。私は国主とは名ばかり、まだ治世者としては勉強中です。それに、エルフなので年齢は、あ、集落はすぐそこです。」
シラギが指差す方向からは、川のせせらぎと共に人の声がわずがに聞こえた。
「シラギ、その、俺はあまり人当たりの良い方では無いんだが、、、、集落の人たちに嫌われないだろうか?」
俺は人付き合いが得意ではなく、空気が読めずジャパニーズスマイルもできないため、劇団内やバイト先でも人気者だったとは口が裂けても言い難い。
そんなコミュ障な俺に、シラギは柔らかく微笑みながら、ささやいた。
「大丈夫ですよ。だって貴方は、、、、皆が待ち焦がれた伝説の勇者なのですから。」
一見凛々しくキツい顔にも見えるシラギだが、微笑むと天使のように可愛らしい。俺は図らずも照れてしまい、顔が赤くなるのを感じて、シラギから顔を背けた。
「おーーーーーーい、姫様のお帰りだぞーーーーー!!!」
中年男性の大きな声が響き渡ったのは、俺とシラギが森の中にあるぽっかりと開けた空間に出たのと同時だった。
深い森の中に目が慣れていたので、開けた空間に出た途端、日差しが眩しく目を瞬いた。
そこは草地となっており真ん中に小川が流れている。川では洗濯をしている女性が数人おり、原っぱでは子供達が駆け回っているという牧歌的な風景が広がっていた。家屋は何処にあるのかと見回していると、それに気づいたシラギが頭上を目線で示した。
そこには、俺が見たこともないような集落の姿が展開されていた。ツリーハウスとでも言うのだろうか、大樹と同化するような木製の家屋が様々な高さに作られており、一部は木の中をくり抜いたような樹洞を部屋として使っている。また、樹と樹は木材とロープでできた吊り橋で繋がっており、樹上で家屋を行き来できるようになっている。
俺が集落の様子に見入っていると、いつの間にかシラギと俺の周りに多くの人が集まってきていた。人々は皆、古代日本を彷彿とさせるような布と腰紐を基本とした服装をしており、黒い髪に意思の強そうな紅い瞳を持っていた。
「姫様、その者が結界を破った侵入者ですか?」
一人の青年が進み出て、シラギに尋ねた。俺のことを不審そうにちらりと見る。
「ギン、無礼な発言は慎みなさい。この方は、、、このお方は、我らが国の救世主となる方。伝説の勇者様なのですよ。漆黒の聖石が何よりの証拠です。」
ざわっ.............ざわざわ......
シラギの言葉に人々がざわめいた。驚きと不審と期待の混ざったような眼差しが俺に注がれる。そして、多くの人が俺の手の甲を注視している。
「皆、何を騒いでおるのじゃ。」
すぐ真後ろからしわがれた声が聞こえて、驚いて振り返ると、服が触れそうなほど近くに腰の曲がった老婆が杖をついて立っていた。.......全く気配を感じなかった。
俺は、老婆からただ者ではない気配を感じ、その姿を観察した。シラギと同じ巫女のような白と朱色の装束に身を包み、しわくちゃの顔に柔和な微笑みを浮かべている。一見すると気の良い近所のばぁちゃんといった表情だ。今にも、飴ちゃんいるかい?と聞いてきてもおかしくない。しかし、体全体から圧迫感を感じる “気” のようなものを放っており、常人ではないことを隠しきれていない。
「長老。」
「おばば。」
シラギとギンと呼ばれていた青年が同時に老婆に呼びかけた。
シラギが老婆の耳元で何か囁くと、老婆は深く頷き、俺を見上げた。
「よくいらっしゃったらのぉ。歓迎いたしますぞ、勇者殿。立ち話はこの老体にちと辛いでの、どうぞ中でゆっくり話しましょうぞ。」
老婆に案内されて、俺とシラギはツリーハウスの一つ、ひときわ立派な神社を思わせるような家屋に入った。ギンも付いて来たそうにしていたが、シラギに何事か言われ不服そうに家屋の外に留まった。
屋内は仕切りのない広い空間が広がっており、奥に供物が置かれた祭壇のようなものがあるだけであった。しかし、祭壇に向かって両側に人がずらりと並んで座っており、なんとも重圧感のある空間になっていた。
それに加えて、俺たちが建物に入ると人々は一斉に頭を垂れ、礼の姿勢のまま動かないのだ。俺は居心地の悪さを感じながら、老婆とシラギと並んで祭壇の前、最も奥の上座に腰を下ろした。
その気配を察してか、人々は顔をあげ、姿勢を正して座り直した。
まるで、江戸時代の殿様のような扱いだ。
「皆、揃っておるの。では、姫から今日の顛末を説明してもらおうかの。」
老婆に促され、シラギが緊張した面持ちで話し始めた。
