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彷徨う世界樹  作者: 真一文字
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第7章 テンペスト


 脳内を()き回されるような狂気の旋律から解放された俺は、半分呆けた状態のままイクシオを見上げていた。

 イクシオは階段奥をじっと見据(みす)えていたが、俺の視線に気が付くと顔を此方(こちら)へと向ける。

 胸飾りの青い光は未だに鈍く明滅を繰り返している一方、所々 ()き出しだった内骨格はいつのまにか元に戻っていた。

 それを見て、俺は内心酷く安心した。


「その…」


「大丈夫か?すまなかった」


 思いがけないところで足を引っ張ってしまったことを謝ろうとした俺より先に、イクシオが謝罪の言葉を口にした。

 辛そうに顔を歪ませるイクシオを前に、俺は言おうとしていた謝罪をのむ。


「大丈夫だ。ありがとう」


 礼を述べる俺に、イクシオの表情が複雑なものへと変化した。


「礼はいらん。あれは俺の不手際だ」


「それでも俺は助かったんだ。それに俺も予想外なところで足を引っ張ってしまったと思っている。礼くらい言わせてほしい」


 俺がイクシオへ思ったままの言葉を伝えると、彼の表情が少しだけ和らいだ。


「そうか…」


 しかし、その微笑みはぎこちなさが残っている。


 イクシオが俺へと手渡した黒瑪瑙(オニキス)は悪意への耐性を向上させる力を持っているという。

 そして、彼が術式を用いて発動させたのはアンデットの詠唱による精神汚染への防衛魔法であった。


「術式」と相性の良い鉱石や花などの「媒体」、魔法を発動するためのエネルギーである「魔素」。

 この三つ要素を用いて魔法を施行する術は、ワミヤート族によって発展した「魔術」と呼ばれる魔法の一種である。

 精霊の力を借りて発動する「精霊魔法」や、魔素と自分の意思の力のみで魔法を発動する「純魔法」といった原始から存在する魔法を一切使うことのできないワミヤート族にとって、「魔術」は長年の研究と努力によって彼らが手に入れた栄光であった。

 女神、カイソロンディアの奇跡と(あが)められている世界樹も実はこの「魔術」を用いて造られた建造物であることから、魔術は既に多くのワミヤート族達が思っている以上の水準に達しているようだ。


「ということは、魔術の術式を多く知っているイクシオもワミヤート族だったのか?」と尋ねれば彼はあっさりとそれを肯定した。

 イクシオは生前、魔法工学を学び様々な魔法具を創り出していた錬金術師ではあったという。

 どうやら、俺が暮らしていた世界とカイソロンでは「錬金術」という言葉の意味合いが少々異なるようだ。


 そのような話をしていると、イクシオがふと俺に視線を向けた。


「カイよ、お前は随分と(さと)い耳を持っているな。人間があの旋律を聞き取り、狂気に陥ることはなかなかあることではない。もしかすると、お前は思念や精霊といった類いの言葉も聞き取れるやもしれんな」


「精霊?」


 ──ということは、俺にも精霊と仲良くなれる機会があるということなのだろうか?


 是非、詳しく聞かせてもらおうと俺が口を開きかけたその時、地下墓所の方からゴトリと鈍い音が鳴った。


 イクシオの不気味な唄で既に満腹状態だったから、恐怖の本番はここからであることをすっかり忘れていた。

 恐怖に戦慄し、思わず床に置いてあったリュックサックを抱き寄せた俺の横で、唐突にイクシオが声を上げる。


「頭をぶつけぬようにな。それから、階段は込み合う故、急がずゆっくり上がってくるように」


「……」


 ──先生?


 重々しい石棺の(ふた)が開くざらついた音が何重にも重なり鳴り響く中、寝起きの屍人(ゾンビ)達を誘導するイクシオの姿に、俺は思わずぽかんと口を半開いた。


 やがて、石と石とが(こす)れ合う音以外にも、何かが石畳みの階段を足を()りながら登ってくる音が聞こえてくる。

 それからやや時間を経て、ついに階段から複数の白い影が現れた。


 なるべく直視を避けるため俺は目を細めたが、広間へと入ってきた彼らの衝撃的な容姿を前には効果はあまり得られなかった。

 光沢を帯びた柔らかな布地がたっぷりと使われた白いローブやマントを着込み、上品な所作で広間へと入って来た人物達は、生前は間違いなく人々の導き手であっただろう。

 手にはそれぞれ香木の数珠や美しい装飾が施された教典、世界樹信仰のシンボルらしき紋章が取り付けられた杖を持ち、生前同様に厳かな立ち振る舞いを見せる死者達。

 しかし、死後、長い時間を経た彼らの身体は干からび、顔は性別、年齢さえ判別できない程に崩れ、見るも(おぞ)ましい姿となっていた。


 屍蝋(しろう)と化した表皮は(とろ)けたまま凝固し、落ち(くぼ)んだ眼孔や歯が()き出しの口腔からは、白い(もや)のような冷気が立ち上る。


 屍人の行列を前にただ硬直したまま突っ立っていると、隣でイクシオが小さく吹き出した。

 薄眼を開けたまま、じとりと視線を落とせば、彼は口元をローブの袖で押さえながら、此方(こちら)へと流すように目線を向ける。


「仕方がなかろう。仏頂面しかできないと思っていたのに、そのような滑稽(こっけい)な顔をするからだ」


「怖いんだよ。あの人達の顔が、凄く」


 俺とイクシオがそんなしょうもない会話を祭壇の上で繰り広げていると、静かに此方(こちら)へと歩み寄ってきた屍人達が、俺達を興味深げに見上げてきた。

 首を傾げたり、何かを思案するように腕を組んでみたりといった仕草を見て、俺は違和感を覚える。

 一方、屍人達で混雑してきた周囲の状況に、イクシオが動いた。


「いかんな」


 祭壇を降りたイクシオは、わらわらと祭壇の周りにひしめく屍人達の誘導を始める。


「列を乱すな、先頭から端に寄れ。10人並んだらその隣に10人並んでいけ。ほら、お前から次の列だ」


 腰に掛けてあった鈴蘭の造花を頭上で振りながら、屍人達の誘導にあたる死の国に王は、やはりどう見ても先生だ。

 誘導に素直に従っているのが、しゃなりしゃなりと歩く教皇達の死体でなければ。


 こうして10分もかからずに300人近い歴代教皇オールスターズを広間に整列させたイクシオは、やり()げた表情を浮かべながら再び祭壇の上へとよじ登る。

 手を貸し、引っ張り上げれば、イクシオは実に満足気な顔で眼下に広がる行儀のよい屍人達を見下ろした。


「やればできるではないか、お前達。今の入場は初めてとは思えない程素晴らしかったぞ」


 ──あれ、これ、完全に小学生の頃に先生が言ってたやつだ


 声をかけられたお上品な屍人達もイクシオに()められ、嬉しそうに身体を揺らしている。


「イクシオ先生」


「な、何だ?」


 突然付けられた敬称に明らかな動揺を見せながら此方(こちら)を見上げるイクシオへ、俺は尋ねた。


「その人達は先生が操作している(はず)なのに、何故それぞれ自我があるように振る舞っているんですか?」


「何故急に敬語になる。こそばゆいから止めろ」


 イクシオは敬語禁止を訴えた後、彼ろに掛けた術式についての詳細を教えてくれた。


「一言に死体操作(ネクロマンシー)と言っても様々な術式が存在する。私の場合は従来から使われてきた、死体(ゾンビ)の一から百まで全てを操作する術が面倒でな。ある程度術式を独立させてやるのだ。そうすることで、死体(ゾンビ)達も自動的に行動するようになり、魂が宿らずとも自然と自我や個性を持つようにもなってくるのだ。各々身体の特性も異なる故、多少自由に行動させた方が個体の成長も早いしな」


