第21話 修行その四
数万人の歓声と熱気に包まれ、旋棍を握る手にじわりと汗を感じる。
最速で走り出そうと踏ん張る足は、体力の限界を訴えている。
まずいな、今回は思ったよりも時間がかかってしまった。
「どうした、もやしっ子。もう終わりか?!」
日に焼けた逞しい肩を鳴らしながら、ガジャは蔑んだ瞳で俺を見ている。ここ嫉妬国では、強者こそが正義、裏を返せば弱者は罪悪という価値観なのだ。
ガジャは小さなため息をつくと、俺との戦いに決着を着けようと巨大な斧を構え直す。
俺は、その小さな動作の隙を逃さなかった。ガジャは、斧を振り上げる時、逆の手もわずかに上がる。そして、今のガジャは勝利への執着に感情が支配され、油断の波長が流れている。
「何?!」
ガジャが振り下ろした斧を、俺の左手の旋棍が受け止める。流石の重量に骨が軋む。だが、一瞬さえ我慢できればいい。俺は、がら空きのガジャの左脇に右手の旋棍で打撃した。
「グアアァーーーー」
ガジャが呻きを上げる。と同時に歓声も湧き上がり、がジャの声がかき消される。
ミーナの教えが脳内でこだまする。
ー戦闘において大切なのは、相手の波長を読むことだ、そして己の波長を読ませないことだ。この世界において波長とは魔力の流動、すなわち感情の波のことだ。
「役者なめんなよぉおおおおーーー!!」
俺がわざと垂れ流しにしていた疲労と恐怖の波長をガジャは信じ込んでいたのだ。見ている人も自分すらも騙すほどの感情を生み出すこと、すなわち演技することは得意だ。
「おのれ、もやし小僧ーーーー!!」
ガジャは屈辱に顔を歪めながら、何とか斧をかまえ直す。だが、ガジャが斧が振り上げるより、俺がガジャの脛を旋棍で薙ぎ払う方が僅かに早かった。ガジャはバランスを崩し、ドスンと尻餅をついた。
再度、脳内のミーナが耳元で囁く。
ー旋棍は威力の弱い武器だと思うかい?それは、使い方を知らないだけだよ。いいかい、旋棍はリーチが短いと思われがちだけど、そうじゃない。自分の手のように使える旋棍だからこそ、肩から先、腕と旋棍は一体化した武器として使うんだ。
俺は、腕をしならせ遠心力を最大限利用して、旋棍の先端でガジャの脳天を薙ぎ払う。
「グアァアアアーーーー」
ガジャの呻き声を会場の歓声が搔き消す。同時に、重たい鐘の音が鳴り響く。
ゴーーーーーン
何とか勝てたらしい。
この接近戦闘技大会の勝敗は、観客が決める。観客は入場時に嫉妬国の刻印が入った石を5つ渡される。観客席には左右に石を入れる穴がついている。試合中、より強い戦士だと判断した方にの穴に石を入れる。石は、その穴から落ちて、審判がいる集計所へと転がっていく。会場全体から投石された石の数が観客数の3倍に先に届いた方が勝ちとなる。
この試合、途中まではガジャから見ても観客から見ても明らかに俺の劣勢だっただろう。
反撃するまで、勝敗が決せずに済んで助かった。観客は、最初からどちらかが強いと感じてもまだ試合を見たい時には投石しないし、逆にもう試合を見たくないと感じればすぐに投石するのだ。
何故だか分からないが、俺の試合は長引くことが多い。俺の戦闘スタイルがそうだというのもあるが、観客が石を出し惜しみしている感がある。
頭を抱えてうずくまるガジャの元に、癒し手が走り寄り回復魔法を施している。俺は、邪魔になりそうなので退散しようと踵を返した。
「おい!おい、もやし小僧、いや、、、旋棍小僧!」
ガジャが苦しげに顔を歪めながら、止める癒し手を押しのけてこちらに声を張り上げている。
俺はびっくりして振り返る。
「お前、線は細いけど、堅い芯があるな。もやしじゃねぇよ。今日から旋棍小僧だ!」
なんだか、うまいこと言ったみたいな顔してるガジャに近寄り、頭を小突く。
「痛っ!何しやがる!」
「もう少しマシなアダ名考えろよ、脳筋ジジイ。」
ガジャは悔しげに俺を睨むと、唾を飛ばしながら吠えた。
「次は負けねぇぞ。旋棍洗って待ってろよ!」
「それを言うなら首洗ってだろ、旋棍洗ったらサビちゃうよ。」
ガジャと俺は憎まれ口を叩き合いながらも、戦闘中とは違い和やかな空気が流れる。良い試合の後は、闘技者同士お互いの強さを認め合い親睦が深まるのだ。どんなに痛い技を喰らっても、むしろ正確に強烈な技が決まれば決まるほど両者の絆が生まれるのだ。不思議な国だ。
そろそろ後ろに控えている癒し手たちの剣幕が怖いので、ガジャに軽く手を振り、客席へと戻る。
