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彷徨う世界樹  作者: 真一文字
3/13

序章3 橋の向こう側を歩く

 快晴無風の神居古潭(かむいこたん)

 濃霧に包まれ箱庭と化した無人の景勝地にて、俺と白花は達の悪い白昼夢から抜け出すため神居大橋(かむいおおはし)を進んでいた。

 ゴトゴト、ゴトゴトと二人分の足音が(はる)か下方を流れる石狩川(いしかりがわ)に降り注ぐ。

 流水量にそぐわない狭い川幅は、水の流れを複雑化させ谷底を深く(えぐ)る。

 水面に幾重も描かれる流線はうねりながら他の波とぶつかり合い、美しくも恐ろしい急流を生み出し続けていた。


「この先には何があるのかしら」


旧神居古潭駅(きゅうかむいこたんえき)だ。今は駅の歴史や周辺の環境を伝える資料館になっている。それから、数年前の土砂災害で封鎖されてはいるらしいが、サイクリングロードがある」


「ありがとう、松竹博士」


 ──旅行の予習に抜かりはない


 思わずしたり顔を浮かべてみたが、俺の顔面はひくりとも動かなかった。

 彼女を安心させるためにも、日頃から笑顔の練習でもしておけば良かったと後悔してももう遅い。


「あら、ドヤ顔なんて、貴方意外と余裕なのね」


 ──白花には俺の鉄仮面が完全無効なのか

 もし彼女とババ抜きをする機会があるならば、絶対に俺が負けるだろう


 呑気(のんき)なやり取りをしてはいるが、神居大橋から見る辺りの風景は奇々怪々としたものだ。

 雲ひとつない快晴が橋を中心に広がっているが、数百メートル先には霧の壁が青空までも覆う程の高度まで立ち込めている。

 外界から切り離された箱庭のような風景は、幻想的を通り越して最早不気味に感じる。


「キタキツネって、人を化かしたりするのかしら」


 頭上に手を(かざ)し、霧で覆われた上流側の様子を窺っていた白花が、独り言のようにぽつりと呟いた。

 リアリストにみえる彼女の口から、狐に化かされている可能性を示唆(しさ)する言葉が出るのは意外だ。

 だが、今まさに俺達は狐につままれているような現象に遭遇しているのだ。

 そのような考えに至る理由は、よく分かる。

 彼女の反応に共感しつつも、俺はキタキツネの神話的立ち位置を簡単に説明してみせた。


「アイヌ民族の中では割と神獣されているが、道東の方では悪役として扱われていたようだな」


 北海道版、稲荷と化け狐と言ったところだ。


「貴方、本当に物知りね」


「人より少し、興味があっただけだ」


 逆に興味のない分野に関しては必要なことであろうと、てんで頭に入らない。


 ──例えば、数学の公式とか


 白花から感心したように送られる熱い眼差しを受け止めきれず、俺は視線を横へと流した。

 視線の先には橋の向こう側が見える。

 乳白色の霧の中にぼんやりと何やら見覚えのない物体を確認した俺は、思わず声を漏らした。


「あれは、何だ?」


「貴方に分からないことが、私に分かると思って……、あら、本当。あれは何かしら?」


 白花も俺の視線の後を追い、少々戸惑った様子で声を上げる。

 この場所よりもやや下流に、それは(そび)えていた。

 本来ならば神居岩(かむいいわ)と呼ばれる、険しい岩肌が見える地点。

 その場所に黒い塔のような、大木の幹のような影が、天に向かって真っ直ぐと伸びている。

 上方は霧に隠れているため見ることは叶わないが、更に上があることは想像するに容易い。

 仮に、あれが大木だとすると、あのサイズの木は北海道どころか日本中のどこにもなかった筈だ。

 となると、あれは大木を模した建造物なのだろうか。

 しかし、神居岩(かむいいわ)にあのような奇怪な建造物が(そび)えているなどありえない。

 白霧の中に僅かな陰影を浮かび上がらせながらも、(そび)え立つ巨大な濡羽(ぬれば)色の柱に俺が戦慄(せんりつ)を覚えていると、隣で白花が口を開いた。


「こんな…、私達、一体どうしてしまったのかしら。白昼夢にしても、これは少し気味が悪いわ」


「そうだな。一人ではなく本当に良かった」


「え?」


 白花の驚いた声に、俺は自身の言葉が足りていなかったことに気が付いた。


