第17話 道中
「兄ちゃん、そろそろ喜国の国境やで。ここまでくれば安全や。」
「それギンも言ってたけど、国を出れば本当に安全なのか?」
「まぁ、警察の権限が有効なのは国境までやな。他国領土では警察権は行使できないことになっとるんや。」
「なるほど。しっかし、何でいきなり警察の標的になったんだろうな。ジェリー、何か知ってるか?」
ジェリーは笑顔のまま、僅かに目を泳がせた。しかし、一瞬後には余裕すら感じる微笑を唇に浮かべた。
「おいらが聞いた話やと、勇者が怒国の味方についてるって街でうわさになっとって、それが王族の耳にまで入ったらしいで。」
「は??それでなんで俺たちが追われることになるんだよ。」
「ふふん。何でやろなぁ。まぁ、怒国は他の大国から嫌われとるからやないの?怒国が力を持つのが嫌なんやろ。」
ジェリーはちらりとシラギをみた。
「ジェリーもしかして怒国が嫌われてる理由知ってるの?」
シラギが縋るようにジェリーに問う。
「当たり前やろ。そんなん3歳児でも知っとるで。」
「だけど、俺たち街で聞き込みしても誰一人教えてくれなかったぞ。」
「まぁ表向きは友好国ってことになっとるからな。街で知らん奴に聞かれても答えへんやろ。だけど、真実はそうやない、喜国の3歳児でも知っとるわ。」
「真実、、?」
「そうや。時は遡ること400年前、怒国は竜討伐のために、四大英雄を集めて竜の谷へと向かった。でも、討伐から生きて帰って来たのは怒国の預言者ミルバだけやった。表向きは、怒国は災厄である竜を封印した勇敢な栄誉ある国だと言われてとる。せやけど、偉大なる英雄を失った喜国、哀国、楽国はただ一人生き残った英雄ミルバの言葉を信じることができへんかった。そこで、まことしやかな噂が流れたんや。怒国は、名誉と権力を得るために他国の英雄を陥れたんや、、ってな。」
「そっ、、そんなことあるわけないわ!!おばば様は自分のために人を陥れるような方じゃない!その噂は、真実なんかじゃないわ。」
シラギは困惑しながらもジェリーに鋭く言い放った。
ジェリーは肩をすくめ、
「もちろん、みんながみんなこの噂を信じとるわけやない。俺も半信半疑や。もし、噂の通りやとすると竜討伐後の怒国の態度が腑に落ちんしなぁ。世界の覇者として権力を振りかざすどころか、鎖国かっちゅうくらい排他的な政策をとったんやもんな。その辺は姫さんの方が詳しいんやないか。」
シラギは戸惑いと悲しみの混じった吐息を漏らすと力なく首を振った。
「情けない話かもしれないけど、私は怒国の内も外も知らなかったみたいだわ。400年前の竜討伐については、さっいジェリーが言っていた表向き通りのことを教えられただけよ。今の今まで、竜討伐のことで他国に恨まれているなんて知らなかったわ。」
俺はシラギとジェリーの間に入った。
「俺はこの世界に来て間もないから、400年前って言われてもピンと来ないし世界情勢についてもよく知らないんだけど、今からでも遅くないから、国の中のことも外のことも知っていけばいいんじゃないかな。とりあえず、おばば様に手紙で聞いてみたらいいんじゃない?」
「そうね、竜討伐で共に戦った他国の英雄達のこと、その後の400年間の政治についても聞いてみるわ。私は、他国とうわべだけではなく本当に友好な関係を持って同盟を組みたいもの。でも、おばば様はどうして何も教えてくれなかったのかしら、、、。」
シラギは、長いまつ毛を震わせ目元を曇らせた。目を閉じれば脳裏にありありと浮かぶであろう生まれ育った愛する国について、初めて外からの目線、それも優しくはない目線を感じて不安なのだろう。
「クーーーーン」
ギンがシラギの手にふわふわの毛並みをすり寄せる。
「え、、、、?」
シラギが驚いたように顔をあげる。
俺は、思わず握ったシラギの手を慌てて離した。
「いや、えっと。俺もギンもついてる。不安なこともみんなで乗り越えようぜ。一人で背負い込むみたいな顔するなよ。」
シラギは口元にかすかな微笑みを浮かべた。
「ありがとうマシロ。」
「えっほん。」
ジェリーが変な咳払いで注目を集めた。
