第4章 イクシオ・ネンティスノート
前回のあらすじ。
世界樹の中で見つけた人骨モドキが魅惑の美少年になった。
以上だ。
10歳程の外見にも関わらず、大人顔負けの堂々たる風貌と動作一つ一つから醸し出される艶男の色気。
彼の圧倒的なフェロモン量に気圧された俺は、後ずさることも出来ずただその場に彫像と化していた。
少年は「勘弁してくれ」という俺の訴えに一度ゆっくりとまばたきした後、眉を下げ申し訳なさそうにはにかんだ。
彼の手が俺の頰から離れていく。
少年は石棺からゆっくりと身を起こすと、改めて口を開いた。
「すまなかった。生きている人間に会ったのが実に久々だったものだから、つい、はしゃいでしまったのだ。許せよ」
彼の発言は突っ込みどころが満載過ぎて、最早俺には手が追えない。
とりあえず、つい、はしゃいでフェロモンをムンムン飛ばしてきた少年の謝罪だけは受け入れておくことにする。
俺は情報処理だけでてんやわんやになっている脳内から何とか身体へと指示を出し、うんうんと首を縦に振ってみせた。
その様子に少年は安堵したように微笑むと、石棺からひらりと飛び降りる。
そして、その足で列石から出ると、自らの身体の状態を確認するためか、くるくると回り始めた。
──突然の子猫感…っ
どうやら彼も暗視機能を搭載しているようだ。
ひらひらと翻るローブの裾を摘んで着衣の機能性を確認している少年に、俺は思い切って声を掛けてみる。
「あの」
少年が顔を此方へと向けた。
「鏡、使うか?」
「ありがたい。映してもらおうか」
そして、少年も一切ブレない。
俺が鏡持ちをするのは、彼にとっては当たり前のことらしい。
彼の様子や言動から察するに、この子供の姿は彼本来の姿ではない。
それは、俺が下校時の買い食いの成果、商店街の福引きで見事引き当てた二つ折りの手鏡をリュックサックから取り出し、少年へと向けた後に確証を得ることとなる。
俺は膝をつき、彼の背の高さに合わせた状態で鏡を開いてみせる。
すると、鏡を覗き込んだ少年は、満更でもなさそうに顎の輪郭を撫でながら薄く笑みを浮かべた。
「ほう、この頼りない骨格しか持ち込み出来ないと言われた時は正直心許なかったが、これはこれでなかなか面白い」
そのように述べた少年の姿をした男は視線を上げると、俺を見上げた。
彼は淡い虹色を放つ双眼を僅かに細め、優雅な立ち振る舞いで頭を下げる。
片足を一歩後ろへと引き、軽く腰を落とすお辞儀は、中世ヨーロッパ宮廷の優雅さを連想させる。
それに対し、何の芸も持っていない俺はというと、普段よりも深めに頭を下げる他なかった。
とりあえず鏡をリュックサックに放り込んだ俺は、頭を下げた流れのまま自己紹介へと移る。
「俺はカイ・マツタケだ」
と、一応西洋風に名乗り、姿勢を正してみせたところ、男も快く挨拶を返してくれた。
「私はイクシオ。イクシオ・ネンティスノートという」
──すごく異世界を感じる名前だ
俺が謎の感動に包まれている中、イクシオと名乗った男は更に言葉を続ける。
「私は『彷徨う世界樹』を外へと導くため、遥かビヴァディオンの地より召喚に応じた。だが──」
イクシオはそこで一旦言葉を切り、湛えていた笑みを収めた。
「『彷徨う世界樹』の役目を担う男は、少年、お前ではなかった筈だ。少なくとも私はそう聞いている。何があった。そして、カイ、一体お前は何者だ」
警戒とまではいかないが、イクシオの表情からは俺を見定めるかのような雰囲気を感じる。
俺は素直に今まで自分の身に起きたこと全てを彼に話すことにした。
イクシオは元々世界樹と同化する予定だった人物、おそらく黒いローブの男を手助けする予定だったのだろう。
