第3章 世界樹からの脱出
木と化した無数の人間の身体が結い合わされた大樹。
改めて辺りを見渡せば、確かに人間の形状をしたパーツが複数組み合わされているのが分かる。
先程、思い切り踏んだり、手にしていた杖を突いたりして歩いていたため少し気まずい。
さて、その禍々しい大樹の頂からの脱出を白花から提案された俺は、彼女へと尋ねる。
「しかし、この樹から降りるのはかなり難しいと思うのだが、白花には何か考えがあるのか?」
『そうね。木登り選手権代表でもこの樹を制覇するのは難しいわ』
──何だ、その大会。
──非常に気になる。樹だけに…
俺がすかさずどうでもいいところに食いついている中、スマホの電子音が鳴る。
『だから、内側を通るのよ』
メッセージを読み終えるとほぼ同時に、台座に腰掛けていた俺の足元で異変が起き始める。
足元の木、いや、人々が微かに身動ぎしたのだ。
波打つように靴底を押し上げる感触に、俺は思わず両足を宙に浮かせた。
そんな俺に構うことなくパキパキと表皮を軋ませながら、足元の数人が重なり合っていたお互いの身体をゆっくりと離していく。
『私自身は動くことはできないけれど、私と心が通じた人達に動く力を与えることはできるみたい』
「そのうち世界樹で歩けるようになるんじゃないか?」
『頑張ってみるわᕦ(ò_óˇ)ᕤ』
「お、おう」
──怪獣映画みたいになりそうだな
冗談はさておき、俺が視線を再び足元へと向けると、身体をゆっくりと動かしていた人物のうち一人が顔をこちらへと向けた。
髪もなく、ただの人型となった性別不詳のその人は白花とは異なり、人の顔をしていなかった。
本来、目と口がある筈の位置に、ぽっかりと木のうろのような丸い穴が空いている。
古木でできた仮面を被っているかのようなのっぺりとした相貌。
見た目が怖くないと言えば嘘になる。
しかし、彼らも元々は自分と同じ人間であったことや、今現在に至るまで延々と苦しんできた者だということを考えると、露骨に怖がる態度を見せる気にはとてもなれなかった。
代わりに軽く頭を下げてみせたところ、その人はじっと俺を見つめた。後はそれ以上の反応は見せず、ゆうるりと身体を小さく丸める。
『大変だけど頑張って、って言っているわ』
「……ありがとう」
物言わぬ人の代弁をしてくれた白花と、その人に礼を言う。
辛い日々を送り続けてきたにも関わらず、それでも尚、見ず知らずの人間を励ますことのできる強さがただただ眩しい。
俺は優しい言葉をかけてくれたその人に、深く頭を下げた。
こうして、数人が身体を動かしてくれたことにより、俺の足元には人が一人どうにか入ることのできそうな縦穴が現れた。
『狭くて、ごめんなさい。通れるかしら?』
「十分だ。ありがとう」
俺は改めて礼を述べた後、白花へ尋ねる。
「で、この空間は一体誰がどうやって作ったんだ?」
『どうやって作ったのかは詳しく分からないけれど、元々世界樹の内部は空洞が多いの。だから、世界樹を破壊に失敗した人達が、教会側の目を盗んでこっそり抜け道を作ってみたり、色々細工もしていたみたい』
白花は分からないと言ったが、おそらく黒いローブの男のように誰かしらが世界樹形成の術式を書き換え、抜け道を作っていったのだろう。
おそらく、今日という日のために。
しかし、世界樹に人間を同化させるなど随分と回りくどい干渉の仕方をすると思ってはいたが、破壊できなかったのか。
決して大樹と化した人間諸共破壊することを躊躇ったわけではないだろう。
この大樹は単に人間が積み重なって創られたものではなく、きっと何か特殊な力を持っているのだ。
そして、司教達と黒いローブの男の対立関係は数年どころの話ではないようだ。
どうやら俺達は世代を跨いだ壮大なる諍いに、盛大に巻き込まれたらしい。
まあ、この際だ。
反教会派の勢力が教会側に潜伏しながら創り上げたであろう抜け道諸々は、有効活用させてもらおう。
──ここから脱出したら、この世界の仕組みや歴史について、少し調べる時間が必要だな
俺は白花の方へと向き直った。
彼女とはここでお別れだ。
「白花と仲良くなったのに、別れなければいけないのは残念だ」
彼女の顔を見れなくなるのは寂しい。
心の内を吐露した後、俺は顔を上げ更に言葉を続けた。
「でも、折角の冒険の機会だ。面白い物を見つけたら写真を送る。それから…、絶対に一緒に帰ろう」
好きな人とも一緒にいられず、逃げ回るだけの人生など、到底受け入れられない。
俺なりにこの世界で盛大に踠いてやる。
そして、白花を連れてこの世界から堂々と出て行くのだ。
『ありがとう』
その言葉と共に、白花の片目が微笑むように細められる。