「俺はホラーが苦手なんだ」


 ──だから、別にやましい意味で言ったのではない


「──奇遇ね。私もよ」


 白花も俺の突然の失言に目を見開いていたが、納得したように頷くといつもながらの冷静沈着な反応を返す。

 ホラーが嫌いということは内心彼女も俺と同じく、心細さと多大な恐怖を抱いているのかもしれないが。


「あの大木のような物に近付くのは(はばか)られるが、一緒に来てくれるか?」


「ここで一人で待機するのは怖いから御免だわ。一緒に行くわよ」


 彼女が傍にいてくれると言ってくれたことは、臆病者の俺にとっては非常に強い励みになる。

 彼女のためにも元の場所へ戻れるよう全力で帰り道を探そう。

 白花と共に神居大橋(かむいおおはし)を渡り終え、更に奥へと進む。


 渓谷の奥は薄い霧が掛かっていて若干の肌寒さを感じるが、行動不能に陥る程ではない。

 やや急な階段を登り終えれば、霧の中、若葉色に塗られた旧神居古潭駅(きゅうかむいこたんえき)白樺(しらかば)の木々の間から顔を(のぞ)かせていた。

 眩し過ぎる若葉の色は苦手だが、寒々しい世界ではこの赤い屋根を乗せたこの木造の建物に安堵(あんど)を覚える。

 しかし、薄く曇った窓硝子(まどがらす)から木造平屋の建物内部の様子を(うかが)ってみたが、資料が貼られた何枚かのパネルが並べられているのみだった。

 室内に明かりは灯っておらず、人影も見られない。

 一応、引き戸も開けることができたので照明のスイッチを押してみたりしたが、カチカチと乾いた音が虚しく鳴るだけだった。

 その後は周辺を探索してみるも、奥に進もうとすればする程霧は深くなる。

 俺達は一度休憩を取るため、再び駅舎へと戻った。


「困ったわね。こんな格好で霧の山の中に入るわけにもいかないし…」


 駅舎前に並べられた青いベンチに腰を下ろした白花はそう口にしながら、背負っていた荷物の中からペットボトルを取り出した。

 俺もその隣に腰を下ろす。


「マムシ出没の看板もあったしな」


 駅舎の隣に展示してある3台の蒸気機関車。

 その手前に建てられていた「マムシが出ます」看板に見事怯んだ俺達は、その奥の探索は打ち切っていた。


「このまま夜になるようなことがあれば大変よ」


 俺は白花の言葉につられ、学ランのポケットからスマホを取り出すと電源ボタンを押した。

 左上には圏外の二文字が並んでいる。


「圏外だと、スマホの時計も止まるのか?」


「それはないわ。時計機能は基盤に()え付けてあるから、電波による誤差修正はされなくとも機能自体が止まることはない筈よ」


「……そうか。じゃあ、俺のスマホが壊れたかもしれないな」


 俺がそう言うと、お茶を仰ぐように飲んでいた白花は眉を(ひそ)めこちらへと視線を向けた。


「どういうこと?」


「時間が進んでいない。もうかれこれ30分はここで右往左往していたと思うんだが」


 俺はスマホの待ち受け画面を白花へと見せる。


「あら、可愛い猫ね」


「飼い猫のクーだ。……ではなく、時間を見てくれ」


 画面は10時7分で止まっている。

 神居古潭(かむいこたん)に到着した時に、観光バスの車内前方に取り付けられた時計で確認した時刻から然程(さほど)経っていない。

 俺のスマホが壊れていると考えたほうが恐怖心は和らぐのだが、この時刻は周囲から自分達以外の人間が消えてしまった時刻に非常に近い。


「私のスマホも見て」


 静かに差し出された白花のスマホを(のぞ)き込めば、そよぐ純白のレースカーテンを背景に素焼きの(はち)に入ったずんぐりしたサボテンが写っていた。


「こいつは白花が育てているのか?」


「名前はサオテンよ。……そうじゃなくて、時間を見て」


 サボテンのあまりの存在感に話題が逸れたのを、白花がさらりと軌道修正する。

 そして、白花のスマホを確認したことで、事態は俺のスマホが壊れてしまったというよりも、より恐ろしい可能性の方へと傾いた。

 彼女の時計もまた、10時7分で止まっていたのだ。

 背筋に冷たい物を流されたような、底冷えの恐怖に俺は思わず画面から顔を背けた。


「俺はホラーが本当に苦手なんだが…」


 これは所謂(いわゆる)、神隠しの類に違いない。

