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61:結婚前にしておくこと〈中〉

 ––––初めて花に関心を持ったのは、果たしていつの頃だったろうか。

 山奥の、人里より遠く離れた野に咲いていた真っ白な花。

 自分の肌と同じ色なのに、自分とは大違いに可愛らしくて。それでいて、根を張り懸命に背を伸ばす姿は自然の中で逞しく輝いていて。

 幼心に憧れていた。そしてそんな気持ちは、この屋敷にやって来るまで暫く忘れていたもので。



 ––––眼前でデタラメに咲き誇る花々を見ていると、幼かったいつかの記憶が蘇るようだった。


「今年もよく咲いたねぇ……そろそろ花壇増設した方がいいかなぁ」


 感嘆した声が鼓膜を揺する。

 そちらへ顔を向ければ声音に違わぬ表情をしたご主人様がいて、更に言えば、ソフィちゃんやスミレちゃんもいた。

 快晴にそよ風吹く陽光の下、屋敷の庭で何故四人勢揃いしているのかと言えば、それはひとえに私の我儘だ。

 未婚の状態で迎える、恐らくは最後になるであろう春。

 気持ちにはもうハッキリと整理をつけた。後は諸々の関係性が変化を迎えるだけ––––というその前に、これまで育ててきた花々の満開した姿を……私がここで過ごした五年間の集大成を、改めて目に焼き付けたくて。


「花壇は、このままで十分です。これ以上は増やさずに、これからは今植えられている子たちのお世話に専念します」


「うーん……園芸の道具とか、タネくらいなら買えるよ? レーナちゃん無駄遣いしないし、出費とかは気にしなくていいんだけど……」


 その信用は素直に嬉しい。けれど私はふるふると首を振った。


「そういうんじゃないです。これ以上植えてしまったら、だんだん一つ一つへのお世話が疎かになってしまいそうで、そういうのは怖くて」


「屋敷囲えるくらい大量なお花のお世話を全うできてる現状の時点でもう十分怖いからね?」


 そう早口で捲し立て、レーナちゃんの脳内基準やっぱり破綻してるよ、とご主人様は続ける。

 他の人との感覚のズレを実感することは、確かにたまにある。以前ご主人様は余りに騒ぐので、一日のうちに屋敷半分の掃除と花のお世話とその他家事を一人でこなすのくらい普通ですよね、と村の方に聞いてみたら、酷使されてないか虐待されてないかと心配されてしまったのだ。むしろ私から進んでやっていることなのに。


「でもこれくらいはまだ別に普通だと思います」


「どうあっても相容れられない壁を感じる」


 屋敷を囲うように煉瓦で作られた花壇に植えられた、種類豊富で数膨大な花、花、花–––。

 彩りや配置については全く考えず、植えては水を与え、時に肥料を用いて育ててきた。

 花は愛でるものだけれど、だからと言って芸術品のように美を追求しすぎるのは、やり過ぎだと私は思う。

 結果、自然な形の花畑を人の手で再現したいというある種の矛盾した考えのもとに生まれたのが、規則性を放棄した現状の花壇だった。


 黄に紫。青に白。赤に、橙に、桃に。

 もし雨上がりの虹の橋が地面に降り注いだならこんな風になるのだろうかと想像させるような、そんな植物群。やさしい風に揺られる姿は絶景だ。

 毎日見ているけれど、改めて眺めればよくここまで育ってくれたと感激せずにはいられない。他の三人もきっと、眼前の光景に心を打たれて––––、


「お腹空いたのですー、ご飯にするのですー」


「あっ、いいね。バスケットの中身は……おぉ、サンドイッチ! やりぃ」

 

「サンドイッチ!? レーナお姉さんつくったの!? それ絶対美味しいっ、わたしも食べたいっ!」


「はいはいちょい待ってね。えぇと、数的に一人当たり––––」


「……」


 もう誰も花を見ていなかった。

 は気力が無い目で空を見上げながら呟き、ご主人様はゴソゴソとお昼ご飯に用意したものを漁り始め、ソフィちゃんは(わたし)作の物だと知った途端にご主人様に擦り寄った。


 一人絶句していると、バスケットに手を入れようとしていたご主人様がそれに気づき、眉をひそめる。


「ん? どーしたのレーナちゃん。……あ、もしかして勝手にバスケット開けたから怒ってる……? ご、ごめんね。レーナちゃんの分、ちゃんと残しておくからね」


 違う、そうじゃない。私はそんなにも食い意地が張って見えるのだろうか。


「そういうことではなくて…………いえ。訳あって虚しくなっていただけです、はい」


「??」

 