 ようするに、イクシオの術式には自動育成プログラムのような機能が搭載されているのか。

 確かに全てを操作するよりも死霊使(ネクロマンサー)の負担が少ない分、より多くの死体を操ることができそうだ。

 しかし、その術式を発明するのは相当な研究を要したのではなかろうか。

 流石、錬金術師。

 人間側の倫理観的なものは置いておくとして、彼の努力は凄まじいものであることは理解できる。


「ただ、この術式には一つ欠点があるのだ…」


 ふと、それまでにこやかに話していたイクシオの表情に影が射す。

 何の事かと俺が周囲を見渡すと、歴代教皇の死体(ゾンビ)達もイクシオを気遣うかのように見つめている。

 その様子に俺も彼が言わんとしていることを理解した。


「これは、別れが辛いな」


 見た目は怖いことになってはいるが、新たな自我を持った彼らがイクシオを(した)う姿は、見ていると心が温かくなる。

 一方で彼らと過ごす時間がごく限られたものであることを考えると切ない。

 俺の言葉に同意するようにイクシオは頷いた。


 だからだろうか。

 あれだけお化けが嫌いだ幽霊が嫌いだとのたまわっていた筈なのに、俺は目の前の死者達に然程(さほど)恐怖を感じなくなっていた。


「俺はこの人達とであれば、仲良くやっていけそうな気がする」


「そ、そうか。それは良かった…」


 あからさまにほっとしたような、それでいて嬉しそうな顔をするイクシオは、いつだかドラマで見た、再婚を決めた父親が自分の子供に相手の女性を家族として認めてもらえたシーンを鮮明に思い起こさせる。


 それにしても、憎き教皇達の身体を使って生み出したゾンビに対しても愛着を持つとは、イクシオも俺も大概お人好しである。


 俺は使役されている側のゾンビ達が「よかったよかった」と言うように静かに拍手をしたり、もらい泣きをしたかのようにローブの袖でしずしずと涙を(ぬぐ)う素振りを見せる様子に、自然と口元が緩むのを感じた。


 しかし、そうなると一つ心配なことがある。


「イクシオ」


「何だ」


「この人達は凄く優しいけれど、これから人を驚かすことなどできるのだろうか?」


 俺のこの発言は、完全に失言であった。

 この時、俺は素直に彼らを信じて付いていけば良かったのだ。


 この後、俺はアンデットのプライドを傷つけると、とんでもない目に合うことを、身をもって知ることとなる。


「ほう?随分と大きな口を叩くようになったではないか、カイよ」


 俺の不用意な発言に対して、イクシオはゆったりとした動きで腕を組んでみせた。


「え、すいません。やっぱり怖いです。すみません」


 口元に浮かべられた含みを持つ笑みに、不穏な気配を感じた俺は即座に先程の発言の撤回を宣言する。

 しかし、時は既に遅し。

 祭壇の下から多数の視線を感じ、恐る恐るそちらを見れば…


「──っっ」


 顔の崩れた死体達が皆、一斉に俺の方へとその相貌を向けていた。

 俺は情けなくも彼らの威圧感に圧倒され、その場にへたり込む。

 取り敢えず、手元にあったリュックサックを抱え込み、尻でいざるように後退りを試みた。

 だが、その逃亡はイクシオが俺の背後に回り込むことで、難なく阻止されてしまう。


「どうした、カイよ。それ以上後ろに下がると祭壇から落ちるぞ?」


 唯一の退路を塞がれ絶望する俺の両肩に、イクシオの手が静かに置かれた。

 それでも最後の抵抗として俺は白々しい物言いのイクシオに、一言物申そうと振り返る。

 そこには艶やかな目付きで微笑む死霊王(リッチ)の姿があった。


 ──あ、俺、死んだ


「先程から私の負けが続いているからな。この辺りでアンデットの名誉を挽回(ばんかい)せねば、王の示しが付かん」


「負けというのは、まさか、さっきの猫扱いをまだ気にしていたのか…っ?」


 両手をぶらりと前に出し、じりじりと至近距離まで詰め寄ってくるゾンビ達から逃れようと身体を(よじ)ってみるが、イクシオの力が強過ぎて振りほどけない。


 見かけは麗しの美少年。桜の花弁(はなびら)と共に風に(さら)われてしまいそうな外見をしているにも関わらずこの怪力。

 まぁ、外骨格が人骨よりも遥かに重い水晶の時点でそんな気はしていたが。


「カイよ、覚えておけ。アンデットというのはいつまでもネチネチと根に持つ性格だったからこそ、アンデットをやっているのだ」


「……そんな急に自分をディスらなくても。というか、本当にやめてくれ。怖いから。というか、勝った負けたと言ってはいるが、俺は先程イクシオの呪いの唄で一発KO負けだろ。だから、やめ───」


「問答無用だ。野郎共、やっちまいな!」


「暴君が過ぎるっ」


 ──盗賊か、お前は!


