8:ご主人様の平日
投稿ペース遅すぎ……ブックマーク剥がさずにいて下さる方々、本当に慈悲深い。
私の勤しむ仕事には、これといって出勤時間というものが存在しない。
ある程度は受ける依頼の難易度に応じて、早く起床、遅く起床と微調整して、夕方日が沈む頃には屋敷へ帰ってこれるようにする。夕食が出来上がるのがちょうどその頃だからだ。
「……様……飯……すよ……」
何気なく微睡んでいると、呼び声のようなものが聞こえた気がした。誰を呼んでいるんだろう。
「ご……様、朝……です……」
「ぅ、ぅぅん……?」
二度目のそれで、ようやっと誰が、何を呼んでいるのかの合点が行く。
「ご主人様、朝ご飯ですよー」
三度目ではっきりと耳に響き、確信するとともに私は聞き惚れた。
この鈴の音のような美声は、紛れも無くレーナちゃんの声だ。私を呼んでいる。
意識してからの行動は速い。すぐさまベッドから飛び起きて、強引に眠気を搔き消す。頰を強く叩けば完璧だ。
「はいはーい! ただいま行きますよーっと!」
こうして、私––––橘純夏、十七歳(冒険者歴一年ちょい)の1日が始まるのだ。
階下へ降りるに連れ、美味しそうな朝食の香りが、鼻腔をくすぐり出す。
居間へ入ると、フライパンが何かを焼く音も聞こえ始めた。
「あ、お目覚めですか。おはようございます、ご主人様」
寝坊なんて珍しいです、と少し微笑みながら彼女はキッチンから私を覗く。
元奴隷のレーナちゃん。言ってしまえば一目惚れで、私が買って即解放した女の子。可愛い。あくまで同じ家に住む家族として、家事を任せている。可愛い。
「今朝は何作ってるのー?」
「卵が手に入ったのでオムレツですよ」
買い物は、週末に村まで二人で一緒に行く。……なお、レーナちゃんは極端に顔を隠したがるので、穴の空いた麻袋着用。村民の皆さんから思いっきり不審者扱いされている。先祖返りとして差別されないだけマシだと語るレーナちゃんの瞳は、もう泣きそうなくらいに震えていた。どうも小さな女の子にまで笑われたのがこたえたらしい。
先週はそのくだりから慰めるまでの一連の流れを経て、後少しで手を繋げるというくらいにまで心を開く事に成功したので、今週末はあの柔らかい小さな手を絶対握って見せる。絶対にぎにぎ。絶対にぎにぎしてやるのだ。
まぁ、それは置いておいてお腹空いた。具体的な献立を聞いて、腹の虫が余計に唸りを上げる。
きゅるる、ぐー。
「わぉ、OMURETU……!」
この世界は、どういうわけか料理や言語など、日本と酷似或いは共通する分野が探せばいくつもある。文字に関しては、パターンがほぼ一緒というだけで、形は全く違うが。……別に深く追求するつもりもない。難しいことを考えるのは苦手なのだ。
それよりも、私にはやらねばならないことがある。盗撮するカメラのごとく、私はこっそりとレーナちゃんを観察した。
今日はポニーテールにしているらしい。長い銀の髪に隠れて普段見えない頸が、今日は僅かに隙間から覗く。素晴らしい。今度散髪の機会があれば、ショートカットにしてあげるのもいいかもしれない。どんな髪型でも絶対似合うよ。
服装はいつものエプロンドレス––––の、丈や袖を短くしたバージョンだ。伸びる腕が細くて恐ろしく白い。普通なら不健康さを主張する要素だが、レーナちゃんの浮世離れした美麗さの前には、それを引き立てる重大な一要素だ。絶対に日焼けなんてさせるものか。私は許さん。
それから細いと言っても、以前のような枯れ枝同然の痛々しさを帯びた細さでもない。この屋敷に来てからは満足に食事をとれている分、丸みの出て来たほっぺなんかと同様、わりと健康的で危うさを覚えない、不思議な繊細さを感じる。庇護したい。
「ご主人様……? えぇと、もうできましたけど……?」
「……うぇっ!?」
レーナちゃんを眺めてぼーっとしていると、いつの間にか彼女が目の前にまでやって来ていた。右手にはオムレツ、左手にもオムレツだ。落として火傷しないでね。
「あっはい。ごめんなさい、何も変なことはしていませんよ、神に誓ってだ」
家族の生態観察は常識の範疇にある。決して、私は歪んだ愛をレーナちゃんに押し付けたりはしていない。
「別に何も聞いてませんけど……」
怪訝そうな目を私に向けながら、テーブルの向かいに座るレーナちゃん。ちくしょう、オムレツからめっちゃ湯気出てて顔見えずづらいじゃないか。
