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A2:おてんば姫と、森の妖精さん

本当はエイプリルフールに投稿するつもりでした……


中途半端に浮いたままお蔵入りしていた設定を掘り起こして形にしました。本編にはさほど関係ない蛇足なので、読み飛ばしていただいても構いません。

 昔々あるところに、大きな森がありました。


 立ち並ぶ木々は陽を遮り、太陽の出ているうちも中はほとんど真っ暗です。


 そこには、沢山の動物が住んでいます。


 小さな妖精さんもまたその一人で、大きな森の片隅の、ぽっかり生まれた空白の、これまた小さな小さな若木に宿っておりました。


 妖精さんは、一人ぼっちでした。


 樹木の種よりその副産物として産まれた彼女には、肉親もいなければ、友達もいません。


 強いて定義するなら、傍らの小さな樹木こそが家族。生来の一人ぼっちたる彼女は孤独というものを知らず、けれど、本能的にその木の側を片時も離れませんでした。生来の無自覚な寂しがり屋さんだったからです。





 そんな彼女が生まれてから、どれほど時が過ぎたでしょう。

 傍らの家族が背を伸ばし、その影で妖精さんを完全に覆えるようになった頃。



 ––––その女の子は、林の隙間からひょっこり姿を現しました。



「……あなた、だぁれ?」


『––––!?』


 ずんぐりむっくりな妖精さんに負けず劣らず、小さくまん丸な可愛らしいお顔。

 丁寧に櫛を入れられたとわかる亜麻色の髪の毛は高い位置で二つ結びにされており、結われていない長い後髪は、そのまま背中へ。

 淡い色の水玉模様なワンピースは女の子の愛らしさを引き立て、破顔したその表情と瞳は、好奇の色に染まっていました。


「わたしは、セイフィオっていうのよ。あなたは、だあれ?」


 ––––これ(・・)は、どこから現れたのでしょう?

