56:お先真っ暗でも進め
他の家事はもう何が何でもどうにかするしかないとして、調理だけは私一人ではどうしたって無理である。食べた人間を死に絶えさせる殺人兵器を作る予感しかしない。スミレちゃんがいても多分ダメだ。マイナスとマイナスを足してもプラスにはならない。多少スミレちゃんがプラスだったとしても、私のマイナスはプラスを易々と飲み込むので不可。
そんなわけで、このお方の登場である。
「そんな訳で連れてきました戦力一号」
「えっ? えっ? なにっ?」
「めっちゃ困惑してるのですよ……」
村から攫……連れてきたソフィちゃんである。
彼女の父親は酒場で料理をいくつも作っているいわばスペシャリスト。その娘たる彼女も、きっとそれなりにお粥なんかの調理法も心得ているに違いない、そう思って、誘か……拉致してきた。
「それじゃあ、よろしくお願いします、先生」
「さ、さっきから何の話ししてるの……?」
「えっ、と……ソフィは、状況を理解してないのです?」
「う、うん……急に、走ってきたみかちゃんに担ぎ上げられて連れてこられたから」
「おい」
「ヒッ」
凄んだような声とともにスミレちゃんが私を睨む。ソフィちゃんが関わるとこの子はヒトが変わるのだ。
たしかに、ちゃんとソフィちゃんに状況説明していなかった。一刻も早くレーナちゃんのためにレーナちゃんのためにと。……そうして他の人を利用することしか考えていないようなやり方は、たしかに宜しくない。
レーナちゃんに周りが見えていないと言っておきながら、視界がいつも以上に狭くなっているのは私だった。
「まず、理由も言わずに連れてきたことを謝るのですよっ」
「……ごめんなさい」
「スミレに、ではなくソフィになのです。何か他にやらければいけないことがあったかもしれないのですよ?」
……たしかに、そうだ。ソフィちゃんには、ソフィちゃんの予定が存在する。
もし一刻を争うような用事を阻んでしまっていたなら……私は一体どう責任を取れば……。
思考がどんどん暗くなっていく。レーナちゃんが、精神的支柱がいないからだ。明るい言葉も考えも、浮かばない。
「……ごめんね、ソフィちゃん。何か大事な用事とかあったのかな……」
「え、いや、一回お昼ご飯たべてからスミレとまた遊ぼうかなって……で、でもっ、ちゃんと約束したわけでもないし、そ、それだけだから、そんなに落ち込まないで……? わたしは、大丈夫だからっ」
「……うん」
普段私相手には比較的ぶっきらぼうなのに、こういう時ソフィちゃんは優しい。やっぱり親子なのか、それに関しては店主さんに通じるものがある気がする。
この思いやりの良さに、スミレちゃんは惹かれているのかもしれない。
「そっ、それよりわたしはみかちゃんが急いでた理由と、レーナお姉さんがいない理由が知りたい、けど……」
「……じゃあ、順を追って説明するから」
頭にはてなマークを浮かべるばかりのソフィちゃんへ、レーナちゃんが風邪を引いたことを伝える。
レーナちゃんが体調不良、と言ったところで、彼女は血相を変えて私に寄ってきた。
「レーナお姉さん大丈夫なの!?」
「一応安静にしてるから大丈夫、だよ」
「そうなんだ……よかったぁ。お見舞い、しても良いよね」
「うん。その為に呼んだっていうのもあるから」
「じゃあ、他にも理由あるんだ……うん、だいたいわかったっ」
その瞳には、『わたしにできることなら何でもやるよ』という、強い意志が宿っている。
頼もしい限りだけど、きっと彼女には造作もないお願いだ。
「……お粥とかの作り方、教えてもらいたいなぁって」
「……へ?」
「私とスミレちゃんじゃ、毒料理しか作れないだろうし……力、借りたいの」
「……え、と」
ソフィちゃんの表情が、固まる。何故自分にそれを言うのだ、とでもいうかのように。
やはり、彼女にはできて当然の他愛ないことなのだ。これからは、ソフィちゃん改めソフィ師範代と呼ばせてもらおう。
「……一つ、言いたいことがあるの」
とても言いづらそうにしながら、けれど伝えねばならないことがあると、ソフィ師範代は続ける。
「どうしたの?」
「わたし……料理、できないよ?」
「…………は!?」
え、ちょ、え!?
