第10話 虚無教団
俺、シラギ、ギンは大粒の雨が降りしきる森を全速力で駆けていた。
周りには並走する黒衣の影が5人ほど見える。手には揃いの鎖鎌が黒光りしている。
ヒュンッ
風を切る音と共に鋭い切っ先がシラギめがけて飛んでくる。シラギは身を翻し攻撃をかわすと、鎌が飛んできた方向に向かって炎の矢を放つ。
「ぎゃっ」
短い悲鳴が聞こえ、黒衣が赤い炎に包まれる。対峙するうちに分かってきたことがある。黒衣の集団は人数が多いが、一人一人はそこまで強くない。しかし、雨のせいでシラギとギンの炎の魔法は威力が弱まっており、油断はできない状況だ。もう一つ分かったことがある。この辺は、建物が集まった集落のようなものは見当たらず、森の中に建物が点在している。俺たちは、そのどれかにクルスがいるのではないかと思い、しらみつぶしに探している。
はたとシラギの足が止まった。森が開け、小川の流れる見通しのよい場所に出た。
「まずい、、、。」
シラギが呟いた瞬間、茂みの数カ所から同時に鎌が飛んでくる。鎌は5つ、いや7つ?!?!
シラギはふわりと宙に飛び上がり避けた。しかし、着地するシラギに間髪入れずに黒光りする切っ先が迫る。
小さな影がシラギと鎌の間に飛び出す。
「キャンッ」
シラギの身代わりに鎌を受けたギンは、右足付け根に刃が深く刺さり、ずるずると鎖に引きずられて行く。
「ギンっ.....??!」
俺とシラギは一瞬瞳を交錯させると、ギンが消えていった茂みに走り出す。
黒衣の集団は足早に走って行く。そして、、、集団はツタで覆われた廃墟のような建物へと入っていった。俺たちも、足音を忍ばせ薄暗い建物の中に入る。そこは、美術品や骨董品が所狭しと並べられている倉庫か何かのようだった。俺たちは天井まで届きそうなほど大きなキャンバスに描かれた絵画の後ろに隠れながら、集団の様子を伺った。
集団の真ん中には大きな松明が置かれ、その前に狐のお面をつけた少年と本物の狐が縛り上げられていた。クルスとギンだ。二人を取り囲むように立つ黒衣の集団の様子は、薄暗くてよく見えないが、どの人も青白い顔に能面ような表情が松明に照らされている。集団の中の一人が、黒衣の中から光る水晶玉のようなものを取り出した。
「アレってもしかして、、、、」
シラギは焦ったように弓矢に手をかける。俺は震えるシラギの手掴み、その動きを止めた。
「ダメだ、相手が多すぎる。ここは天井も高いし、鎖鎌も使える。」
「だけど、マシロあの水晶は、虚無教団の宝具よ。このままだと、ギンもクルスもマナを吸われて教団員にされちゃうわ。こんな絵画の後ろに隠れて見ている場合じゃないのよ!!」
シラギは明らかにいつもと様子が違い、取り乱しているようだった。俺は、今の状況でどうすることが最適解なのか頭をフル稼働させる。弓を引こうとするシラギの手を握り、紅の瞳を正面から見つめる。
「シラギ、そうだ、、!!絵画だ!!この巨大な一枚絵を使うんだよ!」
シラギは訝しげに俺の瞳を見返している。
「奴らの武器は鎖鎌だ。さっきギンにさして引きずっていったように、一度深く刺されたばすぐには抜けない。ここは薄暗いし、周りに何があるのか松明がある向こうからじゃ良く見えないはずだ。こちらに注意を向けて、鎖鎌の攻撃を誘導する。まんまと奴らが鎌を投げてくれば、鎌は絵画に刺さり動きが取れなくなる。その間にギンとクルスを助けて沼まで逃げよう。」
シラギは驚いたように瞬いた。次第にその瞳には、いつもの燃え盛る炎のような輝きが戻ってきていた。
「マシロ、1つお願いがあるの。私のマナは雨で弱くなっている。もし、沼まで逃げるときに追っ手が来たら、応戦を手伝って欲しいの。マシロは最初に出会った時に私のマナを吸収しているから、炎の魔法が使えるはずよ。怒りの感情を心の中に作って、聖石から放出するイメージを膨らませるの。そしたら、炎が操れるはずよ。」
シラギは信頼した表情で深く頷く。
「分かった、やってみるよ。じゃあ、作戦決行、大声で存在表明するけど決して絵画の向こうには出ない。せーーっの、、」
「やーーーーーーーーーー!!!!!」
「うおーーーーーーーーー!!!!!」
俺たちは、絵画の後ろで最大限の雄叫びを上げた。
黒衣の集団は一斉にこちらに顔を向け、鎌を構える。ヒュン、ヒュオンーーーー
鎖の飛ぶ音が屋内に響く。直後、、、、、、ドドドドドダンダンッ、鎌が絵画に突き刺さる音がこだまする。
今だ!!!!!!!
