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58:いわゆる、半ギレ状態

 一瞬、ご主人様は顔をくしゃりと歪んだかと思えば、


「ごめんなざいぃぃぃっっっ、びぇぇぇぇ……っ!」


 そのまま滂沱の涙をぽたぽたと垂れ流し始めた。


「えぇ!? あ、あのっ、ご主人様っ、そ、そんなに泣かれなくても……!」


「うっぐ……びぇぇ、げほがほっ、ぶぇぇぇ……っ!」


「な、泣かないで下さい……もう責めてないです、責めてないですからっ」


「ぶぁぁぁ……っ!」


 どうしていいかわからなくなって戸惑うばかりの私と、泣き止みそうにないご主人様。

 どうしてこんなことになってしまったのか、事はほんの少しだけ前へと遡る。



****



「え……?」


 居間で意識を失っているご主人様、スミレちゃん、ソフィちゃんを目撃した。

 そもそも普通に暮らしていて、親しい人たちが一箇所に集まって白目を向いている場面に遭遇する確率は、如何程のものだろうか。

 そんな光景まずあり得ないだろう。

 なんて、どうでもいい疑問とともに思考が停止して、その時の私はどうしていいか分からず立ち尽くしてしまっていた。


 死んだように動かない三人に背筋の凍るようなものを感じながら、急いでご主人様の体を揺さぶらせてみると、彼女は幸いものの数秒で復活した。


「––––かはっ……!?」


 それまで呼吸を忘れていたかのように、或いは、体内から何らかの異物を吐き出そうとしているかのように彼女は噦いた後、白目がぐるんと回転するように動き、見慣れた黒瞳が帰ってくる。

 青白くなっていた顔は少しずつ血色を良くして行き、最後には、まるで何事もなかったかのようにむくりと立ち上がる黒髪の女性––––ご主人様。


「あ、あれ、私……一体何を」


 頭を掻きながら私に背を向けた形で立ち上がった彼女は、いまいち状況を理解できていないようだった。

そんな背中をツンツンつついて、私は振り返った彼女に問うた。


「ご、ご主人様……何があったんですかっ」


「……はえ?」


 私の顔を見た途端、ご主人様はぽかんとした気の抜けた顔をしてしまう。

 ––––えっと、私の顔、何か変なものでもついてるのかな……。

 首を傾げてみせると、一拍置いてご主人様は驚き顔でこちらの肩をがっしり捕まえてきた。


「え……なにって……ええ!? れ、レーナちゃんっ、もう起きて大丈夫なの!? 体は!? 風邪は!? まさか幽体離脱で魂だけここに飛んできた!? 死んじゃダメだよっ!? ……あ、でも実体はあるな。肩やわらかいなぁ……」


 早口で捲し立て、最後には表情をとろけさせる色々と忙しい彼女に、私は苦笑しながら言葉を紡いだ。


「え、えと、まだ本調子ではないですけど平気……ではなくて、ご主人様っ。その、白目まで剥いてられましたけど、一体何があったんですか……?」


「白目……?」


「気絶してらしたんですよ」


「……あっ、そうだおかゆ!! スミレちゃんとソフィちゃんも!」


「はい?」


 おかゆ?


「私たち……そうっ、私たちお酒と砂糖と色んなのでお粥作って爆発して不味くて三人一緒に倒れたんだよ!!」


「……はい?」


 何を言っているのかわからなかった。



 少し時間を置いて、冷静になったご主人様に改めて話を聞く。

 要約すると、私のためにお粥を作ろうとしてくれて、変なものを沢山入れた結果、鍋が爆発。それでも中のお粥はギリギリ美味しいかもしれないと試食した結果、あまりの不味さに意識を失ってしまった、らしい。

 それを聞いた私は、


「……ご主人様、正座です」


「……う?」


「正座、です」


「え、あ、はい」


 正直、ぷつんときた。

 以前、私は彼女の家事下手を少しでも克服させるべく、基本的な調理の仕方を教えようとしたことがある。

 けれど、すぐに断念した。

 手に負える次元ではなかったからだ。


「……ご主人様。以前、私と約束したことを覚えていますか」


「……えっ?」


 なんだそれ私初耳だよと言わんばかりの表情を浮かべて小首を傾げてきたので、私の頭の中の何かがまたぷつんと一つ千切れた。

 料理練習の後、私たちは確かに約束したのだ。


「……ご主人様は、下手とかそういう次元ではなく、少し台所に立つだけで私の見ていない隙になんとなくで得体の知れないものを鍋の中に放り込んでしまう癖がありますので、もし万が一何らかの事情で調理せざるを得ない状況に追い込まれたとしても絶対に監視役のいないところで一人で包丁一つ持たないで下さい、とそういう約束をしたんです」