 彼女たちの心を打ったのは、悲しいかなバスケットの中身だったらしい。この食いつきの良さからして、そもそも花を真剣に眺めようと思っていたのは私だけなのでは……い、いや、私のつくったものを喜んでくれているんだから、もちろん嬉しいのだけども……。


「…………よく噛んで、詰まらせないようにして食べてくださいね」


「––––? うん! いただきます! ……おいひい!」



 嬉しいんだけども……でも、やっぱりなんだか複雑だ。



****





「そういえば、レーナはいつまでスミカを『ご主人様』なんて呼ぶつもりなのです?」


「あっ、私もその呼び方変だなってずっと思ってた。二人とも、どうして?」


 屋敷の庭はとても広い。村の民家や敷地の大きさを見ると、それがなんとなく実感できる。

 ご主人様曰く、『東京ドームの百分の一以上はあるんじゃないの〜?』とのこと。……とーきょーどーむ? とはなんなのだろうか。やっぱりよく分からない。

 若干手入れが疎かになっている––––雑草抜きはご主人様の担当なのに––––芝草の上にパサリと敷物を設置して食事すれば、不思議なことにいつもとは違った気分を味わえる。


「そもそも、何でご主人様って呼んでるの?」


「そーいう『ぷれー』なのです?」


「おい待てそんな言葉どこで覚えた」


「みかちゃんでしょ」


「私だったか」


 もうすぐ結婚するのに、なんて前置きでスミレちゃんが口にして、ソフィちゃんが後に続いたそれは、私の過去を象徴としたものだ。

 とぼけた雰囲気で場をやり過ごそうとしたご主人様だったけれど、いつになく真剣な様子のスミレちゃんはそれを許さない。


「おふざけは無しで、レーナが奴隷だったのは昔の話のはずなのです。癖なのかもですけど、それじゃあいつまでも過去が過去にならないと思うのです。折角結婚するのに、そんなのあんまりだと思うのですよ」


「……スミレちゃん、ソフィちゃんもいるのにその話はまずいよ」


 聞き捨てならない言葉があったらしく、ご主人様が言葉を濁す。

 スミレちゃんには、私の過去は覚えている範囲で包み隠さず話してある。素性も何も、全てだ。

 彼女はどういうわけか、その話をソフィちゃんもいる今この場で掘り返そうとしているようで。

 ––––何故、そんなことをするのか。


「急にどうしたのスミレちゃん。そんな、いきなり真剣な顔してさ」


「急じゃないのです、スミカ。ずっとずっと思ってたのです。今まで言わなかっただけなのです。良い機会だから言ってやろうと思っただけなのですよ」


「いい機会って……レーナちゃんは、まだそこまで覚悟決まってないんだよ?」


「ソフィはそれくらいじゃレーナのことを嫌いにならないのです。それに、ソフィだってもう色々気づいてる節があるのですよ。スミカもレーナも、は人を信じなさすぎだと思うのです」


「……そうなの? ソフィちゃん」


 ご主人様は、サンドイッチを小さな口で食んでいたソフィちゃんに尋ねる。

 急に話を振られ、尚且つ話題についていけていない様子の彼女は表情に困惑を滲ませて首を傾げた。


「え、と……今、どういう話してるの?」


「ほら、前に言ってたのです。レーナの髪が、銀色に見えたって」


「あ……うん」


 その話は、私も聞いたことがあるものだった。


「レーナお姉さんがまだ変な袋被って顔隠してた頃、わたし、ちょっとだけ髪の毛が見えちゃった時があったんだ。それも、黒い髪の毛じゃなくてきらきら光ってる銀色で……綺麗な銀髪だな、って思ったの。おかしいよね……あれ一回しかそう見えなかったのに、あの色の方が、レーナお姉さんに似合ってるって思ったんだ……」