 妖精さんは初めて見る種類の『小動物』を、不思議そうに眺めていました。

 このような動物は、森に住んでいなかったはずです。であれば、一体どこから現れたというのでしょう。


「わたしのいっていること、わからないのかしら」


『––––?』


 名乗りを上げ、もう一度同じ言を重ね、なお答えが返ってこないことを怪訝に思った女の子は呟きますが、妖精さんには何のことやらさっぱりです。

 そもそも、森に住む動物以外に、声を出して体を動かす生き物など一度も見たことがない妖精さんです。当然、森の外に住む『人間』のことなど、知る由もなく。

 彼女の発する鳴き声が、何か意味のあるものであるとはつゆにも思いません。


「わ、た、し」


『––––?』


 「わたし」と、今度は妖精さんでもはっきり聞き取れる速度で、女の子は口を動かします。

 それから、彼女は自分を指差して、


「セ・イ・フィ・オ!」


『せ、ふぃ……?』


 言い聞かせるように女の子が口を動かすので、つい、妖精さんは自分も声を発しました。

 その様子に、女の子は口元を三日月のように無邪気に歪め、首を振ります。


「ちがうちがう。セ・イ・フィ・オよ』


『せ、い、い、お……?』


「うーん……まあ、いっか! そう、わたしはセイフィオ!」


 言葉はなんとか伝わらなくもない、と己の中で結論づけると、未知の存在との意思疎通に成功した事実にガッツポーズして、女の子は笑みを浮かべました。


『せ、い、ふぃ、お……』


 女の子のその仕草を見て、妖精さんは生まれてからで一番と言っていいほどに頭を回転させ、考えます。

 彼女は、己を指差しました。……それは、自分を現しているという意味でしょうか、きっと。

 その仕草に合わせての『セイフィオ』という謎の鳴き声……彼女は、セイフィオ、という生き物……なのでしょうか。

 名前という概念を知らない妖精さんは、そう結論づける他ありませんでした。


「で、あなたのおなまえは?」


『––––』


「うーん……これもわからないのね。まぁ、いっか。……ねぇ妖精さん。もしいまひまなら、わたしのはなしきいてくれる?」


『––––』


「わたしね。おやしきをぬけだして、ここまでにげてきたの」


 妖精さんが何も理解できない中、けれども女の子––––セイフィオは、妖精さんの隣に体育座りして、自分のここまでのいきさつを語り始めました。


 セイフィオは、人間の国の王様の子供の一人で、けれど王様の奥さんの子ではなく、家来との間にできた子供であること。


 そのことから、王様の奥さんに悪い感情を向けられ、近くに大きな森のあるこの、帝国との辺境にまで追いやられてしまったこと。


 付いてきてくれた使用人さんたちはいずれも冷たくて、セイフィオ自身の心まで凍ってしまいそうな現状が、耐えられなかったこと。


 意を決して、誰も見ていない隙にお屋敷の窓から飛び出してきたこと。


 話し相手が欲しかったのでしょうか。セイフィオは、聞いてもいないことをペラペラと吐いていきます。

 全て話し終えると、「これ、じつはおへやのなかのくつなのよ!」とどこか自慢げに自分の履物を指差すセイフィオ。


 なんと、お転婆な一国のお姫様であることが判明してしまったセイフィオでしたが、妖精さんにはそれら全てが何のことやらさっぱり。


 ただ何となく佇んで彼女の鳴き声? に耳を傾けていたら、気づいたらそれが止み、キラキラと輝くセイフィオの瞳が向けられていたという、よくわからない状況で。


「あなたのおかげで、ひさしぶりにたくさんおはなしできた! すっごくすっきりしたわ。またきてもいい?」


『––––』


 これまた何を言っているかわかりませんでしたが、けれど、何かを聞かれているようだということは何とかギリギリ察することができた妖精さんです。


「……だめ、かしら」


『っ、っ!? っ!!』


 がっくりと失望したように項垂れてしまうセイフィオに、妖精さんは意味がわからずともなんとかしなければ、とオロオロしてしまいます。

 未知の存在との交流に心をくすぐられたのは、何もセイフィオだけではありませんでした。

 妖精さんもまたセイフィオには興味津々で、更に若木だけでは満たされなかった無自覚な寂寥感を、彼女はものの数分で埋めてくれていました。

 胸の内を満たす温かな感情の正体なんてわかりません。けれどセイフィオがまた来てくれたら嬉しいな、なんて。妖精さんは思っていて。


『……い、い! いい! いいっ』


 もう推測直感憶測で、妖精さんはセイフィオの問いを肯定しようと必死でした。

 全ては、いい印象を持たれて、またここへ来てくれるキッカケを作りたくて。


「また来ても、いいの?」


『いい!』


「––––! ありがとうっ」


 その賭けに、妖精さんは見事勝利しました。

 育ちのいい顔を愛らしく緩ませると、セイフィオは「……そろそろもどらなきゃ」とちょっぴり悲しげに妖精さんへ背を向けました。


「……じゃあね」


『いい!』


「うんっ!」


 ばいばい、と手を振って、セイフィオは走って行ってしまいました。