「マシロっ!お疲れ様!」
客席では、試合を応援してくれてたシラギとギンが待っていた。
「今回もギリギリ勝てたみたいだな。」
ギンがニヤリと笑いながら、冷えた飲み物を手渡してくれる。
「あぁ、何でかすぐに石を投げないでいてくれるから助かるよ。旋棍は闇雲に打数を増やしても有効打にはならないからな。急所に一発打撃できる隙を狙う時間が必要なんだ。そのために、試合の前半は相手の攻撃の癖や弱点を探る必要がある。そうすると、どうしても受け身になっちゃうんだよなぁ。まぁ、俺の試合のお客さんは慎重に石を入れるみたいだからいいんだけど、、、でも何でかなぁ。」
俺が首を捻っていると、シラギが小さく口を開いた。
「マシロ、、、その理由はたぶん、、。」
シラギは言いにくそうに視線を泳がせる。その時、俺たちの席のすぐ脇の通路を、大声で宣伝しながら練り歩く声が聞こえた。それは、聞き慣れた方言と愛嬌のある声だ。
「伝説の勇者!勝利を勝ち取った瞬足必殺打撃の戦士、ヤヨイ・マシロはかの有名な伝説の書で称えられし勇者なんやで!お客さん、ヤヨイ・マシロ、ヤヨイ・マシロに賭けまへんか?今後も良い試合しはると思いますで〜。」
選挙カーのように人の名前を連呼しながら観客席を縫うように歩くジェリーがいた。
「おっお前!ジェリー!」
ジェリーはチラリと俺の方を見るとペロリと赤い舌を覗かせた。
「伝説の勇者!黒い聖石を御手に宿す戦士!ヤヨイ・マシロ、ヤヨイ・マシロの勝利に賭けませんか?あぁお客さん、今の試合賭けてくれてはったなぁ、ほなこれ賭け金倍になったでぇ〜ちなみにコレな、伝説の勇者御用達のダバ茶やで。世界最強と名高い竜族のお茶、記念に買いまへんか?」
ジェリーの後ろをついて歩くジュリーと目が合うと、いたずらが見つかった子供のように、焦ったように目を逸らしてそそくさと立ち去った。
だからか、、、。近接戦闘技大会への参加を半ば強要するジェリーのもとへ俺たちを連れて行く時、ジュリーが無言で目も合わせなかった理由が何となく分かった。
「あんにゃろ〜ジェリー、何でそんなに俺に接近戦闘技大会への出場を勧めるのかなって不思議だったけど、これが目的か!人をダシにしやがって!商売狂いが!」
俺は悪態をつきながら、飲み物を飲み干した。何でも商売につなげるジュリーの商人根性には呆れながらも、いかにもジェリーらしいと喉元に可笑しさがこみ上げてくる。
「ぶはっ、はははっ、、、あいつ、俺の試合で賭博してんのかよ。ますます、負けらんねぇなぁ!」
俺とジェリーの邂逅を心配そうに見守っていたシラギは、いきなり笑い出した俺に面食らいながら、尋ねた。
「マシロ、怒ってないの?」
「え?あ、あぁ。怒ってる、めちゃくちゃ怒ってるさ。絶対負けてたまるかって気分だぜ。」
そう、この近接戦闘技大会はトーナメント制で行われる。各国の腕っ節自慢が1000人以上参加しているため、優勝するには10回ほど勝ち続けなくてはならない。昼夜問わず試合は1週間ほどぶっ通しで行われる。俺にとって、ガジャとの試合は3試合目だった。
1試合目は、チーターのような見た目の獣人だった。俊敏さと跳躍力が強みだが、持久力はさほどないため、疲労の波長が色濃くなってきたあたりで華奢な足首にねじ込んだ一撃が有効打となり、勝利した。
2試合目は、忍者のような漆黒の服を身に纏った少女だった。感情の掛け合いが、複雑かつ姑息な手段も選ばないため苦戦したが、感情の起伏が機械的なため規則性を見抜くことができた。少女のか弱さに同情したふりをして油断させた隙に、旋棍で少女の武器クナイごと薙ぎ払い腹部を強打し、勝利した。
そして、俺の次の相手は去年の優勝者『ジル』、通称『鉄仮面ジル』。感情に一切乱れがないことで知られている。感情の読ませ合いで勝機を掴みに行く俺にとって、最悪の相手だ。3試合目で、ジルに当たってしまったのはツいてないと言わざるを得ない。
「次のマシロの試合は明日の朝よね。今日はゆっくり休んだほうがいいわ。」
マネージャーのようなことを真面目に言うシラギの真剣な顔に、やる気が湧いてくる。
俺たちは、闘技場からほど近い宿に戻り、早々に就寝することにした。
安宿の薄い布団に体を滑り込ませ、目を閉じる。ありありと瞼の裏に浮かんでくるのは、ミーナとの修行中の場面だ。