飲食店の子供って、その店の味とか小さいうちから仕込まれるものだったりしないの……? え、ただの偏見?
私が信じられないものを目撃した目でソフィちゃんに視線をやると、彼女は、ハァ、と何かに呆れたような溜息を吐きつつ、口を開いた。
「うちのお父さん、すごく心配症なんだもん。厨房に入って良いのは店員だけだぁって、包丁もなんでも触らせてくれないの。お店が閉まってる時もだよ? お前にはまだ早い〜って。お客さんにまで私が店内に入ってこないか確認させるんだから、過保護すぎるよ……わたしだって、いつまでも子供じゃないもん」
––––おのれあの過保護ゴリマッチョ。
恨み言の一つでも吐いてやりたい気分になるが、大切な人を大切にしたい気持ち、傷一つ付けたくない気持ちは私にも少なからず共感できるものなので、なんとも言えない気分になる。
「……じゃ、じゃあ、ダメか」
「うん……」
「そっか……」
「……なのですね」
もう、最低限の言葉だけで互いの言わんとすることが伝わってしまう私達だった。
ソフィちゃんもダメ……これは、本気で何もできそうにない。ガクリと膝を折って、全員床に手をついてしまう。
けれども、だけども。
––––このまま、何もできないまま終わっていいのか、橘純夏。
心の中へと自問する。
家事もできない、器用でもない、力ばっかりついたゴリラな私。女子力なんて、生まれたその日にどこかへ捨て去った。
それでも、何にもできないなりに、日本ではお母さんがいない時なんかに、甘えてくる妹の世話をしていたのだ。レンジでチンする冷凍のお菓子とか、包装を開けてポテチを皿に乗せるだとかして、即席の食べ物を使ってでも、ご機嫌取りをして、切り抜けてきたのだ。
何もできないわけではない。こんな私でも、妹のことは笑顔にすることができたのだ。
––––ならばレーナちゃんにだって、やれるだけのことをしてあげるべきではないのか、橘純夏よ。
「––––でも……やれるだけのことは、やりたいよね」
「……す、スミカ?」
私が立ち上がると、こいつおかしくなったかとでも言いたげな声で、私の名を呼ぶスミレちゃん。ていうか私がおかしい奴なのは元々だ。
だって、いつまでも塞ぎ込んでたって状況は変わらないし、レーナちゃんは一人で風邪と闘ったままだ。少しくらい、レーナちゃんの手助けをしたい。できることがあるかもしれないなら、それに本気で立ち向かいたい。元気になったレーナちゃんのこと、早く可愛がりたい。
「っ……」
すると、ムクリと床から立ち上がる小さな女の子、もう一人。
「そうだよ……レーナお姉さん病気と闘ってるのに、わたしたち何もできないなんていやだよ」
「……そ、ソフィ?」
私の声に呼応するように再度瞳に強い意志を宿し直したソフィちゃんに、スミレちゃんだけが取り残されたような顔でオロオロしている。
……うん。なんだかんだ、スミレちゃんこのメンバーの中で一番常識人なのかもしれない。
確かに、進む道は真っ暗で、希望なんてない。けれど、何もしないより、挑戦した方がいいじゃないか。
「私とスミレちゃんを足してマイナスのままでも、ソフィちゃんのマイナスを掛け算すればプラスになるよね……」
「毒に毒を混ぜれば美味しくなるよきっとっ」
「なんかこいつらとんでもないこと考えてるのです!」
助けてレーナ、と悲痛な叫び声を上げるスミレちゃんに、爛々とした瞳で開き直った私とソフィちゃん。
––––そうして、なんやかんや私たちは決心した。
レーナちゃんに、美味しいお粥を食べさせてあげるのだと。
このメンツではどうあがいても失敗しか見えていないことから、必死に目を背けながら。
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