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63:黒銀の花嫁

 結婚は、私の誕生日から半年ほど後のことになった。

 準備期間はもっと短いものだと思っていたので、正直驚いてしまったけれど、


「貴族とかはこれよりも長いと思うよ」


 とスミカさんは心なしか物足りなさげに教えてくれた。

 彼女のことであるし、本当ならもっと長く時間をかけて準備したかったのかもしれない。たとえ半年でも一年でも、費やされた時間と想いの価値は変わらないのに。


 式場には、村の広場を選ばせてもらった。身近な場所でひっそりと大切な人たちに囲まれて式を挙げられれば、私は満足だったから。

 と、思っていたのも最初のうち。

 綺麗な衣装で少し歩くことになると聞かされてからは、そんな格好を大勢の知り合いの前で、それも慣れ親しんだ場所でしなければいけないなんて公開処刑か何かとげんなりしてしまった。……でも、うん。スミカさんにそれで可愛いと言ってもらえたら……とっても嬉しい。だから、頑張って着てみる。



 件のドレスの採寸では、「細身の衣装を着るために減量か何かなさいましたか?」と驚かれてしまうくらいに私には肉がついていないらしくて、ようやくスミカさんが常々言っている『痩せ過ぎ!』が信憑性のあることだと分かった。

 もしかして、彼女が私を『可愛い』と言ってくれる時も、他の人にもほんの少しくらいは、そう見えているのだろうか? なんて、まさかそんな自己愛盛んな……。

 しかしそれを聞いてみて、もう少しくらい大食いになってみてもいいのかなとは思った。なのでまずは作れる料理の種類を増やすことが始めようかなと思う。『れぱーとりぃ』が増えれば、他の二人もきっと喜んでくれるはずだから。


 先々を考えるとやりたいことが増えていく。

したいことやりたいことの未来設計を考えるのは、とても楽しいことだ。


 その他必要なもののいくつかは村の方々が用意してくれるのだとか。

 酒場の店主様からは料理を、八百屋の老夫婦からはそれの材料となる野菜や果物を。

 花屋さんは装飾として沢山のお花を用意してくれると約束してくれて、とても嬉しかった。

 他にも、村の外れの牧場や定期的にやってくる行商人の方や……と、本当に沢山の人達が屋敷を訪ねて己に合った役目を買って出てくれた中、不思議な方々も現れて。


「……すまなかったよ」


 私の目をまっすぐ見てからそう頭を下げた複数人のご老体––––村の長老様たちは、その後すぐ何をするでもなく真っ直ぐ、意志の失せたような足取りで、村へ帰って行ってしまった。

 なお、うち一人がふとこちらへ振り返った折、スミカさんが私の隣で笑顔で手を振ると、顔を真っ青にして歩幅を広げていた。……怖がられてる?