俺とシラギは絵画の陰から走り出て、一直線に松明の元へと駆ける。ぐったりとしているギンとクルスを急いで抱きかかえる。武器を失った黒衣の人々は、俺たちを止めようと掴みかかってくるが、振りほどけるほどの力しかない。近くで顔を見ると無表情だが、普通の少女や老人など統一性のない様々な人がいる。掴んでくる腕を避けながら、出口へと走る。その後は、必死だったから細かいことは覚えていない。鎌を絵画から外した奴らが、逃げる俺たちの背中へと追撃してくる。少年を背負いながら逃げる森は、走っても走っても進んでいないようで焦りがこみ上げてくる。
シラギが何かを叫んでいる。そうか、俺も応戦するんだった。怒り、怒りの感情、俺は演技をする時を思い出して、心の中に憤怒を満たす。そして、聖石に意識を向けると、手の甲に熱を感じた。右斜め後ろから走ってくる黒衣の男に向かって手を向ける。手のひらの中心部が燃えるように熱くなり、真っ赤な炎が噴射される。
「ひぎゃっ」
男は短い悲鳴を上げると、慌てて燃える黒衣を振り回している。俺は追っ手に捕まりそうになっては、炎を飛ばして時間稼ぎを繰り返した。初めて使う魔法とやらは、一度の使用で目眩がするほどに疲労する。しかし、背中に感じる体温と息遣いに、何とか気力を振り絞る。この少年を無事に沼まで連れて帰らなくてはならない。少年を背負い直すと気力を奮い立たせ、全力疾走で前を走るシラギに追いついた。周りから迫り来る鎌を避けながらなんとか森を進む。必死で走っていると、いつの間にか周囲に黒衣は一人も見当たらなくなっていた。
木々の隙間から沼の乳白色が見えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、、、」
沼へと何とか辿り着いた俺たちは、息が上がり、呼吸もままならずその場にへたり込んだ。
すぐにクーデルが走り寄ってくる。薬箱から何種類もの粉や液体を取り出し、ギンとクルスの傷口に塗り、手際よく包帯を巻いていく。俺たちにも緑色の液体の入った小瓶を渡した。
「飲むと元気が出るよ。この沼には奴らは辿り着けない。もう安全だ。」
クーデルはこちらに向き直ると、メイド服の裾を両手で持ち上げ、深くお辞儀をした。
「君たちにはどれだけ感謝してもしきれない。クルスを助けてくれて本当にありがとう。この子は私の弟なんだ。」
クーデルは凛々しい顔を歪め、今にも泣き出しそうな顔をしている。優雅な仕草と服装も相まってクーデルの存在が儚げに見える。
「本当にこの子が無事で良かった。」
「おい、何でこの沼なら安全なんだよ。あいつら結構足も早いしここも見つかるかもしれないだろ。」
ギンが痛みに顔をしかめながら、クーデルに問いかける。クーデルと俺たちは皆、驚いたようにギンの方に振り返った。
「あぁ良かった、意識が戻ったんだね!3日くらいは安静にするんだよ。飲み薬も出すから苦いけどちゃんと飲んでね。質問の答えだけど、この沼は恥を心に持っている人じゃないと辿り着けないんだ。昔から特殊な結界のようなものが張られているらしい。普通の人は誰しも大なり小なり心に恥を秘めているから、意識せずとも沼へ来れるんだよ。でも、虚無教団の人々は、、、マナを全て失っているから、恥も残っていない。だから、この沼をどんなに探したとしても辿り着けないんだ。」
