第20話 修行その三
「シラギ!!」
紅の瞳の少女は、汗ばんだ額を上げこちらに視線を向けた。
「マシロ!ジュリー!」
その顔にはみるみる喜色が広がり、つり目がちな目尻を柔らかくして走り寄ってくる。すぐ後ろには、銀の毛並みを風になびかせた美しい狐の姿も見える。
「二人とも無事だったのね。良かったわ。」
「お前ら心配してたんだぞ。」
見慣れた二人のいつも通りの顔に、安心感からか目頭が熱くなる。数日ぶりの再会だが、この世界に来てから毎日顔を合わせてきた二人との離別は俺にとってひどく長いものに感じた。
「シラギたちも元気そうで良かったよ。何より合流できて良かった。」
「あたし達からしたら、みんなの方が消えたように見えた。」
シラギは普通に話しかけてくるジュリーに少し驚いたように目を見張った。そういえば、シラギ達とはぐれる前までジュリーはほとんど言葉を発していなかった。妹のような存在であるジュリーが、仲間と打ち解けていく様子には俺も心が温まる。
ジュリーがキョロキョロと辺りを見回しながら、シラギに問いかける。
「兄者は、、?」
「ジェリーは、街に入った途端に『俺は本業に勤しむ。ほな。』って言って荷車引いてどこかに行っちゃったわ。街には居ると思うんだけど、行き先を聞く間もなく急いで行っちゃったのよ。」
シラギは少し申し訳なさそうに答える。
そんなシラギに対してジュリーはくすりと笑った。
「大丈夫。それは、兄者の本気モードってやつだ。」
「本気モード?なんじゃそりゃ。」
「兄者、お金の匂いに敏感。商機を嗅ぎつけたら、一目散。私も、ご飯食べたら兄者のところに行って手伝う。」
ジュリーは何かを嗅ぎ分けるかのように小さな鼻をヒクヒクとさせた。
「そうだ、俺たちお腹がペコペコなんだけど、ギンどこか飯屋知らないか?」
俺たちの会話を横目に、大口を開けてあくびをしている銀狐の方に質問を投げる。
「それなら、『体が資本亭』が美味いぞ。こっちだ。」
そこは、木造の無骨な店構えの料理屋だった。昼時はとうに過ぎているにも関わらず、店内は賑わっており、俺たちは大柄な獣人グループの横に何とか席を確保した。
「らっしゃい!体が資本!」
ピッタリと体に張り付いたTシャツ越しに筋肉を見せつけた店員が元気よくこちらを振り向く。
ギンが軽く手をあげると、店員は親しげに白い歯を見せた。
「ガバの丸焼き2つ!」
ギンはいつものやつって感じで躊躇いなく注文した。
「おい、まだ選んでないぞ。」
「ガバの丸焼きは嫉妬国の名物だ。一度は食べといた方がいいって。」
そうか、まぁよかれと思って頼んでくれたならありがたく頂こう。けど、他にも食べてみたいものあったんだけどなぁ。俺は店の壁一面に貼ってあるメニューが書かれた紙をぐるりと見回した。年期の入った茶色く変色した紙に達筆な文字で書かれている。食材を知らない俺が見ても、どのメニューも美味しそうだ。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「しっかし、何で俺とジェリーだけはぐれたんだろうな?シラギたち何か思い当たることあるか?」
「それなら、嫉妬国の人に聞いたわ。近接武器を所持している人しか選別の森には入れないらしいわ。マシロは喜国で買った旋棍持ってるけど、ジュリーも近接武器使うの?」
ジュリーは仕方ないなとでも言いたげに気だるげに花柄のポシェットから鋼鉄の手甲鉤を取り出した。
シラギとギンが息をのむのが気配で分かった。
「驚国の忍術武器、、、どこでこれを?」
「仕事で驚国に行った時に買った。」
ジュリーは小さな口を尖らせながら呟いた。
シラギはわずかに顔を引きつらせた。
「仕事?」
「お待たせしやした、ガバの丸焼きです!体が資本!」