ならば、彼には何故俺があの男に変わってここに来たのかを説明する必要がある。
俺はイクシオに自分が世界樹の聖女として召喚された少女を追いかけて来たことや、司教達が作り出した意識の世界で黒いローブの男に出会ったこと、そして彼に世界樹と同化する術式をかけてもらったことを話した。
俺が全て話し終えるとイクシオはゆっくりと目を閉じ、長く息を吐き出す。
「──なるほど」
ややあってからイクシオが口を開いた。
「カイ、お前とお前の想い人を、こちらの世界の都合で引き裂く真似をしたこと、この世界の住人として申し訳なく思う。すまない」
俺は眉根を寄せ頭を下げるイクシオへ、首を横に降る。
「罪のない人が謝らなくてもいいと思う。だから、イクシオは謝らないでくれ」
──それより俺としては、毎回すぐに淡い片思いがバレる方が気になる
イクシオは顔を上げ、安堵と申し訳なさが入り混じった微笑みを浮かべた。
「カイが出会った黒いローブの男というのは、ヴァローナと呼ばれている男だ。本来ならば彼が『彷徨う世界樹』となり、私が彼をここから脱出させる手筈となっていたのだ」
ヴァローナとは、カラスという意味を持つ言葉だ。
確かに全身真っ黒で、カラスみたいな見た目をした人ではあったが、世の中には紳士的なカラスもいるものだ。
「しかし、彼はお前に世界樹と同化する術式をかけた。その理由として考えられるのは、おそらくヴァローナ自身が世界樹と同化しきれないと判断したためだ」
「あの魔法は、誰に掛けても同じ結果が得られるものではなかったというわけか」
「そうだ。世界樹と同化するということは、世界樹の聖女と魂同士が結束することを意味する。おそらく、異世界から来た人間の魂と我々の魂はお互いが異質なもので、相容れなかったのかもしれない。以前から、ヴァローナはそのことを懸念していた」
どうやら、世界樹の発動を止めるのは、俺が思っていた以上に過酷なものだったようだ。
「そこへ、カイ、お前がやってきたのだろう。ヴァローナはカイが世界樹の聖女を助けたいという強い想いを持っていることを知り、お前に同化の術式をかけたのだ」
イクシオは話し終えた後、一呼吸おいてから、ひらりと片手を振ってみせた。
「まぁ、これはあくまで私の個人的な見解だ。真実は奴に聞けばいい」
「今、ヴァローナさんはどこに?」
俺の問い掛けに、イクシオは器用に片方の口角だけを吊り上げる。
「奴の元まで案内してやろう。ヴァローナは世界樹と同化を果たした後、何かを成そうとしていたようだ。それも尋ねてみるといい」
彼の言葉が俺の心の中で一筋の光となって降り注ぐ。
これで『彷徨う世界樹』の名前の通りに、ただ途方もなく彷徨い歩かずに済む。
それに、ヴァローナさんは白花を元の姿に戻す方法を知っている可能性がある。
是非とも、彼には会いに行かなければ。
俺の心境を察したのか、イクシオが俺へと向ける眼差しも優しいものへと変化した。
「改めて、自己紹介するとしよう。私はイクシオ・ネンティスノート。教会からは呪詛と死の国と称される、ビヴァディオン国の君主だ。今は魂を二分し、このような頼りない形ではあるが、お前を導く杖となることを約束しよう」
──王、様?
──しかも、アンデット…?
俺は再び目の前の男によって、パニック状態へと落とされた。
──ホラーは苦手だと言っているのにっ。というよりも、俺は先程から馴れ馴れしく呼び捨てで呼んでしまっていたし、敬語も何処かへ脱ぎ捨ててしまっていた。首を撥ねられるかもしれない。しかし、王という立場の人にはどのように振る舞えばいいんだ。とりあえず、土下座か?日本式に土下座して謝るか?