『貴方と一緒に行けないのは残念だけど、暫く話相手には困らないわ。写真、楽しみにしてるわね。気兼ねなくいってらっしゃい、松竹君』
家族以外から「いってらっしゃい」を貰うのは人生で初めてだ。
彼女の言葉に鼓舞された俺はゆっくりと立ち上がった。
──行かなければ
俺はまず、杖と背負っていたリュックを縦穴の中へと下ろした。
リュックは落とすしかなかったが、腕を伸ばした際に杖は穴の底に届いたため、そっと倒すようにして中へ入れることができた。
それに続くように俺は身を屈めると、縦穴の縁へと手をかけた。
そして、最後に白花の方へと振り返る。
力を込めて口端を上げると、白花の分までめいいっぱいに笑ってみせた。
「……じゃあ、いってきます」
白花の翡翠の瞳がゆらりと潤んだような気がしたが、甲斐性のない俺はそれ以上彼女を見つめることができなかった。
自分が口にした言葉への気恥ずかしさから逃げた俺は、そのまま縦穴の中へと身を投じる。
──丁度、入る穴があってよかった
そんな下らないことを考え気を紛らわせなけらればならない程、白花との別れは辛かった。
お互い敢えて口にはしなかったが、白花と継続して連絡を取るにはスマホが欠かせない。
充電式のモバイルバッテリーは持っているが、それが切れた後は彼女との通信手段は絶たれることになる。
旅先でスマホの代わりになる物が見つかるといいのだが。
縦穴の深さは2m程で、俺は難なく着地することに成功した。
俺が世界樹の内部へと入ったと同時に、頭上の数人が再び身動ぎを始める。
彼らは元の定位置へと戻るようだ。
太陽の光が完全に遮断される前に、スマホを取り出そうとポケットへと手を入れた。
しかし、俺はその動きを途中で止める。
──何だろう。目に違和感がある
元々目に花が咲いてしまった時点で十分に違和感はあるのだが、重ねておかしな感覚が俺の右目に生じている。
右目の視界にチカチカと、浅緑の閃光が断続的に爆ぜては消えていくのだ。
寄生した花の中心部に浮かんでいる鉱石と同じ色の光。
きっとこいつが悪さをしているに違いない。
カンラン色の鮮やかな光に視覚を刺激されることに耐えかねた俺は、腹いせ混じりで右目に生えた花弁を摘み、やや強引に引っ張った。
「……!」
途端、俺の視界に驚きの変化が起こる。
右目から左目にかけて、流れるように視界が切り替わっていったのだ。
俺がもたついている間に天井は完全に塞がってしまったため、世界樹の内部は一切の光も入らない漆黒の暗闇と化している。
しかし、灯りがなければ自分の身体でさえ視認できない程の環境下であるにも関わらず、俺の目は世界樹の内部の様子をはっきりと捉えることができるのだ。
新緑を透かして覗いた世界のように若干薄く黄緑がかってはいるが、内部を探索するに至っては然程問題はないだろう。
それまで右目のファンシーフラワーに対しては、ただの居候ぐらいの認識しか持っていなかったが、これは評価せざるを得ない。
──彼女 (仮)とは仲良くやっていけそうだ。
ファンシーフラワーに宿っていたまさかの暗視機能に助けられた俺は、早速世界樹から脱出しようと辺りを見渡す。
世界樹の内部に広がる抜け道は、外壁のように神聖なる大樹の体裁を整える必要はないらしく、あからさまに人の形が剥き出しになった箇所が多い。
壁として積み重ねられ、床に敷き詰められた粗い木の皮を纏った人々が、古木のうろと化した顔を苦しげに歪め、こちらを見つめている。
人がようやくすれ違うことのできるであろう幅の通路。その四方全てから苦悶の表情を向けられ、俺は気持ちが沈んでいくのを感じた。
この人達がどのような理由で世界樹の一部になったのかは分からないが、この光景から察するに誰もが喜んで身を捧げたわけではないようだ。
俺は荷物を纏めると、両側に伸びる通路を交互に見比べた。
──どちらに進めばいいのだろう
今、別れた手間で恥ずかしくはあるが、白花に尋ねてみようか
用途は違えど結局ポケットからスマホを取り出すこととなった俺は、白花へメッセージを送ろうと画面に明かりを灯す。
幸いなことに暗視モードの状態であっても、発光しているスマホの画面に目を潰されるような惨事は起きなかった。
──なんて便利な目なんだ
──ありがとう、ファンシーフラワー
メッセージを開いてみると、電子音と共にタイミングよく白花から一件連絡が入ってきた。
『教会の関係者が何人かやって来たわ』
その文章を読んだ俺は慌ててスマホの側面にあるスイッチを切り替え、サイレントモードを起動した。
──一体彼らはどうやって上がって来たんだ。
この世界の教会のお偉いさん方というのは、皆、木登り選手権上位入賞者なのか?