「マナを失っているってどういうことだ??」
俺は黒衣に包まれた能面のような無表情な顔を思い出しながら、クーデルに尋ねた。
「知らないのかい?虚無教団の教団員は皆、全てのマナを女神様に捧げた人々だよ。持って生まれた己のマナに心身ともに蝕まれた人々が、苦しみからの解放と生きる意味を得るために入信するんだ。元々は、喜国では王室の神官を虚無教から輩出するほど由緒正しき宗教集団なはずなんだが、、、近年、その活動が怪しくなっている。各地で奇襲を仕掛け、民を攫い、無理やり入信させ教団員にしている。」
「そうか、あいつらは感情を失ってるから能面みたいに表情がないのか。そんで、感情がない、つまり操るマナを持ってないから、クーデルたちの操作魔法は通じないのか、、!!」
「私も虚無教団の話は聞いたことがあるわ。古来からある神聖な教団だったけど、最近不穏な動きが見られるって行商人が噂してた。怒国は息吹の森全体に結界を張っているけど、夜のうちに結界が傷つけられていることが最近増えていたの。もしかしたら、それも虚無教団の仕業だったのかもしれない、、。」
シラギは遠い母国へ思いを馳せているのか、切れ長の瞳を猫のように細めた。
俺たち3人と恥国の人々は、安全のため今夜は沼の周囲で野宿することにした。人々は、虚無教団の襲来に慣れているらしく、沼の周りには野営のための道具が揃っていた。
テントを張り、温かい食事も取ると、眠気が押し寄せてきた。クーデルが風呂をたいてくれると言うので、焚き火の前で服を乾かしながら待っていると、リナがティーカップを片手に、片手だけで逆立ちをしたままぴょんぴょんと近づいてきた。
「隣いい??」
「もちろん、リナはまだ寝ないの?」
「うん、クルスを寝かしつけて、一息ついたとこっ。」
リナはカップを地面に置くと、また片手だけ地面から離し器用にもメガネをクイッと押し上げた。
「そっか。もしかして、リナとクーデルとクルスは三人兄弟なのか?」
「まぁ、、そんなとこね。それより、さっきの話だけど、どうしてこの沼には恥を持っている人しか来られないのか分かる?」
リナはニヤニヤしながら、小首をかしげている。逆立ちで首をかしげると変な角度に首が曲がって見え、少しゾワっとする。
「何でだろう。怒国みたいに国を守る結界なのかな。」
「ううん。だって恥を持っている人なら誰でも来れちゃうから、結界としては軟弱ね。実はね、この恋ヶ沼には言い伝えがあるの。昼間、リナが話した恥国の娘の話覚えてる?」
「あぁ、身分違いの恋の末、自ら命を絶ったっていうやつ?」
「そうそう、その娘が身投げしたのがこの沼だって言われているの。娘は自らの行いを深く恥じた故、命を絶った、だから娘の恥への執着がこの特殊な結界を生み出したって言われているの。信じるかどうかはあなた次第だけどね。私は沼の乳白色を見ていると、人の目から隠れたいほど恥ずかしいっていう娘の気持ちが伝わってくる気がするわ。」
「ふーーーん。」
恋だの愛だの、俺にはさっぱり分からないな、と思いながら近くに埋まっているアメとグミのつむじを見ていた。
「おーーーい、風呂がたけたぞーー」
クーデルに呼ばれ、俺は立ち上がった。立ち去る俺に、リナは意味ありげな微笑で言った。
「あなただっていつ恥国の娘のようになるか分からないんだからね。」
リナの首はやっぱり不安になる角度に傾いていた。