第18話 修行その一
襲い来るカミソリのような木の葉を避けるように、俺とジュリーは森の奥へと走る。
茂みの陰に数人が何とか入れるほどの小さな洞穴を見つけ、俺はジュリーを引き寄せ急いで中に身を寄せた。
木の葉の渦は、標的を見失ったかのようにはらはらと地面に落ちた。
「一体全体何なんだよ。」
俺は目の前で立て続けに起こる事象に思考が追いつかず、悪態をついた。
「兄者の気配がない。森に入った瞬間に消えた。」
ジュリーが心細そうに、つぶやく。
「森に入った瞬間、、、、。」
俺の脳裏に、古びた立て看板の文字が浮かぶ。
〜これより先、修行者以外の侵入を禁ずる。嫉妬国〜
「あ、、、。もしかして、修行者だって認知されたのが俺とジュリーだけだったのか?」
「そう、かも。兄者、、、魔法ほとんど使えない。あたしは、魔法使える。」
「いや、でもそれでも変だよ。シラギとギンは魔法使うけど、はぐれちまったぞ。」
「???????」
ジュリーはまん丸の黒目がちな瞳に困惑を浮かべ、首を傾げた。ふわふわのたれ耳も相まって、ぬいぐるみのような愛らしさがある。
「まぁ、理由はよくわかんないけど、とにかくこの怪しげな森から脱出する方法を考えようか。」
俺は、一回り以上年下であろう少女(いや、獣人も長命らしいから年齢は定かではないが)を少しでも安心させてあげようと笑いかけた。
「変な顔。」
「おまっ、人の笑顔をなんてこと言うんだ。」
「クスクス。」
ジュリーは愉快そうに目を細めた。社交的なジェリーとは正反対の少女には、少女なりのコミュニケーション方法があるらしい。俺には一体何が面白いのかわからなかったが、少しでも気が紛れたなら良かったのだろう。それに、どうやら嫌われてはいないということも分かった。
「ジュリー、さっきの木の葉だけど、きっとまた襲ってくるよな。どうやって回避して森を抜け出る?」
「マシロ、囮になる。あたし逃げる。完璧。」
「おいおいおい、それじゃ俺はどうなるんだよ。..........いや、待てよおとり、囮か。それはいいかも知れないな。」
俺たちは、見えない敵を警戒するように辺りを注視しながら、洞穴を抜け出し、一目散に森を走り抜けた。
木の葉の襲来は俺たちへ向かってこない。どうやら作戦は成功のようだ。
俺は、洞穴を走り出す直前に旋棍の1つを進行方向と逆に出来る限り遠くに向かって投げたのだ。
木の葉は動くものに反応するらしく、飛んでいく旋棍を追うように飛んで行った。
俺たちが走りついた先には川が流れ、鳥のさえずりが聞こえている。
「何とか木の葉の襲来からは逃げ切れたみたいだな。アレが何だったのかは謎だが。しっかし、一体ここはどこなんだ。どっちに向かえば森を出られるのか分かんないとどうしようもないな。」
川の水を手のひらですくって美味しそうに飲んでいたジュリーは、胡乱げに俺の方に目を向けた。
「森が深くなってる。元来た場所とは遠ざかってる。でも、アレ。」
ジュリーが指差す先には、古びた看板が立てかけてある。看板の根元には、俺が遠くに投げたはずの旋棍が置いてある。
〜修行者こちら→嫉妬国〜
「矢印の方に行けば嫉妬国に行けるってことか。俺の旋棍、、、。もしかしたら、この森が修行の場なのか?まるで、旋棍を使って困難を切り抜けて行けって言われてるみたいだ。とりあえず、嫉妬国に向かってみよう。もしかするとシラギたちも他の入国所から嫉妬国に行っているかもしれないしな。」
俺たちは、川を超えて森の奥へと歩を進めようとした。
「この川、、深いところと浅いところが混在してる。」
ジュリーの呟きに、目線を落とすと確かにその通りだった。穏やかな浅瀬に混じって、激しく渦巻く濁流が見える。足を置く場所を一歩間違えれば、足を取られてたちまち溺れるだろう。
「ジュリー、俺が安全な足場を確認して進むから、後ろをついて来てくれ。」
コクリとジュリーが小さく頷く。俺たちは川を渡るために、靴を脱ぎ裾をできる限りたくし上げた。滔々と流れる川に恐る恐る足を差し込む。
「???!!」
靴を脱いだ裸の片足が水面に接した瞬間、巨大な水柱が正面に出現した。ぬらぬらと動く水でできた巨大な柱は、人の拳を型取り、俺の横っ面めがけて飛んでくる。俺は咄嗟に、足を引っ込め陸地へ後ずさった。すると俺の動きに連動するように、水柱はパシャりと音を立てて元の小川の流れと同化した。