 こうして、この後、俺は生まれたてのゾンビ達に大迫力の演技で(せま)られ、文字通りもみくちゃにされた。

 イクシオ先生による監修の(もと)、安全管理は徹底されていたため、身に危険が及ぶことはなかったが、それでも本物の死者達のおどろおどろしい絶叫を聞きながら、グロテスクな彼らの顔を至近距離で拝むだけで、俺的には十分無理な状況であった。

 俺は情けない悲鳴を上げながら、謝り続ける他ない。

 俺の表情筋は恐怖のあまり完全に死んでしまったため、彼らの満足できるリアクションが取れていたかは定かではないが。


 幸いだったのは、彼らが亡くなってからかなり時間の経った死体だったため、ベタベタしなかったことと、聖衣の力もあってか臭いもなかったことだ。


 ゾンビ達からの蹂躙(じゅうりん)と言う名の一方的なボディタッチを受けた俺は、砂浜に打ち上げられた残骸のように祭壇に力なく転がった。


「お前達、よくやった。完璧だ。この調子で外にいる連中も卒倒させてやるのだぞ!」


 嬉々とした様子で死者(ゾンビ)達を褒めるイクシオの横で俺はのそのそと身体を起こした。


「ああ、カイよ。すまなかったな。素晴らしいリアクションだったぞ」


「違う、イクシオ。俺の悲鳴はガチだ。おかげで表情筋も死んでしまった。責任を取ってくれ」


「お前の表情筋は元々死んでいるだろう。そんな冗談を言えるくらいなら、心配はないな」


 ──この暴君め


 まぁ、これが屍人達の自信に繋がったのならば、情けない悲鳴を上げ続けた甲斐(かい)もある。


 それに俺も人を驚かせることに存在意義を見出しているアンデット族達相手に失礼なことを言ってしまった。

 俺がイクシオや屍人達を怖がらずに過ごすことができているのは、彼らが怖がりな俺に気を遣ってくれている部分が非常に大きい。


 俺が一人そんなことを考えて座り込んでいると

 、一人の屍人がこちらへと歩み寄ってきた。

 300人近くの屍人の内の一人だが、彼は常に前方にいたのと、彼の怪演は鬼気迫るものがあったので印象には残っている。

 彼は手にしていた経典を祭壇の上に置くと、先程の荒々しい演技とは真逆な優雅な身のこなしでマントを脱いだ。

 そして、未だにへたり込んでいる俺の肩にマントを羽織らせてくれる。

 その上、彼は首に巻いていた濃紫のスカーフを抜き取り、俺の右目を覆うように巻いてくれた。

 ファンシーフラワーが人目につかないように配慮してくれたのだろう。

 視界は狭まってしまったため、慣れるまでは遠近感などの苦労はあるだろうが仕方がない。

 ありがたく使わせてもらおう。


「あ、ありがとう、ございます」


 俺が礼と共に頭を下げると、彼は「遠慮しないで」と言うように両手を俺の前に軽く出し、首と一緒に横へと振った。

 顔は怖いが良い人だ。


此奴(こやつ)は一番積極的に仕掛けていたからな。礼として受け取って欲しいそうだ」


 ──いや、一番積極的だったのは、背後から俺を押さえつけていたお前だ、イクシオ


 俺はじとりとイクシオを見上げた後、マントを掛けてくれた屍人に改めて礼を言う。


 マントにはフードも付いており、これを被れば屍人達の中に俺が一人紛れ込んでいても気付かれることはないだろう。

 俺はその場で立つと、マントがずり落ちないように胸元の留め具をしっかりと掛けた。


 貸してもらった聖衣はその場で回れば(すそ)が広がる程たっぷりと布地が使われているにも関わらず、非常に軽くマントを羽織っていない時と同様に動き回ることができる。

 また、長い間、死者が(まと)っていたものであるのに、一切の汚れや劣化も見られなかった。


「凄く軽いな、このマント。というより、この人達着ている服」


 異世界の衣類文化に触れ、すっかり活力を取り戻して大興奮している俺を見上げ、屍人達も同意するように頷いている。


「軽くて汚れに強いだけではないぞ。こうして可視化させると、様々な術式が織り込まれているのが分かる」


 そう言ったイクシオが青い光を帯びた手で俺の羽織っているマントに触れた。

 すると、イクシオが触れた箇所から細やかな模様が波紋のように青く光りながら浮かび上がる。


「これが穢払、そしてこれが防炎──」


 彼の説明と共に衣の上に異なる模様が浮かんでは消えていく。


「ほう、この術式は面白い。大気中の魔素を吸収し、自動的に全ての術式が発動するようになっている。しかも、発動している術式が相手に分からぬよう隠蔽(いんぺい)の術式も書き込まれているのか。後は──」


 模様をなぞって、それぞれの術式の解説をしているイクシオに俺は尋ねた。


「なぁ、イクシオ。先程から気になっていたのだが、一体どのようにして手を光らせているんだ?」


 辺りを見れば、屍人達もいつの間にやら手を青く光らせ、自分や周囲の者達の衣服に模様を浮かばせて遊び始めている。

 そのため、広間はあっという間に青い光に埋め尽くされた。


 ──これでウーファーの効いた音楽でも流れ始めたら、完全にご機嫌な空間になるな


 発光する手で遊んでいる屍人達を羨ましく思いつつその光景を見つめていると、イクシオはふむ、と考え込むように腕を組んだ。


「そうだな。まずはこの現象の説明からしていこうか。まず光を作るためのエネルギーの魔素。私の場合は魔物の核、魔石から取り出される。この中に半分に割った物が一つ入っているのだ」


 イクシオは自身の胸飾りを指で軽く叩く。


「じゃ、弱点を剥き出しにしているのか?」


「ふん、この飾りはドラゴンが踏んでも割れん、特別仕様だ。盗もうとした奴には末代まで俺の呪いが降りかかるぞ」


「なるほど…」


 ──胸飾りには下手に触らないようにしなければ


「まぁ、私はこの魔石から生み出される魔素を更に外骨格に貯蔵しておき、より身体に馴染ませてから扱う。魔素自体は無色のエネルギーなのだが、鉱石や花といった媒介を通して放出すると色付く。俺は外骨格、此奴(こやつ)らは胸飾りの金蒸水晶(アクアオーラ)を通した魔素を使っているため、魔素に色が付いている」


 俺は頷き、先を促した。


「よって、魔石を持たない人間の体内に含まれる魔素は僅かであるから、体内から魔素を放出してしまうと魂が大気中の魔素に引っ張られ、その負荷で昏倒する。魔素には魂を引き寄せる力があるからな」


「体内の魔素がなくなると、死んでしまうのか?」


「身体が弱っていなければ、そのまま魂が抜け出るということはない。ただ、二、三日は動けないな」


 ──では、俺は無理か


 残念に思いながら小さく(うつむ)く俺に、しかし、イクシオは笑いながら問い掛けてくる。


「カイよ、何故そのように落ち込む?」


 彼の含みのある言葉に俺は首を傾げた。


「まさか、お前は自分をただの人間だとでも思っているのか?目からそんなに魔素を放っておいて?」


 ──俺の暗視能力はそんな感じに見えていたのか


 どうやら俺は自分の知らないうちにファンシーフラワーから魔素を受け取り、暗視の術式を発動させていたらしい。


「お前の右眼に宿る石はカンラン石だ。元々世界樹の発動に必要な媒介の一つを術式への介入で奪ったようだな。カンラン石は闇との相性が良い鉱石故、難なく暗視の術式を発動できていたのだろう。怖がりのお前には良いお守りだな」