 時が止まった閉鎖空間の中を延々と彷徨(さまよ)うといった話を、昔うっかり読んでしまったことがある。

 その後は二週間ほど酷く怯えて過ごしていた。

 元の世界に戻ることができないと言うのは非常に困る。

 俺だって人並みに人生を謳歌(おうか)して過ごしたいのだ。

 俺と同じくホラーが苦手な筈の白花だが、俺の怯え様に逆に冷静になったらしい。

 ゆっくり頷いた白花は物怖じなど一切見せる様子もなく言葉を続ける。


「早くこのよく分からない状況から脱出したいわね。後、私達が霧の中以外で探索できそうな所はどこかしら?」


 俺は辺りを見渡しながら、心当たりの場所がないかを頭の中で思い返した。


「──後、俺達が歩いていない場所はサイクリングロードくらいだな」


 数年前の大雨による土砂崩れでサイクリングロードは通行止めとなっているらしいが、今は緊急事態だ。霧が掛かっていなければ少し探索させてもらおう。

 先程は「マムシが出ます」の看板に(ひる)んだため先に進むことはしなかったが、サイクリングロードはこの駅舎のすぐ裏手にある。

 このサイクリングロード。元々線路だった道を残すために敷かれたという。

 詳しい経路は知らないが、霧が薄ければ上手く神居古潭(かむいこたん)から出られるかもしれない。

 白花にその旨を伝えると、彼女は半眼して視線を横に流した後、再び俺の方へと向き直った。


「このまま霧の中へ突っ込んで行くよりも、幾分出られる可能性はあるわ。マムシには注意して行きましょう」


 飲みかけのペットボトルを鞄の中へと放り入れ、勢いよく立ち上がった白花は長い黒髪を軽く後ろへ払いながら振り返る。


「ほら、貴方が大好きな冒険よ」


 励ますように向けられた微笑みに、目頭まで(あふ)れてきた熱いものが俺の視界を(にじ)ませる。

 安堵(あんど)の感情と共に(こぼ)れ落ちそうになる涙を飲み込むように(こら)えながら、俺は口元を無理矢理吊り上げた。

 不恰好に歪んだ笑顔だが、それでも自分もまた彼女を励ましたいと思った。


「そうだな。俺はファンタジーが好きなんだ」


 俺が白花へと向けた表情に彼女は一瞬、呆気(あっけ)に取られたように眼を見開いた。

 しかし、その後すぐに橙色の小さな灯火(ともしび)のような、柔らかで優しい微笑みを俺へと向ける。


「──奇遇ね。私もよ」


 ───────────────


 マムシの看板の横に掛かる小さな橋を渡り、サイクリングロードの中へと入った俺と白花は蒸気機関車の横を通り過ぎ、やがて薄霧の奥に森の中へと続く小道へと差し掛かった。

 アスファルトに舗装(ほそう)された道の上を木々の枝がアーチ型に掛かっている。

 道の先は霧が薄いベールのように幾重もの層を作り出しているため、窺い見ることはできない。


「なんとか進めそうだな」


「ええ。でも、不思議ね。バスが停まっていた道は全く先が見えなかったのに、この辺りは霧が薄いわ」


「誘導されているのだろうか?」


「狐がパーティに呼んでくれているのなら、大歓迎だわ」


「俺もそれが一番嬉しい」


 白花がしてくれたメルヘンな発言に、再び不安へと傾いていた心が癒される。


 ──俺も白花に(なら)って前向きに考えよう

 こんなところで自分の想像に心を喰われることが一番愚かなことだ


「白花」


「何かしら?」


「ありがとう」


 俺は自分よりも頭一つ分下にいる、可愛らしくも頼もしい存在に心から感謝の言葉を述べる。


「前向きな白花と一緒にいられて良かった。もし俺一人でこの空間に迷い込んでいたら、恐ろしくて一歩も動けなかった」


 白花は俺の言葉をいつものように静かな面持ちで聞いていた。

 そして、彼女は俺の眼をしっかりと見つめ、にこりと微笑んだ。


「私も同じよ。松竹君が傍にいてくれるから頑張れるの」


「……それは、光栄だな」


 俺は知らぬ間に彼女の力になっていたという。それは照れ臭いと思う反面、純粋に嬉しい。

 油を()していない機械人形のようにぎこちない動きではあるが、口の端が徐々に持ち上がる。

 白花と話した僅かな時間の中で、遠い昔にすっかり死んだものと思っていた表情筋達が復活したのだ。


 ──彼女は聖女か何かなのか?