『ばい、ばい』



 その声が届いたかはわかりませんが、遠くで振り返ったセイフィオがピョンピョン跳ねて、大きく手を振っているのが見えました。


「まーたーねー!」


 妖精さんは、なんだか嬉しくなって頬を緩め、セイフィオを見送りました。

 彼女がまた来てくれるのを、待ち望みにしながら。



****




「じゃーん! わたしが、ことばをおぼえるのにつかったご本よ!」


 それから、幾年か時が過ぎ去ります。

 若木はまたすくすく育ちますが、その木陰に座っている妖精さんはずんぐりむっくりのまま、成長していませんでした。

 けれど、彼女にだって変化は生まれました。

 例えば、外からやってきた人間と、お友達になったことだとか。


『ご、ほん?』


 妖精さんが首を傾げると、あれから幾度もこの若木へ通うようになった傍らのセイフィオは、得意げな様子でうなずき返します。

 その手には、大きく分厚い本が握られていました。


「そう! これをおぼえれば、ようせいさんはもっとわたしのいってることがわかるようになるわ!」


 セイフィオと出会って、セイフィオの愚痴とも言うべき吐露に耳を傾け続けた結果、妖精さんは、いくつか人間の言葉を覚えられるようになっていました。

 今では、ごく簡単な会話程度ならお手の物です。


『せいふぃおと、もっと、おはなし、できる?』


 妖精さんにとって、セイフィオは妖精さんの知らない外の世界を沢山知っていて、なおかつそれを話し聞かせてくれるとても素敵なお友達でした。

 彼女の話がより深く理解できるようになるならなんでもやってやる、というのが妖精さんの今の心境です。


 のっぺらぼうなので妖精さんに表情はありませんが、何となく雰囲気から彼女がやる気に満ちていると察したセイフィオが、強く首肯します。


「うん!」


『っ、ようせい、おぼえるっ』


「じゃあかしてあげるわ」


 セイフィオが本を差し出すと、嬉々としてそれを受け取った妖精さんはページを捲り始めました。

 興味津々なようで、それでも借り物だからと、破けないように慎重に本を扱う妖精さん。

 そんな友人の様子に、セイフィオは笑みを深め、


「……なんなら、あげるわよ?」


『え……でも、このごほん、せいふぃおの……』


「おかあさまにもらったたいせつなものではあるけど……ようせいさんになら、いいわっ」


『いい、の……? せいふぃお、ありがとっ』


「うんっ、どういたしまして」


 この時点で、セイフィオにとって妖精さんは愚痴を零すだけの相手ではなく、苦楽を共有してくれる大切な親友となっていました。


『たい、せつに……するっ』


 小さな体で、ぎゅっと大事そうに本を抱え込む妖精さん。

 彼女の表情のないはずの顔が嬉しそうに上気し、朗らかな笑みが浮かぶのを幻視して、セイフィオは何故だか少しどきりとしました。




****



『セイフィオは今年、何歳になるの、ですか?』


 相変わらずちんまりとした妖精さんを膝の上に乗せ、背の伸びたセイフィオは答えます。


「十歳よ。わたしも、後五年で大人」


 十五歳になると、人間の王国では成人と認められます。

 成人を迎えたらすぐに屋敷を出奔し、独り立ちする––––それが、セイフィオの夢なのだそうでした。

 森の中へ一人で入ってくるほど行動的なセイフィオが確かに考えそうな、素敵な夢であると妖精さんは思います。応援したいとも思うのですが、


『大人……人間は、大人になるのが早いの、です、ね』


「そう? わたしには遅いくらい」


 独り立ちしても、セイフィオはこの森に通ってくれるのでしょうか。もしそのまま遠くへ行ってしまうのなら、と考えると時の流れが恐ろしく思います。本人に聞くことさえ怖くて、出来ません。


「妖精さんは、いつまでもちっちゃいままよね」


『それは明らかな悪口なの、です……』


「え、あ、ご、ごめんね……悪気はなくて。小さくてまん丸な身体、とってもかわいいわっ」


 ぷにぷにと、妖精さんのほっぺにセイフィオの指が食い込みます。擽ったいです。


『……あ、ありがとう、なの、です……』


 まるで誤魔化すような褒め言葉でしたが、咄嗟に口をついて出た時点で、セイフィオの本心であると妖精さんにはわかりました。ですから照れに照れます。


 この頃、セイフィオから定期的に贈られる本のお陰で、妖精さんはセイフィオとの意思疎通に問題が無いほどの言語力を身につけるに至りました。

 たまに意味の通らない言葉は、その都度セイフィオに聞けば、それ以降わからないこともありません。

 セイフィオの話をより正確に聞き取ることができるようになっていって、それだけで妖精さんは嬉しさでいっぱいでした。外の世界を事細かに教えてくれるセイフィオへの感謝でもいっぱいでした。


「それはそうと……妖精さん? 喋り方、なんだか変よ?」


『えっ……うそ、なのです」


「その、『なのです』って、なぁに? なんだかとってもへんてこ」


『……へ、へんてこ』


 どうやら不自然なようなので、妖精さんは一旦自己流敬語を打ち止めにしました。

 