「今日、結界が破られ領内に侵入者が入ったという話はご存知かと思います。私は侵入者を捉え、侵入経路を確認するために領内を探索に行きました。東の森、聖樹の根元にこの方が倒れているのを見つけました。初めは侵入者だと思い、無礼にも弓矢を向けてしまいましたが、手の甲の漆黒の聖石に気がつき、弓を下ろしました。その後、集落まで来て頂いた次第です。私がこの方の聖石に触れた瞬間、強大な力でマナを吸われそうになりました。漆黒の聖石は、伝説の書に記されたものに間違いありません。この方は、紛れもなく伝説の勇者様です。彼は、『気づいたらここにいた。先刻までは全く違う場所にいた。』と言いました。おそらく、女神の書にも登場する異世界転移でしょう。他の神が作られた世界から我らが女神の世界【御心】に転移したと思われます。彼の服装がこの世界のどこにも売られていないような奇妙な形をしていることからも、異なる世界の生まれであることが伺えます。」
俺が物言いたげな視線を投げかけているのに気づいたのか、シラギは言葉を区切り、俺の方を見て頷き、再び口を開いた。
「勇者様は伝説についても聖石についても知らず、何も把握できていない困惑した状態のまま、急かす私について集落まで来てくださいました。重なる非礼をお詫び申し上げます。勇者様の疑問である伝説と聖石について、そして、切り離すことができない我が国の危機についてお話し致します。
この世界【御心】には、世界の全てについて書かれている伝説の書というものがあります。その書は、所々書かれていなかったり判読不可能な部分もある上、最初から未完の書です。しかし、“伝説の勇者”という章は中でも丁寧に書かれており、女神様の思いの強さが伺えます。そこにはこう書かれています。〜世界の秩序が崩れる時、異世界より来たる勇者が世界を救うであろう。勇者は漆黒の聖石を宿す。漆黒は全てを飲み込む絶大な器なり〜」
シラギの説明が一通り終わり、一同は沈黙した。
「あ、あの〜聖石についてもう少し詳しく教えてもらえないでしょうか?こちらの世界に来て、いきなり手の甲に石が埋め込まれていて物凄く違和感なのですが、、、、。それと、勇者って呼び方、生まれてこの方されたことないので全くしっくりこないです。俺の名前は弥生馬白と言います。できたら、弥生とか馬白とかしろたんとか呼んでもらえると嬉しいです。」
両脇にずらっと並んだ人々の中で、一番俺に近い祭壇よりに座っている髭を蓄えた中年の男性が頷きながら口を開いた。
「聖石は、マナの生成と貯蔵、変換と放出を行う器官です。この世界では、生まれた時から手の甲にこの聖石が埋め込まれています。怒国で生まれた赤ん坊は赤色の聖石を宿し、怒りのマナの加護を持って生まれます。マナとは感情の力でして、このマナをもとにして魔法を使います。この世界は、国や地域ごとに加護を受けるマナの種類と聖石の色が異なります。我が国の怒りのマナは、炎との相性が良く、攻撃魔法に向いていると言われています。弥生殿、あなたの持つ黒色の聖石はこの世界でただ一つしかない特別なものです。伝説の書の解釈から、恐らく吸収魔法に強い聖石だと思われます。これから長く付き合っていくものですので、徐々にマナの扱いや魔法の使い方に慣れていくと良いと思います。」
俺は、男の説明を頭の中で整理しながら、重ねて質問した。
「説明ありがとうございます。聖石については何となく分かってきました。ところで、俺は一体ここで何をするんですか?俺は元の世界では、売れない役者で、アルバイトでやっているレジ打ちくらいしか特技がないんですが、、、」
男は俺の二度目の質問に、微かにか頬をこわばらせ神妙な顔になった。そして、シラギに似た意思の強そうな真っ直ぐな瞳を俺に向けた。
「弥生殿、貴方にお願いがございます。単刀直入に申しますと、我が国を救って頂きたいのです。我が国は、最も強靭なマナである怒りの加護を女神より授かり、世界創造時から世界の盟主として君臨してきました。しかし、ここ400年ほど、我が国のマナは衰弱の一途を辿っております。マナの弱化の弊害は様々な害悪をもたらしていますが、近年最も危ぶまれているのは竜の封印の弱化です。竜が封印されて、人々の暮らしに安寧が訪れてから長い年月が経ちましたが、再び害獣が解き放たれ世界に恐怖が蔓延しようとしています。どうか、我らの国を、我らの世界を竜の恐怖からお救い下さい。」
俺はスケールの大きな話に戸惑いながら、シラギと老婆の方を見た。