「いただきます」
レーナちゃんが最初に手を合わせた。
この国は食前の挨拶というか、所謂『いただきます』の概念が存在しないらしく、私の動作を初めて見たとき、彼女は困惑していたものだ。
今では順応して、言われなくとも積極的に私に合わせて『いただきます』してくれる。
そんなの些細な変化だと人は言うかもしれないけれど、私には確実に距離が縮まっている証に思えるから、とてもとても喜ばしいのだ。
何拍か遅れて私も手を合わせる。
「いただきます」
「召し上がれです」
「……」
「? 食べないんですか?」
「う、うん。食べる、食べますとも」
いけないいけない、この頃はレーナちゃんの態度が軟化して来た実感があるからか、一つ一つの仕草まで何から何まで可愛く思えて仕方ない。つい見惚れてしまう。抱きしめていいですか。
「変なご主人様ですね……」
心底不思議そうに首を傾げながら、器用に皿の上の卵を切り離して、もぐもぐしていた。まったく、自分が変にしてる自覚を持って欲しいもんだぜ。幸せそうに食べやがって。
「抱きしめていいですか」
「ふぇっ!? い、今は食事中なのでダメですっ」
ふむ、食事中は、ダメ……。
なるほど、普通に生活してる中ならいつでも抱きしめていいという言質は取れたようだ。
「じゃあレーナちゃんのオムレツあーんして食べさせて」
「んぐっ!?」
げほげほとレーナちゃんは噎せ返った。私はそれをニヤニヤと笑いながら見つめた。狼狽えても可愛いなんて本当に死角がないな、この娘っ子は。
****
「うぅ……いってらっしゃいませ……」
玄関まで出張って来たレーナちゃんの頰はやけに赤い。
「まだ間接キス気にしてるの? そんなの突き詰めたら、洗ってるにしてもランダムで同じスプーン使ってるんだしご飯の度に間接キスしてるよー?」
結局あの後、手ずからオムレツを食べさせてもらった。ゆけに甘く感じたけれど、この子は間違えてオムレツに砂糖を大量に入れたんじゃないだろうか。……いえ、わかってますとも。その場の雰囲気が甘々だっただけですね、はい。レーナちゃんも満更でもなかった気がした。
しかしレーナちゃんよ、これくらいのことで気にしすぎなのだ。初めて会ったその日に風呂場で体を晒し合った仲じゃないか(ゲス顏)。
「そういうんじゃないんですよ……理屈じゃないんです」
『もう知らないわっ!』なんて言わんばかりにぷいっと顔を背け、明後日の方向を向き始める。拗ねちゃったよ……でもお嬢さん、わたしにゃあ照れてるだけのツンツンガールにしか見えないよ。まぁ、可愛いからその体勢を維持してくれる事に異論は無いとも。はぁ、写真に撮りたい。カメラはどこだ。
「まぁ、間接キス問題は夕方じっくり実践を交えて議論するとして……」
背中には紐で吊るした鞘、そしてそれに収めた長剣がある。
それ以外は急所を防ぐために最低限付けた軽装の革の防具と、ナイフなどの小さな必需品を入れたポーチが一つ。現在に至るまでに確立した、『これさえ持っていけば問題ない装備』の皆さんである。
それらの中に一つでも欠落がないかを軽く確認し、忘れ物はゼロだと脳みそが判定を下だした。
「じっくり? 実践……? ––––まさか……ぅ、ぇぅ、ぁ……!」
私の言わんとすることが理解できたらしく、さらに赤面した。
今でこそこんな初々しい反応を見せるけれど、それも慣れるにつれてどんどん無くなっていくんだろうなと思うと、嬉しさとともに寂しさも覚えるのは単なる私の我儘だった。
「行ってまいります、我が家の大黒柱が!」
寂寥感を振り払うように、いつも通り敬礼し、殊更声を張り上げて挨拶する。
私の様子から、レーナちゃんもまた若干の冷静さを取り戻したようで、
「……はいはい、屋敷の大黒柱さんはあんまり遅くならないようにして帰って来て下さいね」
軽く手を振りながら、彼女は少しはにかんだ。言い回しが何処と無く私に似て来ているのは気のせいだろうか。
私の軽口が少し伝染している……? だとしたら順応しすぎじゃありませんかね、あなた。
原因を考えると、十中八九私が距離感を詰めすぎてるだけだった、くそぅ。
****
森へある程度入り込むと、日の光の差し込み具合がすこぶる悪くなる。
そんな中でも、感覚を研ぎ澄ませていけば周囲に複数の生命体が潜んでいることは、簡単に突き詰められた。