「ほーらっ、ソフィになら話しても大丈夫なのですよーっ」


 ソフィちゃんの言動に、それ見たことかとでも言うようにスミレちゃんは得意げな表情で胸を張った。

 それを見て、聞いたご主人様は、私へ顔を向けた。

 道に迷ってしまったような、そんな表情だった。


「……レーナちゃん」


 ご主人様が私を見る。

 優柔不断な私に向けちゃいけない、まるで分かれ道をどちらへ進むか決めさせるような、決断を強いる目だ。


「レーナ、さっきからずっと黙ったままなのです。スミカの言うように、こんな話をしてもあなたを傷つけるだけなのでしょうか……?」


「……いいえ、違います。違うんです」


 この話題は、昼食に賑わっていた空気を壊してしまいかねない危険性を孕んでいる。 

 この四人で集まるのはやっぱり楽しい。けれどスミレちゃんは楽しいだけじゃない、もっと本質的なことにも目を向けようとしてくれている。


 ずっと頭の片隅で……何度も何度も考えてきたことだった。

 瞳の色を尖った耳を髪の色を––––知られたら、私は嫌われる。それが私の短い人生で至った結論で、当たり前の真理で。

 ご主人様は違う世界から来た『特別』だった。スミレちゃんは、差別思想のない場所からやって来た『例外』だった。


 ––––でも、ソフィちゃんは?