俺は一週間、ミーナお手製の地下迷宮で、気色悪い色の虫と戦い続けた。紫色の芋虫、緑色の蝶、橙色の甲虫、、、、。あの修行から、毎日夢に見るのだ。芋虫の脳天に旋棍をねじ込んだ感触、蝶の羽をもぎり取る感触、真っ青な体液の飛沫を浴びながら甲虫の腹に旋棍を振り下ろし続けた感触。
もう戦いたくない、殺したくない。何度もそう思った。
でも、ミーナは容赦無く戦うべき相手を出現させる。
『戦士は矜持を持った殺人鬼だよ。殺せ殺せ殺せ!殺すことに躊躇するな!殺らなければ殺られる、それが戦場だよ!』
嬉々として叫ぶミーナの顔も細部まで覚えている。瞳は爛々と輝き、小麦色の肌は溢れんばかりのエネルギーに包まれている。しかし、ミーナは夜になると別人のように静かに諭すのだ。
『なぜ君は戦うんだい?どうして強くなりたいんだい?その理由次第では、ミーナは強くなった君を殺さないといけない。これから先、どんなに強くなろうとも戦士の矜持を忘れないでくれ。ミーナみたいに、、、、ならないでくれ。』
俺は、ベッドから起き上がり、宿の窓から見える闘技場の灯りを見つめた。ミーナはあの時、どうして泣きそうな顔をしていたのだろう。俺の戦う理由は、ミーナを納得させられたのだろうか。
ガラガラと台車を引くような音に、視線を落とすと、重そうな荷台を引くジェリーとジュリーの姿が見えた。人目を憚るように、二人の姿は暗い路地へと消えていく。あの二人はこの国に来てから、少し様子がおかしい。まぁ、子うさぎ二匹の奇行はいつものことだ。大したことではないだろう。
俺はその日、紫色の芋虫をもしゃもしゃと美味しそうに食べ尽くす透明ウサギのジェイの夢を見た。
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「東ーーーヤヨイ・マシローーーー!西ーーーードン・ジルーーーー!」
まるで相撲のような呼びかけも聞き慣れてきた。
いつもより一層大きく反響している歓声は気のせいではないだろう。宿から闘技場までの道のりも、ジルの噂で持ちきりだった。俺の話題など一言だって聞こえてこなかった。まぁ、注目されない舞台なんて慣れてるさ。いつだって脇役だった、それでも精一杯俺の演技をやり通すだけだ。
ゴーーーーーーーーーーーン
開始の鐘が鳴り響く。
いよいよ、試合の幕開けだ。
俺は周囲の歓声を遮断し、意識をジルに集中させる。ジルは目つきの悪いスキンヘッドの男だった。その三白眼からは、一切の感情を消しており、表情にも隙がない。困ったな、、、俺の顎から冷や汗が滑り落ちる。
動かない俺を蛇のようなジルの目が舐めるように見つめている。
次の瞬間、わき腹に激痛が走ると同時に俺は数メートル宙に吹っ飛ばされた。
受け身を取ろうと、空中で体勢を変えようとした俺の試みは、間髪入れずに打ち込まれた頭部への打撃に阻まれた。
霞む視界に、ジルの姿を捉える。腕を前に構えながら、軽くジャンプして次の攻撃に備えている。なるほど、武器なし、か。ジルの武器は言うなれば己の体だった。空手のように、拳を使って攻撃してくるのだ。
大気を震わすほどの大歓声に包まれる会場には、俺の勝利を予想する者など一人もいないのではないか。
俺は、血の味のする口内から赤黒い唾を吐き出した。上等だ、鉄仮面ジル、確かにお前の感情は全く読めない。
だったら、一方通行でいい。俺の感情ありったけ受け取りやがれ!
俺は、恐怖・困惑・見栄・勇気・焦燥、幾多の感情を全身から吐き出した。会場は俺の感情の渦に飲まれ、観客は声も失い静寂に包まれる。その瞬間、ジルが体を強張らせる。俺は渾身の一撃をジルの胸部に打ち込む。、、、はずだった。
俺の起死回生を図った一撃はいとも簡単にジルの拳に撃ち落とされ、続けざまに3発頭部に鉄拳を食らう。俺は虫けらのように、地面に倒れ、頭蓋の痛みにのたうち回った。予想外の展開に声も忘れて静まり返る観客席の中から、よく通る子供の声が聞こえてきた。
「東ーーーーヤヨイ・マシロ!伝説の勇者なんやで!負けるわけありまへんがな!おいらは、何があっても東に賭けまっせーーー!」
俺は、ジュリーの声に正気に返る。どうにか、立ち上がろうと地面についた手をジルが容赦無く薙ぎ払う。
「俺は、俺は勇者なんだーーーーー!」
自分を鼓舞する雄叫びをあげて、飛びずさりジルと距離を測る。万策は尽きた。尽きたが最後、俺の矜持を見せてやる。
無表情で小首を傾げるジルに向かって、旋棍を振り上げ全力で突っ込む。
本当の幕開けはここからだ。