「な、何かあったんでしょうか」


「あー、うん。あの人たち『悪いこと』しようとしたんだよ。でも、多分もうしないと思うから安心してね」


 答え方がどことなくぞんざいだ、それに声も苛立って聞こえる。


「は、はぁ……えと、スミカさん何か怒ってますか?」


「え、いや怒ってないよ。今日も元気なレーナちゃんでいてくれてありがと〜って心の中で拝んでたとこ」


「あ、えっと、どう、いたしまして……?」


 微妙に会話の流れが逸らされている気がする。

 『悪いこと』って何だろう、聞いてもそれっきり何も教えてくれなかった。なら、それ以上詮索しても話してくれない気がした。

 でもやけに笑顔が怖い(・・)。隠しているつもりのようだけど、これはスミカさんが憤りを覚えている証拠だ。よほどの何かがあったのだと思う。


「いや、ほんとに怒ってないよ? 怒ってないんだけど……何で、私が怒ってるって思ったの?」


 表情に出さないようにしてたんだけどなぁ、と彼女は不思議そうに言ってのける。……いややっぱり怒っていたんじゃないか。


「……もぅ、何年一緒にいると思っているんですか。あなたが意味深に笑みを深めた時は、何か本気で怒っている時なんだって知ってます。御見通しです」


 そう豪語すると、何故かスミカさんは目を見開き、ほんのり赤い顔になって、髪の毛の先をイジイジし始めた。


「……え、へへ、なんかそこまで言われると嬉しいな」


「へ?」


「レーナちゃんのこと私が沢山知ってるみたいに、レーナちゃんも私のこと沢山知ってくれてるんだもんね。……それってすっごく嬉しいな」


「怒ってるのバレて嬉しいんですか……」


「自分のことなんて御見通しだって言ってもらえるの、案外嬉しいんだよっ」


 確かに、スミカさんの表面的な部分はよく知っているつもりだ。けれどもこの人の照れるつぼだけは、何年経っても正確に測ることができない。

 ふとした言葉に顔を真っ赤にすることもあれば、心を込めた言葉を微笑ましげに躱してしまうこともある彼女。かと思えばその逆の場合もあって。

 私ばかりが照れさせられてしまう日々だ。羞恥心の煽り方をスミカさんは熟知していて、だからこそ彼女ばかりが優位な現状を打開するべく、私は何か武器を得なければと常々思ってきた。


「……もっと安定してスミカさんを狼狽えさせられたらいいんですけど」


「……打算抜きに不意打ちしてくるからこそ、たまにドキッとしちゃうんだよなぁ」


「だって計算して相手を褒めるなんて不純でしょう。私は心からの思いを伝えて、尚且つスミカさんを戸惑わせたいんです」


「おおそれはそれは難儀なことで。頑張って」


「頑張ります。私、本気なんですからね」


「そう? じゃあ––––」


 グッと両拳を握りしめ、力強く意思表示。

 スミカさんの顔を一日中真っ赤なままにしてやる。それが私の将来的に叶えたい野望、もとい夢の一つ。

 だから––––って、あれ、何で、スミカさんの顔が間近に迫って……?


「––––愛してるよ」


 真正面を外れ、私の耳元までその瑞々しい唇を近づけると、彼女は軽く耳朶を食みながら囁きかけてきた。

 思わず脳髄までとろとろに溶けてしまいそうな甘い甘い声音に、私の不健康な肌はゾクリと鳥肌を立てて、急速に血色を増して。


「……ぅ、ぁ」


 頭が、真っ白になる。


「あははのは〜、それくらいで照れてちゃ私をやり込めるなんて五年くらい早〜い」


「っ……ぐっ」


 煽るように言われて、ハッと我に帰る。顔の熱がいくらか引き、真正面には私を小馬鹿にしたように口の端を吊り上げた声音の主。

 腹立たしさと自分のちょろさ加減に唇が震え、即座に言葉を発せない。下唇をもにょもにょしてしまう。


「う、にゅ、ぁぅ……っ、うる、さいです。照れてなんてないですから……ほ、ほんとなんですからねっ」


「ほんっと可愛いなぁ……めっちゃちょろいの」


「〜〜〜〜!!」


 結局この日も彼女の手の内で踊らされてしまった。


 まあ、そんなこんなで式の予定日がどんどんと近づいていく。

 野望だ将来の夢だと長々語ってみたけど、何より一番楽しみなのはスミカさんの花嫁衣装姿だったりするのだ。




****






 村全体が装飾品で飾り付けられ、常の素朴な印象は上書きされている。

 入り口までも子供が作ったような星形の賑やかな装飾で彩られたその場所に、頭に疑問符を浮かべた白髪の凛々しい女性と、ぴょんとウサギのような長い耳を頭頂部から生やした他種族の、細い目の少女がいた。

 僅かに疲労を感じさせる顔の女性は召喚術師指定の灰色のローブを羽織り、下には簡素な旅装束。少女の方は白と黒の入り混じった髪をおさげにし、女性と似通った旅装束を身につけている。

 そんな彼女らの視線の先には、賑わった様子の村人たちがいて。


「……それで、この催しは一体何なんだ」


「ねぇー、なんなんだろーねぇー」


 村の住民たちはそのような女たちに見覚えはなく、やがて観光客か何かだろう、と結論づけると、興味を無くしたように各々の目的に意識を戻す。今は常の商いより大事なことがあるからだ。