 イクシオはそう言って小さく笑った。


 奴はたまに一言多い。


 俺はじとりとイクシオを見下ろした後、気を取り直して自らの手を眼前に(かか)げた。


 俺も今のうちに魔素のコントロールができるようになっておきたい。いや、単に服を光らせてみたい。


 そんな好奇心の元、俺は右目に咲いているファンシーフラワーから目の前に掲げた手まで、一本の道を通すようなイメージを浮かべる。

 そして、その道の中をカンラン色の光がさらさらとせせらいで行くような感覚を、頭の中で強く描き出した。


「いいぞ。手に魔素が集まって来ている」


 イクシオには魔素の流れが実際に見えるようだ。

 的確な声かけに感謝しつつ、手首から先に薄く光を帯びるイメージを完成させる。

 すると、俺の手が現実においてもぼんやりと萌黄色の光を(まと)い始めた。


「できた…っ」


 俺は喜び小さく叫ぶと、イクシオの方を見る。


「上手いぞ、カイ。そのまま聖衣に魔素を流し込め。そうすれば魔素に術式が反応して光るぞ」


 イクシオもまるで自分のことのように声を弾ませながら、俺の羽織っている白いマントを指差した。

 俺はわくわくと胸を躍らせながら光を帯びている手でマントに触れ、魔素を流し込んでみる。


 すると、浅く彫られた溝に光る色水を注ぎ入れたかのようにマントの表面に黄緑色の美しい模様が描き出された。

 模様はすぐさまマント全体に広がり、流動するように瞬き始める。


「やった…っ!」


 数学の難問が解けた時でさえ、こんなに喜んだことはない。

 マントを光らせることに成功し、俺が小さく歓声を漏らして喜んでいると、屍人達も万歳をして見せたり拍手を送ったりと一緒に喜んでくれているような身振りを見せる。


 ──仲間に入れてもらえたようで嬉しい


 屍人達の仕草に感動している俺に、イクシオも彼ら同様に拍手をしながら声をかけてくれた。


「素晴らしいぞ、カイ。初めてでここまで完璧に魔素を操作できるとは。この集中力とセンスは最早才能だな」


 ──この先生、めっちゃ褒めてくる…っ

 仏の(やかた)先生でさえ、俺をここまで褒めてくれたことはないというのに

 この人、凄く褒めて伸ばそうとしてくる…っ

 まぁ、俺もどちらかというと褒められ(おだ)てられると伸びるタイプなので、相性はいいと思われる

 悪い気もしないし…


 だが、この後、折角光らせた聖衣達は、全て元の状態へと戻すことになってしまった。

 なんでも、注ぎ込んだ魔素はコツを掴めば回収可能らしい。


 魔素操作の一環として、俺達は聖衣を元の状態まで戻すこととなった。


「さて…」


 聖衣から光が消え、ナイトクラブがお開きになったところで、イクシオが俺に再び魔素を注ぎ込んだ黒瑪瑙(オニキス)を手渡した。


「行進中に此奴(こやつ)らが唄い始めたら、お前はまたこれを握っておけ」


 俺はイクシオから半球状の黒瑪瑙(オニキス)を受け取り、学ランの右ポケットへとしまい込む。


 そう、先程魔素の操作が可能となった段階で、屍人達は皆、ただのゾンビから上位種であるハイゾンビへと進化したのだ。

 ただ物理で殴ることしかできないゾンビとは異なり、ハイゾンビは呪言を用いて相手を恐慌状態に陥れることができるようになるという。

 呪言は正確には魔素に含ませた音魔法の一種で呪詛とはまた別物らしいが、死者の唄自体に全く耐性のない俺にとっては呪いと何ら変わりない。

 よって、イクシオが魔素を注いでくれたこの黒瑪瑙(オニキス)が引き続き必要なのだ。


 彼らが進化した要因は、教皇という元々の身体が持つポテンシャルの高さと、俺やイクシオが積極的に彼らとコミュニケーションを取った影響で、知性が急激に発達したことによるものらしい。


「今はまだ、私の発動したネクロノミコンの管理下にあるが、自ら魔素を求め、体内に魔石持つようになると、此奴(こやつ)らは立派な屍霊神官(ワイト)として独立した個体になるぞ」


「……そうするのか?」


 彼らとの別れは辛いもの故、それも悪くないと思った俺の問い掛けに、イクシオは小さく首を横に振った。


「これから始まる死者達の行進は泡沫(うたかた)の悪夢だ。魂無き者を生み出した者は同時に彼らの最期も作らねばならない。それが死者達に力を借りた者の責務だ」


 イクシオが冷静かつ良識のある死霊使(ネクロマンサー)で良かったと思う。

 確かにこのまま300人近くの強力な屍人達が寺院から放出されてしまえば、世界中がパニックに陥りそうだ。

 彼らが世界中の墓地に赴き、ゾンビを作り始めても困る。

 俺は、自分の浅はかさを反省していると、イクシオがひらりと手を振り話を続けた。


「それに、仮に私が此奴(こやつ)らに自由を与えたとしても、魂無き者達は使役の運命からは逃れることはできない。いつか私が此奴(こやつ)らの身に刻み込んだ術式を解読されてしまえば、再び彼らは他の誰かに使役されるやもしれん。それがカイのようなお人好しであれば何も問題はないが、そのようなことをする者の大半は(よこしま)な思いを持つ者達だ。俺はそんな愚者共に此奴(こやつ)らを渡すわけにはいかんのだ」


 イクシオはそう言い切ってみせると、祭壇の上から屍人達へと声を上げた。


「良いか、お前達。いよいよ散歩の時間だ。お前達の動ける時間は日没までとする!限られた時間ではあるが、各々心行くまで世界に名だたる建造物、カムーコタ寺院を満喫してほしい。そして、本日、この世界有数の巡礼地であり観光名所である寺院には、お前達以外にも大勢の人間が訪れている。彼らに出会った時は祝福(のろい)の唄を奏でてやるが良い。お前達は神聖なる聖人の亡骸。奴らも涙を流して喜び震えることだろう!」


 ──イクシオ節はどこか平和で癒される


 と口に出してしまうと再び強制ボディタッチが始まることを学んだ俺は、もごもごと口を動かしながら釣り上がりそうになる口元を何とか(いさ)(こら)えるのだった。




 ──────────




 こうして、全ての準備が整ったところで、300人ものアンデット達が海を割るかのように広間の両端へと寄る。

 彼らが道を譲った奥からは一人のハイゾンビが(たたず)んでいた。

 彼は先程、俺にマントとスカーフを貸してくれた屍人であった。

 しずしずと祭壇へと歩み寄った彼と俺を交互に見つめたイクシオは、声高らかに叫ぶ。


「よし、二人共。派手な銅鑼(どら)の音を頼んだぜ!」


 そう言って祭壇から降りたイクシオと入れ替わるように、ふわりと宙に浮き上がった屍人が俺の隣へと降り立った。


 そんな羨ましい能力を披露してみせた彼の指には、星の瞬きのように明滅を繰り返している指輪が()められている。

 指輪には小豆程の透き通った深緑の宝石が埋め込まれており、神秘的な光を放っていた。


 この宝石はモルダバイトと呼ばれ、隕石の衝突によって生まれた石とされている。

 天然ガラスの一種でジョモート族と呼ばれる種族の交易品として、ごく(まれ)にワミヤート族の元へと流れてくるらしい。

 風を操る魔石としても希少価値が高く、その威力は一粒で城塞都市を吹き飛ばす程だという。

 ただし、モルダバイトは強力な力故に扱いづらく、相性が悪いと術者への負担が甚大なものとなる。


 屍人達が身につけている装飾品は、(そろ)ってこのように扱いの難しい魔石を使った魔法具ばかりだった。

 よって、イクシオは彼らに魔法具の使用を禁じていたが、この屍人だけは器用にモルダバイトの指輪を使いこなしてみせたので、人に危害を及ぼさないという制約の下使用が許されている。