先ほどの筋骨隆々な店員が、叩きつけるように大皿をテーブルに置いた。皿の上のそれは、大きな牙が生えた豚のような生き物だった。丸焼きと言うだけあって顔の表情まで見て取れる。
箸をつけるのに少しためらっていると、隣のシラギは先ほどの会話の余韻を払うようにぺちぺちと頬を叩くと、元気よく、両手を合わせた。
「頂きますっ。」
添えられているナイフでパックリとガバの腹を裂く。そして、中に詰められていたすり潰した芋のようなものと一緒にガバの肉を頬張る。
「美味しいぃ〜」
ギンはほっぺを抑えながら噛みしめるシラギに、目を細めている。
「怒国の森では、ここまで油ののった肉はなかなか手に入りませんからね。」
そうか、シラギはお姫様だけど森育ちだった。都会っ子の俺とは感覚が違うのだろう。
俺も恐る恐る薄ピンクの肉と芋の破片を口に入れる。ふわりと鼻に抜ける芳醇な肉の香りと舌に広がる油の甘みに驚く。ほろほろと口内で崩れる肉をゴクリと飲みこむと、既に次の一口を舌が求めているのが分かる。
「う、旨い、、、!」
「だろっ!」
「でしょ!」
間髪入れず、シラギとギンがユニゾンで応える。
俺たちはそれからほぼ無言でガバを頬張ることに集中した。カニを食べる時って何故か静かになるが、美味くて食いにくいものを食べる時に無言になるのはどの世界でも共通らしい。
たらふく食べた俺たちが店を出ると、外は黄昏色に染まっていた。ジュリーはジェリーのところに行くと言って一目散に雑踏の波に消えていった。
そんなジュリーの後ろ姿を見つめるギンの目元が陰っている。
「あの鋼鉄の手甲鉤、、、。やはり驚国のものですよね?」
「ええ。」
シラギの表情もどこか固い。
「さっきもそんなこと言ってたな。驚国の武器持ってたら何かまずいのか?」
「まずいっていうか。驚国の手甲鉤だとしたら、ジュリーがここで持ってるべきじゃないんだ。驚国は忍術を使う国だ。その道具や魔法は特別で、門外不出とされている。ジュリーの持ってた手甲鉤は、驚国に行ったからって買えるもんじゃないんだ。」
「手に入れる方法は、2つに1つよ。強奪か窃盗ね。」
「いやいや、ジュリーに限ってそれはないだろ。」
俺は否定しながらも、ジュリーの言葉が脳裏に浮かぶ。
ー訓練は積んだことない、実践を重ねただけ。
まさか、な。
「マシロ、わかってる。おそらく、ジュリーとジェリーに悪気はないわ。子供二人で生きていくのは、並大抵のことじゃないもの。」
シラギは悲しげに目を伏せた。
そんな俺たちの心配を知ってか知らずか、通りの向こうからジュリーが走ってこちらに戻ってくる。
直前の話題が話題なだけに、何となく気まずい空気が漂っている。
「どうした、ジュリー?ジェリー見つからなかったのか?」
ふるふると首を横に振ると、ジュリーは俺を引っ張るようにして歩き出す。
「マシロ、ジュリーどこいくの?!。」
「ねえちゃもこっち。」
「ねえちゃって?え、私のこと?」
シラギは戸惑いながらも少し照れたように頬を緩める。その間もジュリーの足は止まらず、ずんずんと先に進んでいく。
何度目かの角を曲がった頃だった。流石に不審に思った俺はジュリーに問いかけた。
「おい、ジュリー何かあったのか?」
その時だった。喧騒の中から、ひときわ大きな声が飛んできた。
「兄ちゃん!姉ちゃん!こっちやでーーーー!」
ジェリーが満面の笑みで手を振っている。ジュリーは一目散にジェリーの方に走っていく。まるで、俺たちをジェリーのところまで案内したかったようだ。だけど、どうして何も言わずに引っ張るように連れてきたんだろう。
「やぁ兄ちゃん、久しく顔を見んうちに逞しくなったんちゃうか?選別の森で鍛えられたんやってなぁ!あのへなちょこだった兄ちゃんが勇ましくなって俺は感無量やで。そうそう、そんな兄ちゃんのことを耳を長ーーくして待っとったんやで!これ!これや!逞しく勇ましい今の兄ちゃんがこの国に来たんはこれのためやろ?そうとしか思えへん!」