「要件も告げずに呼びつけるだけ呼びつけて……俺とて暇ではないのに……」


「まーまー、クォラ気ぃ張りすぎだからぁー。ここ王都じゃないんだし、二人きりの時みたいに『ボク』って言ってもいいんじゃなーい?」


「ば……!? こ、ここでその話をするなっ、一応知り合いと言って差し支えない人物もいるんだぞ!?」


「えぇー、素で仕事の愚痴言ってる時のクォラが一番かぁいーのにねぇー」


「やぁーめぇーろぉぉぉぉ!!」


 頭を抱えて道にしゃがみこんでしまう白髪の女性––––改め、召喚術師クォラ。普通に通行人の邪魔だった。


 何故彼女が数年ぶりにここにやってきているかと言えば、それはスミカから少し前に送られてきた一通の手紙が原因であり。


『親愛なる召喚(←文字これで合ってますかね?)じゅつ師、クォラ様へ



 数少ないこの世界の知り合いであるあなたに、報告したいことがあります。もし暇であればこちら(屋敷じゃなくて村の方です)へ来ていただけると幸いです。


あ、確か恋人さんいるらしいですよね。もしよろしければそちらの方もご一緒に。



あなたがたの計画の犠牲者 スミカより』


 そんな文言の便りが郵便受けに投函されていた。


「犠牲者だとか遠回しに過去を掘り返されたら、来ないわけには行かないだろう……!」


 というか、なんで『召喚術師』の『術』は難易文字で書けないのにそれより難しめな『犠牲』は書けるんだ。当てつけか。当てつけに練習したのか。


 確かに、スミカ・タチバナには酷なことをしてしまった、と反省しているつもりのクォラだ。

 召喚される存在のことを、どこか神格化して見ている節がある召喚術師たち。クォラもまたその例に漏れず、スミカがもう地球には帰れないのだと言い渡された瞬間に浮かべた絶望の表情を見るまでは、彼女を人ならざるモノとして捉えていた。自分たちと何ら変わらない血の通った生き物であるなどとは、まず考えもしなかった。

 その上、勇者と何の関係もなかった彼女は、手違いで召喚の儀式に巻き込まれた純然たる被害者。これでは大義名分も何もないただの人攫いだ。

 今も何だかんだ元気に魔法の研究をしている件の司祭の別荘を住居として与え、当分の生活費を渡し、何とか彼女には納得してもらった––––というのが七年前のある日のこと。

 それから二年と少し後にスミカの元を訪れてみれば、愛らしい顔立ちをした『混じり』の少女と仲良く暮らし始めていたのだから、なかなかどうしてこの世界での生活を満喫してくれているようで何よりだった。

 無論、それで綺麗さっぱり蟠りも無くなったなどとは思っていない。だからこそ、あのような文面の便りで呼びつけられた際は、胃に激痛が走ったもので––––。


「……あぁ、思い出せば胃が痛い」


 キリキリと、腹部から痛覚が発される。

 日々、召喚獣の知恵に対する意見の相違から派閥争いが繰り広げられている召喚術師の世界。

 その仲介人として走らされている身の上で、たださえ心労から胃痛持ちだと言うのに、それに更なる精神的負荷を掛けられれば胃のダメージが次のステージへ駆け上がるのは自明の理だった。


「だいじょーぶ?」


「……大丈夫じゃない。でも、大丈夫だ」


「あははぁー、どっちなのー?」


 可笑しなクォラぁー、とケラケラ嗤って耳をぴょこぴょこ動かす彼女の恋人。……この腹黒ウサギが。


 胃は穴が開きそうなくらい大丈夫じゃない。大丈夫じゃないが、このまま立ち止まっていても拉致があかない。

 よって、目の前を通り過ぎようとした翡翠色の髪の少女に、声をかけた。


「……そこの君」


「……ん? ん?」


 呼ばれて振り返った少女は己を指差し、首をかしげる。


「……そう君だ。君は、スミカ・タチバナという女性をご存知ではないだろうか」


「スミカ? 勿論知ってるのですよ––––?」


 幼げなその少女の名は、スミレというらしかった。

 運が良かったというか良すぎるというべきか、スミレは現在スミカたちと共に暮らしているのだという。

 村でスミカが行おうとしていることの大まかな事情を知っているらしい彼女は、その概要を親切に語ってくれた。


「……なるほど」


 それを聞いて、クォラは。


「それはとても、めでたい事だな」


「なのです!」


 凛々しい顔立ちに綺麗な笑みを浮かべ、呟いた。




****


 眼前の縦に伸びた姿見。そこに映っているのは、首から下に大きな布を掛けられて、不動を強制された御年二十二になる私の顔面だ。

 静まった室内で微かに聞こえる毛の擦れるような音。それが無性に耳にむず痒くて、思わず身動ぎしてしまう。

 