と、ひらひらと小さな手の平が俺の目の前で舞う。
我に返って足元を見れば、イクシオ王が懸命に背伸びをしながら、俺の目の前で手を振っていた。
「……イクシオ王?」
そう名前を呼ぶと、彼はどこか呆れたように大きな溜め息をつく。
「イクシオで構わん。敬語もよせ。せっかくの冒険なのだからな」
──よかった。この王様とは仲良くなれそうな気がする
「わかった。ありがとう、イクシオ」
「王とは言ったが、私は成り上がりの王だ。砕けた物言いの方が心地よい。気にするな」
確かにイクシオの堅い言葉遣いは気品を感じれど、態度はどこか俗っぽい色も感じる。
俺はイクシオのありがたいご厚意に甘えることにした。
旅の最中、其方に気を遣ってばかりいては、余計なストレスを負うことになる。
コミニュケーションの滞りが命取りになるようなことがあっては非常に困る。
というわけで、俺はイクシオに早速重要事項の確認を取ることにした。
それは、俺にとって彼が王であること以上に重要な事実の確認である。
「その、唐突で申し訳ないのだが、イクシオは人間ではないのか?」
お言葉に甘えて口調を普段使いに変えて尋ねると、彼はきょとんとした表情を見せた後、笑いを含ませながら問答を返す。
「ふ、面白いことを言う。お前の住む世界には鉱石の骨格に魂を憑依させることのできる人間がいたのか?」
俺は沈黙するしかない。
認めざるを得ない。
彼がアンデットであるという事実を。
「なんだ、魔物と協力関係になるのは嫌か?」
「いや、そうではない。ただ、俺は幽霊やお化けの類が苦手なんだ」
俺は正直に告白する。
こういう得手不得手については下手に隠して後々仲を拗らせるより、始めのうちから伝えておいた方が良いだろう。
すると、俺の誠意ある返答に対し、イクシオはあろうことかその場で盛大に吹き出した。
「おい、艶男。失礼だぞ」
思わず不敬な本音がそのまま口から飛び出す。
しかし、そのことに関して、王は非常に寛大であった。
──自分がアンデットだからか完全に他人事だと思ってるな、此奴
一方、余程目の前の鉄仮面が臆病者であったことが愉快だったらしく、イクシオは口元を押さえたまま震えて笑っている。
今手を離せば盛大な高笑いを世界樹全体に響かせる勢いだ。
俺はその場にしゃがみ込むと、沸点の低い王様の笑いが収まるのを、冷めた表情を浮かべたまま待つことにした。
それから暫くして、ようやく笑いを収めたイクシオは肩で息をしながら俺に言った。
「私はリッチと呼ばれる死霊系の魔物だ。だが、誓おう。お前の寝込みを襲うような真似は決してしないと」
「いや、お前、語弊よ」
──わざとか?わざと言っているのか?
──その宣言は有難いが。色々な意味で。だが、俺の杞憂は彼には微塵も伝わっていない。いや、やはり伝わらんでいい。
俺が頭を痛めていることなど、どこ吹く風な様子で、奴はアンデットらしかぬ清々しい笑顔を浮かべた。
「私はお前が気に入ったぞ、カイ。もし、お前が旅の間命を落とすことがあっても案ずるな。王たる私が直々にお前を死の国へ招待しよう」
「……だから、俺は幽霊やらお化けは苦手なんだが」
げんなりしながら訴え続ける俺の視界に、イクシオが浮かべた満面の三日月が写り込む。
「ならば、私に連れて行かれぬように、せいぜい生き延びてみせろよ、少年」
愉快そうに笑いながら、ひらりと手を振り踵を返した死の国の王。
彼は隠し部屋の出口から、悠々とした足取りで俗世へと旅立っていった。
──うん、奴は面白過ぎて怖がる隙が全くない
こうして俺は世界樹の隠し部屋にて、良い旅の道連れを得たのだった。
──────
心強い旅の友を得た俺は世界樹を下りながら、前方を歩く小さな影へと声をかけた。
「イクシオはビヴァディオンという国に魂の半分を置いてきているのか?」
イクシオは木になった人々を豪快に蹴りながら、跳ねるように傾斜を下りている。
彼の小さな身体だと、その降り方が一番効率の良い降り方なのだろう。
鉱石でできた鈴蘭を模した造花を手に、長い真鍮色の尻尾を揺らしながら跳ねていく美少年は、外見とは裏腹に荘厳な口調で俺の質問に答えを返す。