『……け、敬語というものが、人間の言葉には存在すると、知った。ようせい、セイフィオとお話しするときは、丁寧な言葉を使いたい。でも、セイフィオがそういうなら、この敬語は使い方、間違ってる……?』


「へぇ……まあ、ふつうの敬語はやたらめったら『なのです』『なのです』言わないわ。正直とっても変よ」


『うぅ……』


 ずばりとしたセイフィオの物言いに、妖精さんは少し傷つきましたが、次の瞬間に見せたセイフィオの笑みで、その傷は消えて無くなりました。


「でも妖精さんのそれ、とっても面白いと思う。わたしのお家の使用人が使ってる普通の敬語より、よっぽどずーっと素敵よ」


『そう、なの……?』


「うん。だから……これからも、敬語を使おうとするときはずっとその口調のままでいてほしいわ。妖精さんだけが使う、素敵な言葉よ」


『すてきな……』


 セイフィオの言葉は、いつも妖精さんの心に深く染み渡ります。彼女に褒められることが、妖精さんには何より喜ばしいことでした。


 人は誰しも、誰かに認められたいという、強い願いを内に秘めています。妖精さんだってそうです。


 何故、褒められると嬉しいのか。承認欲求とでも呼ぶべきそれを、妖精さんは知りません。

 なので、セイフィオに聞いてみることにします。


『セイフィオに褒められて、ようせい、今胸のあったかくなったのです。……これ、何なのです?』


「うーん……妖精さんは、今まで誰かに褒められたことがないのね?」


『はいなのです。ようせいを褒めてくれたのは、セイフィオに初めてなのです』


「……そう。それはきっと、子供がお母様に向けるのとおんなじ気持ちよ」


『おかあ、さま……?』


「うん。お母様に褒められて、撫でられると、わたしはとっても嬉しかったわ。認められるって、きっと素晴らしいことよ。わたし、お母様が本当に大好きだった」


 とっても嬉しかった、と過去形で語るセイフィオの目は、古く懐かしいものを見つけたかのように細められていて、妖精さんは不思議に思いました。


『今は、違うのです……?』


「えっとね、お母様……お仕事に疲れて、死んじゃったの。そのちょっと後にわたし、ここに連れてこられたから」


『し、ぬ……』


 死ぬのは、とても悲しいことです。親を喪った小動物がその亡骸に鳴きながら縋り付いている様を、妖精さんはこれまで幾度も見てきたことがありました。

 セイフィオもまた、彼らと同じかそれ以上の悲しみを味わったに違いないのです。

 けれどもそれを乗り越えて、気丈にいられる彼女は、本当に強い子なのだと妖精さんは思いました。


「あぁでもっ、今は隣に妖精さんがいるわ。それだけでわたし、とっても元気になれるものっ」


 そうして浮かべられるセイフィオの笑顔は、これまで見た何より尊くて、美しくて。


『ならようせい、セイフィオを元気にし続けるのです』


「うんっ、ありがとう」


 ならばずっとセイフィオの側にいよう。妖精さんは、彼女の笑顔と繋がれた手にそう誓いを立てました。



****



 葉を生やしては散らし。衣を落としては着け直してと、懸命に成長を続けた若木だったものは、立派な樹木となりました。

 時が経てば、育つものは植物ばかりではありません。


 セイフィオは美貌の蕾を開花させ、幼さを残しつつとても美しい娘になりました。




『あっ、セイフィオっ!』


「久しぶりね、妖精さんっ。元気だった?」


『元気だったのですよ。セイフィオこそ、何事も無かったのですか?』


「うん、平気よ。強いて言えば、妖精さんと会いたくてこの二週間うずうずしてた」


『その気持ちは、ようせいも一緒なのですよ』


 いつかのように林の隙間から顔を出したセイフィオは、我が物顔で妖精さんの隣の木陰を陣取り、木の根に腰かけました。

