60:結婚前にしておくこと〈前〉
レーナちゃんに、誕生日は無い。
というかわからない。誰も知らないのである。
あるいはレーナちゃんの両親がいればわかるのだが……彼女を捨てた奴らと再び関わってまで知る必要もないような気がする。
名無しだった『彼女』が『レーナ』になったのは数年前の三の月の初めのことで、その日を仮の誕生日と定め、私はこれまで祝福してきた。
そんなこんなしていると、気づけばレーナちゃんも次の誕生日で二十歳。同性婚が認められる年齢に達する。
背の高さは小学生くらい––––本人に言ったら叩かれる––––だし、顔立ちもあどけなさがまだ色濃いけど、それでも年齢の上では彼女は大人なのだ。
そろそろプロポーズ用の気の利いた台詞でも考えなきゃなぁ……とニマニマしていると、とんでもない事実に気づいてしまった。
––––本当の誕生日がわからなきゃ、二十歳になったって証明できなくね?
だって同性婚は、法律の下に年齢制限がなされているのだ。きちんと年齢を証明できなければ、もしやお国から許しが出ないとかそういうこともあり得るのではなかろうか。
とんでもない見落としだった。
そこの辺りどうなんだろうと、居間のいつもの二人がけソファにて、この世を絶望を一身に背負いこんだ物乞いのような顔でレーナちゃんに訊ねると、
「そもそも私、どこにも人民登録がされてないと思うんですよ」
「……じんみんとうろく?」
「はい」
謎のワードがいきなり飛び出してきて、私がまだまだこの国の法について無知であることを思い知ったであった。
****
「……ふぅ」
訳あって寝不足な頭をあっつあつのお茶がぶ飲みで強引に覚醒させ、私はレーナちゃんに向き直った。
「レーナちゃんレーナちゃん。私人民登録とか何のことやらさっぱりです。説明ください」
「あ、はい。普通……王国民は、何らかの書類で年齢や身元を探れるんですよ。ご主人様は、冒険者登録する際、詳しい個人的な情報まで記入させられませんでしたか? あるいは、身分を示す何かの提示を求められただとか」
「うーん」
言われるがまま、記憶に探りを入れてみる。
何しろ、私がこっちにお呼ばれしたのは十五の時––––高校一年目のその最初期だ。
御歳二十二歳の私なので、その辺りの記憶はそれなりに前のものになる……冒険者登録なんて、独りぼっちで寂しくて病んでた時にしたので、割と思い出すことを忌避していた記憶だった。
黒歴史と呼んで差し支えない時期。当時の記憶を整理し掻き分け、目的の情報を検索すると、やがてぼんやりとした当時の情景が脳裏に浮かび上がった。
「…………あー、させられたかも。親の名前とか、住んでる場所とか色々書かされたね。テレビ見てたら急に呼び出されたから何も持ってなかったし……なるへそ。あれで私の身元特定できちゃうってわけだ」
これはおちおち犯罪行為もできねえな。足がついてしまうぜ。
「てれび、っていうのはよく分かりませんけど……はい。この国で身元証明書を新規に作成したその時点でもう、ご主人様は王国民扱いですよ。控えも受け取りましたよね?」
「んー、多分どっかにしまってあると思うけど……にしてもなぁ、人種差別国家の一員ってのもなんか複雑だなぁ……」
「あはは……」
つい、思いっきり国を貶めた物言いをしてしまうが、レーナちゃんも苦笑するばかりで咎めようとはしてこなかった。……この子もこの子で、それなりに思うところはあるのだろう。
とりあえず、証明書とやらに書かされた内容はめっちゃ大雑把で、地球の個人情報の正確さには遠く及ばないレベルのお粗末なものだった。まあそれでもある程度個人を見分けることは可能だと思う。それこそピンポイントで探りを入れれば。
まあ、当時の私はぜんっぜん文字読めなかったから、文字表片手にガッタガタで稚拙な文章しか書けなかったんだけども。……あぁそうそう、後になってから代筆して貰えば良かったんだって気がついて、無駄な労力使ったってゲンナリしたんだった。
––––そういうの、案外覚えてるもんなんだなぁ。
「あれ、でもそれじゃあ……私と違って生まれた時からこの国にいるレーナちゃんは、登録されてないっておかしくない?」