「……っ」


「こら、スミカちゃん動かないの。あと少しの辛抱だから」


「……す、すいません」



 メイクというものが、私は若干苦手だ。

 特に苦手なのは誰かに施される場合。この世界に付けまつげなんてものがあるかは分からないけれど、口紅や白粉といった基本用品は勿論存在していて、それらがさも美術品でも作るような丁寧な手つきで自分の顔に塗りたくられていくのを鏡越しに眺めると、まるで己が生来持ち合わせたものを書き換えられていくような錯覚を覚える。実際、化粧は文字通り女を化けさせるものだけれど、慣れないとやっぱり落ち着かない。


「ほら、完成。素材のままも良かったけど、今はもっと綺麗」


 ようやく私の顔を魔改造することに成功したようで、もう動いていいよと解放される。

 体感にして数時間。実際はそれよりずっと短かったのだと思う。


「はい……ありがとうございましたぁ……」


 ふーっと脱力すれば、左右逆さになった私の背後に呆れた表情一つ。


「もう……」


 私の化粧係になってくれたこの人は、いつもお世話になっているギルドの受付のお姉さんだったりする。


「式も始まらないうちにそんなお疲れじゃ駄目よ。もっとしゃんとしなくちゃ」


「自分が着飾るのは慣れてないんですよぉ……故郷でも妹のこと可愛がってばっかりだったので」


 お洒落を強要される側はこんな心労を抱えることになるのか。レーナちゃんには中々残酷なことをしているのかもしれない。でも可愛い服を着せることはやめられない。

 手早く衣装や化粧の注意点を聞かされたのち、お姉さんは部屋を出て行った。

 後はお呼びがかかるまで待機なのだが、そわそわドキドキと体が椅子の上で揺れてしまう。


「……早く見たいなぁ、レーナちゃん」


 脳内で、銀色の少女の晴れ姿に想いを馳せる。

 日本の挙式で花嫁衣装と言えば、純白のドレスや白無垢が定番中の定番であると思う。

 けれどこちら側の婚礼にそういった造形、色彩の拘りは無いらしい。強いて言えば、パートナーのイメージに沿った色を選ぶのだとか。

 つまり、染料さえあればドレスカラーの自由度は高いということである。


 ––––まぁ……私の色って言えば一色なんだけど。


 さて、そんな私がレーナちゃんのイメージに合わせて纏っているのは新郎用タキシード––––ではなく、若干丈が短めな白基調のウェディングドレスだ。

 レースがふんだんにあしらわれ、所々には小さなリボン。おまけに頭はベール着用。化粧まで施された姿はなんだか本当に花嫁になっていて、姿見に映る自分に気恥ずかしさが込み上げる。

 なおドレス、ベール共にポイントはレーナちゃんの髪の毛をイメージして編み込まれた銀糸である。どうせなら本当にあの子の髪の毛を抜いて使……いや、何でもない。私の部屋に既に採取した極上の髪の毛が数本保管してあるけど、それは鑑賞用だし。

 まあ自画自賛するなら外を歩けば十人に一人は振り返るくらい綺麗に仕上げてもらえたと思う。これで普段私を女じゃないみたいに扱ってくる輩に目にもの見せてやれるわけだ。やったぜ。


 本当のことを言えば私は目立たない格好をしてレーナちゃんを究極に映えさせたかった––––自分のためにお金をかける価値を見出せなかったというのもある––––のだが、愛しの花嫁さんは「スミカさんはお綺麗ですけどお洒落もしないとダメです」と言って聞いてくれなかった。確かに、あの美少女の隣に立つ存在が地味なやつじゃ話にならない。そう返せば「……もうそういうことでいいです、はい」と今度は諦めたような目をされた。なんで。


「スミカぁ、時間なのでーす」


「あ、はい。入ってきていいよ」


 不意に戸が叩かれて、スミレちゃんの声が続く。

 軽く応じればすぐさま扉は開かれて、適度におめかしした翡翠色の少女がそこにはいた。

 

「……あ」


 ずかずかと勝手知ったるな様子でスミレちゃんは部屋へ入り込むが、私の顔を見た途端、瞠目しながら口をあんぐり開いてしまう。


 ––––ひょっとして、客観的に見てこのメイク似合ってない感じ……?