「筆頭長がおっしゃる通りです。怒国が400年前に封印した竜が解放される前に、私と一緒に諸国を巡る旅に出て欲しいのです。お恥ずかしながら、今の怒国の力では一国で竜と戦うことはできません。他国と同盟を組み、竜討伐連合を結成するのです。私とともに来てくださいますか?」
シラギは祈るような瞳で俺を見た。その声は震え、瞳は微かに潤んでいた。
一国の主である重責に必死で耐える女の子を目前に、俺は自然と頷いていた。
「俺に一体何ができるのか分からないけど、やれることは手伝うよ。ただし、俺にも一つ条件がある。」
そこで俺は一息つき、続けた。
「元の世界に戻る手段があるなら全力で試したい。もし戻れないなら、この世界で役者になりたいんだ。」
誰に何と言われようと、笑われたって譲れない俺の夢なんだ。
「.........役者???」
シラギが怪訝に首を傾げた。
「それは一体どのようなものですか?恐らくこの世界には存在しないものかと....しかし元の世界に戻れる手段は限りなく0に近いと言われています。この世界でも“役者”になれると良いのですが....」
「............!!!!!??!........!!!???!」
役者がいないだって?演劇が存在しないのか、観劇の素晴らしさを知らないっていうのか......信じられない。俺の世界では、紀元前5世紀にはギリシア悲劇が存在したし、日本でも奈良時代には能楽の起源とされる散楽というものがあったと言われている。いや、諦めるのはまだ早かろう。もしかしたら怒国にないだけで、他の国には演劇があるという可能性もある。
「分かった。俺にも諸国を旅する目的ができた。演劇をこの世界で探す。もしないなら俺が作るんだ。」
集まっている一同は俺とシラギの会話を黙って聞いていたが、ひと段落ついたと感じたのだろう。
筆頭長が結びの言葉を述べた。
「それでは、勇者殿の今後の活躍と怒国の繁栄を願って、この場は一度解散したいと思う。明日は、年に一度の御心祭だ。一同、準備に戻ってくれ。」
集まっていた人々は、安堵の表情を浮かべながら談笑しつつ屋外へと出て行った。
残されたのは、俺とシラギと老婆と筆頭長だけであった。
「弥生様、旅立ちは御心祭をお楽しみ頂いてからにいたしましょう。しばしの間、この怒国でゆっくりと休まれて下さい。御心祭は、競技大会や歌や踊りの舞台があります。屋台もたくさん出ますので、ぜひお楽しみ下さい。こんな時に祭りをするのかと思われるかもしれませんが、こんな時だからこそ、民の憂さを晴らし心を癒やす祭が大切だと考えています。」
シラギは話し終えるとにっこりと微笑えんだ。
老婆と筆頭長がそんなシラギを優しい眼差しで見ている。
「弥生殿、旅立ちまで泊まって頂く場所に案内するので、私に付いてきて下さい。」
筆頭長に案内され、辿り着いたのは大樹の中の大きな空洞を部屋にした場所だった。
「改めて我が国へ来てくださったこと、感謝いたします。どうか、シラギをよろくしく頼みます。あの子は、国主といってもまだまだ子供な部分が多くあります。後先考えずに正義感から無茶をするところもあります。あの子の真っ直ぐさは諸刃の剣です。どうか道中、支えてあげてください。」
心配そうに話す筆頭長は、我が子を旅に出す親のような顔をしていた。
もしかすると、本当に血縁者なのかもしれない。
筆頭長が出て行って、しばらくするとシラギが食事を運んできた。
木のお盆に乗った食事は湯気が立っていて、食欲そそる香りを漂わせている。
「イジの肉のカシの葉焼きと、ナトの和え物、ラントの汁です。お口に合うか分からないのですが、どうぞお召し上狩りください。着替えを用意したのでこちらに置いておきますね。水浴びは、集落中央を横切る小川で行うのが良いと思います。明日は、ギンという青年が祭りを案内しに伺います。今晩はごゆっくりお休みください。」
シラギは部屋の中央にある机にお盆を置くと静かに出て行った。
食事は、どれも素材の味を活かすような薄めの味付けで、和食と似ていて食べやすかった。お米があれば完璧だなぁと思いながら、布団のようなふかふかした布が敷かれている上にごろりと横になった。
しかし、俺が『伝説の勇者』か。そんでもって、『お姫様と竜退治』か。
突拍子もない展開だが、悪い気分ではない。今まで、モブ中のモブな人生を送ってきた。この世界では、俺がいないと物語が進まないような主演級の立ち位置だ。
..........主役、弥生馬白.....ヒロイン、シラギ.....むにゃむにゃ
俺は大舞台で主役を演じる光景をまぶたの裏に浮かべながら、いつの間にか寝落ちていた。