「えーと、過去も大事やけど現在進行中の今も大事や。兄ちゃん達次の行き先って決まっとる?とりあえず北に伸びた沿道をゆっくり進めて来たんやけど、そろそろ分かれ道や。北に真っ直ぐ行くか、東、西にも道が伸びとる。東に3日も行けば海に出るやんな。」
「行き先なら決まってるわ。」
シラギが確認するように俺とギンの方を見て頷いた。
そんなシラギとギンの目線を避けるように、俺は小声で言った。
「、、、、、、嫉妬国。」
「え?!」
「は?!」
シラギとギンが目をパチクリとさせ、驚嘆の声を発する。
「あ、いや!違う、違うんだ!地図を見たら、哀国の通り道に嫉妬国があるからちょっと寄り道できないかなって、、、そう思って、、。」
「なんだ、それならいいけど。」
「けどなんで嫉妬国なんだ?」
まだはてなマークが消えない二人が、俺に向かって首をかしげる。
「えーーーと、旋棍の使い方を身につけたいんだ。喜国の武器屋で聞いただろ、嫉妬国は接近戦のメッカで旋棍を習うのにおすすめだって。」
シラギは大きく見開いていた瞳をさらに大きく見開いた。
「マシロ、戦闘に強くなりたいの?」
「そっそんなに驚くことないだろ、俺だって一応男なんだ。いつまでも女の子の背中に庇われてばっかってわけにはいかないよ。」
「?????え、、?戦闘は女子の得意分野でしょ?男子は政治や経済を担うのが普通じゃないの?」
シラギは不思議そうにギンと顔を見合わせている。
「あれ?もしかして、この世界では男女の役割分担が俺の世界と違うのかな?確かにこの世界に来てから、強そうな女の子多いなって思ってたけど、、それは治安の乱れとか自衛のためかと思ってたよ。」
シラギは俺の言葉を咀嚼するように何度が頷いた。
「そっか、マシロの世界では男の子が戦闘を担うのね?この世界では、戦闘で必要不可欠となるマナを豊かに備えた女性が戦闘を、マナが弱い代わりに冷静で理性的な判断が得意な男子が政治や経済を担うのよ。」
「そうか、俺の世界では体を使って戦うけど、ここでは感情の魔力マナを使って戦うから、、、感情が豊かな女性が戦闘担当なのか。」
「そういうことね。でもマシロはこの世界の女性と比べても劣らないマナを持っているし、マナの種類としては唯一無二だから、戦闘能力を鍛えて損はないと思うわ。」
ギンが九尾をゆっくりと横に揺らしながら横目に俺を見る。
「そうだな、いざという時姫様の盾になれるくらいの力を持って欲しいな。」
「兄ちゃん、話はまとまったみたいやな!嫉妬国に一直線やーーー!ジェイこっからは思いっきり跳躍してええでー!」
「うあっあーーーーーー」
車体が大きく傾き、臓腑が浮遊する感覚に思わず叫ぶ。
「落ちんようによう掴まっときーーー」
「それもう少し早く言えよーーーーー」
嗚咽を漏らす俺と真っ青な顔をするシラギが会話不能となる中、御者のジェリーは真面目に兎車を走らせ続けた。
「そろそろ、ジェイの乗り心地にも慣れてきたやろ?」
ジェリーがニヤニヤと目を細めて聞いてきたのは、喜国を脱出して5日後だった。
「そうだな、うぇ。何とかな、、ぐぅ。」
俺たちがようやく透明兎の乗り心地に慣れてきた頃(簡単な会話なら何とかできるようになった頃)、嫉妬国の国境に到着した。
「ここから嫉妬国やな。」
そこには大きな木の看板に随分と年季の入った文字が書かれていた。
〜これより先、修行者以外の侵入を禁ずる。嫉妬国〜
「ん?何だこれ。嫉妬国って武器の修行者以外は入国すらできないの?」
「いや、そんなこともないと思うんやけど。」
「地図にはいくつか入国所があるみたいだから、ここが修行者しか通さない入国所ってことなのかな。」
シラギが地図を睨みながら唸る。
「うーーん、でも他の入国所に行くには兎車で2日くらいかかりそうだなぁ。」
「そっそれは、やめよう。みんな修行に来たってことにしてここから入っちゃおうぜ。」
兎車にこれ以上続けて乗るには俺の三半規管がもう限界である。
俺たちは、看板の先に広がる深い森へと足を踏み入れた。
森は、暖かな木漏れ日が差し込み動物達の気配に満ちていた。小鳥がさえずり、どこからか水の音も聞こえてくる。
「何だか、怒国を思い出すな。」
俺はこの世界に来たばかりの頃を思い出し少し懐かしくなった。後ろのシラギを振り返り、共感を求める。