「……綺麗、なのです」


 暫く固まって、ようやく発された入室後の第一声がそれ。


「え……あ、うん」


「綺麗、すごくキラキラしてるのです」


 お世辞の介入余地が無いほど爛々と、彼女の双眸は興奮と感心に染まっていて、どうやら不自然な箇所は無いようだと安心出来た。


「……ありがと」


「ふ、普段からその格好でいればいいのです! そしたらみんなメロメロなのですよ!」


「私服がウェディングドレスとか無茶言うな」


「……む、その茶化すような口調をやめれば、スミカももうちょっと周りからの評価が変わると思うのですが」


「別にモテなくていいし。レーナちゃんにもらってもらうんだもんねーだ」


 へへーんと胸を張って笑ってやる。

 何となくスミレちゃんのお陰でいつもの調子が戻ってきた。緊張は……まあするけども。

 レーナちゃんのがきっとこういう時上がってると思うし、私がしゃんとしてなきゃいけない。


「ドレス姿で子供っぽい仕草は色々ともったいないのですよ……っと、もう行かなきゃならないのです。みんな待ってるのです」


「ん、了解です」


 すると小さなエスコート係さんはこちらへ手を差し出してくるので、軽く微笑んでその手を取った。

 気分はお姫様だ。…………いやちょー恥ずかしいな、これ。



****




 私がおめかしした部屋は村長宅の一室で、そこを出ると広場はすぐそこと行っていい。


 リハーサルはしなかった。というより、したくなかった。

 結婚式というのは、やっぱり人生の一大イベントであると思う。

 諸々の流れは聞かされている。だから練習はシミュレーションで十分。本番の空気感は一生に一度のものにしたい。変なこだわりだってことも自覚、承知の上だ。

 

「行くのですよ」


「うん」


「緊張は?」


「足が子鹿」


「大丈夫そうなのです」


 腕を組むにはスミレちゃんはやや背が低い。背伸びなど無理はさせたく無いので、ひとまず手を繋ぎ、お腹にブーケを添えて、私は歩みを進めていく。


 村長宅の軒先へ出ると、気の利いたことに赤いカーペットが敷かれている。そこを辿っていけば最後には広場の中央へたどり着く仕組みだ。

 すると、正面の建物からソフィちゃんが一人で現れた。……彼女は、レーナちゃんのエスコート役のはずなのだが。


「あれ、レーナちゃんは……?」


「あー、うん。えっとね……おーい」


「後ろ……?」


 尋ねると、苦笑いを浮かべてソフィちゃんは背後に声をかける。見たところ、玄関には誰もいないが。


 

 ––––瞬間、『天使』が視界に入った。



「……はぁ、レーナお姉さんやっと出てきた」


 ソフィちゃんが、感嘆とも呆れとも取れる溜息をついた。え? あれ、やっぱりそこの子レーナちゃんだよね?