 俺の表情筋に蘇生呪文でもかけたのだろうか


 そんなくだらない事を悶々と考えている俺に、白花は言葉を続ける。


「貴方だけよ。私のことを、こんなにまっすぐに見てくれた人は」


 俺は思わず白花の表情を窺った。

 彼女の声にはどこはかとなく哀愁を(まと)い、俺の胸を切なく締め付ける。

 (うかが)い見た白花の表情は意外にも穏やかなものだった。

 静かな夜の海のように漆黒の瞳が二つ、こちらを見つめている。


「松竹君、私と仲良くしてくれて、ありがとう」


 彼女は社長令嬢だ。

 周囲の人間誰もが(うらや)む高嶺の存在。

 だからこそ、今までこうして誰かと気さくに話す機会などなかったのだろう。

 俺はそこまで礼言われるようなことをしてきたつもりはない。

 ただ、真面目で凛とした見た目とは裏腹に、お茶目でユーモアがある彼女に魅せられただけの平凡な男子高校生だ。

 今まで彼女が味わってきた苦労は、俺には到底図れるものではない。

 それでも、自分を失わずに強く前向きに進む彼女を、俺は知っている。

 俺は彼女を社長令嬢としてではなく、一人の人間として尊敬している。

 そのことを、これから俺は何度でも彼女に伝えていきたい。

 それが白花聖の力になるのなら。


「俺にはこれまで白花の身に起こった事柄は知らない。だが、白花が面白くて優しくて勇気がある奴なのはよく知っている」


 気恥ずかしさを呼吸と共に飲み込んで、言葉を吐き出す。


「それは、白花がまっすぐ俺に自分を見せてくれたからだ」


 相手に直接好意を伝えること。

 照れ臭さを理由に、俺は今まで積極的に伝えたことがなかった。

 しかし、彼女の素直な態度と言葉を前にした時、照れ臭いなどという理由はただの言い訳だと気付かされた。

 だから、俺も彼女を勇気付けるために讃えるのだ。

 俺の精一杯の誠意と尊敬を込めて送った言葉だ。

 どのように白花は受け止めてくれたのだろうか。

 言葉を紡ぐことに必死だった俺は意識を再び目の前の少女へと移した。

 白花は、彼女は笑っていなかった。

 懸命に眉根を寄せ、(あふ)れ出そうとする衝動を身体の内に留めようと唇を噛んでいる。

 そんな彼女を前に、自然と俺の身体が動いた。

 浅黒い手が白花の(つや)やかな黒髪に覆われた丸い頭の上へと乗せられる。

 同じ人間の頭から生えたものなのかと疑う程の滑らかな感触が脳へと伝えられた時には、俺の手は既に彼女の頭をよしよしとあやすように撫でていた。


 ──何をしているんだ、俺は

 ──いや、慰めようとしているだけだ、俺は


 脳内で幾人もの俺がてんやわんやと騒ぎ立て始める。

 想い人の頭に気安く触れてしまった事実に、俺の心臓は完全にパニックに陥ってしまったようだ。

 歓喜と混乱にバタバタと跳ね回る鼓動。

 白花の方も突然頭を強襲されたショックを受けたのか、目を見開いたまま固まっている。

 やがて、小動物のようにふるふると震えている頭がゆっくりと動き、顔を真っ赤に染めた白花が俺を見上げた。


「すまん」


 咄嗟(とっさ)に謝った俺は、慌てて白花の頭から手を下ろした。

 眉を釣り上げこちらを(にら)むように強い眼差しを送ってくる白花。

 一瞬怒っているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「……いえ、全然構わないわ。むしろ、僥倖(ぎょうこう)棚ぼただわ」


 ──僥倖(ぎょうこう)棚ぼた

 俺も機会があれば積極的に使っていこう


 白花節に心をくすぐられつつも、俺は胸を撫で下ろした。

「そうか、嫌ではなかったようで幸いだ」


 こうして、俺達は旧線の上を再び歩き始めた。

 この霧の箱庭と化した神居古潭(かむいこたん)から抜け出すために。

 そんな俺達を次に待ち受けていたのは、冷たいコンクリートで造られた古びたトンネルだった。

神居古潭の描写と二人のやりとりを、少々修正しました(2019.6.3)

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