 そんな彼は俺と共に地下墓所を閉ざす真鍮(しんちゅう)の扉を盛大に破る役目を担うことになっている。


 そう。

 俺も魔法を覚えた。

 死者達がゾンビからハイゾンビへと進化しようと奮闘している間、ただボーと過ごしていたわけではない。


 俺は身体に描かれている世界樹の術式の一部をイクシオに解読してもらい、今の俺が使用できそうな魔法を教えてもらっていたのだ。

 術式の解読は、俺の魔素のコントロールの訓練を兼ねて行われた。

 聖衣に魔素を流し込んだ時と同様に、ファンシーフラワーに宿る魔素を表皮に流し込むと皮膚に緑色に光る術式が浮かび上がるのだ。


 世界樹の術式は1500年以上掛けて描かれたものなので全てを解読するには時間を要するが、読み解けば世界樹の破壊する足掛かりになる。


 複雑な術式が幾重にも重ねて描かれているため、術式の特定は困難を極めた。

 そんな中、イクシオがまず始めに解読したのは「硬化」の術式であった。


「世界樹は如何なる力を()ってしても破壊することが出来なかった魔樹。防御に特化した術式が多数組み込まれている筈だ」という憶測を元に探し当てた「硬化」の術式は、魔法初心者の俺でも短時間で何とかものにできる比較的簡単な魔法だった。


 真鍮(しんちゅう)の扉を盛大に破り、聖者の行進の幕開けを告げる。

 それが、俺とこのハイゾンビに任された任務であった。


 ──後、彼には名前を付けておこう


 いずれ別れる存在に名前を付けてしまうと名残惜しさが増して、更に別れが強くなるというが覚悟の上だ。

 仲良くしてもらっているし、彼を忘れたくない。

 俺は彼を密かにプロスペローと呼ぶことに決めた。

 風の精霊の力を借りて、大嵐(テンペスト)を巻き起こした人物の名だ。

 彼も眠りにつくまで、大嵐を巻き起こしてくれるに違いない。


 さて、任務について話を戻しておこう。

 地下墓所の外へと続く扉には外側から鍵と結界を掛けられているため、破るには強い衝撃が必要なのだそうだ。

 また、こっそり静かに出て行くよりも少々派手に登場した方が、人々の恐怖を(あお)りやすいという。

 扉に張られている結界の力と扉自体の強度に不安を呈した俺だが、モルダバイトを用いた風魔法と世界樹の頑丈さを前にすれば、それらは紙切れ同然の(もろ)さなのだそうだ。

 ここはもう魔術のスペシャリストの言葉を信じる他ない。

 それに俺としても、少しは役に立ちたい。

 こうして、俺は腹を(くく)ると、イクシオの提案を飲むことにしたのだった。


 そして、今、作戦決行の時。


 俺はイクシオと入れ替わるように隣に立ったプロスペローを見上げる。

 彼は俺の視線に気が付くと、こちらへと視線を向け大きく一つ頷いてみせた。


 まるで「大丈夫」と励ますような彼の仕草に後押しされ、俺は「硬化」の術式を起動させる。

 硬い外殻による装甲を思い浮かべながら、右目に宿る魔素を先程イクシオと確認した「硬化」の術式へと流し込んでいく。

 あらかじめ、模様の形を学んでいるのと「硬化」のイメージを強く刻み込んだ魔素を流し込んでいるため、魔素は迷走することなく術式内を通り抜ける。

 すると、俺の身体の表面には新緑の光の模様が浮かび上がった。

 といっても、実際俺が確認できるのは衣服から出ている手ぐらいのものだが。


 だが、うまく「硬化」の術式は発動させることができたようだ。


 あの複雑な蔦模様(つたもよう)絡み合う世界樹の術式の一部であるが、「硬化」の術式自体は然程難しいものではない。

 世界樹の術式は、数多(あまた)の術式重ね絡めて描いたものであるらしい。


 この術式を解読していけば、白花を始め世界樹に取り込まれた人々を解放する手がかりになるかもしれない。


 そんなことを考えていると、プロスペローがついついと俺の背中を人差し指で(ひか)えめにつついてきた。

 我に返った俺が彼の方へと向き直ると、プロスペローは「どうしたの」と気遣うように首を傾げる。


 愛嬌満載な彼の様子に癒されかけた俺だが、つついてきた手とは反対側の手に目をやった瞬間、癒しのイメージは吹き飛んだ。

 モルダバイトの指輪を()めている彼の掌に渦巻く小さな竜巻。

 プロスペローが作り出した灰色の嵐は頻繁に深緑の稲光を生み出し、不穏な明滅を繰り返している。


「ちょ…、それは流石に腹に穴が空くのでは…?」


 ──ひねりを増し増しに入れてくるなんて聞いていない。

 幾ら「硬化」したところで、こんなに恐ろしいものを食らわせられたら、身体がねじ切られてしまう…っ!


 俺の懸念とは裏腹に、徐々に加速していく灰色の空気の渦。

 それを見て思わず後ずさる俺に気を止めることなく、プロスペローはひらひらと片手を振ってくる。


「いや、『いってらっしゃい』じゃない。いや、『グッドラック』に変えてもだめだ。ちょっと一回それを止め───」


 俺の制止も虚しく、プロスペローが大嵐(テンペスト)を宿した手で俺の胸を軽く押した。


 次の瞬間。

 俺は後方へと吹っ飛んだ。


 くの字どころではない。

 つの字を描いた俺の身体はそのまま真鍮(しんちゅう)の扉へと突っ込む。

 そして、背中にひやりと固い金属が触れる感覚の直後、鼓膜を(つんざ)くような炸裂音が辺り一面に鳴り響いた。

 扉の破壊に成功した俺の身体は、光溢れる外の世界をを(なお)飛び続ける。


 ──もしかして、このままだと俺は一生世界を飛び続けるのでは?