「何じゃこりゃ。」
俺は、魔法のような(多分魔法なんだろうけど)現象に面食らいながらもう一度足を踏み出す。今度は、あの水拳を交わすようにして注意深く歩を進める。しかし、一歩、一歩と足を踏み出すたびに新たな水柱が生じ、四方八方から俺を狙ってくる。しかも、水拳には動きの規則性はなく、生き物のように俺の動きに合わせて迫り来る。川の中央付近まで、近づいた時だった。右から迫り来る水の暴力を避けようと前かがみになった俺の腰に、左後ろから水拳が鋭く刺さった。そう、それは水でできているとは思えないほど鋭く、まるで刃物で刺されたかのような衝撃が腰骨に走る。
「うっ、、」
俺は小さい呻きと共に、川中に倒れ込んだ。川底の角が丸くなった小石が目の前に見えた。俺は、立ち上がることもできずに、水流に誘われるままに小枝のように元の岸辺へと流れていった。
後ろから襟元を引っ張られて、水中から引き上げられる体は浮力がなくなり、じっとりと濡れた自身の重力を強く感じる。
「あんな動きじゃ、向こう岸までは無理だ。」
ジュリーが重たそうに俺を陸まで引っ張り上げると、呆れたように言った。
「じゃあ、ジュリーはできるのかよ?」
ジュリーは得意げに耳をピンっと伸ばすと、返事もせずに川へと跳躍した。
まるで風のようだ。ジュリーは水面を跳ねるように軽やかなステップで、水拳を交わしながら向こう岸へ進んでいく。
考えるより反射で避けている、そうでなければ不可能な速さだった。あと少し、もう少しで対岸に飛び移れそうだと期待した時だった。
「ひゃっ、、。」
水拳の攻撃を華麗に避けて、水面に片足を着けた瞬間、ジュリーは濁流に足を取られ水中へと姿を消した。
「ジュリー!!!おい、大丈夫か?!」
ぐったりと仰向けに水面に浮かんできたジュリーが、こちら岸へと流れてくる。
さっきも思ったが、流れてくる間は攻撃されないんだな。やっぱりこれは、修行の一環らしい。俺は、冷静に考えながらも近づいてくるジュリーの青ざめた顔に胸が苦しくなる。
「ジュリー、しっかりしろ。」
岸へと運び、毛布でくるんだジュリーはまだぼんやりと目が虚ろだ。俺は毛布ごとジュリーを抱きしめながら、励ます。
「大丈夫だ、ジュリーはここでゆっくりして少し動けるようになったら火を起こしておいてくれ。俺が、対岸までの水中の足場を見つけとくから。」
俺は、軋む腰骨の痛みをなるべく意識から消して、ゆっくりと水中に足を入れた。今度は両手に旋棍を構える。修行だとしたら、コレを使えってことだろ。水拳をすんでの所で避けれない時、旋棍を程よい角度で水拳に当てることで、水拳の軌道が逸れる。角度を間違えると、水拳の一部が体に当たるが、それでも威力が軽減されているから転倒するほどではない。俺は、旋棍の使い方を工夫しながら、注意深く向こう岸へと近づく。しかし、ジュリーほどの跳躍力のない俺には多方向から迫り来る水拳を避けて進むのはやはり至難の技であった。何回か繰り返すうちに、音と気配から向かってくる水拳の軌道が分かるようになってきた。旋棍の当て方にも慣れてきた。だが、体が脳の指令に圧倒的についていかない。
何度目のトライだろう、数え切れないほどの攻撃を受けて、体のどこが痛いのか正確に分からなくなってきた頃だった。
「遅い。」
背後から鋭く言い放つ声が聞こえた。
振り返ると、焚き火の前に髪をまとめて結い上げ、裾をたくし上げているジュリーが立っていた。その手には、黒光りする鋭い手甲鉤がついていた。
「ジュリー、それって、、?」
ジュリーは軽く顎を引くと、俺の脇を疾風のように抜けて川へと飛び込む。俺が旋棍で水拳を受けたのと同様に、手甲鉤で水拳を切るように受け流して進む。速い、速い、速い、、、、けど。
「きゃあっ」
小さい悲鳴が水中へと消えていく。
ジュリーの動きは確かに俺の何倍も速い。だけど、速い分やはり足元が疎かになる。俺が進んだことのある場所までは、同様のルートを踏んで安全に進んで行けるが、向こう岸に近いエリアは足場が未知なので踏み間違える。
「痛っ、、。」
肘を抑えながら、岸へ上がってきたジュリーは悔しそうに顔を歪めている。
俺は、ジュリーに毛布を渡しながら入れ違いに川と向き合う。軋む体は、悲鳴を上げ限界を訴えていたが、まだやめるわけにはいかない。