「ぎゃゆぎゅあああーーーっ!!」
そうとは知らず、まんまと奇襲に成功したと思い込んでいる、緑色で童子のような体躯のそいつ––––ゴブリンは、奇声を上げながら私の背中へ飛びかかってくる。
「……」
受けた依頼はゴブリン討伐。難易度はそれなりに高い。理由はゴブリンの個体数の多さから。
しかしこちらとて昨日今日この道に足を踏み入れた訳では無い。小柄な女だからと油断したのだろうが、姿形で敵との力量さを見誤るのは早計で愚行だ。
「しぃっ……!」
次の瞬間、横薙ぎに切り捨てられた低身長の亜人は、そのまま樹木にぶつかり、断末魔もなく事切れた。
彼らは言葉を介さない。だから当初吐き気を催すほど苦痛だった殺害行為にも割り切ってしまえばやがては抵抗が無くなったし、大切な人とのあったかい生活のためなら、私はいくらでもこの稼業を続けるだろう。
もう動かないゴブリンだった肉塊に歩み寄り、顎から出張った牙二本のうちの片方をナイフで切断する。討伐証明だ、持って帰ると買い取ってもらえる。
今ので三体目。まだこの深みまで入って数分しか経っていないが、このペースでは帰るのが完全に日の落ちた頃合いになってしまう可能性が高い。
ギアを上げよう、そのための能力はこの世界に来た瞬間から備わっている。
「よっこい––––」
次の瞬間、隠れていたゴブリン達の視界から私は消失し。
「––––せ、っと」
彼らの視界が永久に途絶えるのと同時に––––辺りに、血溜まりができた。
なんてことはない、これまで幾度も繰り返した"駆除行為"だ。
****
昼時になった。
ハイペースで倒し続けたので、目標討伐数である五百体のうち、半分以上を仕留めることはできた。これならお昼をゆっくり食べても大丈夫そう。
「はぁ……」
しかし、私の昼食は味気ない。
川で釣った魚! ……以上。
「はぁ……」
パチパチと音を立てて、木の枝が燃える。
立てかけられて焼き目のついた魚も、初めて食べたときはとても美味しく感じたが、今はもうとっくに飽きてしまっている。
朝と晩に屋敷で美味しい料理を食べられるようになって早数ヶ月。
元々平日の昼食が魚だけであることを満足していたわけではないけれど、酒場の料理もそれほど美味しいわけでもないし、こんなものだろうと妥協していた。
しかし、レーナちゃんの料理が私の舌を肥えさせた。あれを標準レベルと自称するレーナちゃんは、もしや謙虚でもなんでもなく、実は影で自分より料理の下手な人間を笑っているのではないだろうか。
そこまで考えて、否と否定する。
あの子はただ見てきた世界が無理やり他者に狭められていただけなのだ。自分の料理だって、『大した腕ではない』などと彼女に関わった人間がそう刷り込んだだけに違いない。本当は評価されて然るべき技量なのに、だ。
そんな理不尽がレーナちゃんの身に降りかかっていたことを思い出すたび、無性に腹立たしくなる。
生まれた場所さえ違ったなら––––それこそ、エルフ族の集落にでも生まれていたなら、彼女はもっと多くの人々に愛されていただろう。
それはそれで、私が生涯彼女に出会うこともなかっただろうから複雑だけど。
「……お弁当、頼んだら作ってくれるかな」
ポツリと、気づけばそう呟いていた。
毎日、朝ご飯か夕ご飯の残り物を詰めてもらって、持って来るのはどうだろうか。帰宅の度に美味しかったよと一言感想を言えば、いつか彼女の心にも響くかもしれない。
しかし外国には、日本のような箱に料理を敷き詰めて持ち運ぶ文化はあまりないようで、異世界人であるレーナちゃんにも、『弁当』の意味がうまく伝わるかどうか。
「レーナちゃんの料理、外でも食べられたら最高なんだけどなぁ……」
……今晩、夕食の席で聞いてみようかな。
そうと決まればゴブリン狩りだ。すぐにでも終えて、屋敷へ帰ろう。なんなら、夕飯前に帰って食器出しを手伝うのだっていいかもしれない。
「うん。それがいい、そうしようっ」
周囲に残るむせ返るような死臭を嗅いで、まだ気分が悪くなる事に、少し安堵しながらそう考えた。
****
今日の依頼は無事完遂した。
日の傾く少し前に駆除を終えたので、いつもより早く屋敷に着くだろう。
「あーあ……シミ、残らないといいなぁ」
言いながら、私は着用している水色のシャツと、ライトブラウンのパンツを一瞥する。