ジェリーは両手を大げさに広げると、路上に貼り付けられている派手な張り紙を指し示した。
〜接近戦闘技大会〜
世界に名を馳せたい強者求む 嫉妬国
「接近戦闘技大会?」
ジェリーはニヤリと右側の口角だけ上げた。
「ここ嫉妬国で年に2回開催される接近戦闘技大会は、各国から猛者が集まる世界規模の大会なんや。修行の場としてはこれ以上の場所はないと思うねん。どうや?出場するしかないやろ?」
「い、いやちょっと待てっ。」
ジェリーは焦る俺の耳元に口を寄せ、囁いた。
「この国では強さこそがものをいう。近接武器が使えん姉ちゃんでは強さが示されへん。同盟の交渉するんにも、難航するやろ。そこでや、同行者である兄ちゃんが強いとこ見せとくのは大事やと思うねん。」
その声はいつものジェリーのものより低く響き、真剣味を帯びていた。
俺はハッとしてジェリーの顔を見る。そこにはいつも通り歯を見せて愛想よく笑う顔があった。
こいつもこいつなりに、シラギのことを応援してくれてるのかもな。
「分かったよ!出る!俺は接近戦闘技大会に出る!」
「おいおい、そんな宣言して大丈夫かよ。開催日、一週間後だぞ。」
ギンが呆れた顔でこちらに目を向ける。
「マジか、、、、。」
狼狽しながら目を泳がせると、心配そうに眉根を寄せるシラギと目が合った。
そんな顔されたら、前言撤回なんてできるわけない。
「シラギ、大丈夫だ。これでも、選別の森で鍛えられたし、あと一週間死ぬきで特訓するさ。もともと、この国で修行したいって言い出したのは俺なんだしさ。」
「分かったわ。でも、お願いだから無理しないでね。勇者といえど、マシロは男の人なんだもの。」
シラギは目元に不安を残しながらも、微笑んだ。この国の男女観には未だ違和感を感じつつ、俺はシラギに微笑み返す。
「そうと決まればおいらは準備してくるわ!ジュリーこっちや!」
ジェリーはせわしなくジュリーの手を取り走り去っていく。準備って何だろう、まさか妹も出場させる気か。
「俺も大会に向けて、特訓しないとだな。」
「君の特訓、このミーナが助力するもやぶさかではないね。」
背後で、俺の呟きに呼応する声が聞こえた。
振り返ると、森で合った野生児のような風貌の少女が腕を組んで立っていた。
「マシロ、どちら様?」
「こいつどっから湧いてきやがった?」
シラギとギンが驚いて、少女から後ずさる。
「ミーナ、だっけ?特訓って、森でやったみたいなのか?」
俺は、少女の得体のなさに戸惑いながらも、特訓メニューには期待もこもる。選別の森のような特訓を行えば、付け焼き刃でもどうにかなるかもしれない。そんな甘い期待が湧いてくる。
「そんな瑣末なことはどうでもいいよ。やるの、やらないの?」
「やる!」
何にせよ修行するなら、先生がいた方がいい。そして、目の前の修行に対して一過言ありそうな少女は、先生として好ましいように感じた。
「そうこなくっちゃ。さっきの質問だけど、選別の森とは全く違うことをしてもらうよ。一週間、この3つを守ると誓ってくれ。一、手を抜かないこと。二、逃げないこと。三、死なないこと。」
「死っ?!ちょっと待ってよ、、、」
シラギが止めようと何か言いかけたが、俺はミーナの瞳をまっすぐに見て答えた。
「誓う!俺は一週間、手を抜かない、逃げない、死なない!」
「いい返事だ!嫉妬国最強の戦士であるこのミーナが、戦士たるや何かを教えてあげよう!」
ミーナは言うや否や、くるりと指を回した。
その動きと呼応するように、周りの景色の輪郭が歪む。
2回瞬きをして開けた目に映る世界は、石畳の続く薄暗い廊下だった。
カビ臭い空気に混じって、不穏な気配を背後に感じる。振り返ってはいけない、そう思いながらも逆らえない好奇心から首を回す。
俺の背後、数メートル先に、鮮やかな紫色をした巨大な芋虫がいた。