 しかし、それは杞憂に終わった。

 強力な防護結界が張られていたのだろう。

 俺の身体は大聖堂と教会関係者居住区を繋ぐ回廊を横断した後、大理石の壁に激突して止まった。

 ただ、結界付き大理石の壁も無事では済まず、俺が衝突してから一呼吸遅れて、バコリ、と氷山が割れるような鈍い音を響かせる。


 ──重要文化財が…っ


 壁に叩きつけられるも「硬化」の術式のおかげで完全無傷だった俺は、壁にめり込んでしまった尻を抜くと、背後を振り返る。


「……やっばい」


 鏡面の如く美しく磨き上げられた乳白色の大理石の壁は、俺の(しり)で空けられたクレーターを中心に真っ二つに裂けていた。

 縦に割れた壁の裂け目からは一筋の陽光が漏れ出し、俺の身体に金色の光が降り注ぐ。

 肌をじわりと焼く太陽の光を浴びると、自然と外の世界への渇望が湧き上がる。


 それに、ここで捕まりでもしたら、一生かかっても返すことのできない額の賠償請求をされそうだ。

 ここから早く逃げるに越したことはない。


 俺はイクシオ達と合流するため、一度地下墓所内へと戻ろうと(きびす)を返した。

 だが───


「!」


 振り向いた矢先、俺は背後から駆け寄ってきた何者かを視野に(とら)える。

 白いローブを着込みフードを目深に被っているため、その相貌(そうぼう)は分からないが教会関係者に間違いはない。おそらく、地下墓所の扉を警備していた教会の衛兵だろう。