「そうだ。我が国は現在、少々立て込んでいてな、半分は彼方に置いておかねばならぬのだ。意識は常に此方に置いておく故、お前には不便はかけん」
「すると、今のイクシオは万全の状態の半分しか力を発揮することができないということになるのだろうか」
俺が再び問い掛けると、先導していたイクシオは折り返し地点からちらりと顔を半分だけ覗かせてニヤリと笑う。
「それ、お前がやると怖い」
反射的に指摘してしまったが、怖いものは怖い。
彼は美少年の見た目なれど、お化けの類なのだ。
お化けは物陰から笑うだけで、非常に怖い。
怯えた俺が思わず立ち止まっていると、イクシオは曲がり角からにょきりと上半身を生やし、悪戯が成功した子供同様のしたり顔を披露してみせた。
──お前、艶男をどこにやった
──はしゃぎ過ぎだろ
すっかり童心に返って遊んでいる王様をじとりと見下ろすが、マイペースな彼に果たして効き目があるのかどうか。
彼が再び歩き出した気配がしたので、俺は短く溜め息を吐いてから後を追う。
すると、自由奔放なイクシオ王による授業が、ここで突然開講した。
「さて、先程の質問だが、魂というのは、量ではなく質と捉えるといい」
「というと?」
「例を挙げるとすれば、そうだな。魂を二つに分けるということは、左右ある足のどちらかを失うということだ」
言わんとしていることは分かる。
だが、それが力の半減とどう違うのかが、上手く飲む込めない。
どうやらイクシオは俺が背後で悩んでいることを察したようだ。
更に具体的に噛み砕いて説明を始める。
「普通に両足で歩けば10分かかる道のりがあるとしよう。カイ、お前は片足を失った状態でその道を20分かけて歩ききることはできるか?」
なるほど、それは難しい。
道具を使えばまだしも、片足飛びや這って進みながら、10分の道のりを20分で辿り着くことは困難だろう。
つまり、この話をイクシオに当てはめると、魂を二分した彼は半分以下の実力しか発揮できないということになる。
──というか、それは大丈夫なのか?
──道中で力尽きて骨に戻られても困るのだが…
脳内で道端に散らばった骨を必死に拾い集めている光景を想像していると、イクシオがこちらを振り返る。
そして、俺の神妙な表情を目にした彼は、俺が何を考えているのかを大体察したらしい。
笑みを含んだ声で言う。
「案ずるな。この身体を制御するくらい造作もない。せいぜい、リッチとしての能力が落ちる程度のことだ」
どうやら俺がリュックサックに彼の骨を拾い入れて運ぶ不審者になる必要はないようだ。
「それに何もアンデットが人を恐怖に陥れる方法は、派手に死者を操り殺戮する力だけではなかろう。幽霊嫌いのカイよ。お前なら分かるだろう?アンデットに必要なのは単なる魔力ではなく、演出とセンスであるということを」
そう言うとイクシオは再び折り返し地点から半顔だけを覗かせ、淡い青色の目を光らせてみせた。
「確かにそうだな」
俺は同意の意を込めて大きく頷く。
「俺も兵士を死霊たちが圧倒的に蹂躙していく話より、一軒家に引っ越してきた一家を襲う怨霊の話の方が怖いな」
死霊が堂々と飛び回る非現実的な話よりも、現実に潜む闇の方が恐怖をより身近に感じる分、恐怖を感じる。
それにしても、ホラー嫌いな俺がまさかこうしてアンデットの王と幽霊談議に花を咲かせる日がくるとは夢にも思わなかった。
そして、もう一つ。
俺は視線をイクシオへと向ける。
「なんか、イクシオのそれ、物陰から猫がねこじゃらしを狙っているように見えてきたんだが」
「何だとっ?」
お化け自身と会話を重ねることで、お化け嫌いは解消されていくらしい。
だが、反対に死霊系の魔物にとって、驚かせた相手に怖くない宣言をされることは相当なショックな事柄のようだ。
この後、死の国に王は暫くの間、しおしおと項垂れながら俺の背後霊と化していた。
──俺としては折角できた旅の連れを「お化けお化け」と怖がらずに済むことは、とても嬉しいことだったのだが…
アンデット事情は奇々怪々としているようである。
こうして俺達愉快な一行は世界樹を下り続け、ついにその出口へと辿り着いたのだった。
会話好きな王様のおかげで、物語が賑やかになってきました