そんなわけがない。
世界樹の中は空洞が多いという。
おそらく、俺と同様に内部に階段やエレベーターのような昇降手段があり、それを用いて登ってきたのだろう。
『彼らの動向は、死んだふりをしながら聞いておくから、とりあえず松竹君は逃げて。落ち着いたら連絡いれるわね』
俺がもたついているのがバレたのだろうか。
白花から逃走を促すメッセージが届く。
どちらに進めば良いのか連絡している場合ではないようだ。
俺はスマホをポケットの中に放り込むと、左右の通路それぞれに目を凝らした。
結果はよく観察すれば簡単だった。
──流石、白花。用意周到な優等生
左側では白花から頼まれたのか、何人かが壁から此方へと身を乗り出し、腕で大きくバツの字を作っている。
どうやらあちらは行き止まりのようだ。
切迫した状況である筈なのだが、彼らがコメディチックな動きをしてくれているおかげか、和むざるを得ない。
俺がホラー嫌いとの情報も、白花から伝わっているのだろうか。
俺は白花達の精一杯の見送りを無駄にしないため、向かって右側の通路を進み始めた。
とはいえ、好きな相手のピンチは、どうしても気になってしまう。
だが、それとなく周りに聞き耳を立てながら歩いてみても、抜け道の壁は厚く、それといって人の話し声などは聞こえない。
始めは白花の元へ訪れた教会関係者の動向が気になり、注意を散漫となっていた俺も、やがて、この場所は人の声一つ届かぬ空間であることを悟る。
そして、俺が白花へ向けていた意識は、徐々に周囲の状況へと向けられるようになっていった。
白花はのほほんと生きてきた俺よりも、ずっと強かで、逞しい女性だ。
異世界に召喚され、四肢の自由を奪われようと、彼女は決して泣き言を言わなかった。
それどころか、自らと同じく木と化してしまった人々から積極的に情報を聞き出し、俺を世界樹から遠ざける手助けまでしてくれた。
俺が白花を助けに来た筈が、俺が白花に助けられている。
次は俺が彼女を助ける番だ。
だから、今、これから襲い来る脅威への不安や、彼女を助けられない悔しさに流されず、ただ前に進むしかない。
俺は目の前の感情に流されてかけていた自分を叱咤し、世界樹の内部を歩き続けた。
抜け道もとい隠し通路を歩いていると、やがて通路の突き当たりに辿り着く。
そこから左に曲がれば、後は下りの傾斜が延々と続いていた。
非常階段のように折り返しを繰り返しながら先を進む。
しかし、予想はしてはいたが、降りれど降りれど下り坂。一向に地上に着く気配が見られない。
この世界樹、一体どれだけの人間が犠牲となったのだろう。
30階分階段を降りたところで、少しだけ立ち止まり呼吸を整える。
まるで高層ビルを階段で降りているようだ。
再び歩みを進め、更に10階分。
そこで、初めて傾斜ばかりの景色に変化が現れた。
開花に続く道の他にもう一つ、小さな隠し部屋が現れたのだ。
もしかすると、脱出する際に手助けとなるような物資が用意されているかもしれない。
入り口は俺の背丈よりかなり小さく作られていたため、身を屈めながら中の様子を窺ってみる。
隠し部屋の内部はドーム状となっており、入り口に比べて案外広く造られていた。
そして、部屋の中央には石でできた箱が一つ、置かれている。
物資を入れておく箱としては、かなり無骨且つ物々し過ぎる気がする。
蓋の付いていない石の箱は、形状と大きさから見て石棺に見えないこともない。
しかし、このようなおどろおどろしい場所でわざわざ眠りに就こうとする者がいるのだろうか。
俺は石の箱の正体を確認するため、室内へと足を踏み入れた。
入り口を中腰で潜り抜け、部屋の中央部へと進む。
石の箱の周囲には薄灰色の石が複数個、箱を取り囲むように設置されていた。
大小様々な細長い台形の形をした石の表面には、どこかで見たことのある模様が彫り込まれている。
曲線を多用した細やかで美しい模様は、俺と白花とが霧に包まれた神居古潭で見つけた環状列石に描かれていたものと非常によく似たものだ。
石の箱の方もよく見てみれば、渦巻く蔓のような模様が彫られていた。