「、、、、!!???!!????」
後ろには、見慣れた巫女姿はなく、毛並みの綺麗な銀狐も愛らしい兎の少年も見当たらない。
そこには、垂れた兎耳を小刻みに震わせるジュリーが一人佇んでいた。
「ジュリー?おい、ジェリーは?ギンは?シラギはどこ行ったんだ?」
不安そうに鼻をヒクヒクと動かしながら辺りを見回しているジュリーに畳み掛けるように問いかける。
「わ、分からない。兄者、、、。」
「ジュリー、、、。」
下を向いて押し黙ってしまったジュリーから目を離し、辺りを見回す。
ー変だ。明らかに変だ。
シラギ達がいないだけでなく、後ろには今来た道がなく鬱蒼とした森が広がっている。
「ジュリー、何が起こってるのかは分からないけど、とにかくみんなを探さないと。何かトラブルに巻き込まれたのかも。」
「うん。」
ジュリーは不安げに目を泳がせているが、声はしっかりとしている。
ヒュンッと鋭く風を切る音が耳元で聞こえた。飛んできた木の葉が頬を掠る。
「痛っ。」
「、、、っ。」
木の葉は刃物のように鋭く、擦れた頬を触ると血がついた。
ジュリーは手を切ったらしく、手の甲に血が滲んでいる。
ざわっざわざわ
森が不気味に騒めく。次の瞬間、突風と共に大量の木の葉が四方八方から飛んできた。
「ジュリーこっちだ、逃げろっ。」
俺は咄嗟にジュリーの腕を掴んで走り出した。
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ーーーー喜国武器屋にて
重厚な分厚いドアが開き、すっぽりとフードを被った老婆がすり抜けるように店内に入る。
店内は武器の素材となる鉱石の香りに包まれている。奥からは熟練の鍛治が鉱石を打つ音が規則的に響いてくる。
老人は、手元の作業から目を離さずに客へと声をかける。
「珍しい客やな、300年ぶりやないか、ハイナ。」
老人の声は無機質で感情が読めない。
「エル、まだミルバを許せないんか。わしは、あの子の愛孫に会うたんや、あの頃のミルバに瓜二つじゃった。」
ハイナは懐かしそうに目を細めて続けた。
「わしは、難しいことは分からへん。じゃが、これだけは言える。400年前、ミルバはウルマを殺してなどおらん。」
ーダンッ
金属が木片に突き刺さる破壊音が響く。
「ハイナ、それ以上わしの前でたわ言を続けるんやったら、力尽くでも店から出て行ってもらうで。」
老人は、深緑の瞳に怒りをたぎらせている。ハイナは、その剣幕に気圧されながらも震える口を開いた。
「ミルバは、死ぬ気じゃ。死ぬ気で罪を償おうとしてるんじゃ!真っ直ぐで不器用で優しい、、ミルバはあの頃と何も変わってへん!」
「シラギ」
老人が吐き捨てるように呟いた。
「え?エルもシラギに会ったの?」
「会ったとも、うちの武器を買って行ったさ。もっとも、わしは一言も話してないし、顔も見てへんけどな。」
「そう、、、。ねぇ、私たちはあの頃のように戻れないんかな?」
「ハッ、、、お前のそういうところが一番嫌いや。御都合主義、日和見主義、ミルバの後ばっかり追いかけて自分の頭では何も考えてなかったくせに今更何言うとるん?もう、、、もうウルマは、ウルマはいないんや!!!」
憤怒に荒げる声とは裏腹に、老人の悲痛に歪んだ瞳からは一筋の雫が流れた。
「一人でもかけたら、あの頃には戻れへんよ。ハイナ、もう帰ってくれ。」
老人の声は、感情を無理に抑えるかのように震えている。
ハイナはかける言葉を失ったかのように、口をつぐんだ。
「シラギはいい子よ。私たちが一緒にいた頃のミルバと同じ目をしとるんよ。」
何とか聞き取れるほどの小さい声で呟くと、ハイナは踵を返し店を出た。
古い友と話すと言葉まで若い頃に戻るから不思議だ。
分厚いドアを開けた瞬間に大通りの喧騒に包まれる。フードを目深にかぶり直し、細い路地へと向かった。路地裏の湿った暗い空気が肌に馴染む。人の多い大通りは息がつまるようで、路地裏では呼吸まで楽に感じる。周りからは、同類の遠吠えが聞こえてくる。いい声だ、自分も同調したいと本能が訴える。
「ウォオオオーーーーン」
空に向かって吠えるハイナの翡翠の瞳に、暗い光が灯った。