それから俺たちは、何度も川渡りに挑んだ。俺たちの体力とは対照的に、水の拳の威力は衰えるところを知らず無情にも猛威を振るい続ける。日が暮れ、森に闇が立ち込め始めた。
「もう寒い。無理だ。」
ジュリーが小刻みに体を震わせながら訴えた。足元の川水から体力を奪い続けられている俺たちには、日が暮れて一気に気温の下がった森でこれ以上川渡りを続けるのは難しかった。
俺たちは言葉少なに簡単な食事を摂ると、冷え切った体を寄せ合って眠りに落ちた。
川面に反射する眩しい朝日で目を覚ますと、横でジュリーが炊き出しの準備をしていた。
ジュリーと二人になって2日目も、痛みと焦りで充溢した1日となった。
今の俺たちには超えることのできない修行(川)なんじゃないか。そんな絶望感を感じながら、水拳を腹部にまともにくらいうつ伏せに川を漂っていた。あれ、、、水底が近い?川底に転がる丸い石が目と鼻の先に見える。岸辺へと流されていくに連れて、川底の小石が遠ざかる。微かな違和感を感じる。
1日中、水拳の餌食になり、咀嚼も苦しく感じるなか2人で静かに夕食を摂り、焚き火で体を温めていた。昨日とほとんど変わらない状況に、ジュリーは不安で顔を曇らせている。
「跳躍と手甲鉤で水拳はかわせる。でも、同時に足場の確保ができない。」
ジュリーは力なく呟いた。
そうだ、足場さえ確保できれば水拳に集中できる。そうすれば、何とか向こう岸へ行けるだろう。
俺は血が滲んでいるジュリーの腕に薬を塗ってやりながら今日1日を振り返っていた。
何かが引っ掛かる。川底。角の取れたの石。ん?普通、川底って中央部が深くえぐられて、岸に近づくほど浅くなっているもんじゃないのか?、、、、けど、水拳に殴られて転倒した後に見る川底はいつだって小石が目先に見えた。
それって、、、
「ジュリー分かった!分かったぞ!水柱の根元だ、水拳を川の水で作るためにその足元は一瞬だけ水深が極端に浅くなるんだ。水拳に殴られる前にその根元に足場を取って、次の場所に移るんだ。それを繰り返して、向こう岸まで行くんだよ!」
ジュリーは俺の言葉1つ1つを咀嚼するように、鼻をヒクヒクと動かしていたが、やがてその眼に希望の光が灯った。
「たまには良いこと言うな、、、マシロにいちゃ。」
「ん??なんだその《にいちゃ》って。」
「だって、兄者が兄ちゃんって呼ぶから、兄者のお兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんだから。」
ジュリーはそっぽを向きながら、説明した。横から見える頬が仄かに紅く染まっている。焚き火の反射か、はたまた違うもののせいか。俺は、生まれて初めて妹ができたような気持ちになり、心がむず痒いような感覚になった。
修行3日目。俺たちは、新たな希望を胸に川渡りに挑むことにした。
しかし、言うが易し行うは難し。
水拳に嫌というほど痛みを植え付けられた俺たちの体は、水柱の根元に行くことを本能的に拒否した。
頭では、足場の安定している根元に飛び込んでいくしかないと分かっているが、踏み出す足が恐怖に竦む。もし、至近距離であの拳を食らったら骨が砕ける程の痛みに襲われるだろう。
「ダメだ、飛び込めない。足が、、、。」
ジュリーは思うように動けない足を恨めしげに見つめている。
俺もジュリーの恐怖と悔しさがよく分かる。
「ジュリー、大丈夫だ。俺が、にいちゃんが先に水柱の根元に飛び込む。大丈夫だ、俺よりジュリーの方が何倍も俊敏なんだ。俺ができればお前もできるよ。」
俺は、ガラにもなく兄貴ヅラしてジュリーのふわふわのうさ耳を撫でた。
「ふふっ、兄者みたい。」
ジュリーはここにはいない実の兄を思い出したように、見たこともないような甘えた顔で、耳を摺り寄せた。
まぁ、今は実兄の代わりに思ってもらえるだけで充分か。妹ってものはこうも可愛い存在なのかと、俺は生まれてこの方感じたことのないほどの庇護欲に戸惑った。ジュリーがどう思おうと、俺は実の妹のように守ってやろうと密かに胸に誓った。
ゆっくりと呼吸を整える。旋棍を構える。背中に感じる期待のこもった眼差しに、静かな闘志が宿る。自然と足の震えがおさまる。恐怖が鎮火される。
ーーーー水面に一歩踏み出す。