張り切って森を駆け回り、ハイスピードでゴブリンを殺し続けた結果、気づけば服に返り血をいくつか浴びていた。いつもはこんなヘマしないのにだ。
「……あ、おかえりなさいませっ、ご主人様っ!」
こんな時間になってまで、玄関先を箒で掃いていたらしいレーナちゃんが、歩み寄る私の姿を認めると、満面の笑みで出迎えてくれた。……ワーカホリックめ。
「わっ……返り血、ですか?」
レーナちゃんは、私の上下の服と、頰に優しく触れながら、少し驚いた様子で訊ねてくる。どうやら、気づいていないだけで顔にも付着しているらしい。うげぇ……。
「うん……気づいたらはねて付いてた。ごめんね、血、怖いよね」
私は感覚が麻痺したのか、始めて三ヶ月が経つ頃には飛び散る血飛沫に『気持ち悪い』以外の何の感傷も抱かなくなったが、レーナちゃんはそうではないだろう。
しかし、存外彼女はケロリとして言った。
「あ、いえ。血は、それなりに慣れています。奴隷、でしたから」
「っ……」
嫌なことを思い出すようでもなく、当たり前のことを語るようにそう言うので、私は少しバツが悪くなった。
そうだ、この子は虐げられてきた。そこまでは無いだろうとタカを括っていたが、どうやら血が出るくらいの仕打ちは日常茶飯事だったらしい。私が風呂場で見た傷など、序の口だったということだ。
「……血にいい思い出はありません。ですが」
しかし、そこで区切って何故かレーナちゃんは嬉しそうに笑う。その顔が、私は一番好きなのだ。
「ご主人様が、お金のため––––そして、私との生活のためにそんな姿になってまで勤しんで下さっているのだと思うと、とっても胸が温かくなるんです。……きゅって、締め付けられるみたいに嬉しいんです」
胸元に手を当て、少し頰を紅潮させて。最後に恥ずかしそうに私を見つめた。
「……レーナちゃん」
「いつも、本当にお疲れ様です、ご主人様。––––あなたがいるから、私は今日も無事に生きていられます」
「レーナちゃん……!」
「ひゃっ!?」
ここがまだ外だということも忘れ、私はレーナちゃんを抱き寄せた。今朝に言質は取った、ここは食事の席じゃないから抱きしめたっていいはずだ。
救われた気がした。この頃は、どこか自分を『化け物じみた存在』だと、そう思っていたから。
「大好き……レーナちゃん本当に可愛い、好き……この家に、来てくれて本当にありがとう……」
ゴブリンの群れを一瞬で屍の山に変える女など、普通ではない。血の匂いを嗅いで、気持ち悪いと思えていることに安堵するなど、普通ではない。血飛沫を見て、感情を揺さぶられないなど普通じゃない。
とっくに『ただの女子高生だった頃の自分』を逸脱していると思っていたから、その行いの結果に感謝されて、つい思わず、うるっと来た。
「……私を、この屋敷に連れて来てくださって、本当にありがとうございました」
言葉とともに、おずおずと背中へ腕を回されて、今度は近づいた心の距離に喜悦して、一筋涙が零れた。
「その……大好きだとか、好意だとかは、私にはまだよくわからないです」
「……うん」
「でも、だからこそっ、近い未来理解できる日が来たなら、私はご主人様の想いに精一杯応えたいです」
「うん。……うんっ」
「その日が来るまで捨てずに、手放さず、待っていて下さるでしょうか」
「ずっと待ってるよ」
私は初めて、彼女の頰に唇をつけた。
他者にキスを––––いや、恋をすること自体、初めてだった。
「んっ……」
彼女は軽く声を上げた。可愛い。
火照ったように熱いそれらは、重なり合った途端、火傷しそうなくらいに私の心を焦がした。
異世界へ飛ばされた。家族はいなくなった。
家は大きくて、それでも独りで。なおさら、息が詰まって。
他の生命を刈り取ることに心を揺さぶられず、化け物のようになっていく自分を自覚して、怖くて。
––––でも、レーナちゃんに出会えた。
ただそれだけで、その他の前提である負の要素は、すべて度外視できた。
それくらい、どうしようもなく、好きになってしまったから。
「ご主人様を、『好き』に、なりたいです……」
そうして私に身を委ねてくれるあなたが、この上なく愛おしかった。
書ける時はとことん突き詰めて書けるのに、書けない時はとことんだらしなく薄いものばかり書き殴る。