いつも彼女が座る場所なので、特段妖精さんは不快に思いません。


『教育の方は、上手く行っているのですか?』


「え!? ……う、うんっ、もちろん! か、完璧よ」


『……ふふ、手こずっているのがバレバレなのですよ』


「うぐっ」


 この頃のセイフィオは、何故か掌を返したように当たりの良くなった王室の面々の意向により、王族に恥ない高水準な教育を受けるよう言い渡されていました。

 そのせいでどこか投げやりだった使用人達の態度も硬化し、監視の目は強化され、自由な時間は激減し、屋敷を抜け出すことが困難になりました。


 それでも警備の穴を縫っては、息抜き兼親友への愚痴溢しを目的に森へやってくるので、そのわんぱくさは健在です。


 けれど、そうして森へやってくるのは、彼女が苦悩を抱えている時が多いのでした。


「……流石親友ね。何も言わなくても、心を読むみたいに––––」


『御託は良いのです。それに関して悩みがあるのなら洗いざらい吐き出すのですよ』


「……じゃあ、洗いざらい吐くけど」


『はいなのです』


「勝手にね、他国の王子との婚約が決まってたの」


『え……』


 くどくどと言葉を紡ぐセイフィオを遮って促すと、実際に吐かれた内容に、妖精さんは言葉を失いました。


『それは……』


「城の奴らが掌返してわたしに媚びてきたのは、別の国との親交を深める駒にするためだったってこと。嫁がせるためだったの。……一回は放置同然にここに追いやったくせに、どういう神経してたらそんなこと命令できるのかしら」


 促した妖精さんが黙ってしまったのとは裏腹に、一度溢し始めるとセイフィオはどんどんと不快感をあらわにして、不平不満を漏らしていきました。


「……わたし、婚約なんて嫌よ。一緒にいたい人は自分で決めるわ。今更わたしを当てにする父親も嫌い。お母様のことだって脅して無理やりだったくせに、わたしにもそうやってやらせたいこと好き勝手に強いるんだわ。あんなやつの血が半分でも流れてるって思うだけで、全身掻きむしりたくなるくらい、すごく、すごーく、嫌い。大っっ嫌い!!」


 セイフィオが叫ぶと、それに驚いた木の上の鳥達が一斉に飛び立ちました。それに気づいた途端、「あ、ご、ごめんね」と鳥の逃げていった方角に平謝りするのですから、憎悪に囚われても彼女は優しい子でした。


「まあ、悩みって言えばそれだけよ? ……ふぅ、妖精さんに言えてすっきりしたわ。じゃあ、わたしは今日はもう––––」


『––––諦めて帰る、のですか?』


「え?」


 帰る、と言いかけたセイフィオをまたも遮った妖精さんは、珍しくただ愚痴を聞くだけでなく、何やら物申したい様子でした。

 すっきりした、とセイフィオは確かにそう言いました。けれど、愚痴を吐いて気分を紛らわしても、事態は何の解決にも導かれません。

 セイフィオが、嫌なことを嫌とも言わず、逆らうのを諦め、流れに身を委ねようとしている風にしか、妖精さんには見えず。


「……妖精さん?」


『ようせいには、セイフィオの置かれている状況なんて、分からないのです』


「……」


 妖精さんは、言葉を続けます。


『だけど、勝手な都合で押し付けられた嫌なことを嫌だと拒絶しないで良いわけがないのです。そんなにも嫌っている人間の思惑通りに事を進めてしまったら、それこそそいつの思う壺なのです。セイフィオは、セイフィオのやりたいようにすればいいのです。都合が変わった途端、掌を返して擦り寄ってくる親なんて、唾でも飛ばして絶縁してやればいいのです……と、ようせいはそう思うのです、が……っ!?」


 そこで言葉を打ち止めになりました。言いたいこと、彼女の父親に対しても物申したいことは山ほどありましたが、セイフィオがいつの間にか俯いてしまっているのを見て、妖精さんはハッと我に返り、口を噤みました。