この空間自体に何やら呪術めいたものを感じた俺は、思わず身を大きく震わせる。
この装置は白花を召喚する際に用いたものによく似ている。
ということは、これは何かを喚び寄せるための召喚装置なのだろうか。
もし仮にそうだとすると、どのような人物がどこから召喚されてくるというのか。
一体何のために。
俺は好奇心のまま、そろそろと片足を環状列石の中へと入れてみた。
「………」
何も起こらない。
白花の時とは異なり、どうやら誰かが足を踏み入れただけでは術式は作動しないらしい。
俺は内心ほっとした後、石の箱まで近寄ってみた。そして、更に勇気を振り絞り、箱の中を覗き込む。
「っっ!!」
異世界にやってきて一番の衝撃と恐怖に、俺は飛び上がった。
その勢いのまま二、三歩後退る。
石の箱の中には、人の骨が入っていたのだ。
がらんとした虚ろな双眸と目が合った瞬間、俺は反射的に箱から飛び退いたのだった。
この箱は正しく、石棺であった。
死体と対面した衝撃により、部屋中に心音が響き渡る勢いで、心臓が身体の中を跳ね回っている。
一方、悲鳴を上げながら暴れ回っている心臓とは対照的に、俺の身体は硬直したまま全く動かない。
金縛りにあったかのようにその場に縫い止められた俺と、石棺との間で暫しの睨み合いが続く。
やがて、不毛な牽制に気付き我に返った俺は、再度ゆっくりと石棺ににじり寄る。
こんな場所に安置された石棺など、不自然極まりない。
何か今後に役立つ手掛かりが、死体と共に眠っている可能性もあるだろう。
俺は中の状態を確認すべく、おそるおそる内部を覗き込んだ。
──すいません。失礼します
心の中でお悔やみ申し上げつつ行った骨との二度目の対面は、一度目より冷静でいることができた。
そのため、人骨だと思っていたものが、人骨ではなかったことにすぐさま気付く。
しかし、それが驚くべきものであるということに、何ら変わりはない。
それは、玉虫色の光沢を纏った薄青い鉱石で作り上げられた、人骨だった。
この鉱石、確かアクアオーラといったか。
水晶に真空状態で金の蒸気を吹き付けると、極光のような美しい光沢を帯びると本で読んだことがある。
黒いローブの男が持っていた杖といい、ファンシーフラワーの暗視機能といい、この世界では鉱石に何やら魔法的力が宿っている。
もしかすると、この人骨を模した鉱石も、何らかの刺激を与えれば魔法が作動するかもしれない。
それに、この人骨モドキ、俺をいとも容易く騙しただけのことはあり、かなり精巧に本物を再現している。
小さな指の骨一つに関しても骨髄が収まる空洞まで忠実に作られており、頭蓋骨の内部に存在する細かな骨も透き通った表面から全て確認できる。
硝子やプラスチックでさえ、ここまで加工するには大変な手間がかかりそうであるのに、ましてや原子レベルの強固な結束を持つ硬度の高い水晶をここまで精密に加工するとは。
異世界の技術は計り知れない。
また、組んだ指を身体の上に置き横たわる人骨モドキは、赤い花の縁取りが施された深い緑のローブを着込んでいた。
胸元にはアクアオーラで作られた丸い胸飾りを付け、組まれた手には同様の素材の鈴蘭の造花を持たされている。
これを見た段階で、流石の俺もこの鉱石の骨は起き上がり動くのだと確信した。
一つ気になるのはこの人骨モドキの大きさが、子供の丈しかないことである。
──まあ、とにかく動かしてみよう
事情を説明すれば、仲間になってくれるかもしれない
話が分かる相手だと良いのだが…
そんな願いを込めながら、俺はスイッチに見えなくもないという非常に安易な理由だけを頼りに、人骨モドキが身につけている円形の首飾りに触れた。
途端、胸飾りに嵌め込まれた淡い水色をした鉱石の奥底から白く光るもやが幾本か現れる。
白い光の帯は白魚のようにひらひらと泳ぎまわり、徐々にこちらへと向かって来た。
同時に人骨モドキの胸元から金色の文字が湧き出した。
まるで人が踊っているかのようにも見えるその文字は文章の隊列を組み、頚椎、頭蓋骨へと身体中を這い進むと、あっと言う間に全身を埋め尽くす。