「えっとですね……両親は、私の存在を秘匿してどこかの山奥でひっそりと暮らしていたんです。その後はずっと人権もなく奴隷でしたし、多分この世のどの書面にも私は載っていません。……あっ、ごめんなさい嘘です。ご主人様が私を買った際の領収書には載ってますね」
「な、なるほど……」
今度は、私が表情を曖昧にする番だった。
なんかこの話題だと、レーナちゃんに嫌なこと思い出させようとしてるみたいで悪いな。表面上平然と受け答えしてる風に見えるのが尚更罪悪感上乗せにしてくる。
ちょい早めに話を切り上げよう。うん、それがいい。
「……あっ、そうそう。言ってなかったけど領収書は貰ったその日に暖炉に投げたからもうないよ」
そういえばと伝え忘れてたことを話すと、レーナちゃんは三秒間くらいフリーズした。
再起動ののち、何やら喚き出す。
「え……えぇ!? そ、それは……もし私が逃げ出していたらどうしてたんですかっ、保証が出ませんよっ!?」
「あー……なんかあったねそんな契約」
再度記憶を漁る。
何でも、奴隷に逃げられた際は大抵の場合自己責任ということで処理されるのだが、たまに躾が行き届いていなかったということで、購入金の何割かが商人から戻ってくることもあるらしい。
「……そうだよね。色々と契約事項とか、あったんだよね」
「いきなり首輪を外して、ご主人様が全部おじゃんにしちゃいましたけどね」
あの日はずっと驚かされっぱなしでした、とレーナちゃんは言う。……まじか、ほぼ表情かちこちに凝り固まってたように見えてたんだけど。
人恋しさと家事力の無さを言い訳にして、奴隷購入に踏み切った私だ。
現代の日本的モラルを受け継ぐ者としては正直、奴隷制度なんてものはあっちゃいけないものなんだと思う。
だけど私はその制度に救われたのだ。救われてしまったのだ。
人の権利がお金で簡単に動かせてしまうことが、動かせてしまったことが、後になって本当に恐ろしく思える。
領収書を焼き捨てたのだって、ようは人間が商品番号で管理された書面なんてなるべく手元に置いておきたくなかったのだ。汚い部分から目を逸らしたい、ただの私の心の弱さというか。
……あー、ダメだダメだ。これ以上考えるのは泥沼だ。結論出る気しない。
間抜けな癖にこういうのだけ無駄に足りない頭を動かそうとするから、変にこんがらがる。私の悪い癖だ。
思考はそこで止め、それを表情には一切出さず、私は揶揄うように意地の悪い笑みをレーナちゃんに向ける。
「てか、やっぱりレーナちゃん最初は逃げようって魂胆あったんだねぇ……?」
『そ、それは……もし私が逃げ出していたらどうしてたんですかっ』
そうなのだ。まるでそういう気が少しはあったとでも言うかのような、そういう驚き方だったのだ。
ちゃっかり指摘してみると、ギクリとレーナちゃんは体を震えさせ、バツが悪そうに俯いた。
図星だった。
「うぅ……その、すみません……」
「あ、いや、責めるつもりで言ってないや。第一謝ることじゃないでしょ。ずっと捕まってたんだから、そりゃ自由になりたいって思うだろうし」
「で、でも、今ではここに残ってよかったって思ってます! それは、本当ですからっ!」
逸らされていた目を引き戻して、真剣に双眸を向けられると、それが嘘ではないとわかる。
うん、知ってたけど。改めて言われるとやっぱ嬉しさが感慨無量っす。
「えへへぇ……ありがとぉ」
「えっ、わっ!? や、やめてください」
反射的にレーナちゃんの髪をわしゃわしゃすると、彼女は頰を上気させて恨めしそうに潤んだ双眸をこちらに向けてくる。あー、やばいかわいい。無理。しんどい。
いじらしい顔されると余計いじりたくなるのだ。まさに負のいじいじスパイラル。
「で、何の話してたんだっけ」
「それを忘れますか……えぇと、私の誕生日、年齢関係のお話ですね」
「ん、そうそう」
「私も正式に人民登録すれば、年齢制限などの問題は大丈夫だと思いますよ」
「ほんと!? やったやった! ……あれ、でも誕生日とかどうするの?」
「誕生日は、私がこの名前を貰った日でいいと思います。ご主人様もそう言ってくださいましたし。住んでいる場所はこの屋敷ですし、両親の名前は元奴隷なので、素直に空欄で出せると思います」
「ふーん……なんか、やけに詳しいんだねレーナちゃん」
「……え?」