 銀の槍を構え、問答無用で俺を貫こうと駆け寄る人物を前に、俺はすぐさま戦闘体勢をとった。


 かと言っても、俺は戦いとは無縁の平和な暮らしを送ってきた、ただの高校生男子だ。

 加えて部活にも特に所属したこともないため、体力もモヤシ同然。

 絶体絶命である。

 しかし、俺もこんな所で人生を終了するわけにはいかない。


 槍での突きを避けたところですぐに次の攻撃がくる。

 再び「硬化」の術式は集中力を切らした時に既に効果は切れており、再びをかける時間もない。

 無事、イクシオ達の元まで戻るには、相手の不意を突くしかない。

 相手を(ひる)ませる(すべ)ならば一つだけ持っている。

 やるしかない。


 敵意剥き出しの人物は槍の攻撃範囲に獲物を捉えると同時に、丸腰の俺に対して容赦なく全体重を乗せた突きを放ってきた。


 俺は必死に敵の一閃突きを懸命にサイドステップで(かわ)す。

 すると、案の定、敵は俺が飛んだ方向へとすぐさま槍を()ぎ払った。


 それを地べたに臥して避けた俺は片手を敵の足元へと向ける。

 伸ばした片手から杖を取り出し、敵に足払いをかけながら横へと転がれば、上へ飛んだ敵が先程俺が臥していた床へと槍の先端を突き立てた。


 ──動きでバレたか


 切り札を見破られた俺は即座に立ち上がろうとするが、それよりも早く体勢を立て直した敵が再び槍を構えて突進してくる。


 ──立ち上がるのは間に合わない


 そう判断した瞬間、俺の身体はその場に()いとめられたかのように硬直した。


 ──やば…


 相手に気圧された時点で、勝負は決まる。

 それを悟った時には、俺は既に微動だにできない状態に追い込まれていた。

 槍の切っ先が今度こそ俺を貫こうと襲いかかる。


 ──これは、死んだ…っ


「何をしている、貴様ぁあああっ!!」


 俺の身に死の閃光を放とうとしていた銀の槍が、突如上がった雄叫びを受けて(わず)かにぶれた。

 突然の咆哮(ほうこう)に怯んだ敵の脇腹へ、電光石火の勢いで飛んできた緑色の塊が金色の尾を引きながらぶち当たる。

 敵は俺の目の前で槍だけを残して側方へと吹っ飛んでいった。

 床に何度も身体を打ち付けながら転がっていく敵の姿に呆然としていると、敵の横っ腹に綺麗な飛び膝蹴りを決めたイクシオが軽やかに着地する。

 束ねた髪を後ろへ払い、イクシオはこちらへと振り向き叫んだ。


「気をしっかり保て!あの衛兵、かなりの手練れだぞ!」


 イクシオに鼓舞された俺は、慌てて杖を手に立ち上がる。

 気を持ち直した俺を見届けたイクシオは、自らのローブのフードを深く被ると、俺を(かば)うように前方へ出た。


 ビリビリとした緊張感が漂う中、更なる追撃が衛兵を襲った。

 地下墓所の内部から屍人達の地を這うような呻き声が上がったのだ。

 途端、地下墓所を守る扉があった場所からぶわり、と青い光がまるで大量の羽虫のように湧き立つ。


 先程、イクシオが唄った際には術式を隠蔽(いんぺい)していたため分からなかったが、本来は術式を音にすると文字が漂う様が見れるようだ。


 呪言は彷徨うように飛び回っては、シャボン玉のように爆ぜる。

 すると、脳内を直接揺さぶられるかのような衝撃が俺を襲った。

 俺は()り上がる嘔吐(おうと)感を(こら)え、至急、学ランのポケットから黒瑪瑙(オニキス)を取り出して右手で握り込む。


 これには敵もただでは済まないはずだ。

 だが、イクシオが床に(うずくま)ったままの敵に対して警戒を解く様子は見られない。


 そんな俺達の目の前で白いローブを赤色でまだらに染めながら、敵がゆらりと立ち上がった。

 ぼたぼたと鼻や口から赤い液体を垂らし、肩で息をしているにも関わらず、その人物から放たれる殺気は衰えを見せない。


 目の前の人物は口元をローブの袖で無造作に(ぬぐ)った後、深く腰を落とした。

 片手で払ったローブの(すそ)(ひるがえ)り、敵の腰元に差してあった刀が(あら)わとなる。

 日本刀に似ているが、(つか)や鞘の部分に古金で複雑な模様な装飾が施されているその刀剣を目にしたイクシオが、驚いたように声を漏らした。


「ヌイ族の刀…」


 ワミヤート族が中心に信仰している寺院で、他の民族の武器を扱うことは珍しい。

 もしかすると、この人物自体もヌイ族なのかもしれない。


 敵は無言で刀の(つか)に手を掛け、一気に刀身を引き抜いた。


 鈍色に光る刀身は仄暗い海を回遊する(さめ)を連想させ、何やら人を狂気に駆り立てるような危険な香りがする。

 それは、手負いの敵から漂う殺気と一体となり、(おぞ)ましい闘気を辺り一帯に()き散らし始めた。


 ──殺される


 生まれて初めて向けられた明らかな殺意を前に、俺を支配したのは恐怖だった。


 ──まだ、俺は死にたくない

 ──早く、早く目の前の恐怖を払いのけなければ


 ──払いのけなければ


 そこからはほぼ無意識だった。

 恐怖を前にパニックになった人の中には、対象に対して攻撃を加える者も一定数存在するというが、俺のとった行動は正しくそれと同様のものであった。


 俺はイクシオの前に踊り出ると、杖の先端を敵へと向けた。

 俺が動くと同時に相手も床を蹴り、滑るようにこちらとの間合いを詰める。

 俺は真正面から突っ込んでくる敵に杖の照準を合わせ、右目からあらん限り(しぼ)り取った魔素を杖へと注ぎ込んだ。


 杖に螺旋(らせん)状に(つる)が巻きつくように、翠緑の術式が伸びる。


「うああああああっ!!」


 (のど)が裂けんばかりの咆哮(ほうこう)を上げながら、杖から魔素を一気に解放すれば、木の杖はその姿を大きく変貌(へんぼう)させた。


 うねり(たけ)る龍のように伸びた杖は先端を巨大な手のように変化し、敵の身体に強烈な張り手を食らわせる。

 だが、杖の猛攻はそれだけには(とど)まらない。巨大な手は敵をその手中に納めたまま、勢いを殺すことなくそのまま大理石の壁へとめり込んだ。


 一瞬遅れて鈍い裂音と共に、地下墓所側の壁に放射状の亀裂が入る。


 ──倒した…


 恐怖の対象を排除した俺は安堵し、肩から力を抜いた。


 緊張の糸が緩んだのか、指先が小刻みに震えている。

 もう大丈夫だと心の内で幾度も自分に言い聞かせ、杖を握り締めたままぶるぶると震え続けている手を治めようとするが、なかなか手の震えは止まらない。


 ──おかしい。脅威は既になくなったというのに…


 口元が引き()ったように、釣り上がる。


 ──珍しい。俺は笑っているのか?


「カイ…」


 こちらを振り向いたイクシオが、俺の名を呼びながら眉を(ひそ)めた。


「……え?」


 彼の堅い声。


 そして、壁にめり込んだ巨大な木の手の間から、ぬるりと(こぼ)れた赤い液体。

 白い大理石の壁を小川のように伝い落ちる赤い(すじ)を目にした俺は、ようやく自らの手の震えの正体に気が付いた。


 この震えは安堵(あんど)などではない。


 ──これは、

 ──この震えは……


「……死んで…、しまった…」


 人を意図も容易く叩き(つぶ)した自分への恐怖によるものだ。


 その事実に気が付いた瞬間、全身から力が抜けた俺はその場にへたり込む。


 すると、杖の変化が解け、巨大な手はするすると縮み、杖は元の形へと戻った。

 ひび割れた壁には赤く染まった人間が一人、叩き潰しされた虫のように無惨な状態で貼り付いていた。


 ──なんだ、あれは。どうして。さっきまで生きていた。生きていたのに。生きていた。俺を殺そうとした。殺されたくなかった。だから、俺は────


「……殺した…」


 茫然自失となった俺の口から、受け入れ難い事実が(こぼ)れた。


 その言葉に応えるように落ちる赤い液体の後を追い、敵だった者の身体がずるずると力なく床へとずり落ちた。

 手足をおかしな方向に(ねじ)ったまま、床に座り込んだ身体。

 身体は頭の重さに耐えきれず、その後ぐらりと血溜まりの中に倒れこんだ。


 ごとりと頭を打ち付けた衝撃でフードが外れ、敵だった者の顔が(あらわ)となる。


 それは、一人の女性であった。

 灰色の波打つ髪と、瑠璃(るり)色の双眸(そうぼう)