「……あっ!」


 なんだ『あっ!』って。なんなんだその今思い出したと言わんばかりの声は。

 また一つ弾け飛ぶ頭の中の何か。


「も、勿論その約束の件は忘れてないよぅ……ほんと、ほんとだよ? でっ、でもさ、レーナちゃん。私一人で調理してないよ」


そこまで言って、ご主人様は己のすぐ近くで意識を失ったままの少女二人の体を軽く揺さぶる。


「う、うぁ……?」


「……なの、です……?」


「こ、この二人(共犯者)協力(共犯)したから!監視役がいなかったわけじゃないもん! 約束、破ってないからね!」


 ……確かに、私は一人で料理してはいけないと言った。そういう意味ではご主人様は約束を破っていないし、そんな抜け道を作ってしまった私の言い方にも落ち度がある。


「……わかりました。約束は破ってないことにしましょう」


「ほっ……」


「––––でもそれで実際、お粥は上手く作れましたか?」


「……ぅぐ」


「私のために作ろうとしてくださったことは、本当に嬉しいですけど……ご自身が何を入れたのかも満足にわかっていないんですよね? もしそれで命が脅かされるような料理になってしまっていたら、一体どうしていたんですか?」


「……どう、って」


「幸い二人ともご主人様同様顔色も戻ってきていますけど、例えば、そのおかゆを食べたソフィちゃんが命の危機に瀕してしまったとして、ご主人様は酒場の店主様や、ソフィちゃんのお母様に、どう説明するおつもりですか? スミレちゃんが命の危機に瀕してしまったとして、ご主人様はその時どうするおつもりだったのですか? わざとじゃなかったと、へらへら笑うんですか?」


「……っ」


 らしくなく、人を責める言葉が口をついて出る。

 自分でも、己がこれまでになく激怒していることがわかった。

 不調のせいで余裕が無いこともあるだろうけれど、それとは別に眼前で危機感を一切持っていない様子のご主人様が、腹立たしくてならなかった。


 笑い事でも、おふざけでもない。

 もし、本当に入れちゃいけないものをお粥に入れてしまっていたなら。


 ––––ご主人様だって、死んでいたかもしれないんだ。


 ことの重大性を理解させようと、更に言葉を重ねようとして、


「––––ご」


「『ご』?」


「ごめんなざいぃぃぃっっっ、びぇぇぇぇ……っ!」


 不意に、ぼろぼろと涙を流し始めてしまったご主人様に、私の思考は停止した。


 急に泣き出すなんて……泣かせてしまうなんて、予想外すぎたのだ。





 ––––そして、現在に至る。


「うっぐぅ……ひぐ、ごめんなざぃ……わだじがぁ、わだじが、わるがっだでず……」


「わ、私の方こそ、ごめんなさいっ! 頭に血が上って、つい、厳しい言葉ばっかり並べてしまって……!」


 停止した思考は再起動し、急速に頭が冷えていくのを感じた。


 ご主人様は、確かに真面目とは決して言えない人間だ。

 大雑把だし、適当なところはとことん適当だし、ふざけることや、怠けることばかりを考えて生きているような、そんな人で。

 でも、演技で涙まで流すような人では、断じてない。


 悪いことをしたら、その非を素直に認められるような、その一点は確実に真っ直ぐな人だから。


「……もう、勝手に料理なんてしないから……皆のこと、危険な目に遭わせないから……」


 反省、しているのだ。

 今回は実害はギリギリ無かった。であれば、もうしないと誓っているのに、これ以上彼女を責める理由がどこにあるだろう。

 そもそもの発端だって、私が風邪を引いて台所を空けてしまったことにあるのに。


「私の方こそ……酷い責め方をして、本当にすみませんでした。もう勝手にお料理しないでくださいね。せめて、一声かけて下さると嬉しいです」


「……うん。絶対」


「なら……話は、ここまでにしましょう。私も調子が戻ってきました……二人を起こし、て……」


 ––––言葉の途中で、不意に視界がぐらりと揺らいだ。


 ––––あれ。


 踏ん張ろうとするが、足からは呆気なく力が抜けて、意思に反し倒れていくままの体。


 いつかにお風呂でのぼせた時と、似たような感覚だった。


 つまりは––––意識を失う前兆。


 ––––ゆか、ぶつ……かる……?



 ご主人様は、スミレちゃんとソフィちゃんを起こそうとしていて、私の状態に気がついていない。




 ––––エルフの血筋は、病気が長引く。


 いくら一時的に体の調子が良くなったとしても、油断せず、最低数週間は様子を見なければならない。


 それを失念していた訳じゃないのに、今までにない回復速度だからとたかを括って部屋を出たのが、運の尽き。



 どん、と鈍い衝撃を頭に食らって、私の意識は刈り取られた。

次話(風邪引き話終了)の方は近日中、早ければ今日か明日には更新できるかと思います。

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