レーナちゃんは、私がまだ完全には慣れきっていないこの世界の常識をわかりやすく解説してくれるガイドさん的なポジションになってくれている節がある。
だが時折、幾ら何でもそれは一般常識じゃないだろと言うような専門分野の話が、レーナちゃんの口から飛び出してくることがあるのだ。
例えば、今がそう、
「んや。まるで調べたみたいにすらすら私の聞くことが答えてくれるからさぁ」
「それは、その……」
「ん?」
何故か歯切れの悪くなるレーナちゃん。
「……色々、調べたんです」
「調べた?」
「はい……だって、もうすぐその……私、二十歳、じゃないですか?」
「そうだね」
いやめっちゃ歯切れ悪いな。どうした。
「だから……私たちは、もうすぐ……するじゃないですか」
「うん?」
「だっ、だから……っ、私が、二十歳に、なったらですよっ」
「……もしかして、結婚の話してる?」
「……っ」
黙ったレーナちゃんは……こくん、と小さく首肯する。
「え、え、てことはレーナちゃん、とうとう腹括ったの!?」
結果的に言葉にしたのは私だったけど、彼女のそれは、ついに結婚のことを本格的に考え始めてくれた、ということだろうか。
「ま、まるで抵抗するのを諦めたみたいに言わないでください……私だって、いくら優柔不断でも、何年も待っていただいたら覚悟決めますよ……」
「そっか、そっかそっか……へへ、そうなんだぁ……えへへ」
にへにへと気持ちの悪い笑みが私の顔面に浮かんでくる。
「挙式いつにする? 明日? 今日?」
「き、気が早いです……まだ十一の月ですよ。三の月までは四ヶ月あります。それまではそういったものの準備も始められませんよ」
「ぐぬぬ……法律の壁分厚すぎ……でっ、でもさ! 個人的な準備とかならいくらでも始められるじゃん? 私、色々妄想してスケジュールとプラン組んでるんだよ!」
「スケジュールとプラン……えぇと、予定と計画のことですね。いつの間にそんなことを……」
「夜にレーナちゃんが寝た後こっそりね〜」
「だから最近眠そうにしてらしたんですね……」
レーナちゃんが二十歳までは、なんとかこの子のことを待つつもりでいた。
それでも逃げようとするものなら外堀埋めまくって捕まえてしまおう、というようなそういう計画だ。
流石にそういう無理矢理なのは本意ではなかったので、この子が自発的に決心してくれてとても助かる。
「まあいいや! 詳しいことはこれから二人で決めてこ! ちょっと私村の人たちにこの話広めてくるね」
「あ、はい。いってら––––って、え!? ちょっ……なんでそんな恥ずかしいことするんですか!?」
「あばよ」
彼女の質疑には応答せず、行き先だけ告げると私は村へと駆け始めた。
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本当に趣味が悪い。性格も悪い。意地悪だ。
「まだ正式になにも決めてないのにっ……! ご主人様っ、ご主人様待ってくださいー!!」
やや離れた前方でこちらに背を向けているのは、もちろんご主人様だ。
距離を縮めようと私が息を荒げながら走っても、それと同じだけご主人様は加速する。
彼女は私に追いつかせも、引き離しもせず完全にこちらをおちょくった器用な走り方で村へ向かっているのだ。
身体能力の無駄遣いだ、私相手にそんなことをしていないでもっとお仕事に活用してほしい。
「待たないよーだ、レーナちゃんが覚悟決めるの待ってたらまた時間経っちゃうもんね! 日が暮れちゃうぜー!」
「う……そ、それを言われると弱いんですけど!」
そんな自分を、変えていきたい。
けれど、それとこれとは話が別だ。婚約したわけでもないのに結婚発表なんて、まだ早すぎるというか––––、
「だってさぁ––––すっごく、嬉しいんだよっ?」
––––そういって、振り返ったご主人様はやや離れていても本当にあったかくて、幸せそうな顔をしていて。
本当に長い間待たせてしまったんだな、と申し訳ない気持ちになった。
「だ、だからって広めていいわけじゃないですからね!!」
「へへーん!」
その後、私に意識を向けすぎたご主人様が、村近くで遊んでいたスミレちゃんとソフィちゃんに捕獲されてしまうのは、また別のお話。