 この国の人間。広い定義では私を虐げて来た人達の––––仲間だ。


 私の敵、かもしれなくて。

 もし、それまでの笑顔を逆さまにしたような憎悪を向けられてしまったらと思うと……怖い。怖くて堪らない。


 友達なのに、親友、なのに……信じきれない。

 この屋敷に来て五年、少しは変われたと思っていた。だけど私は疑心暗鬼のままだった。何も変われてはいない。




「……レーナ、お姉さん?」


 押し黙ったままの私を、呼ぶ声がする。

 舌足らずさは鳴りを潜めて、出会った当初よりずっと大人に近づいた女の子の––––親友の、声だ。


「ソフィ、ちゃん」


「わたし、皆が話してることよくわからないけどね、だけど、これだけは約束できるよ。どんなレーナお姉さんでも、好きだよって」


「……どんな、って」


「わたしは、レーナお姉さん好きだよ。みかちゃんには負けちゃうかもだけど、それでも、すごくすごく、好きなの」


 温かい言葉だ。温かくて、勿体ない言葉だった。


 それに促されるような心持ちでいつの間にか下げていた頭を上げ、周囲を見回す。

 最初に私を受け入れてくれた人。次に私を受け入れてくれた人。最後に、私を受け入れようとしてくれている人。

 全員が全員、違った温かさがあって、いつだって、私のことを同じ『人』として想ってくれていた人達だ。

 それは何もここにいる三人だけじゃない。村の皆さんも、私に優しくしてくれた。

 そんなぽかぽかした人達を、信じるか信じないかの二つの選択肢でしか、私は考えられないのか。



 ––––そんなわけない。そんなわけ、あるはずがない。


 違う。否定する。



 信じたい人を信じて、それでいいんだ。


 それでいい、はずなのだ。


「……私も」


「え?」


「私も、ソフィちゃんのこと、大好きなんです……」


 壁を、取り払う。



「レーナちゃん、いいの(・・・)?」


 ご主人様に問われる。だから、彼女を見て大きく頷く。


「はい」


 刹那、世界が色を変えたような錯覚を覚えた。

 まるで体の周りを薄い膜で覆われていたような感覚。それが急速に破れて、仮初めの自分が剥がれ落ち、本来の私がむき出しになる。

 視界上部の偽物の黒髪は銀に戻り、視線を落として一瞥した肌は病的なまでに真っ白だ。

 きっと耳も瞳も何もかもがもとに戻っている。それはつまり、ご主人様が、幻惑魔法を解いたということ。

 もう後戻りはできない。

 はっ、と息を呑む気配を感じた。それは一体、誰もものだったのか。


 ––––怖い。


 でも、自分で決めた道。

 だからその言葉はすぐに口をついて出た。


「……私は、エルフの血を引く人間です」


 それさえ口にすれば、あとはもう簡単だった。


「今まで、村の皆さんを騙してきました。本当は私はここにいても嫌われるだけの存在で、なのに、優しくしてもらえて……」


「––––」


「すごくすごく、嬉しかったんです。本当の私を見せても、同じように接してもらえたらどれだけ嬉しいかって、何度も考えたことがあります」


「––––」


「ソフィちゃん」


 何も言ってくれない親友の名前を呼ぶ。すると、彼女はたった今再起動したように肩をびくりと震わせ、


「……う、うん?」


「私が……嫌いになりましたか?」


「そ、そんなわけないよ!」


「じゃあ、大嫌いですか?」


「違う。そうじゃなくて……」


 一呼吸おいて、言葉が続く。


「やっぱり、って思ったの」


「何が……ですか?」


「そっちの方が、わたしはレーナお姉さんらしいと思ったから」


「え、あ……ありがとう、ございます」


 この姿に、私らしさを感じてくれたのなら、それはとても嬉しいことだ。文字通り、本来の私なのだから。


「すごーく綺麗で、可愛い。これからもずっと、そのままの方がいいよ!」


 そうしていつものように、無邪気に笑ってくれた。肉体が大人に近づいても、その笑みは変わらないままで。


「––––はい」


 その言葉さえ聞けたら、もう満足だった。

 打ち明けて、本当に良かった。

 何となく感傷的になっていると、へへーんと調子の良い声が上がる。


「ほーらっ、言った通りになったのですよ。だから、いつまでも縛られていたら人生が勿体無いのです。自由にエンジョイしてこその生涯なのですよっ」


「レーナちゃんより年下のくせして何偉そうに語ってんじゃい。幼女のくせに、幼女のくせに」


「人生経験ならスミカの数十倍はあるのですよーだ。そっちこそ年だけとった二十二歳児なのです。童顔!」


「そぉっ、それ言ったらそっちは森で何百年も過ごしてただけじゃん! しかもそれ受け継いだ記憶でしょ!? 外のこともろくに知らなかったじゃん!? 数百歳児! 数百歳児だぞおい!」


「はっ? なんなのです?」「あぁっ? 何さ?」


 何でそちらの二人は喧嘩を始めてしまっているのか……。

 まあ、ここで変に気を遣われても困る。そういう意味ではいつも通りで助かるし、何よりこれから話すことを自然に持ち出せるから。


「……スミカ、さん」


「え? あ、あれ、今……レーナちゃん、私の名前、呼ん、だ?」


 この世の誰より愛している人の名前を口にした。案の定、じゃれ合い程度の喧嘩の真っ只中だった彼女は困惑しているけれど、


「……私は、あなたのお嫁さんになります。改めて、覚悟を決めます。あなたのことを、もうご主人様とは呼びません」


「……レーナちゃん」


 私は奴隷だった。だった、のだ。もう奴隷じゃない。そんなことはわかりきっていたのに、根本の心構えを変えようとしてこなかった。

 スミレちゃんに言われてしまったから、なんて他人依存の動機ではあるけれど、過去の痕跡は、できる限り消していこうと思ったのだ。……そう思うまでに、本当に時間をかけ過ぎた。

 この人は、私の伴侶になる人。私のお嫁さん、奥さんになる人だ。(あるじ)だなんて、形だけだろうと呼んではいけない。


「……わかった、うん。改めてよろしくね、レーナちゃん」


「はい、スミカさん」


「う……なんか違和感あるな」


「すぐに慣れますよ」


 私の誕生日まで、後ひと月もある。それまでにやれることなら、山ほどある。その山ほどある課題を越えて、どこまで自分を変えられるか試してみよう。


「それから、もう一つなんですけど……」


「うん?」


 今考えている第一歩、これはある種の賭けだった。

 一人でも駄目だったら、もうその時点で終わり。破綻する。そんな、大人数を相手取った賭け。


「私たちが結婚することは、もう知れ渡ってしまっていますよね」


「はい! 私が広めましたーっ!」


 うん、結局広められたのだ。曰く、確実性を増すために逃げ道を潰したらしい。逃げるつもりなんてないのに酷い。


「それで、村の皆さんにも、祝ってもらうんですよね」


「うん。……それが?」


「なら、祝福には誠実に向き合わなければいけないと思うんです」


「……うん?」


 そこで、一度言葉を止める。深呼吸して、覚悟を決める。

 先程と同じか、それ以上の気概を持って、いざ。



「村の皆さんにも、私の正体を話したいと思うんです」



お久しぶりです、軽く忙殺されていました。

次回は、なるべく早くお届けできるよう頑張ります。今月中に最低あと2回は更新したいです。

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