 20代前半くらいの若々しい見た目と、整った顔立ちではあるが、日常的に疲弊(ひへい)しきっていたのか目の下には(くま)がくっきりと浮かんでいる。

 そんな一人の女性が虚ろな眼差しをこちらへと向けたまま、横たわっている。


 俺が動けずにその場で座り込んでいると、地下墓所からゆっくりと屍人達が姿を現した。

 彼らは口元から青色の文字を(こぼ)しながら、(うつむ)きしずしずと歩き去る。

 屍人達の行進は大聖堂と教会関係者居住区の二手に分かれ、横たわる女性にも、俺にも気を留めることなく、ただ、イクシオの命令通りに進んでいった。


 まるで、葬列のようだ。


 ぼぅ、としたまま動かずにいる俺に、イクシオの凛とした声が届く。


「立て。行くぞ、カイ」


 彼の声に(すが)るように視線を向けた俺を、イクシオは眉根を寄せたまま見下ろした。


「業と責任を負う覚悟のないまま力をふるうなど、愚かなことをしたな、カイ。だがら悔いるのは後にしろ。今は成すべき事を成す時だ」


 イクシオの淡々とした物言いと実直な言葉は、人を殺めたという絶望の中にいる俺を現実へと引き上げた。


 そこへ、一人のハイゾンビが屍人達の列から外れ、こちらへと歩み寄る。

 それは、プロスペローだった。

 彼は俺とイクシオ、そして力なく横たわる女性をそれぞれ見つめた後、ゆっくりと首を傾げる。


「………」


 彼はやや(しばら)く首を傾げたまま微動だにせずにいたが、やがておもむろに腕を伸ばし、俺の頭の上にポンと軽く手を置いた。

 (とが)めるでもなく、純粋に俺を心配しているかのようなプロスペローの仕草に、イクシオは天を仰ぎ深く息を吐き出す。


「私は先に行く。お前はカイの(そば)にいてやれ」


 そう言って身を(ひるがえ)したイクシオは、屍人の行列へと一人駆けて行ってしまった。


 きっと彼は自分が生み出した命無き者が、命令よりも自分達を心配して駆け付けてくれたことが、嬉しくもありショックでもあったのだろう。

 俺も心を持った彼らと別れるのは寂しい。

 特にこうして俺を気にかけてくれているプロスペローとの別れは一番辛い。


 屍人の一人に近付いたイクシオがそのローブの(すそ)に招き入れてもらうのを見送っていると、そんな俺にプロスペローは「一緒に行かないの」と尋ねるように首を傾げる。


「すぐに行く。でも、少し付き合ってくれ」


 俺は杖をしまった後、プロスペローの干からびた手を取り屍人達の行進の間を横断した。

 そして、壁の下に横たわったまま動かない女性への傍に立つ。

 力尽きた彼女はそれでも尚、刀を離すことなくしっかりと握り締めていた。

 彼女は地下墓所の異変を前に、ただ己の任務を果たしたに過ぎない。

 彼女にとって突然地下墓所の扉を破り、中から現れた俺達こそが脅威(きょうい)であったのだ。

 俺は彼女の目の前で膝を付いた。

 プロスペローも俺の横で同じく両膝を付き、彼女の手からそっと刀を外した。

 そして、静かに刀を床に置いた彼は、女性の目元に優しく手を添える。

 だが、彼女の目を閉じさせようとしたプロスペローは不意に顔を上げ、俺の顔をじっと見つめた。

 視線で何やら訴えている彼の様子に、俺もはっと目を見開く。

 俺はすぐさま女性へと視線を落とした。


 ──まだ、生きている


 手足が折れ、内臓を破壊され、想像を絶する痛みと苦しみの中で彼女は生きていた。

 必死に酸素を取り込もうと、僅かに彼女の下顎が上下に動いている。


「助けないと」


 彼女はただ守るべき者を守ろうとしていただけの、立派な人なのだから。

 彼女を助けてこちらには害意がないことだけでも伝えよう。

 それでも、再び刀を向けられた時、その時は俺も覚悟を決めて全力で逃げよう。


 俺は女性の冷え切った手を取り、しっかりと握り締める。

 彼女を助ける(すべ)なら心当たりがあった。

 世界樹は不滅の力を持ち、如何(いか)なる攻撃も受け付けることはない、最強の防衛機能を有している。

 それは何も物理的な堅固さだけではない。ヴァローナさん達の攻撃は簡易な「硬化」の術式だけでは防ぎきれない筈だ。

 世界樹が枯れず、また切り倒されずに今まで成長を続けることができたのは、圧倒的な再生と回復力を兼ね備えていたからに違いない。

 ということは、俺にも使えるはずなのだ。


 再生と回復の魔法が。


 俺は早速右目から魔素を引き出そうと意識を集中させた。

 しかし───


「魔素が……」


 彼女の身体を情け容赦なく破壊した先程の一撃で、右目のカンラン石に宿っていた魔素は使い切ってしまったらしい。

 俺がいくら意識を集中させても、魔素が体内を巡る感覚を得られない。


 ──一体どうしたら…。


 イクシオは人体にも魔素は僅かに宿っていると言っていたが、身体中に意識を巡らせても魔素の存在は見つからない。


 事は一刻も争う。


 俺は(しん)まで冷えた女性の手を、祈るように強く握った。


 と、プロスペローが静かに片手を掲げ、スカーフで覆われた右目の上に置く。

 すると、彼の骨張った手が淡い青を(まと)い薄く光り始めた。

 すぐに俺の右目が再び緑色の魔素を体内へと循環させるようになる。

 プロスペローはイクシオから送り込まれてくる魔素を、俺の右目に分け与えてくれたのだ。


「ありがとう、プロスペロー」


 俺は思わずこっそり名付けていた名で彼を呼ぶ。


「………」


 プロスペローは自分のことだとはっきり理解したらしく、うんうんと何度も(うなず)いてくれた。

 どうやら、名前も気に入ってくれたようだ。

 喜んでくれているのか俺が名前を呼んだ後から、プロスペローから俺に流れ込む魔素の量が格段に跳ね上がった。


 再び意識を集中させれば右目から問題なく魔素を引き出し、身体を巡らせることができる。

 その間もプロスペローからの魔素の供給は留まることはない。

 俺はイクシオの魔石に含まれる魔素はとてつもない量であることを知った。


 プロスペローとイクシオに感謝しながら、俺は虫の息となっている女性へと向き直った。

「硬化」の術式を発動させた時と同様に魔素を全身に流しながら、「回復」または「再生」といったような、とにかく傷を治癒するための術式を探す。

 俺は全神経を身体に刻み込まれた術式へと向けた。

 ぽっかりと開いた穴がみるみる塞がっていくイメージを浮かべ、それと同調してくれる(みぞ)をなぞっていく。

 手探りで地道な作業ではあるが、今はこれしか手はない。


 全身を巡る治癒に関するであろう術式に慎重に魔素を流し込み続けていくと、数分後何とか発動にまで漕ぎ着けることができた。

 大分時間はかかってしまったが、それでも、女性は息絶えずにいてくれた。

 びっしょりと汗を()いた俺の肌には「硬化」とは異なる新たな術式が浮かび上がり、衣服や聖衣を透かして緑色の光を放っていた。

 身体をじんわりと心地よい暖かさに包まれるような光は、これまで使用してきた魔法とは感覚が違う。


 ──これは成功だ…っ


 そう確信した俺は術式を巡り循環していた魔素を、ゆっくり女性の方へと流し込んでいく。

 俺は一心不乱に握り締めた手を通じて魔法を女性に掛け続けた。


 すると、やがて女性の力に変化が起こり始める。

 彼女の全身が白く淡い光を帯び、潰れひしゃげていた手足が元の状態へと戻っていったのだ。

 握っている彼女の手も先程よりずっと温かい。

 確かな手応えと希望を胸を抱き、俺は術式を流れていた魔素を全て女性と注ぎ切った。

 同時に俺の右目からプロスペローの手が離れていく。


 俺は女性の意識を確認するため彼女の顔を(のぞ)き見た。

 虚ろで(にご)っていた彼女の瑠璃(るり)色の目。

 その双眼がゆっくりと何度か瞬きを繰り返す。

 すると、意識がはっきりとしてきたらしく、やがて彼女の目に光が宿り、しっかりとした眼差しが俺の方へと向けられた。


「良かった…、生きてる」


 女性が完全に意識を取り戻したことに、俺は思わず声を上げた。

 しかし、彼女の眉根が(わず)かに(ひそ)められた瞬間、俺は我に返る。


 そして、思い出す。

 俺は今、アンデットのふりをして逃亡している真っ最中であったことを。


 ──逃げよう


 俺はすぐさま女性から手を離し、代わりに隣で「よくできました」と拍手を送ってくれているプロスペローの手を掴んだ。


「ええと…、先程は潰してしまってすみません。元気になられて何よりです」


 取り敢えず、敵意がないことは伝えておこう。

 それから、彼女は仕事で此方(こちら)を狩らざるを得ないだろうから、追いかけてくるのは仕方がないとして、今の回復魔法で少しハンデをもらえないだろうか。


「できれば、もし俺達を攻撃するなら、せめて100秒は数えてから追いかけてきて欲しいのですが」


 女性は(ひそ)めていた眉を上げ、ポカンとした表情を浮かべた。


 ──よし、よし…、いいぞ


 俺はワイトの手を引きながら、中腰のまま後退る。


「あ、でも、この人達は基本とてもいい人達なので、あまり虐めて欲しくないというか…、ええと、では、失礼します。すいませんでした。さよなら」


 一端(いっぱし)の高校生が交渉術など持っている筈がない。

 こちとら、16年間コミュ障で生きてきたのだ。交渉術どころか会話を(まと)める力さえ未発達だ。

 そんな俺が大人の女性に、自分から声を掛けたことがまず奇跡に近い。


 ──偉い、俺。よく頑張った、俺


「よし、行こう。もう、行こう」


 女性を血溜まりの中に放り出したまま立ち去るのもどうかとは思うが、俺にはこれが限界だった。

 俺は「いいよー」とのんびり頷くワイトの手を引きながら、経のようなものを唄いながら歩いている仲間達の行列に紛れ込んだ。


 やがて、屍人のパレードは寺院に大波乱を巻き起こす。

今回は二話分くらいの長さになったので、ボリューム満載になりました

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