 もしや、言い過ぎてしまったのでしょうか。


『せ、セイフィオ……?』


「……」


 妖精さんが震える声で名を呼んでも、セイフィオは黙ったまま、下を向いています。

 事情も知らない妖精さんに、好き勝手言われたのを不快に思ったのでしょうか。

 しばらくすると、セイフィオは嗚咽を漏らし始めました。

 涙を流しているのです。


『っ!? セイフィオっ、ご、ごめ––––』


「……ありがとう、妖精さん」


『へ……』


「わたしのために、怒ってくれてありがとう」


 謝ろうとセイフィオに近づいた瞬間、彼女は小さな涙声で、妖精さんにお礼を言いました。

 そしてその口が閉じぬうちに顔を持ち上げ、セイフィオは––––充血した瞳を隠しもせず、じっと、妖精さんを見つめます。

 その瞳には、何らかの決意の炎が宿っていて。


「––––わたし、何を受け入れようとしていたのかしらね!」


『え……?』


「そうよね、嫌なことは、嫌って言えば良いのよね。そんなの、相手が国王だからなんて関係ない。わたし、らしくなかった」


『え、え……?』


 どうやら、妖精さんは彼女の闘争心を刺激してしまったようです。


「妖精さん、決めたわ。来月の会談で、あの悪の権化みたいな父親のほっぺに三発くらいげんこつ入れてくる!」


 何でも、セイフィオは婚約者との顔合わせも兼ねて、来月に行われる件の国との会談に、出席することになっているのだそうです。

 彼女はそれを––––ぶち壊して台無しにしてやろうと、そう豪語し始めたのでした。


『な、何で三発、なのです……?』


 突然の決意。唐突な急展開。突っ込みどころは山ほどあるにもかかわらず、妖精さんはつい目先の問いを投げかけました。


「わたしの精一杯の拒絶の分一発と、お母様の遣る瀬無さの分一発。後は、わたしのために怒ってくれた妖精さんの分一発。それ全部一発一発に詰め込んで、三発。そうして思いっきり––––あいつを打つ」


 それはさながら、物語の勇者のような台詞です。

 可憐な容姿をしている分、その物騒で勇ましい発言と拳を打ち合わせる動作はセイフィオに似合っていませんでしたが、真っ直ぐな彼女らしいなとも、妖精さんは思いました。


「それだけのことを公の場所でやったら、野蛮な姫は願い下げだって、きっと婚約なんて消えてなくなるわ。父親への報復にもなる。一石二鳥!」


『––––』


「だけど、もしそれでもやっぱりダメだったら……妖精さん。わたしと、一緒に逃げてくれない?」


『……本気、なのですか?』


「うん。……だめ、かしら?」


 それは図らずも、妖精さんの脳裏に初めて出会った日のことを想起させる訊ね方でした。

 あの日、またねと言ってくれたことを今、妖精さんはとても嬉しく思います。

 セイフィオがいなければ、妖精さんはずっとひとりぼっちのままだったでしょう。


 沢山のことを教えてくれた良き先生であり、親友であり、大切な存在であり。


 彼女に今、共に逃げて欲しいと切望されていることが、たまらなく嬉しくて。


 セイフィオは妖精さんがいるから元気でいられると、言っていました。

 ならば、この先もずっと彼女を元気でいさせるために、


『なら、ようせいも出来る限り準備して、待っているのですよ』


 訊ねられた次の瞬間には、即座に頷いて決心し直していました。

 ––––ずっと、彼女の側を離れないと。


「準備って……あー、失敗する前提で!? 酷いわ、少しくらい成功するって期待してよ」


『もしもの場合の備え、なのですよ。大丈夫、ちゃんと、信じているのです』


「本当にー? ……まぁ、良いわ。なら、わたしも色々備えておく」


 するとセイフィオは妖精さんから何故か目を逸らし、もじもじと照れくさげに頰を上気させて、


「何もかもぜーんぶ上手くいったなら、わたし、妖精さんに伝えたいことがあるの」


 まるで一世一代の想いでも、告白するかのように。


「だから、全部終わるまでここで待っていてね?」


 そうして、セイフィオは何年経っても変わらぬ無邪気で魅力的な笑顔を浮かべました。


『はい、なのです』



****




 それから一ヶ月後。


 今まで民に存在を秘匿されてきた王族の一人が、何の手がかりも残さず失踪したという噂が、王都に蔓延しました。


 その後すぐにそれはデマであり、やましい事もないのに王族がその存在を秘匿されるはずもない、現在公開されている者たちで王族は全員だ、と声高に民の前で王が言い放つことで、根も葉もないその噂は無くなりました。