 扉の影に隠れていたのだろう、彼女の銀糸のような髪の毛は、下ろさずに後ろで纏められている。それが妙に色っぽくて、ドキドキする。

 色づいた頰と、伏し目がちの澄んだ琥珀の瞳は作り物めいたその美貌に熱を灯して、彼女が生きた普通の女の子だと証明してくれていた。

 そんな彼女が身に纏うのは漆黒のウェディングドレスとウェディングベールで、私のそれとは対照的なもの。

 丈は長く、フリルは少ない。ただ、肩が出ているのはちょっと頂けないかもしれない、けしからん可愛い。

 黒のドレスは彼女の銀髪をとても映えさせている。その点、我がセレクトカラーは間違っていなかった。


「……こ、こんなの、やっぱり、変ですよ……似合って、無いですってば」


 俯いて、恥ずかしそうに耳まで真っ赤にしているレーナちゃんは私がいることに気づいた様子も無く、ぷるぷると震えている。可愛い。

 似合う似合わないよりも、ただただ綺麗な格好にどうしていいか分からず羞恥心が煽られている、といった風に見えた。可愛い。


「そんなことない、レーナお姉さんすごーく綺麗だよっ。早く出てきなよ、みかちゃんだってそこにいるんだから」


「ぅ、ぁ……す、スミカさん……?」


 何とか私の名前にだけは反応したらしいレーナちゃん。顔を持ち上げて、こちらと目が合うと茹で上がりそうなほどほっぺを紅潮させてしまう。


「はい、私だよ。レーナちゃんの晴れ姿、もっとよく見たいな」


「……うぅ……」


 そう言われて渋々、といった様子で彼女はドレスを軽く持ち上げて、一礼して見せた。

 まるでどこぞのお嬢様のような仕草––––というか、その瞬間の彼女はこの世の誰にも負けないほど高貴な雰囲気に満ち溢れていた。



「……どう、ですか?」


 おずおずと、自信なさげな上目遣い。それも普段見慣れたものなのに、着飾ることで異なった趣を感じる。

 衣装に容貌に仕草に性格。それら全てを集計し、まず言い放つ最初の感想は––––。


「……つらい」


「えっ」


「……あっ、いや、違っ、違う、くて……あの、その、……か、かわいいです。かわいすぎる……すき……綺麗……かわいい……」


 レーナちゃんは恐ろしく可愛いかった。恐ろしく綺麗だった。恐ろしく素敵ですごくて風情と趣があって超絶にヤバかった。

 けれどもそれらを言葉にしようとすると、途端にチープで貧相な表現になって、口から虚しく垂れ流されて。


「……っ」


 壊れた玩具のように同じ言葉をカクカク繰り返す私に、レーナちゃんは失望したのか黙って俯いてしまう。ごめん……気の利いた礼賛も出来ないカスゴミで本当にごめんね……。


 嗚呼、こんな時に語彙力の大半が吹き飛ぶお粗末な脳みそや、残された僅かな語彙さえ有効活用できない思考力が憎い。平常時でさえ彼女の容姿を形容するのに見合った言葉を言えないのに、それが、それが、こんな、かわ、可愛くなって……あぁもう無理しんどい考え事難しいレーナちゃんかわいいよ……。


 脳みそをお花畑に支配されそうになったところで、レーナちゃんがようやく顔を上げてくれた。

 その瞳は、涙に潤んでいて。


「え、涙っ、レーナちゃ、化粧、落ちちゃ……」


「……その言葉が、欲しかったんです」


「へ……」


「『可愛い』って、『綺麗だよ』って、他の誰でもない、あなたに、言って貰いたかったんです……」


 嬉しいです、とレーナちゃんは目尻を下げて、満面の笑みにするでもなく、小さく幸せそうに微笑んだ。

 その微笑の中で、とても大きな喜びを噛み締めているかのように。


「よ、よろこんで? モラ……もらえタなら、ら、な、何ヨりデす……ヨ?」


「さ、さっきから様子が変ですよ……?」


「……あー、うん。ちょっと平常心消し飛んでた。もう大丈夫、大丈夫だからこれ以上その可愛い顔で私をまじまじと見ないでください」


「??」


 ダメだ好きだ可愛い。……どうしよう私、式の間ずっと偏差値百億くらい下がったままかもしれない。


「スミカさんも、その、素敵で……」


「え、あ、ありがと……」


 今度はレーナちゃんがこちらを賛してくれるターンになったらしい。

 私も私で一言二言褒めてもらえればそれで十分だ。というかそれ以上の褒め言葉を聞けば私の頭を更にお花畑へと改造されてしまう。


「こんな時、相応しく形容できる語彙が無い自分が憎らしいです……紅をさされていつもより瑞々しく色気のある唇も、入念に櫛が入れられて癖が無い艶やかな髪の毛も、お化粧で彩られたお顔も、銀色で……ち、違うかもしれないんですけど、私の髪の毛とお揃いの色にして下さっているそのドレスも……肌も、足も、ブーケを持つ指も、何もかも、全部全部全部が、素敵です……綺麗です……可愛いです……っ」


 べた褒めだし、なんか目が血走っていて危うい。でも必死に気持ちを伝えようと興奮してる様が、小動物みたいで可愛い。


「とっ、とりあえず、広場の方に行こうか。褒めちぎるのは、全部終わってから二人きりの時でも良いわけだからさ」


「あ……そ、そうですね……はい」


 止めなければそのまま何時間も口を動かしそうだったレーナちゃんを我に帰らせ、どーどーと宥める。


「……行きましょう、か」


「うん。式中緊張したら私の手握っていいからね」


「はい……頼りにしていますね」



 会話はそこで終わり。そうしてどちらからともなく、小さなお供を引き連れて私たちは歩みを再開した。

 目指すは広場––––大切な人たちに囲まれた、人生最大の祝福の舞台だ。



総合評価がいつの間にかめっちゃ上がっていて怖かったです。何があったんでしょうか (゜v゜;ノ)ノ

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