胸飾りから白い光も溢れ出し、金色に輝く人骨モドキに呆然としている俺の手を押し上げた。
温かな空気に直接触れたような感覚に、俺は胸飾りから手を離す。
帯状の白い光はまるで大量の絹の生地が一気に溢れるかの如く人骨を模した鉱石を覆った後、瞬く間に石棺を満たしていった。
柔らかな光の泉となった石棺からふと視線を外へと向ければ、周囲を取り囲む石柱や石棺自体に彫り込まれた模様も、いつの間にやら黄金色に光り輝いている。
──魔法というものはこんなにも美しいものなのか
これまで何度か魔法を目にする機会はあったが、その時は威力に圧倒されるばかりで、今のように感動する余裕などなかった。
そのため俺が魔法を魅力的だと感じたのは、これが初めてのことであった。
やがて石棺を満たす光の量がゆるゆると下がり、俺は幻想的な辺りの光景から再び人骨モドキへと目を向けた。
しかし、光が収まった石棺の中には既に人骨モドキはいない。
代わりにそこで眠っていたのは、目が眩みそうな程の美しさを放つ子供であった。
自分よりも年下の年端もいかない外見の人物に「美しい」という言葉を使う日がくるとは夢にも思わなかったが、敢えて俺は今この危険極まりない言葉を使わせてもらう。
だが、一応断っておくが、俺は決してそういう性癖の持ち主ではない。断じて。
陶器のように透き通った肌に、燻んだ真鍮色の長い髪を一つに束ねた性別不明の人物は、まだ目を開いてもいないというのに、まるで西洋の絵画から抜け出してきたような魔性的な美しさを醸し出していた。
つん、と尖った唇や、子供らしいふくよかな頰には愛くるしさを感じさせられる。
だが、線を引いたような柳眉は精悍さを宿し、閉じられた瞼を縁取る長い睫毛は悩ましい色香のようなものを漂わせていた。
──なんだ、この煮え切らないような、なんとも切なくなるような、胸のざわつきは…
なるほど、これが美少年、もしくは美少女という存在の力なのか
──異世界写真第1号にこの子の写真を白花に送ろうか
この危険な美しさは実に異世界を感じる
自分一人ではこの興奮を昇華しきれなかった俺は共犯者を増やそうとスマホに手をかけた。
しかし、すぐにここが真っ暗な空間であることに気付き断念する。
──やはり、盗撮はいけないな
腕を組みうんうん、と一人頷いていると、人形のように整った長い睫毛が微かに揺れ、美少年もしくは美少女の目がゆっくりと開かれた。
骨格を形成するアクアオーラと同じ輝きを持つつぶらな双眼が、丁度石棺を覗き込んでいた俺の姿を映し出す。
そして、彼は笑った。
老若男女全ての人々を笑顔にする、あどけなく天真爛漫な微笑み…ではなく、男女関係なく全ての人類を虜にする艶男の持つ色香を含んだ微笑みを目の前の俺へと向けたのだ。
「おはよう、少年」
──え?少年は貴方様なのでは?
「随分と面白い花を咲かせているではないか」
長い前髪を払いながら澄ました表情で微笑んだ美少年は、なんの躊躇もなく俺の頰に手を当てる。
そして、親指で俺の目に咲いている白い花を慈しむように撫でた。
「………」
白い一輪の花を愛でる美少年を花目線で拝めるなど、奇跡に近い出来事ではある。
だが、素直には喜べない。
──分かっている。彼が愛でているのは右目の居候だ。断じて俺ではない。鈴蘭の造花を持ってるし、彼はきっと花が好きなのだろう。それに彼女(仮)は綺麗だからな。気持ちは分かる
──だが、この居たたまれなさはなんだ?謎に照れるのだが。俺を変な道に連れて行くな。俺は白花一筋なんだ。やめてくれ。いや、やめてください
俺の顔面の鉄仮面は健在ではあったが、こめかみからはだらだらと冷や汗を流れ落ちていく。
そんな俺が彼に口にした言葉は、心からの切願だった。
「あの、すいません。勘弁してください…」
この時は自分より年下であろう相手に、思わず敬語を使ってしまったが、この判断が正しかったということを、後に俺は嫌という程知ることとなる。
次回あたり、主要キャラクターのイラストを紹介できたらと思います。