 なんでも、その時の王様の両の頰には、何故だか湿布が貼られていたそうです。






****



「そうして二人は、死にわかたれるその時まで、共に森の深くでひっそり暮らしたのでした……めでたしめでたし、なのです!」


 スミレが話し終えて一礼すると、その眼前で彼女の語りを聞いていた少女––––ソフィは、ぱちぱちと拍手を送った。

 そこは、屋敷でスミレに与えられた部屋。ソフィはベッドの上に乗っかって、スミレは椅子の背もたれに顎を乗せて座って、互いに向かい合っていた。


「ねえ、スミレっ。その話って実話なの?」


 つい今しがたまでスミレの語っていたお話は、遠い遠い昔の、とある妖精族とお姫様の物語だという。

 興味津々な表情でソフィが訊ねると、スミレはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、肩を竦めた。


「さぁ? それはどうなのでしょうね」


「えぇっ、意地悪しないで教えてよ」


「ふふん、その辺りは想像の余地を残した方が、物語は面白いのですよ」


 もうすぐおやつの時間なのです、とスミレは遊び道具やらでやや散らかしてしまった周囲の片付けを始めた。部屋が汚いと、レーナが煩いのだ。


「……あれ、でも、『なのです』っていう口癖……」


誤魔化された形のソフィは口を尖らせたが、一つ引っかかる箇所を見つける。


 ––––スミレも、妖精さんと同じ口癖を使っているのだ。


「……まさかね。スミレが、妖精なんて–––」


 そもそも実話かどうかすら怪しい。作り話の可能性がある。

 というか数百年経っているのなら、人間であるスミレは生き続けられるはずもない。どう見たってソフィと同い年程度なのだ……何故か実年齢を教えてくれないが。

 スミレは妖精でもなんでもない。どちらかと言うと、嬉しそうな顔で寝起きのソフィを外に無理やり連れ出すような悪魔みたいな存在だ。よって、今の話は真偽はどうあれスミレとなんの関係もない話。

 そう脳内で結論づけると、ソフィはどこか引っかかるらものを感じながら、考えるのをやめようとする。


 ––––でもなんだか、聞いたことあるようなお話なんだよね……。


 だとしたら、一体どこで聞いたというのか。

 釈然とせず、うーん……と唸りながら頭を掻くソフィ。そんな様子の彼女の顔を、スミレはそっと見つめて目を細めた。


  否。正確には、その双眸だろうか。


 ソフィの瞳は、スミレにとってとても懐かしい(・・・・・・・)色彩をしていたから。


 一目見たときには、気づいてしまったのだから。



「––––また、会えたのです」


「ん……スミレ何か言った?」


「いつか思い出してくれたら嬉しいなと、そう言ったのですよ」


「は?? 何の話?」


「なんでもないのですよー」


 にへらと笑うスミレ、意味がわからないソフィ。


 別に分からなくたっていい。言葉にして説明したって混乱させる果て、信じてももらえないだろう。


 いつか、彼女から揺るがぬ信頼を得られたその時にでも、順に説明していけばいい。


 この『再会』はその時まで、スミレにとってだけの大切な出来事であればいい。


「……はぁ、もういい。スミレ、これはどこに仕舞えばいいの?」


「あ、タンスの一番下なのです」


 諦めた様子のソフィはそのまま片付けの手伝いに邁進し、スミレのお話会はお開きになった。

いつもお読みいただき誠にありがとうございます。それだけで励みになります。


次回(本編)はなるべく早く更新いたします。


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